心を鏡に真理を知る
2006/03/202006年 03月 19日
人に善し悪しがある――人は己が心に映して物事を理解する。(叡智に見えても自身に反映出来なければ、即ち空論) その心が歪んでいればいかなる真理も歪んでしまう。宗教・真理に善し悪しがあるように見えて、実はそれに携る人の心に善し悪しがあり、それを観察する人の心に善し悪しがある。
それ故に、真理の探究は歪まぬ心の持主のみが出来る。少なくとも歪の少ないものが、より真理に近づくことが出来るのだ。そして、真理を学ぶ者は、心を素直に持つことから始めなければならない。
世の中に悪が多いという。……世相を映す、その心は歪んでいないのか? 素直な心に映るのは、救いを求める者の多さ。そして、真実を理解できない者の多さ。……歪んだ心は真理を反映することが出来ない。
皆、それぞれに歪んだ心に映る世相を眺めて、それぞれに罪をあげつらう。……その闘争の生み出すのがこの世の地獄。世にどれほど叡智があり、智者がいようとも、愚者は理解しない。必要なのは外にある答ではなく、内在する問題の解決だ。
知を理解するには愚を、善を理解するには悪を、生を理解するには死を……それぞれを同列にして比べるのではなく、なにが知と愚を分け、なにが善悪を分け、なぜ生死が生じるのかを考える。横ではなく縦に考えるのである。すると歎くよりも大切なことが見えてくる。
中道――すなわち人が進むべき道である。
・回答事例
知と愚――真理を求めるから愚が見える。学ぶ気がない人は愚を恐れない。真理を求める者が知者であり、知者を称える者も、愚をなじる者も、真理を求めていないが故にやはり知者とはいえない。自分に真理をもたらすことこそが大切で、知と愚とを分けて考えることに知はない。
善と悪――利を求めるから悪が生じ、悪を嫌うから善が生じる。(イタズラを始めた子供を観て、親は善のなんたるかを教え始める)そこに争うべき利がなければ、善も悪も意識する必要はない。
生と死――生きているから死がある。死者は死ねない。死は本質的に自然で避けられないものだ。そして生に限りがあるから、なお意義の追求や目的の達成が大切になる。目的を追求する人には死を恐れる暇がない。