返事に戸惑う
2006/03/152006年 03月 15日
当サイトの読者……つまりは心霊仲間が私宛にメールを出すと、私からハイテンションの返事が返ってきてずいぶんと戸惑うものらしい。それを必要とする人もいる一方で、すでに落ち着いた人から見れば何やら不快感も覚えるのだろう。傍目から見たら滑稽に見えるであろうことの出来事は、霊的修行……当人は無自覚の場合もあるが…… が進んでいる事の傍証でもある。
(今までこの問題を省みなかったのは大変な落ち度であろう)
神霊(高級霊)の存在と、その加護を信じられるようになると、おのずとじたばたする事が減ってくる。
助けを求める事が必要なのではなく、助けを受け止められることが大切なのだ。そして、闇雲に手を伸ばすよりも手元に流れてくるのを待つ方がよほど早いのだと経験し、加護の自覚が出来て、心はますます静まっていく。
興味深いことは世に多いが、焦るほどのものは何もないとわかってきて、心は更に澄んでいく。無理な作為を考える必要はないのだから… …。
心が落ち着き、心が澄んでくると、足りないものがあっても、人よりも少なくとも、無駄がないから自分が豊かだと思えてくる。と同時に、豊かさとは、得ることではなく、持っていることを生かすことだと理解するから、人の欲望に惑いを見抜き、他人がわずらわしくもなってくる。なにしろ、日々の生活の中で感受する刺激の中に十二分に向上のチャンスが含まれているのだから、いまさら他人に教えを請うて、自分の心の身の丈に合わない助言など必要としなくもなる。
こういう状態に至った後は、人とグダグダ論じることに魅力を感じなくなる。……無論、会話も人生の喜びのひとつであるし、人である以上寂しさも感じるから、一切の会話がなくなるのではない。ただ、不毛な会話、レベルの低い話題を嫌うだけだ。
私に迷いを打ち明けた上で、ここまで至った人が、私が忘れた頃に突然メールを打って(または掲示板への投稿)大変に焦ることになる。
送信者も、そして、私もおおむね忘れていることだが、送信者と私とは、かつて不毛で低レベルの会話ばかりが続いていた。すべての答えは自分の中にあるのに、埋もれていた霊性を掘り出すまでは、当たり前のことばかりを話し合っていたのである。
せめてオフ会などでちょくちょく合っている人ならばともかく、久しぶりの連絡に私が慌ててリロードする記憶は、この不毛で低レベルの相手ということである。送信者にとって見れば落ち着いた自分が当然となっているのに、私の記憶では迷える人でしかないのだからそこに大きなギャップがある。世話になったという思いが、送信者にして下手なメールを書かせるのに、返ってくるメールが高飛車に見えれば驚き、避けたくもなるだろうが、誰もそれを指摘することがない。……これが相談メールであれば、その都度、私もとるべき態度を背後に相談したうえで返事をするし、あった上で話すのならば百聞は一見に如かずの反応が出せると思う。だが、単に近況を知らせてくると、慣れた道でお説教をはじめてしまうのである。
こんなつもりじゃなかったのに……いやまったく申し訳ない。