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嘘はまことに扱いにくい

2006/02/26

2006年 02月 25日


  私も人の子、そして浮き世の中で暮らしていれば、言い訳や取り繕い的な嘘もつく。たとえば仕事に遅れた理由をグダグダというのはみっともないが、送別会を忘れていて欠席したなどというのは真実を言えばかえって相手に失礼になるだろう。ましてや、内心では「ザマー見ろ」と思っていてもお悔やみを言ったり、「コンチクショー!」と思っていてもお祝いを言わねばならぬのが人間社会の常識である。いかに神様が正直者を愛するとはいえ、無闇に人を傷つけぬ工夫は、たとえ猿知恵であろうとも片目をつぶって見逃していただけるのではないかと思う。

 ところで、霊媒などをしていると、嘘に対する姿勢は浮き世のように柔軟には行かないことを痛感する。それはなにも感情論ではなく、実際的な必要性から生じる結論であるから、いかに寛大な神様、仏様であろうとも同じ感想を抱くのではと愚考する。

 たとえば……

 これは心霊知識と云うよりも心理的な知識だろうが、捜し物がどうしても見つからない時には、あって欲しくないところにあるものだ…… つまり、そこにあるはずがない、とすでに決めてかかっているところに落ちていたりするのである。

 もっと具体的に云えば、間違いがあってはならないところに間違いが残りやすいのは、そこにあって欲しくないという気持ちが邪魔をして間違いを見つけられないのである。

 そして失せもの探しを依頼された霊媒が、それを指摘すると……探す前から、「いえ、そこにはありません。何度も見ました。」などと返事をしてしまう。するともう霊媒に打つ手はない。しつこく云うのも一つの手と思うかも知れないが、探す前から返事をする人は、しつこい霊媒の言葉に耳を貸すよりも別の霊媒を捜し始めるものである。

 同様のことには、「あなたの配偶者は浮気をしています」……などという霊査内容にも当て嵌まる。これはもう何度か経験があるが、ものの見事に無視をされるか、とんでもない大騒ぎにしてしまうかの二通りのパターンを何度か私も経験した。恋愛・夫婦関係の相談を断る所以である。

 要するに、相談者は意図はしなくとも、(おそらく無意識に)嘘をつくことで、私のような第三者の協力を、無駄と云うよりむしろ邪魔にしてしまうことが良くあるのだ。これがせめて、嫌なことなら黙っていてくれれば、表現方法を工夫して納得させることも出来るのだろうが、とっさに嘘をつかれてはもう何を言おうとも、その嘘を暴くようで気まずい思いになっていく。……気まずいのはなにも霊媒側だけでなく、相談者においても同様であろう。かくして、助言をして被害を最小限に抑えるよりも、霊媒が生み出す心の傷が大きくなりそうな気配を察して、背後霊等と霊媒とは口を噤んでしまうのだ。

 もっとも、「ごめんなさい、事情は言えないんです」……と、いわれても、霊感で『それは誤解からきた結論である』などと知らされると、当人が事態を取り繕うと腐心していることを覆すのもバツが悪くて、やはり霊媒は板挟みに苦しむ。―― 相談相手から信頼されない霊媒は力の振るいようがないのだ。しかも現代は、自分を騙そうと努力している虚飾・虚構の中に生きる人があまりに多すぎる。

 結局の所、人が悩むのはその器量の内側に問題を抱え込むのに等しいから、いっそすべてを委ねてくれた方が楽だなぁ~。と思うのである。霊媒ですらそう思うのだから、神様はもっと強くそう考えるだろう。人が人に対して嘘をつくのはある意味必要悪ですらある。だが、真理を追究するものにとって嘘は死活問題ですらある。……だって、考えてみて欲しい、心の中に嘘の一つもない人がいようか? 「霊媒なら嘘をあばいて見よ、どうせ見つけられるはずがないさ!」と、思い上がる者は大勢いようが、他人の嘘を暴く者が、第三者からどういう表現をされるかご存じだろうか?……「大人げない」である。つまり、嘘をそのままにすれば騙されるが、嘘を暴けば往々、大人げないと非難されるのである。どっちに転んでも不幸であるなら、人は悩まずに入られまい。

……では、人間は神の操り人形か、自由意志はどう育てればいいのか!……という議論になるだろう。その答はある意味簡単だ。つまり、学ぶというのは、真似ることから始まるのである。我流は基礎が出来てから行えばいいのだ

 だが、ある意味、こんな難しい答もない。では誰の真似をすればいいのか、そしていつまで真似を続ければいいのか、なにより、誰がその正否を判定できるのか。……実はその答は案外簡単なところにあるのだけれど、困ったことに、真実というのは一番あって欲しくないところにあって、人は懸命に、その場所以外を探すものなのである。

 素直に生きることが大切であると云われる所以である。

 嘘や取り繕いがもたらす利益は実に消極的なものであるが、素直に生きることで得る利益は実に膨大なものなのだ。……ただ、素直に生きることの利益は誰にでも見えるものではないのだ。それが難しい点である。

――折角なので、大雑把にまとめてみるが――自分よりも器量の小さな人を相手にするなら、多少の嘘はやむを得ない。だが、出来るだけ、嘘を言うよりも無言を貫くことを優先すべきだ。そして、自分よりも器量が上の相手には、すべてを任せ、委ねた方が無駄な努力が減るだろう。ただし、本質的には、無意識に取り繕いの言葉が出て、それが自分をまずい立場に追い込むのが、一般人が抱えている業《カルマ》なのである。


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