神は愛より大なり(太上は天を師とし)
2006/02/212006年 02月 20日
「言志四録」なる本がある。従来から注目していたが手に取ってみるチャンスがなかった。ところが先日、書店で見つけてパラパラとページをめくってみた。結論からいえば購入には至らなかった。つまらなかったのではなくここ数ヵ月間の本代がかさみすぎていたからだ。まあ、それはさておき…… たまたま開いたページにかく記載されていた。
「太上は天を師とし、其の次は人を師とし、其の次は経を師とす」
皮肉な想いに、思わず笑みがこぼれてしまった。心霊家足るもの、常に天に目を向け、天の言葉に耳を傾け、天の意志に従うように勉めなければならないと自認していたからだ。一方で残念に思うのは、書物至上主義や、教主至上主義的な人々の存在である。受売りを自慢し、受売りだけで充分とし、受売りに反するものをすべて拒絶する人々など面白みもない。どうせならオリジナルと接したいし、読む者、聞く者に受売りを強いるような人の言葉なら聴く時間も勿体ないと思うからだ。
ところで(実はここからが本題だ)、この文章をまとめるに当って、なにぶん購入していない書籍の内容なので、うろ覚えを廃するためにネットで検索をしてみところ、不可思議に感じたことがある。この太上(最上の人)が師とする「天」の解釈だ。
ちなみに、「人を師とし」とは、つまり教師について学ぶと読み替えて問題はないし、「経を師とす」とは、経典、又は書物と読み替えても問題はないと思う。なんとなれば表現の問題であってそれぞれの読換えは事実上等価であるから。問題なのは、「天を師とし」だ。
一書に曰く「自然から学ぶ」又別な書に曰く「宇宙の真理から学ぶ」 ……これらの解釈は果たして適切なのだろうか。経が、書物を表わすのは単なる用語上の違いに過ぎない。だが、天という言葉を「自然」と読み替え、または、「宇宙の真理」と読み替えるのかなり乱暴な解釈に思える。……まあ、「天」の思想が抽象的に過ぎるから、一般向けにかように解説するのは必然的かも知れないが。
マイヤースからの霊界通信である、「永遠の大道」中に、「神は愛より大なり」 という一節がある。これは、「神は愛である」という従来の言語表現に疑問を提示した結果である。それをした智識として言志四録に思う。
「天は自然より大なり」そして、「天は宇宙の真理より大なり」と。
もしも「天」が「自然」・「真理」と等価であるならなぜ敢えて天という言葉を用いるのか。まあ、私も含めて概ねの人にとってその差はさしたるものではないだろう。ただ、皮肉なことにこれだけは提示できそうだ。
「太上は天を師とし、其の次は人を師とし、其の次は経を師とす」……これを読み、そして、天について、「自然」であるとか、「宇宙の真理」であるとかの解釈を示した者は、果たして経を師としているのか、人を師としているのか、それとも天を師としているのだろうか?
私は、この一文を読んで、経ではなく天を師にしたいものだと切に感じた。