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「転ばぬ先の杖」

2006/02/13

2006年 02月 13日


 話が拗れてから霊媒に相談を持込んでも、往々、どうにもならない。

「転ばぬ先の杖」を持ち、拗れる前に相談することが大切な訳だが、人のありようとは己の過信にあるのか、何度も失敗しないと、災難の解決よりも、災いを引き起さぬ事が本当に大切なのだと、なかなか理解……というより、腑に落ちぬのが人間らしい。

 もっとも、世に親切な人は数有れど、それらの意見に一々耳を傾けると、「転ばぬ先の杖」、どころか、「根っこの生えた杖」を持たされて、進むに進めなくなるから困る。自分の知恵を鼻にかけて「机上の空論」と現実に即した知識との区別もない人に限って、言うとおりにしないと腹を立てるものだ。こういうのは実にめんどくさい。悪縁断ちがたしとはこういうことをいう。

 まあ、悪縁の持主であろうとも、悪縁からも見向きもされぬよりは余程良い。構うだけの価値があると言うことなのだから。その価値もないとすれば、私が何を言う余地があるだろう? 拗れきった生き方をしている人が霊媒に相談を持込んでも、往々、どうにもならないのだから。

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 善良に生きる、心に神仏を描いて、それに恥じぬように生きる、というのも一つの杖であろう、ところで、どんなに善良な人であろうと、また、どんなに信心深い人であろうと、つまづきもすれば、転びもする。問題は、つまづき、転ぶ、その主たる原因が、自分にあるのか、頼みとした杖にあるのかである。

 歩くのに邪魔になるようなつまらぬ杖もあるだろう。そのような杖を持つのも自分の不明を意味するが、杖をついても転ぶような状況ならば、なおのこと杖は大切と考えるべきなのに、自分の不注意を棚に上げて杖を棄て、又は取替えようとするのはなんたることであろうか?

 善く生きようとしてもひどい目に遭う、それならいっそ悪く生きよう、とか、神仏なんて祈っても無駄だ、どうせなら悪魔信仰の方が利口と考えるべきだ……などと考える人が本当にいるから呆れてしまう。

 一度や二度の失敗で揺らぐような浅い、善良さや信仰心であるなら、何を信じようとさして役に立ちそうにないし、さしたる価値もありそうにない。

 飾りであるなら気分で取替えるのも良いが、頼みとするものであるなら使い慣れたものが一番良いことに気がつかぬ事もまた自分の不明とすべきである。……つまり、真に大切なものを知っているのだろうか、ということだ。


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