人を恨めば?
2006/02/06人を恨めば?
2006年02月06日
本日の更新ネタを拾おうとして精神統一をしたところ、すかさず感じたのは私に恨みを向ける人であった。
『やれやれ、まだ飽きないのか。面倒だな……』
何か手はないか、と逡巡するが……
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ふと思い出した、というより、思い出させられたのは一つの故事だ。
『蟷螂蝉を窺えば夜鳥蟷螂を窺う』 (荘子)
カマキリ(蟷螂)がセミを狙っている。そのカマキリを鳥が狙い……その鳥を猟師が狙っている。
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もしも幸福な人であれば、他を恨むよりも、幸せに浸ることを大切にするだろう。……ヒマであるのか、不幸であるのか。他を恨むのは現実逃避としてよく使われる手ではある。
が、私が暢気にミン・ミンと、自分のサイトで自己主張しているのを狙う人がいる。……暢気に。
……誰もその人を窺ってはいないか?
仕事ぶりや生活態度の乱れに、顔をしかめている上司はいないか……酒臭さや、応対の態度に顔をしかめている客はいないか?
醜い心に住み易さを感じている悪霊はいないか?
守るだけで勝てる戦いもある……ということか。
人を恨めば? 2
2006年02月07日
「人を恨めば?」 について、メールにて質問を受けた。
Q「守るだけで勝てる戦い」は恨みから自分の何を守るのでしょうか?
何を守るというより、「このような場合に特別な対処の必要はない」という点が私の趣旨です。
その結論にいたる以前に、恨みの非はどちらにあるか、も、大切な判断材料ですが、封建時代の権力者の無頼な行為ならいざ知らず、現代で恨む、という消極的な対処をするからには先方に充分な非がある、ということを暗示した上での結果です。
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人は、まず動機があり、動機に応じた言動が生じます。この「言動」を仏教ではこれを「業《カルマ》」と表現しますが、人は往々、動機にそぐわない言動をとって失敗することがあります。
たとえば、好きな人の気を引こうと意地悪をして、本格的に嫌われたりとか――これを業が深い、等と表現をするわけですが……これはまあ、脱線ですね。
たとえば、友人に手伝いを頼んだのに、断られたとします。――この無情な友人を恨むのがよいか、別な助っ人を捜すか、どちらが自分の人生により有益かを 考えてみてください。……でも、友人が少ないとか、期限が迫っているとかで、恨むにいたる場合があるかも知れません。それにしても……恨むことは果して動 機からの逸脱にはならないでしょうか?
つまり……
必要として相手が、求めに応じてくれない――その時に人は恨みを抱きます。
怪談話のようなおどろおどろしい事情にもこれがあてはまります。
雑誌「心霊界第二巻第一号」より
◇山伏の恨み◇
開ヶ原の陣に牧野駿河守家老三馬才三郎と云《い》う人、米嚢《こめぶくろ》を持って通る一人の山伏に逢った。兵糧の為にと思って有無を云わせず其《その》 山伏の右の高肢を切っておとし、早速米を奪り上げたが、山伏は歯噛《はがみ》をなして瞋《#いか》り狂い、此《この》恨み必ず七代に崇らんとおめき死にに 死んで了《しま》った。戦後才三郎右の高股痛み、とうとう投げ足になって隠居したが、家督の子も孫も代々皆投げ足になったと云う事である。
——- 引用終り —–
ここでいう、「投げ足」が何を注すのかは、よく判りませんが、脚に異常が出た(正座が出来なくなった?)のは間違いないでしょう。この場合の山伏の恨みも、非道に対する抗議に対し相手が応じないから生じています。
Q 「人に恨まれるだけで影響があるか?」
影響を考える上で重要な要素は、恨みの有無よりも、「恨みの質」です。というより、質を前提にしなければ影響は計りようもありません。
現代社会では、幼稚で利己的な恨みが多すぎます。それこそ、「遊んでくれない、構ってくれないからあいつなんか死ねばいいのに」というレベルの恨みばかりで、心霊的・念動的には取上げるほどの話もありません。
が、人の言動は、動機より産まれるし、幼稚ゆえに価値の乏しい嫌がらせに安易に走ることも多々見受けられます。つきまとい、跡をつけたり、イタズラ電話や無言電話、ネットでの中傷もあるでしょう。
こういう行為を根絶するのはなかなか難しくても、あまりにしつこく繰返せば、たくさんの証拠や目撃者によって、さすがに警察沙汰になりもします。
まして、腹が立って発作的に、というのならば、世間も寛容に受止めましょうが、「執拗に繰返して数年間」というのでは、改心するといっても社会的な信用がありますまい。……ですから、無視を決め込み相手の増長を待つのも解決策の一つというわけです。
Q、また人に恨まれるだけで自分に影響があるのでしょうか?
上述のように、影響に関してはその質が問題になります。とはいえ、恨まれるに至るには、自分にも隙があるといえるわけで、たとえ相手の逆恨みであっても、自分の落度を考えることは決して無駄にはなりません。
とはいえ、恨まれることを恐れて付合いを避ければ、人生の価値が貧しくなります。大切なのはバランスであり、恨みを恐れるよりも、善い友人を多く得ることを大切にする方が良いと私は考えます。無論、ケースバイケースですが。
尚、蛇足ですが、人を恨む(極端な意味でなく)と極端に運気が下がります。これは私も経験があります。放蕩無頼な人と一緒に仕事を組まされたときに、さ すがに辟易として気持がネガティブになったときには、小さな不運が続いて更にウンザリとしました。――不愉快の念を抱いているから良いインスピレーション を受けにくくなり、普段なら事前に気が付いて避けられるような、小さなアクシデントが避けられずに影響を受けてしまうわけです。
平常心は大切です……が、この時は人間関係が拗れた結果、「この組合わせはよくない」と、会社で認識されて以後、一緒に仕事をしなくて済んでいます。
さらに一言付け加えると、
『運気が下がって、恨み言が多い人は、恨むことでさらに運気が落ちることを理解しない。なんとなれば、不運が生む苛立ちを、他を恨むことで発散しているからだ。……だから、良くなるものも良くならない。』……だ、そうです。
人を恨めば? 3
2006年02月09日
『人を恨めば穴二つ、等というが、二つも穴を掘れる人は滅多にいない。大抵は自分の分を掘って終わる。……自分の非を省みることなく、世のために犠牲になることの大切さを理解しないからだ。
『力で敵わぬから、恨まざるを得ないのに、恨みの力だけは過信する。……相手の強さは、思いの強さだと気がつけば、こんな愚かな過ちを犯さぬだろうに。
『念の強さに行動力が伴う。力で敵わぬ相手に恨んで勝とうとするのは愚かである。……相手の念の方が強いからだ。
『非力さを悟ればまだ、やりようもあるのに。己の非を悔いれば相手の非も責めようがあるのに。
『相手も身勝手ならば、こちらも身勝手。……それでは誰も手伝ってはくれない。ましてや、相手に理があるならばなおのこと。
『多くは、己を卑しめ、己を貶めるために人を恨む。悪は自ら滅びる仕組が、神の下の世界にはある。』
恨まれたらどうする?
2006年02月11日
一昨日のこと。友人から、
「仕事上のトラブルが二件あり、どちらもこちらの非ではなかったが、誰かが中傷しようとしているのか気になりました」とのメールを受けた。
『恨みを買う』では、相手にするな、というのが解答であったが、人の数だけ事情があるのだから、それぞれの案件についてきちんと検討してみる必要がある。……が、当初、得たのは沈黙であった。何も感じないのではなく、沈黙で応えられたのである。
設問が悪いということか。または、そんな質問をしてはいけなかったか。……こういう時には、事前に重大なヒント、または、すでに解答が与えられている事が多い。
それはともかく、慌てて返事を出さぬ事にした。霊達は、友人にもっと考慮させたかったいのかも知れないし……
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念のため:
解決の手順を追わずに、ただ、解答だけを貰えば、毎回、助言に頼らなければならない。自らのインスピレーションで世を渡らなければ、一体誰の人生を生きることになるのだろう? 答ではなく、解答法こそが学ぶべき価値のある物だ。
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そして、返事用に得たのは……
『疑われ、中傷されればこそ、自分が正しいと思うことを、堂々と論じられるではありませんか。……疑われてもいないのに釈明するのは変でしょう?
『雨降って地固まる。……たまには雨も降らないと、地盤が弛みます。 たとえ中傷が潜んでいるとせよ、恐れるべきは外敵よりも味方の弛緩です。
(一人の問題でなく会社の問題である。皆で考えるには良いチャンスだったのではないか?)
『叱りすぎれば嫌気がさすし、甘やかせばつけあがる。だからこそ、雨降って地固まるが必要となるのです。』
人の悪意を受け止めて動じない……突き詰めれば、どれだけ自分を、自分たちを信じられるか、という問題に行き当たる。いや、全ての行動を下支えする基盤となるのが、自信なのかもしれない。