‘2006/01/15’ カテゴリーのアーカイブ

平常心

2006/01/15

心に無ければ気づきもしない

2006年 01月 14日

 今日、散歩の途中で心中に湧き上がった課題が、「心にあるから思い悩む」ということだ。つまり、人を騙そうと考えている人が騙されることを恐れるのであって、騙すことを考えたことのない人は、同時に騙される可能性に気がつかない、という、まあ、世間では往々に耳にする話であった。――大切な話題だとは思うが、当たり前すぎて面白みもない。

 ところで、本日とある質問を受けて、ふと気がついた。……反対も起こり得る、いや、この反対の事例こそが重要なのだと。つまり、心にあれば思い悩むが、反対に、心に無ければ気がつきもしない。

 妬まず生きていれば妬まれることを恐れないし、憎まず生きていれば憎まれることを恐れない。貧しくなければ貧しさを恐れないし、豊かでなければ豊かさを恐れない。……その経験がないから不用心でなるなら、用心が身に付くまで、その不幸の経験を積ませてやれというのも、下級の神々の役割にあるかもしれない。

 それはともかく、真っ正直に生きようとする人は、なかなか屈折する人情を理解しがたく、屈折する人と触れてその心をさらに圧殺してしまうことがあるものだ。といって、屈折する人を傷つけぬ真実などありはしない。

 スネに傷をもつ人ほど、虚飾を好み、真実を嫌う……真実を嫌うからこそ、詩情を論じて率直を嫌う。かくして素直な人々は社会に居場所を負われていく。嘘つきこそが活躍できるのが地上世界だとしたら、この世界はいかなる境涯へ魂を導くのだろうか?

 霊界通信はいう。「地上は霊性の修行の場である」と。本当だろうか? 真実は、「地上は魂のふるい分けの場である」では無かろうか。


お人好しが悪魔を育てる。

2006年 01月 21日

 人は善良であるべきだ。無論。無論。でもどういう風に? 

 古今東西の聖人達は、中道(中庸)を尊んだ。何事も極端に走ってはいけないのだ。

 究極の善を追求するのはよい。だが、多くの人々は自分に都合の良いことを善と呼ぶ。ならば、すべての人が善と認める行為とは、他人の利己心への奉仕でしかあるまい。

 それはつまり他人の中に巣くう悪魔を扶育する事ではないか。

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 だから人はもっと悪党にならなければいけない。おっと。勘違いしないで欲しい。悪人になれ、というのではない。身を守るために知り、人を傷つけるためには用いない。これが大切だ。

 そもそも、目的のために手段を選ばぬ悪人と、良心に行動を縛られる人間とでは同じ実力でも実行力に格段の差がある。…… 善良であるには、つまり、悪事をせずに済ませたければ、利口にならねばならぬのだ。そう、自分を救えぬ者が悪事を行うのである。

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 いや、書き漏らしてはなるまい。そんな姑息な手を使わなくても、大道を歩くという選択肢もある。だが、人の言うことに一々振り回され、自分の行なえざることに一々くよくよしているようでは、その選択は難しい。

 姑息な生き方が嫌であれば、せめて逆風に向かって前に進むための気力・体力を蓄えるために、今は何もかも忘れてひたすら休むべきだ。


誰が謙虚になる?

2006年 01月 25日

「謙虚におなりなさい」――と、いわれなければならぬ人が、謙虚にこの助言を聞くはずもない。とはいえ、現実に厳しさにとうとう増長の鼻が折れ(立場的に天狗の鼻が……とは書けない)反省する人もある。

 だが、その反省の行着く先が、「神様、霊媒様、親様、先生様、上司様のお話をしっかり伺います。どうぞお助けください。」であるのが、いささか変であることを理解できぬ人が多い。

 それは他にへつらっているのであって、謙虚ではない。……謙虚とはまず現実を受入れること、つまり強がりや、虚飾を棄てることだ。だが、他にへつらってまで現実と折り合おうとしないのはなぜだろう? きっと、他人は自分の妄想を受け入れる可能性があるが、現実に妄想を押しつけることが無理なことを誰もが気がついているからだろう――内心において。

 へつらってまで他人を現実との障壁に利用しようとするなど、まったく卑怯である。…… 多くの人はその卑怯さに気がつかぬまま、増長し、反省し、へつらうという悪循環の中にいる。

 いや、真面目(?)な心霊家であるところの私にとって、私が現実との障壁に利用されるよりも不愉快なことがある。神仏や守護霊を現実との障壁に利用することだ。

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 人が分相応にしていれば、なにもわざわざ、「謙虚になれ」等とは言われない。まして、あまりへりくだりすぎればかえってイヤミにもとられるだろう。

 あるべきものが、あるべきようにあれば、物事は自然に流れて、行着くところに行く。……種が芽吹いて花が咲き、そして実りを迎えるように。そういう生き方こそが、本来、人が生れてくる前に取決められた生き方なのだ。それを違う流れにしようとするから、結局、多くを、場合によってはすべてを失う。

 なんとまあ、ナンセンスな話か。屁理屈をこねて最大の利益を棄ててしまうなんて。……本来は他人のものを欲しがって、結局は自分のものを失うなんて。――これが不自然な行為がもたらす危険である。

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 さて、いささか物質的視点で蛇に足を付け加えたい。

 生前に取決められた「最大の利益」を棄てるのは、一種の功名心からくる。つまり、結果を得るよりも成果を挙げてみたいという衝動なのである。……乱暴にグループ分けすると性衝動の一種であるとされる。適切な時期に恋人を得ている人はあまり無茶をしないのだそうだ。

 そのような仕組に流されている人々を動物的と見なすのは安易に過ぎるだろう。むしろこう考えるべきではないか。

自分が真に欲するものを知らないから、いつまでも人は餓える。

 そう、誰かに認められたいという気持は、一体誰から認められたいのかを突詰めなければならないのである。そして、社会に認められたいという努力が、一人の異性に認められようとする努力とどちらにより無駄が多いかを考えてみるべきだ。

 ……その勘定をしてもなお社会に奉仕しようとするのは良い。だが、その計算も出来ずに無駄な努力をする人なら、一体何がなしえるだろう? 穴の開いた泥船が帆を上げて向う先は、溺れるための航海だ。


平常心

2006年 01月 21日

 事故、病気、猫の迷子から年寄りの愚痴まで……色々な質問、相談が寄せられる。無論すべてに応えていたら私の一日は何時間有っても足りないだろう。

 出世や功名心に焦る天狗の霊でも背後にいれば、ズバズバ霊視できるのだろうが、私の背後はノンビリしたものだ。右に行こうが、左に行こうが、はたまた、自由に生きようが、不自由であろうが行き着く先は同じあの世。ジタバタする奴は手間が掛かる。黙って受け入れろ…… というわけだ。まあ、見せ物的な自慢は出来ぬが、その分妬みも少なかろう。

 皆様からは、過分な期待を寄せられているようではあるが、私事、都合により泰然自若。誰がどうであろうがなるようになる、成らぬようにはならぬ……と決めてかかる。これが案外充分な回答であったりする。

 墓地購入をキャンセルしてすぐ、弟さんが交通事故にあった方が、霊障を心配してメールを寄こしたが、私の…… 背後の回答はバカの一つ覚えのようにただ一つ……「落ち着きなさい」、だ。

 慌てれば、事故に遭いやすいのはいうまでもない。ところが、些細なことを切っ掛けに慌てる人もいる。そういう人はどうしても事故に遭いやすい。だが、それはそれ。それを置いても大切なのは……大切なのは平常心だ。

 私のその返答は、心霊主義を学ぶかの相談者に受け入れられた。だが、多くの人が平常心の大切さを説くが、それを実現するのは難しい。 ……つまり、助言は、真の回答の次が大切なのだ。

・・・・・

 平常心というのは簡単ですが、むしろ恕《ゆるす》ことが大切なのでしょう。人を許すだけでなく、自分も許すようにすれば、動揺することも減ってきます。失敗したらどうしよう……などと自分を虐めてはいけないのです。


本当に本気?

2006年 02月 07日

「死ぬ気になれば何でも出来る!」というセリフがある。が、今の世の中、一体誰が本気で死ぬ気になれるのだろう?

 確かに今の世の中、自殺者は多い。だが、徒党(集団自殺)を組まねば死ねぬ人が多いというのは、果たして死ぬ覚悟があッての事なのだろうか。生きるのが嫌だという消極的動機から、現実から逃げるようにして死んでいく人々に向かって、「死ぬ気になれば何でも出来る!」と、怒鳴りつけても、おそらくそのうつ病的傾向をますます悪化させるだけであろう。

(私が「自殺したい」という、メールや掲示板投稿につれないのは、うつ病対策のサイトこそが、自殺願望者の相談先に相応しいと思うからだ。)

 本気……つまり 「何でも出来るほどの死ぬ気」になる前に、仲間を募って集団自殺していくような人が増えている現代日本において、死ぬ気、本気、やる気……等という言葉はまったくあてにならない物だと思う。

「今度こそ本気で自分を変えていこうと思います」……と、書いたその直後に「そこまで出来るかどうか」等と頼りないことが書いてあったりするのだから、ああ、やっぱり背後の霊達はよく知っているのだ、と思う。

・・・・・・・

 拗れる前なら、「死ぬ気」等という大袈裟な覚悟は必要ない。素直に、そして穏やかに、なしのままに生きればさほどに困難はないし、迷惑に巻き込まれても堂々と構えれば周囲の助けを得て良いように流れていくものだ。だが、さんざん拗れてから周囲に助けを求めても、痛みは自分持ちで、その痛みさえも耐え難いというなら一体誰が何をどうできるというのだろう?

 まして、そこまで拗れた苦労を背負った人が、仮に奇蹟によって救われたとしても、今度は過去の思い出、過去の苦痛…… その時の不甲斐ない自分への怒りに苦しめられることだろう。人は自らの行為から逃れられない、逃れようと努力する人のやることといえば、さらに大きな憎しみで過去を打ち消していくだけのこと……もしも記憶がすべて蘇ったとしたら、何とも耐えがたいに違いない。

 死ぬ気はないが、拗らせるのは仕方がない……そんな矛盾を行って、人生に無理が生じないはずもない。


バカバカしいと思える幸せ

2006年 02月 08日

 修行などというのは永遠に続くものである。……仏教のいわゆる「悟」という、一種の極限を否定するものではないが、心霊思想的には、「物理世界での修行の極限」を超えたということであろう。

 さて、心霊主義者として、何を気をつけるべきか、と、私も質問されれば、色々答もするが、その切れ味の悪い表現に比例して、あくまでも私の修行過程で会得したことを言うだけのことで、それが第三者の役に立つかというと、かなり怪しい気がする。私は私の修行を歩んでいるのであって、それが他の修行に応用できるとは限らない。

 つづら折りの山道……私は右手に山を見て歩くが、折り返しが異なる人なら左手に山があるやも知れない。スロープが緩やかな場所では、真っ直ぐに山頂を目指すこともあるだろう。障害物を避けるために一時山を下りねばならぬ事もあるだろう。……私の今見ている風景は、今の私の見るべき風景でしかない。

 とはいえ、日常の手作業の合間合間にする精神統一中に、ハッタと気がつくこともある。ちょうど、山歩きの最中に見晴らしの良い場所に出たかのように。

『そういえば、バカバカしいと感じるようになったなぁ』

 私も人間、嫌な奴もいれば、嫌なこともある。

 ただ、嫌な奴から不愉快な思いをさせられても……気晴らしにやっつけてやろう等とは考えなくなった。そんな低レベルの気晴らしよりも、人生にはもっと楽しいことがいくらでもあるのだから。

 私もマンガも読めば、ゲームで遊ぶこともある。だが、しばらくは気晴らしになっても長くは続かない。ふっと空虚感に襲われて嫌になるのだ。書籍も同様、論点がずれていると感じれば即ゴミ箱行だ。

 酒も好きだが、長時間飲んでいるとやはり空虚感に襲われて酔いが覚める。……もうこうなると酒宴の席が辛くて仕方がない。これは会社勤めをしているととても不自由に感じるが考えてみるに致し方がない。何せ、消費だけでなにも生んではいないし、いくらストレス発散や、リラックスが大切だといっても、そんなことにいつまで掛かるというのだろうか。

 友人も随分と選ぶようになった。愚痴や悪口ばかりの人にウンザリするのは当然として、受売りや批評だけで話題にオリジナリティーのない人にもウンザリした。実行力に欠けた弁舌だけの人の話を聞くのもウンザリだ。飲食・衣服の話題は人生を彩るのに有益とも思うが、それも程々でないと強欲さに嫌気が生じる。

 あれやこれやと、色々なものをバカバカしいと感じ、そういった物事からどんどん撤退していったが、だからといってすべてに飽きっぽくなったわけではない。心霊文献の整理・入力などは寝る間も忘れるほどに打ち込める。無論内容次第だが……

人生にとって大切なものに集中できるようになってきた、と感じる。……あれ、これが孔子の言う「迷わず」という心境か?

「なしのまま、わたれば易き道あるを、あぜなずろうや魂の曇るに」 ……吉田綾

という道歌を心の杖に生きてきた私の心霊生活は、もうじき四半世紀の折り目を迎えるが、色々なことをバカバカしいと感じるようになって、なによりまず、迷う事がバカバカしくなった。

 いや、無論私だって迷うときは迷う。昼食のメニュー、飲み会の時の酒のお代わり、誰それに苦言を呈すか黙っているか……時として、その迷いは一時の楽しみですらある。だが、迷っている間にも出来ることはあるし、迷っていれば出来なくなることもある。たとえ今、答が見えなくても、出来ることから片付けていけば、手掛かりが見えてくることもある。すると、迷うことよりも先にやるべき事があるということだ。

・・・・・・・

 悩める人を見ると、常に思う。……「悩まなければいいのに」……と。

 事に悩むことが習慣となって、しかもその悪習慣に気がつかぬ人には、何とか私のこの思いを伝えようと努力するが大抵は挫折する。その理由は私にとっては明らかであるが、相手にとっては想像を絶することなのだろう。何のことはない……悩み癖は体質なのだ。

 そして多くは憮然とする。「悩まずに済めば、悩んだりしない!」と… …

 この、「悩まずに済めば」の解釈が、そもそも悩み癖のある人と、悩みたがらぬ私と、大きく見解が異なる。

 悩み癖のある人は答が出なければ動こうとしない。いや、多くの場合、答が出ても動こうとしないだろう。― ―体質と呼ぶ所以である。そして、悩む癖のない人は大抵の場合、答がなくても行動しようとする。

 悩まなければいいのに……それよりもまず、身体を動かせばいいのに。

 辛い思い出、棄てられぬ夢、断ち切れぬ妄想……これらも又、身体を動かすことが一番の薬となる。特に足腰をよく使うのが一番であることを知らず、知っても役に立てられぬのが、現代の日本人だ。

 世情も又、バカバカしさを助長する。


不安でも時は流れる。

2006年 02月 12日

不安に悩める間にも時間は流れます。

そして……不安を感じる時に心は止ります。

・・・・・・・

 ――心は多くの事柄をいくつも同時には扱えません。あなたが心に不安を抱く時、善処の智慧を探すよりもむしろ、起こりえる様々な失敗と悲劇とを、受け入れるための準備に持てる智力を注いでいるのです。

今は、失敗の準備をすべき時なのか、どうか。

 時間の流れの中で心を止める……運命に自分を委ねる事も時には必要なことです。特にあなたに、善処の知恵がないのであれば。しかし、諦めるのが嫌であれば、まず、今、出来ることを探すべきです。そして、不安をバネに行動を始めるべきです。

・・・・・・・

誰かが自分の身代わりになってくれるのを待つのは……

 仮にその幸運に恵まれたとしても、永遠にその幸運が自分に伴うかどうか。

  虎の背に乗る……西洋では「ペガサスの背に乗る」と表現するとか……

一度乗ると、降りるのは至難の業となるのです。


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