2005年 11月 30日
「40歳目前なのですが、中々不惑とはまいりません」
とのメールを頂いた。前後の文章も礼儀正しくて教養を感じさせるし、とても真面目で、善良な方なのであろう。友人にして決して損のない方だと感じる。……いや、冷やかす気も、侮辱する気もない。ただし、褒めているのかというと必ずしもそうとはいえない。
行き詰まったら、方向性を変えてみるべきだ。……なかなか不惑に至らないなら、教養、真面目さ、善良さのどこかを修正すると打開策が見えてくるかも知れない。そういう柔軟さを身につければ、きっと良き友人どころか、こちらが頭を下げても付合って貰えぬような立場となるかも知れない。
人間、欲気が枯れれば自ずと迷いは減る。孔子様がご存命の頃の平均寿命はいかほどだったのだろうか? 栄養状態の良い現代人と単純に比較することには無理があるはず。実は、40近くになってまだ、迷いがあるのは、その身体機能が枯れていない……老いにまだ間があるということだ。焦る必要もないというより、焦る価値もない。
(この解釈の違いは教養と真面目さと善良さの害であると私は見る)
大切なのは、「迷わぬ事」ではなく、迷った挙げ句に決めた後の行動力だ。それは、迷うことを嫌わなくなれば、自ずと収束していく結果である。つまり、迷って当たり前なのに迷わぬように努力をするから、その無理と背伸びが行動力を阻害するのである。
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迷うのはエネルギーが余っているからだ。くたびれていれば迷う余地なく、一番手近な選択肢を選んで終わるだろう。
エネルギー過剰で迷っているのを、迷わぬように努力で押さえ込もうとするのだから何たる無駄か。でもこれを行動力に振り向けたらどうなるのだろう? ……不真面目な私など、すっかり置いてきぼりを食うかも知れぬ。