失せ物探し……焦るな!
2005/11/172011年1月23日
ここひと月の間に、失せ物探しの問い合わせを何件か頂いた。どうやら、検索して、このページにたどり着いた結果らしい。
連絡フォームに記載してあるとおり、私は現在、新規の心霊相談を受けていない。
最近は、当サイトのページ更新もままならない状況なので、お問い合わせをいただいてもお返事できるかどうか分からないので、ご理解いただきたい。
・・・というか。
もともと当ページは、「失せ物を探すなら焦るなかれ」という趣旨で書き上げたものである。にも関わらず、連絡フォームに書いてある「注意書き」に気付かないなら・・・なるほど、失せ物を見つけるのは難しかろう。
注意書きを無視しての結果のメールであるなら・・・まあ、もう済んだ話である。
困った結果、相手のことが気づかえない、というならあえて、ここに記載したい。
無くした「物」だけ、見つかれば良いの?
・・・むろん、何が大切かは人それぞれで、私が決め付けることではないが。
05年 11月 16日
失せもの探しの相談を受けた。……困っているだろうからと、急いで統一してみたが、何やらあわてふためいている光景が見えるだけで、その先が見えない。それでも先に進もうと気合いを入れた瞬間にストップがかかった。
『手伝ってはダメ!』
『心を落ち着ける事もしないで、人に尋ねるのはいけません。自分が慌てていれば、手伝う人に迷惑がかかります。いくら相手が真心を籠めてくだすっても、自らが慌てていればそれを落としもするでしょう。
本当に助けが必要であるなら、せめて深呼吸一つ、仏前・神棚に頭を下げるか、東(朝日の登る方角)に向かって礼拝し、単に心を落ち着けるだけでなく、心に禊をしてから人に打明をすべきです。……つまり、邪な心で、怠惰な心で、不都合な心で、相手を煩わせるのではないと、神・仏にも自分にも誓ってみせるべきです。
それもしないで、霊に助けを求めたら、助けてくれるのは礼儀正しい霊ではなく、下心ある邪な霊か、礼儀知らずの愚かな霊でしかありません。
救いを求めている人は、兎角、「救いが遅い」、「救い方が下手」などと小言ばかりが多すぎます。でも、なぜ苦境に陥ったのでしょう? そこに自分の判断力の拙さがあることに気がつかなければ、それこそ救いようがありません。むざむざ苦境に陥った人の都合・不都合で、慌てるばかりで急いで飛び込めばたちまち二重遭難に陥るばかりです。
なぜ救われないのか?……ではなく、なぜ苦境に陥るのか、を考えるべきなのです。その原因の一端に、「慌てること」も含まれております。だからこそ、まず、落ち着くことから始めなければいけません。さもなければ、助けようとした人まで、慌てて事をし損じるでしょう。』
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まあ、慌てることだけが原因ではあるまい。なぜ慌てなければいけないのか……遅れているからだ。または、煽られているからだ。慌てるというのは原因のようで、実は縁。失せ物はその結果に過ぎない。すると原因を放置したまま、結果だけを弄ろうとして対応を間違うと、無事が小難、小難が大難に転じてしまう。
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入浴後、改めて精神統一してみたら、『見つかるが、無理に探すな』と聞こえたので、そのままを伝えた。……だが、真に探すべきは、失せ物よりも、自分の心のありかかも知れない。
補足
05年 11月 18日
ネットで相談に乗っていて空しく感じるのは、そのレスポンスの悪さだ。当たりはずれが返ってこなければ霊感を磨くのに不自由する。
さて、失せ物探しの件だが、メールでの返答の翌日、拾得物として連絡があったとのこと。つまり、見つかったわけだ。
ところで、この相談の本質は、カードが悪用されないように停止の連絡をすべきか……というニュアンスが含まれていた。まあ、クレジットカードならば保険があるし、キャッシュカードならば暗証に守られているはずだ。と同時に、慌てている友人に対して、その旨を連絡もした。「慌てないで!」と。まあ、ここまではよい。
探す際にあまりあちこちをかき回すと、見つかる代りに別なものがどこかに紛れ込むかも知れない。実はその注意もしていたが、それについては、まだ結果が出るには至らぬであろう。
ただ、ちょっと残念なのは、私は「無くしたと思い込んでいるだけで、実は手元にある」と感じていたのだが、実際には落としていたことだ。
はぁ。……思想の受信には相当自信があり、関連の霊視も充分なのだが、どうも透視は苦手だ。で、言い訳がましいが、ある先達からは、「透視に走ると寿命が縮む」と教えられていたのだが……むろん、焦って探している友人に対して、落としているよというのは危険ではあろう。
私と背後霊との信頼関係も、この程度のものなのだろう。
捜し物
2006年06月15日
『捜し物が見つからない時は、自分が一番あって欲しくないところに置いてある。』
……悩み事の解決策も、思い人(恋人)に惚れた理由にも、この定理は当て嵌まる。
たとえば、悩み事の解決策がどうあっても見いだせないという人……単に頭が悪くて分らない場合もなきにしもあらずだ。素直すぎて裏読みできずに答が分らない者もいる。だが、高学歴であったり、才能に恵まれていても答が分らないというのは、ほぼこの定理に支配されていると見て間違いない。
分らないのではなく、分りたくないのだ。……つまり、欲しいのは自分も改めて夢を見られるような言い訳であって、覚醒するような真実ではないのだ。
思い人に惚れた理由が分らないという人……類魂・ソウルメイトであるとかという理由も考えられなくはない(理論的には。だがそういう事例を私は見たことがない)。「前世の因縁」も有り得なくはない。……だが、やはり、分らないのではなく、分りたくないのだと感じる。
自分の欠点がうまく隠れる相手であったり、相互補完的であったり、劣等感を隠せる相手であったり……配偶者とは補い合うべき相手であるから、以上の事情は決して否定的な要件ではないが、行過ぎればそれこそ、因縁は因縁でも、個人の因縁解消の機会としての配偶者に見える。
毒を薄めれば薬になり、薬も飲み過ぎれば毒となるの類である。
……などといえば、無粋な! と反感を持たれる方もいるだろう。いや、私ほどのロマンチストはそうそういないと思うのだが……夜には夜に相応しいロマンスが、昼には昼に相応しいロマンスがあるのだ。私が論じているのは……
眼をつぶって歩けば穴に落ちる。眼をつぶった人に手を引かれたら一緒に穴に落ちる。……本当に理由が分らないのか? もしそうなら、それが原因で躓くことを恐れるべきだ。