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霊査事例: 2005年10月15日(東京オフ会)

2005/10/15

 以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての代表的な霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。  以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。


前言

会場に向かう途中、「船頭多くして船山に上る」~~と聞こえました。

『自分が為すべき事を自覚しているのであれば、それに向かって努力すればいい。だが、為すべき事を見失ってしまったなら、背後の霊たちの導きに我が身をゆだねるべきだ。そして、せっかく背後の霊たちが導こうと努力しているそのときに、あれこれと知恵を巡らせ、ジタバタとするなら、船頭が二人いる船のように、自分の運命が当事者の予期せぬ方向に流れてしまうではないか。……しっかりと行動するか、助けを求めるならジタバタするな。』

事例1

  •  コンプレックスが多いのは、あなたが敏感だからです。……あなたが特別恥ずかしい人であったわけではありません。あなたは当たり前な若者だったのです。年齢相応の。他の人が気がつかない自分の欠点に自ら気がつき、ちゃんと反省できる人であったということです。

 『もっと自分を評価して良いのです。若い頃とは違うのですから』……あなたはどうもご自分を過小評価していますが、それは若い頃に調子に乗りすぎて失敗し、慎重になったからですね。でも、若さというのは大げさなものです。

 とはいえ、優しさだけは若い頃から変わりませんね。

  •  『もっと楽しく座って下さい』……たとえるなら、酒を飲まなくても飲んだ気分で楽しめるような形で精神統一をなさることです。…… その気分に応じて懸かる霊が異なるのですから。

 修行は良い自分を作るためにするものです。そして良い自分とは、過去・現在・未来の自分が幸せになることを指します。

 また、過去の自分が幸せになるとは、つまり、振り返ってみれば苦労のようで居て良い未来の礎であることに気がつくことです。

Q 「最近、どうも物忘れがひどくて……」

『忘れることにしがみつかず、感づかぬ事をおそれることです』……必要な時に必要なことに気がつく人なら、何も覚えている必要はありません。つまり、人々が忘れることを恐れるのは、必要な時に必要なことを感ずく力がないからです。つまり、本当に恐れるべきは忘れることではなく、必要なインスピレーションが得られないことなのです!

Q  「先日、悲観的な考えにとらわれたとき、ふっとシグナルを感じて、ああ、これが低級霊に憑依されるということなのだ、と気がつきました」

 そうあなたはちゃんと気がつく人なのです。ただ、今まではそれを信じていないだけ。少しずつ訓練を重ねていきましょう。もっともっと伸びていきます。

……守護霊の導きがいくら正しくても、「私は信じない!」といわれたらどうにも救いがたくなります。間違いに気がつくことはとても大切なのです。その意味で、重要なシグナルに気がつくのは人生に必須の能力なのです。

 たとえば、信号の色が見分けられぬ人なら交通法規を守ることが難しくなるでしょう? 違反をして「いえ私は気がつきませんでした」… …などというわけには参りません。つまり自分に必要なシグナルに気がつく力というのは人生において最低限必要な力のはずなのです。その最低限のレベルに達することもなく人々は突然の災難に不平不満を漏らすのみです。

  •  『(運命に)捕まったらジタバタしないことです』……犬や猫を動物病院に連れて行くとき飼い主は手荒い抵抗を受けます。犬猫には飼い主の思慮が理解できないからです。背後霊とその庇護者の関係にもこれが当てはまります。人はその運命の中にある自分を導く意志のいかなるところにあるかを理解できません。だからあらがい、あらがうことが物事を拗らせもいたします。

事例2

  •  「おらが、おらが」という念が蚊柱のようにあなたの頭上にうごめいています。これは自尊心の強い低級霊があなたを誘惑しようとしている暗示です。惑わされないでください。また、こういう霊を無視すると周囲の人間にその対象を移して、意地悪されることがあります。周囲の人々にも注意を払ってください。
  •  物事がうまくいっているからと浮かれてしまい、次のテーマのヒントを見落とさないようになさって下さい。
  •  お腹にストレスを感じます。しかし、そのことを自覚なさっていないようです。……何が原因であるのか、ご自分で見つけてください。
  •  ストレスの原因を考えていらしたのでしょうが、そのときは正しい精神統一になっていません。『原因を頭で考えるのではなく、その時々の感を自覚なさるようにして下さい』……頭で考えるから、解ったつもりで誤解するのです。
  •  『大いなる流れに寄り添うのです。』……あなたは幸せになるために生まれてきて、幸せになる流れの中に身を置いています。ただ、自分が幸せに向かう流れにあることに気がつかず、頭で考えて、あれがよい、これがよい、と興味を奪われて異なった努力をし、せっかくの流れを乱して人生を無為にしがちです。自分を導く流れから外れそうになったときにこそ努力が必要であって、それ以外は力を抜き、流れに身を任せていくことです。

事例3

  •  「なしのまま」~~自分を導く力をもっと信じることです。
  •  しっかり見ようとするから壁ばかりが目に見えて、その裡にある裏にある仕組みが見えてきません。だから悩んでも解決策が見いだせないのです。
  •  (南北朝の)南朝側の霊が何人もあなたの家の背後霊としてついていらっしゃいます。それが証拠に皆さん頑固ですよね。
  •  正義が世界を回しているのではありません。人々の生の営みの中に正義があるのです。つまり正義とは力ではなく、人々の生きる力を整えるのが正義の働きなのです。……正義に大きな期待をしないことです。支配しているのはそれぞれの生、いわば、生きるための欲求がぶつかり合って生じる流れなのですから。理想論は机上の空論の中でしか生存し得ないのです。

某支配霊からのメッセージ

  • 『すべてが良きように計らっているのだ』……世の中に悪人・罪人と思える人々があっても、その人々の幸福までも神々は守ろうと努力しています。ライバルや裏切り者さえも神の加護を受けているのです。それを念頭に置いて、物事に取り組んでください。強く加護を受けるというのは敵を討ち果たしてくれるという意味ではなく、敵のたくらみさえも、自分たちの幸せにつながっていくという意味なのですから。

事例4

  •  『寄り添ってこそ幸せ、寄り添うことにこそ自分の居場所があります』…… 自分の力を試したくてうずうずしているのは目に見えております。ところが人が己の力だけを頼みにするから、自分の活動のリズムと社会の動きのリズムが合わなくて、思わぬ失敗をすることになりがちです。自分が高調期に入れば自分が主導権を握り、自分が低調期に入れば配偶者に任せて……といったように、互いに助け合い、補い合えてこそ、一人よりも夫婦であることが大きな力となるのです。……互いに主導権を争えば、互いが足手まといになってしまいます。…… どちらが主でどちらが従なのはなく、互いに寄り添う姿こそが目指すべきものなのです。
  •  インテリアの勉強、色彩や音韻の使い方の勉強をなさることです。ちょっとした工夫がどれほど自分を強くするか。ただし、深い勉強をすればかえって応用が下手になります。と同時に、すべてが、ほほえみの持つ力には叶わぬ事をわきまえて下さい。

  •  ○○さんに不信感を抱いているようですが、私はそれに疑問を感じます。……事情を聴く……あなたの言い分ももっともです。ですが、相談もなく勝手に物事を決めるというのは、あなたが相談相手として評価されていないと言うことでもあります。つまり、あなたはこの提案を前向きに考えてみるべきでしょう。
  •  お子様について……頭を押さえなければ大丈夫です。せっかくインスピレーションに恵まれていらっしゃるのに、それを叱ったりするから、インスピレーションを得ることに罪悪感を抱くようになります。ましていっても信じてくれないと思うから、赤の他人にインスピレーションを話して親をあわてさせたりもします。あなたがちゃんと受け止め、それを適切な形で実現することを約束することが大切です。
     

事例5

  • 『感がよいのに、言われたことが解らない。……その原因は?』
  • 『信仰心にしがみつけば、信仰対象とともにおぼれます』
  • 『身辺整理……必要なものは驚くほど少ない』
  • ……目の前にヒントがあるにも関わらず、なかなかそれが生かせません。……なぜ生かせないのか、もっとご自分を研究なさることです。

米が欲しくば、稲を植えよ。

2005/10/15

  芯なき努力は無駄


 「ソバを植えても米は実らぬ。――米が欲しくば、稲を植えよ。」

 現状と望む未来とが、一筋につながらなければ努力しても結果が伴わぬ。

 たとえ現状と未来がつながっていても、貫徹の意志が弱くて、折れ、曲り、切れては役に立たぬ。

 現状と望む未来とをつなぐ強い絆、それを「芯」と呼び、「良き未来を得るには芯をもて」「芯なき努力は無駄である」と説く。


2005年 10月 26日

心を止める

2005/10/15

Q 「心を止めるのにはどうしたらよいか?」

まず行うことである――心を止めよ、といわれて、すかさず「どう止めるのだろう?」と考える。では、人はどう歩き始めて、どう立ち止まるのか?……足先の動きなどに意識を向けぬ。ただ、歩き、止るだけである。一体あなたは何年人間をしているのか?

 心を止めること……為すべき事に意識を向けず、次々と疑問を生み出す。行わずに考えるから、頭が忙しくて理解が遠くなる。

・・・・・・・・・

 心を止めることは決して難しくはない。たとえば人は驚くと時が止ることを自覚する。難しいのは、止め続けることである。人が息を止め続けることが難しいように、生きている限り心を止め続けることは出来ない。だが、止めようという努力なくして無駄な心の働きをなくすことも出来ない。

試してから考える――疑問を持つことの正しさを信じて、疑問を持つことに忙しく、真実を見ることが難しくなっている。それでは人から教わっても身に付かぬ。ただ自分が生み出す疑問に押しつぶされてしまうだけだ。

 行えばこそ無駄な考えも休むのに、無駄な考えに手一杯で行えぬ……それでは、永遠に暗愚の中にとどまらなければならない。

 その無駄な思考がどれほど人生に悪影響を及しているのか、その事実に慄然とせずにいられるならなんと危うい幸せな人生だろう。…… 頭が納得する幸せは、絵に描いた餅に等しい。見ている内は幸せでも食べたときに現実に戻るのだから。


2005年 10月 25日

謎を見る視点

2005/10/15

謎を見る視点

2005年 10月 14日

  霊達の指導を受ける以前の私には沢山の謎があった。……心の中でその謎をひねくり回して楽しんでさえもいた。しかし、霊達の指導を受けてしばらくたつと、謎に囚われることが減っていった。

 ……すべてを理解したのではない。また、必要な時に教えられるからでもない。

 人間の理解力には限りがある。そして理解が及ばぬから謎があるのだ。……むろん隠れた事実が解明の障害になる場合もあるだろう。だが、それならばなおのこと、考えたところで解明できるわけではない。

……すべての思索が無駄だというのではない。

 ただ、気がついたのだ。謎だから解けぬのではなく、 自分が至らぬから解けぬ問題が多いことを。

 思索は大切だ。自ら考え、真実に近づいていくのは大いなる歓びだ! だが、プールで上手に泳げたからと言って、荒海でも泳げるとは限らない。でも、荒海で溺れたからと言ってプールで泳げるとは限らない。……

 だからこそ……

 考えて答が得られるものならば私は懸命に考える。

 だが、考えて答が得られぬものなら……私の智力で解けぬ問題であれば、私は他者の助けを求める。その助言主の一つが霊達である。

・・・・・・・

 そもそも霊というのは不可知な存在の代名詞だ。つまり理解力が及ばぬ働きのすべてが霊の所為にされていた時代もあった。…… 私たちの先輩達がようやく乗り越えてきたその迷い道に私たちは再び迷い込まぬようにしなければ成るまい。


人の数だけ理解の形がある

2005年 10月 14日

 宗教の分類として一神教と多神教に別けることがあるが、これは何やら解剖学的分類に思える。人間の精神を支える宗教を分類するのだから、注目すべきはその信仰対象ではなく、なにゆえそれを信仰するのか、という点に注目すべきだと思う。

 その上で私は、信仰対象が主で、信仰心が従である……「教会先導型の宗教」と、信仰心が主で信仰対象が従となる…… 「民衆主導型宗教」があると考える。そして、前者はイデオロギーが先行して硬直的であり大抵は一神教の形態を取り、後者は迷信的ともいえる柔軟さを持って、大抵の場合は信仰対象が増殖していき、多神教の形態を取る。

 さて、スピリチュアリズムは一体どちらに属すのだろう? ……スピリチュアリスト達は、その時々の通信霊の中から最善のものを選ぶ… …それは信仰心を主として、その尊崇の念を向ける対象には柔軟に対応するということだ。浅野和三郎氏がスピリチュアリズムに出会って、これを欧米版の神道と見たのは慧眼と言うべきだろう。

 だが日本におけるスピリチュアリズムは、どうも教会先導型…… 一部の先鋭者が個人的イデオロギーをさしてスピリチュアリズムであると主張しているかのようだ。まあ、人の数だけ理解の形がある。ならば教会先導型スピリチュアリズムも一つの答ではあろう。

 そもそも意見の違いはたいした問題とはなり得ない。……何しろ人の数だけ理解の形があるのだ。人はより素直に物事を見るようになって真実に近づいていく。正しい向上に必要なのは他人の思想ではなく、自分自身の素直さなのだ。

 だからこそ、すべてを置いて、まず自分自身を見つめることが大切になる。


迷い

2005/10/12

狎れという迷い

2005年 10月 12日

 貰えると嬉しい!――確かに、確かに。だが、貰ってばかりだとだんだん有難味《ありがたみ》が失せてくる。…… 不遇の中にあって心の豊かさを保つのは難しいが、大切にされすぎて狎《》れを出さないのも難しい。

そもそも礼を欠くというのは相手に狎れているのではなく、自分に狎れているのだ。……別にこういう態度でも私は嫌われたりしないさ! と。

そしてまた人生に狎れている……昨日と同じ今日があり、今日と同じ明日があると。

人は自分を基準に物事を推し量るが、他人の価値も時間の価値も正しく計れないのは、つまり自分の価値を正しく計っていないと言うことでもある。……その迷いはとてもとても深い。


迷える人の因

2005年 10月 27日

 努力とは結果を得るための手段――目的なき努力はいったいどこへ人を導くのか?

迷える人は、迷っているが故にさらに迷う……立ち止まり、行いを改めることを知らぬが故に。

ならば、今現在だけを見れば、「迷える人」も、その因縁……過去を遡ってみれば、目的なき努力、不毛な努力を重ねてきた人だ。それはつまり、いつから迷って、それに気がつかず、さらに迷いを深めてきたのだろうか!?

いつから迷っているのだろう?……それさえも分らぬのに、人は迷いから抜け出ることが出来るのか?

人の業は深い。……過ちを犯してから、過ちに気がつくまでに長い時間が掛るから。

どれほど多くの罪を正さねばならぬのだろうか、人は。


過ちから過ちを学ぶ

2005年 10月 29日

 過ちの結果に学んだことが、「為すな」であるとしたら、その人は輪廻の奴隷だ。人は「為す」ために生れてきたのに、生れてきても「為さぬ」なら、何度生れ変わっても同じ課題を与えられるのだから。

生の意義を知らぬ者が人生を誤る。


当たり前の鉄則

2006年 03月 06日

 迷ったときには原点に立ち戻ってみる。……初心に戻ることで、当時のインスピレーションが蘇るようにと。

迷ったときには腹を立ててはいけない。――いらだちは迷いを深くするから。

・・・・

 登り切れば、後は降るばかりだ……人生はそんな単純な原理では動いていない。一つの頂を制覇すれば、その時から次の挑戦が始まる。次はどこを登るべきか。

魂は常に変化する。向上するか、堕落するか……頂上を極めて安堵し、寛いでいる霊が堕落に向かうのである。

日本は、経済大国となり、今や豊かな暮らしが当たり前になっている。飽食の社会にあって、なおも不満を抱くのは野心家ではなく、精神的な餓えという病苦を抱えた餓鬼ばかり。そして、次の目標を求めることなく、豊かさを甘受しつつ堕落していく人々。

魂は変化せずにはいられない。――向上するか、堕落するか、だ。

迷ったら先ず立ち止まる。迷いを深くしないために。そして、どこに向かう気でいたのかを思い起こす。それから道を探すのだ。


誰のせいか?

2006年 11月 07日

 安易な方法を探すには、それなりの理由がある。……気持ちが焦るには焦る理由がある。
……人生が巧く行っているなら、焦る必要もない。焦る必要がなければ、安易な方法を求める必要もない。

行き詰まり、遅れているから焦るのだ。――急いでいるから手軽な方法を求めるのである。

悠長な方法に目を向けるヒマなどない。たとえそれが本来の道であろうとも……たとえ遅れた理由が、遊びに夢中だったからだとしても。

だが、焦ると油断が生じ、油断すれば魔に狙われる。……ここでいう魔とは、仏教用語の「天魔」や、心霊用語の「悪霊・低級霊」の場合もあるだろうが、おそらく一番危険なのは、悪徳商法の被害だろう。

そもそもその遅れは、誰の責任において解決すべき問題であるのか。……因果律。原因があって結果が生じるのである。原因を変えることなく結果だけ変えようとするのには無理があり、無理があれば油断が生じる。

安易な方法を探すのにはそれなりの理由があろう。気持ちが焦るのにもそれなりの理由があろう。だが、その挽回の為にあなたは正しい努力をしているだろうか?

急ぐが故に焦り、近道のつもりで遠回りしていないか? いや、行き先の定かでない脇道に迷い込んでいないか?

気がついているだろうか? 道を間違えたら、もと来た道を戻る苦労のあることを。

若いのだからやり直せばいい……確かにそういう答えもある。だが、安易な道を選ぶにいたる事情に、果たしてやり直させるゆとりがあるのか?

・・・・・・・

 苦労するために苦労していないか? ……霊の祟りよりも自分の愚かさこそが恐ろしいものだ。何となれば、霊は除霊できるが、自分の卑しさはどう捌けるのか? 捨ててもなお離れられない自分の業……無責任に捨てようとしてかえって苦悩を増やしはしないか。……まるで、苦労を増やすために努力してきたかのような人生を歩みながら、いざとなれば逃げる算段を持つというのは、何とも太平楽というべきか。

・・・・・・・

 捜し物が見つからぬ時、答が無いのではなく、一番あって欲しくないところにある。……人生は霊性向上の修行の場、である。つまり、解答は巧妙にセットされている。

友人が引っ越し先を探している。……二人して片目をつぶって探してはいないか? 互いに触れたくない事情がある。

あるはずがないと思うから視野が狭まる。あるけれど、仕方がないと思えればもっと視野が広がるのに。

見つからないのは誰のせいか?


行き詰まる

2007年 7月 18日

 袋小路に迷い込む。――行き詰まった挙げ句に、他に地理(道)を尋ねて渋々と後戻りする。

どうせ後戻りするなら、助言の通りに大道まで戻ればよいのに、途中で山っ気が萌してまた別の枝道に入り込む。――近道をするつもりで。

  なぜ疑わないのだろう? ――また行き詰まると。

  なぜ改めないのだろう? ――枝道を選ぶ姑息さを。

挙げ句にまた、後戻りしなければならない不合理さ。一時の利よりも、人生の長さで考える利を大切にすべきだ。

勝手に道を選んで行き詰まる。――道を聞いても従わない。――経験から学ばずに、また勝手に道を選んで行き詰まる。

地理を尋ねて、地理だけを聴く。――地理の何たるかを学ばぬまま。

道に迷うから、地理を聴かねばならぬのである。――道に迷うことよりも、自ら道を探り得ないことこそが問題であるのに。それに気がつかないから、勝手に枝道にそれてまた迷う。

なぜ迷うのか? なぜ迷うことに躊躇しないのか? なぜ繰り返し迷うことを疑問に思わないのか? なぜ道を聞いても迷うのか?

繰り返す迷いに誰が真剣に向合ってくれるのだろう?

もう既に、道に迷うことよりも、躊躇無く迷うことこそが問題ではないのか。

・・・・・・・

人は往々、自分が思うよりも立派な性質を備えている。だが、自分の良さに気がつかぬ人ほど、姑息に生きて長所を隠す。するとまるで、長所を持たずに、卑怯に生きているかのような人ばかりが世間に見られることになる。

・・・・・・・

 それがどうせ、当たり前な自分であるなら、

隠すよりも、それらしく、

あるべきように生きれば、それが一番、自分に出来る立派な生き方なのに、

一番恥ずかしい在り方を、進んで選んで胸張って、カッコがよいとみっともなく生きている。

自分らしさを知らぬからこそ道に迷うし、自分らしさを知らぬからこそ、過剰演出で演出して顰蹙を買う。

 なぜ格好悪いと思うのだろう。背伸びしない自然な姿勢を?

  神の与えたもうたものを、わざわざ隠して、人の造りしものを、わざわざ飾るというのか?


いいわけ

2007年 9月 21日

「失敗したらどうしよう!?」――と、考える癖が付いて、なかなか最初の一歩が踏出せない。

後戻りできないのに、考えても仕方がないのに。……前に進まなければ行けないのに。明るく考えなくてはいけないのに。――そう判っているのに、判っているのに足が前に進まない。

動けずに、でもジタバタしていると、周囲からは「いまさら考えたって仕方がないでしょ!」と、叱咤される。その言葉が益々、私の重荷になるというのに。

背負う重荷の辛さに泣くか、開き直って呶鳴りまくるか――その選択の中で再び迷う。……迷いの中で目的を見失い、ただ、自分の心の平穏を取戻すことだけを考え始める。

……そして、そして、そして。

 そして、また何も出来ない。……

 少しの自責と、取戻した落ちつきの中で、ハタと自覚する。

『まるで私は、自分から手を挙げておいて、結局、抛り出している卑怯者みたいではないか!!』――慌てて周囲に言訳をして、ますます周囲の信用を失う。

……小細工。

 自分の不安を打消すためだけに、あれこれをして大局を顧みない。

努力して失敗すること、 または、やらぬ言訳を繰返すこと。

『失敗したらどうしよう?』――心配しているようでいて、失敗の種子を播いている。自分の欠点に気が付かぬまま。

……

 誰にでも失敗はある。誰もが失敗の経験を持っているがゆえに、人生経験を重ねる毎に、おおむね人は失敗に寛容になるものだ。……神経質で、大人気ない人もいるだろうが。

同時に、おおむね人は、小細工、言訳、そして嘘が、得るものよりも失うものが多いことを学ぶがゆえに、人生経験を重ねる毎に、小細工、言訳、嘘の類を、軽蔑するようになるのである。

人々が、人生経験を重ねる毎に捨去っていくやり方に、いつまでもしがみついていることが、自身の人間関係をどれほど貧しくしていくことか。

今日の言訳は受入れられるかも知れない。明日の言訳は咎められないかも知れない。だが、明後日はどうか?――より良い言訳を用意する者もいる。その一方で幼稚な言訳にウンザリしている人々も多いことをあなたは気が付いているか?

いや、そういう性格に到ったなりの事情があることも理解する。理解するが、言訳を繰返すことは、進んで嘘をつくこととどう違うというのか?

それが病や性質であるというなら、「信じがたい人」という不定型な評価から、「信じられない人」という確定的な評価に変るだけではないか。

  失敗よりも言訳の方が樂――当人にとってはそうかも知れない。

  だが、周囲の評価は一体どちらが有利であるのか?


秋の昼寝の金縛り

2005/10/10

 何やら振り回されている。……忙しい。

 身内、友人からひっきりなしにトラブルを聞かされる。全くいい加減にして欲しい…… などと思いつつさして為すべき事のない休日の午後、昼食を済ませた後にやたらと眠くなってかなり長い昼寝をした。

 ……起きなきゃいけない。せっかくの休みなのだから、休みでなければ出来ないことをしなければ!! 気が焦る。寝ていて気が焦ると当然……金縛りに遭う。

 うぁ~~玄関から人の気配がする。戸が開く音がし、足音が聞こえる。でも身体が起きない。目が開かない。声も出せない。でも気配が近づく。近づく、近づく、でも声も出せない。身体が動かないまでも声を出せば威嚇になるだろう。ハッタリをかますだけでも良いだろう。だが……ああ、枕元に男の気配がするよ、やばいよ、でも、悪霊じゃないよ。そして再び眠りに落ちる。

 しばらくしてハッと目が覚めた。時計を確認すると二時間も昼寝をしたらしい。外はドンヨリ曇っている。しばらくぼーっとしたまま時間を過ごし、家中を見回るが異変はない。玄関の鍵もちゃんと掛っている。

 改めて、夢幻の境界で感じ取った気配をリプレーしてみると地主神の見回りだったらしい。…… 怖くはないがバツが悪い。とてもバツが悪い。そもそも霊気というのは打たれると鳥肌が立つ。それは別に恐怖でも冷気でもない。霊気もまた鳥肌が立つのである。鳥肌が立つから身体が冷えた気がして、また、恐怖を感じた気がするのは素人の感想だ。…… 霊感を持ちながら霊気の一つや二つでビビッてたまるか。が、寝ぼけて暴れるのはバツが悪い。

 睡眠中では身体が不自由なだけではなく、判断力も不自由なのだと今ならば思うが、それはそれ、あんなに昼寝して今夜はちゃんと寝れるのだろうか、とそれを心配する夜。


 あー、一時半まで起きていて、翌朝は仕事になりませんでした。

逃げず、そして無理せず

2005/10/10

2005年 10月 09日


 バラの木にバラの花咲く……当たり前といえば当たり前。菊でも咲いたら大騒ぎだろう。ではなぜ当たり前なのか。

 バラの木とはバラの花咲く仕組みを持った木だからバラの花が咲くのである。ならば……

 物事は成るようになり、成らぬようにはならない。当たり前に見えるかも知れない。また、くどく思えるかも知れない。だが、この言葉、この摂理の示すものはとても深い。問題は、それを読み解くものがどこまで極めることが出来るか、ということだ。

 物事が成るには、成る仕組みがあり、仕組みがなければならぬと言うことだ。

 今、選んだその選択肢は、果たして望む未来と繋がっているのか、果たして欲しい未来を実現する仕組みを持っているのか…… 成るための仕組みを作らず、為して成らぬと嘆く人の多いこと。と、同時に……

 成るべく仕組みが出来ているのに、違う結果を出そうと努力する者。

 ブタクサの種を蒔いて、米が成らぬというのも馬鹿げた話だし、ブタクサの種を蒔いてブタクサが花咲くと騒ぐのも馬鹿げている。…… 失敗すべく、失敗して救いを求める人々よ、いかなる神が真剣に救うと思うのだろうか? 笑い、吹き出すことも無く。

 成るものなら黙っていても成る。成らぬものはいくら手を入れても成らぬ。望むものが成るのではなく、そうすべくしたとおりに成る…… 物事がうまく行かなければ、それは手段が違っているのだ。……もしかすると目標が変なのかも知れない。

 焦っても成らぬものは成らない。黙っていても成るものは成る。急ぎあわてて壊し、為して壊す。忘れて慌て、侮って慌て、手をこまねいて慌てる。

 物事は仕組みの上に成り立つ。人の意志は仕組みを働かせる切っ掛けでしかない。


悩める者に悩まされる。

2005/10/08

「まったく、なんだって、どいつもこいつも自分を苦しめる方向にばかり努力するんだろう!!」

 巻き込まれた対人トラブルについて、要約すればこの一言で済むだろう。何のことはない。それぞれが近視眼的に身勝手を主張するから、第三者に利を持って行かれる……つまり当事者が多くを失うのだ。

――すると、こう教えられた。

『為すべき事を知る者は愚痴などこぼさない。為すべきことを為すだけだ。それがたとえば助言や助力を求めるのだとしても、愚痴などこぼさない。愚痴をこぼすのは、為すべき事を知らず、為さねばならぬ事を知らぬ者だ。……つまり、もうお手上げだという代わりに愚痴をこぼしているのである』

『物事を拗《こじ》らす……それは一見、思慮浅い行為にも思えよう。だが実体は違う。出来もしないことを引っかき回しているのである。それは間違いであり、愚かというべきなのだ。この差はとても大きい。……単に思慮が浅ければ、教え、諭《さと》して導くことが出来るだろう。だが愚か者は導かれても従わず、諭されても理解しない。』

……ゲッ! 相談に乗った私も愚かであるということか。

『間違いを信じている愚か者は、自分の愚かさに気がつくまで、自分の信ずる道を歩んで、事態を悪くし続ける。彼らは正しき智慧を求めているのではなく、自分の信じたいものを選んでいるだけだ。つまり、誰が事態を悪くしているのか、それを理解しない、理解できない者なのである……だからこその愚者なのだ。』

『見よ、愚痴をこぼし、助けを求めるが、知恵を貸しても言い訳ばかり、手を差し出せばすべてを任せて自分は逃げ出す。そんな浅ましい者が、人の善意を利用して一つ二つの問題を解決しても、解決するより多くの問題を次々に引き起こす。……それはまだ良い。業《カルマ》の深さは各自の問題なのだから。だが、思慮浅く、困っている者を助けようとして救いがたい者を背負った者はどうなるのか?』

……悲鳴を飲み込む。

『自らの善良さを過信して、救いを与えぬ神を恨む愚者と化すか、余計な苦労を背負って、そこから僅かな人生の教訓を得て良しとするか、はたまた、人間に絶望して山にでも籠るのか……無思慮な善意者が愚者に変る切っ掛けとなるやも知れぬ。』

『愚者を見抜けぬのは、愚者であるからだ。』


……ケッ! しょげても仕方がないので、とりあえず開き直ってみる。


2005-10-08

酒の飲み方

2005/10/06

 酒は百薬の長と呼ばれるが、薬も過ぎれば毒となる。

 私の守護霊は言う。

『適度なら、酒は飲んでも良い。だが、度を超して飲めば私が叱らなくとも酒に叱られるだろう。では、どこで止めるのがよいか? これぐらいで止めよう、と思って止められるのが適度な量だ。「あと一杯だけ!」……というのは、すでに酒が人を呑んでいる。止めても止めぬ事だろうから私は止めぬが、翌日、酒に叱られるがよい』

『気晴らしに酒を飲むのは大いに良い。楽しい酒なら背後の者達も共に歓びを分かち合う。だが、酒を飲んで気晴そうというのは意味が違う。酒を頼るのは情けない話だ。手に入れて可愛がるぐらいが酒の本分なのだから』

『一番いけないのは酒に飲まれて、飲まれていないと言うことだ。嘘つきは誰もが嫌う。嘘を見抜けぬ人や、嘘つきならば寛大に振る舞おうが、嘘が見えて酒に酔えぬ背後の霊達は、嘘つきをとても嫌う』


2005/10/05

 

霊査事例: 2005年10月5日(ML)

2005/10/05

 以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての代表的な霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。  以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。


 夏の疲れでしょうか。それとも私の廻りの雑音でしょうか? どうも愚痴が多いようです。

事例1

 物事を一心に思い詰める姿が見えます。精神統一の基本は、いわば聞く耳を持つことであり、特例として、語りかける・祈る、事がありますが、思い詰めることは時間の無駄です。物事はなるようになるし、ならぬようにはならぬのですから、考えても仕方がないことを考えるのはおろかですし、考えなくてもどうにかなることを考えるのもおろかです。

 それはそれとして、思い詰めるのは悪夢への恐れでしょうか?

事例2

 誰もが親切するためにのみ生きられるわけでなし、例え親切な人だって、人に親切にするだけで生きていられるわけでもありません。

 心のささくれだった人が多いのではなく、環境が悪くて皆、心がささくれだっているのです。ならばむしろ、このような時代の中で人に親切に出来る人のなんと幸せなことかと感謝することが必要なのです。

 不親切な人がいても、腹を立てぬ事、陰口を言わぬこと……その人の立場になってみなければ、その人の行為の理由はわからぬ事なのですから。

 時代が悪ければ、善き行いをすることも難しい。人の悪しき行為が不快に思えるならば、それはあなたが時代に流されずにいられる幸せな人であると思うことです。

事例3

 理屈ばかりが頭を駆けめぐり、行動が起せないのは、過ちに気がついているようでいて実は独りよがりに不満を並べているのと代りありません。

 そのようなときにいろいろ考えることは有益なようでいて無益、正しいようでいて小罪なのです。

 疲労がたまっている……労多くして功少なし……すると、どうしても安易、単純、そして侮った見方をするようになります。簡単にできそうだからという理由で始めたことがうまくいかないのは、疲労で判断が鈍っているからです。

事例4

 勘違いでなければ……精神統一に時間に充てられるのは仕事時間中だけのようで、『大変に見える仕事の山も、無心に働けば消えていく、無駄な考えが少なければ、一杯のお茶がとてもおいしい。会社で人に煩わされなければ子供との時間がとてもうれしい』と感じます。

 大過なき時間を過していらっしゃるようですね。お幸せに。

事例5

 ボンヤリといらだちに沈んでいる姿が見えます。

 心は真実を映し出す鏡ですが、汚れていれば見えません。

 不平不満、いらだち……不浄に見えても心に備わった仕組ですから毛嫌いする必要はありませんが、薬もすぎれば毒になります。…… 現状に不満が生じ、思うようにいかずにいらだつとするなら、それは自分が身を置いておくのに良い環境ではないということです。

 行き詰れば手段を変えてみる。敵わないなら逃げてみる。身動きできなければせめて息抜きの風穴を開ける。いずれにせよ、いつまでも不満やいらだちを抱え続けていれば病気になります。

……情動とは次の動作に移るための引金なのです。喜びにせよ、楽しみにせよ、いつまでもそれに浸っていれば必ず故障が出てきます。

事例6

 外部に関心を持たず、淡々と仕事を片付けている姿が見えます。

 環境に応じた対応ということで是非もないのですが、働くためだけに生きるのであれば魂が枯れてしまいます。まあ、今は忍耐の時でしょう。いずれにせよ、心霊家にとって沈黙と忍耐は美徳以上のものです。一見不毛な努力にも価値はあります。

 でも、出来るならば沈黙よりも瞑想を。瞑想をしなければ応援の霊声が届きません。


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