(家族)仲が悪いと……
2005/10/3105年 10月 31日
シャワーを浴びながら、大阪オフ会の事などを考えていた。それからそれへと思うべき事は多い。思念の流れのちょうどその時に声が聞こえた……
「末の妹に不満が多いらしく」……という相談を思い出したときに、『兄弟仲が悪いと……』と、女性の声が聞こえた。……耳を傾けてみる。
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兄弟、姉妹というのは同じ一族・一家の業《カルマ》を分け合う仲です。一人一人それぞれが自分の業を背負っていると思うのは何とも、神界の仕組みを知らぬ事とて陥る過ちです。
一家の業とは家族・兄弟に共通する欠点のこと。互いに欠点を知り抜いていればこそ、お互いにかばい合うことで難を減らせるというのに、互いに罵りあえば、互いの欠点をよく知る者同士どうにも傷つかずにはいられません。
では、力を合わせて生きていこう! と思うのに障害となるのは、重荷は背の低い者にのし掛かるという現実です。助け合う者の中で、一番悲観的、そして、一番に不平不満をいう癖の酷い者の所に苦労が集まるのです。……そう、不幸は悲観的な人の元に集まります。
苦労も苦悩も、そして病も、苦しく、痛いからこそ耐えがたいものです。しかも、痛みがあるから、身体も動かず、頭も働きません。身体が動かず、頭も働かないからなおのこと、痛みから逃れがたく、苦労と苦悩とがさらに重くのし掛かります。
しかし、痛みというのは、外から来るものではなく、嫌なものがあるとき内からこみ上げてくるものです。つまり、イヤイヤ行う者はより痛みが増し、鈍感な者や脳天気な者には痛みが避けていくかのようです。……共に苦労して不愉快に思うのは、不満の多い人ほど結果として割の悪い現実でしょうが、それは天の不公平ではなく、単なる痛みの仕組みの現れなのです。
その事は不公平なようですが、公平な仕組みの元に働いています。つまり、誰よりも不幸に敏感な人(つまり悲観的な人)ほど、無意識に不幸を握りしめてしまうというだけのことなのです。……その事は決して一家・一族の業《カルマ》に留まりません。悲観的な人は本当によく他人の不幸まで背負い込みがちなのですから。
押しつけあっても、手の内をよく知る敵(兄弟・姉妹)が立ちふさがるだけ。大切なのは、自分が不幸を呼ばぬように、隙を作らぬ努力です。
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どこの兄弟姉妹の中にも、大抵一人は、一家・一族の重荷の如く思われているかのような人物がいます。何の事はありません。ただ、一家一族の業が重くのし掛かり、それに耐えかねた人に重みが集まってしまうだけのことです。共同作業というのは、一番最初に音を上げた人を犠牲にして動いていきます。
最後まで強がった者が一番楽なのが共同作業の真の不平等さでしょう。…… 最初から投げ出すというのも他の兄弟が認めてくれるならありですが。
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兄弟・姉妹、仲良く助け合って……で、得をするのは、苦労を分かち合おうとする者ばかり。
悲観的に生きると、割を食うと思う者が、慌てて楽観ぶっても、かえって危険に手を出して失敗してしまうのがオチ。楽観さのもたらす幸運とは、要するに重い荷物は、低いところに負担を掛けるという仕組みの働きなのです。……つまり、自分よりも悲観的な者がいなければ、楽観ぶってもやはり災難は避けられません。