忍耐も必要な修行か?
2005/10/27Q 「忍耐も人生の修行の一つでしょうか?」
為すことが修行の第一であり、待つことはその一部でしかない。
為すために必要ならば待つ――それが大切である。目的なき忍耐は問題の先送り、時間の浪費でしかない。一つの事柄に拘り、人生には多くの課題があって、その多くは平行して片付けられる類の問題であることを正しく認識しなければならない。待たねばならぬ事があるなら、それは忍耐の時間ではなく、別な仕事を片付ける時間である。
(待ち時間に)為さずにいるのは愚かであるし、(待ち時間に) 為すべき事を見いだせぬのはさらに愚かである。さらに、不平は冒涜、 いい訳(責任転嫁)は甘美な自虐でしかない。…… 人は為すために生れてきたのだ。待つためにではない。
だが、地上に目を向けるなら、多くの人が待つことの辛さに悲鳴を上げて、他に為すことなど捜すゆとりさえないようだ。だがそれは、冬の中にあって、春に焦れるかのように……時が流れるだけで終る忍耐なのか?
……真の問題は、自らの欲望が実らぬことであろう。実らぬ苦しみを、待つことの苦しみにすり替えているのだ。だが、アワを播いて米が実るのか?
為すために生れてきたのに、為すべき事を知らず、為す術を知らず、欲に炙られ、時の流れに焦って苦しみもがいている。…… 忍耐は実らぬ欲望の苦しみから人を救わない。
だが道に迷った者はまず立ち止ってみる事が大切だ。自分の立場を見、自分の選べる道を見、求める未来と今・現在の有様とが一つにつながる道筋を見いだすために。……必要なのは忍耐ではなく、心を止め、自分と向合うことである。
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すぎたる欲望は苦しみでしかない。だが多くの場合、欲望が生み出す苦しみは、欲望に見合う行動力さえあれば解消する問題である。つまり、己の不甲斐なさを忍耐の問題にすり替えて、苦しい、苦しいと嘆いている。……嘘つきを救う神・仏がどうして信仰に値しよう? そんな怪しい神仏を拝んで後、宗教に騙されたと泣くのはすなわち己の業である。
ああ、人は過ぎたる欲に苦しみ、それで足りぬ者は騙されてまた苦しむ。騙されてもなお過ぎたる欲に気がつかぬ者は、本当に騙した者が誰であるのか、本当に自分を苦しめているのが誰であるのかに気がつかず、他者を恨んでなお救われぬ。…… 自分のあり方さえ変えられぬ人が人を変えようとして苦しむのである。その愚かさは一生かかっても治らぬ。来世もまた同じ苦しみをするのか。
2005年 10月 28日