‘2005/10/04’ カテゴリーのアーカイブ

もっと自分を大切に

2005/10/04

もっと自分を大切に

2005年 10月 04日


もっと自分を大切に生きよう。人生が辛く厳しいものならなおのこと。

あの時は体調が悪かったから……そう言い訳して救われるのか? 大切な自分の人生なのに。

助けが欲しいときに、強がって、ふて腐れて、泣きわめき……そうしてあなたは何をするのか?

浅ましい在り方で助けを求める以外の何をするのか?

わざと自分を窮地に置く……棄てておけぬと誰かが救ってくれるのか?

自分自身が救わず、自分自身が窮地に押しやるものを

一体誰が救うというのか?

他の誰が危害を加えているのでなく、自分自身が一番危険だということの現実。 

破滅はあなたが選び、あなたが育て、あなたが受け取っているのだ。

そんなあなたを誰が救うというのか?


カルマ・そしてストレス。

2008年 5月 01日

 なんとまあ、人々はたくさんのストレスを抱え込んでいるのだろう?

 人はその持つエネルギーの大部分を、ストレスを他に押し付けることに費やしてはいないか? 横暴な人は意地悪な言動によって、内気な人は妄想という形で。

 不毛、いやそれどころか大いなる災い。知人に甘えて、償えぬほどの迷惑をかけている。――自分の生まれ持った見えざる財産を減らして、勝利に酔っている。もしくは、勝利を焦っている。

 なんと愚かなのだろう!? 敵を倒すよりも、友好的な人を敵として倒すことの大いなる非に気がつかぬなんて。――安易で稚拙な選択。

 ああまったく。――外なる敵には勝ち易く、内なる敵には勝ち難し。

 自身の内面と向き合うよりも、他人を苦しめることに嬉々として、墓穴を掘っていることに気がつかない。いや、そう言われると、相手を嘲笑しさえする。「悔しければ勝ってみろ」と。……目先の勝利にこだわる稚拙な選択。

――自身の不安と向き合うことをせず、安易に気晴らしに走る人々。

・・・・・・・

 上述は特別な人のことに思えるか?

 酒・博打・色事。物見遊山、薬物に……美食や甘味。

 自身が生み出すストレスを何かに転嫁しようと日々、必死な人々。

・・・・・・・

 こっそりいう。そのストレスはいずこから来るのか?――笑うなかれ。 自分がかくありたいと願う姿と、現実とのギャップなのだ。

 人はなぜ、かくも増長し、一方で、自分を卑下するのか。

 それは、人が何でできているかに気が付いていないからだ。

・・・・・・・

 人は愛なくして育ちえない。――たとえば性的犯罪によって生まれる子などもあるだろうが、それにしても非力な幼子が、他者の愛情なくして育つことがあるだろうか?

 人が愛によって育まれるのであれば、つまり、人は愛によって成り立っているということ。そのことに気がつけば……


自分を信ずる

2008年 10月 14日

 人が、一番多くの嘘を吐く相手は誰か?――つまり、人が一番、真実を知らせたくない相手である。……なんという待遇であろうか!?

 嘘に埋もれ、真実を遠ざけられた人が行き着く先はどこか? ――自業自得。

 あの宗教はインチキだとか、あの霊媒は偽物だとか……なるほど、それも問題かも知れない。だが、あなたが本物と出会ったからといって、それが役に立つだろうか? あなたが、あなた自身を騙し続けていて。

 真理を説き、愛の大切さを語ることも大切である。……だがあなたは、真理を学び、愛を向けられるだけの価値ある人か?

 つまり、あなたは自分を大切に生きているか? 自分を信じて生きているか? 正しく生きようと勉めているか? 常に逃げ口を用意して、その一方で幸運を求める。……あなたはいつ、恐れという名の責め苦から逃れることが出来るのだろう?

 そもそも、常に責め苦のある境遇を、人々は何と呼んできたか? ――そうあるのもまた、自業自得。


人は幸せになるために生まれてきた

2009年 6月 08日

 人々は、心霊に何を求めているのだろう?

・・・・・・・

 人はそもそも幸せになるために生れてきた……その大前提が信じられるなら、一体何を信じられるというのだろう? 不幸への道に送り出した神仏に、誰が祈るというのだろう?……欲深い本音を隠す愚か者を除いて。

 そして、人が幸せになるために生まれたというのなら、人が案じ、恐れるべきは何か?

 悪魔や悪霊を恐れるよりも……人の道、幸せに続く道から外れることこそ恐れるべきではないか?

 敵は、外よりも内……つまり、自分の中の敵こそを、人は案じ、恐れるべきだ。

 境遇の不幸を嘆き、外敵の恐ろしさを訴える声は多い。……だが、幸せに生きるべく生まれてきた自分の人生信じぬ者が、そもそも誰の助けを得られると考えているのだろう?

 一過性――結果と言うべき問題を論じて、その原因をないがしろにする人々。

 人は一体、どこに向かうのだろう? …… どこから生れ来たかも知らず、欲に駆られ、欲に騙され、手が届かぬことに気が付けば、妬み、恨み、憎んで日々を送りながら、その生き方を変えずに、神仏の加護を得んとするのか。

 努力するより、堕落することが楽だというのか? 向上心あってこその人だというのに。


人の裏表

2005/10/04

馬脚を現す

2005年 10月 04日

 馬脚を現す――ボロが出る、化けの皮がはがれる。

・・・・・・・

 イタズラや犯罪が露呈するという意味で使われるのであればまだ良い。だが、人は見栄やメンツから虚飾するものだ。すると、化けの皮をかぶっていない人が、果たしているのだろうか?

 内心の醜い人ほど自分を虚飾する。聞いてもいないのに理想を語る。飲酒、飲食、色事に賭け事、買い物や旅行。…… 現実逃避のネタは数多い。

 たとえ、虚飾の仮面をかぶっても正しく幸せへの道を歩むならばよい。だが自らかぶった仮面に目を覆われて、足を踏み外す人があまりに多くないか?

・・・・・・・

  

あなたは自分の人生を大切にしているだろうか?

自分を無駄な危険に晒していないか?

まるで赤子のように、泣き叫べば保護者が駆けつけると思ってはいないか?

ふて腐れ、ぐれて見せて、それでも心配してくれる人がいないかと横目でちらちら見ていないか?

そういう有様を浅ましいと思う者がいるとは思わないか?

  

・・・・・・・

 表現の方法が見つからずに、胸に秘めた「こと」がある。霊達はいう。……「かの祈りはあまりにしつこい」と。

 たとえば投資は一種の博打だが、進んで危険な事業に投資するものはいない。…… 博打の意味を知った者なら、自分の金で他人に博打をさせたりしない。自分の資産を危険に晒したければ自ら投機などでリスクに晒すことだろう。

 霊達の加護も投資に似ている。将来性のない者に無駄な労力を費やす霊はいない。むろん、魂の救済事業は存在するが、それは貧困対策に似て焼け石に水だ。与える者は決して少なくないが、貪る者と比べれば遙かに少ないのだから。 むろん、リスクの高い仕事を好む霊もいるにはいる。だがそれが何だというのか? 自己の人生を博打に利用されて、誰が幸せを感じるというのだろう?

 あなたがもしも天からの助力を求めているなら、自分の人生を大切にすべきだ。自殺を考えるなどというのはもってのほか、どうなっても良いと言うのも下らぬ事、過度の飲酒や飲食、その他自分を危険に晒しつつ気分を紛らわせようとするすべての行為は、自分が投資先として相応しくないと広言するのに等しい。

 辛いときほど隠忍自重が求められるのである。

・・・・・・・

 楽しい時を過ごせる相手はこの世に多い。だが、辛い時を助け合える相手は僅かしか見つからない。いや、全く見つからないという方がより現実的かも知れない。……だがそれよりも身近で重要な問題がある。

……あなた自身、辛いときに友を裏切らずにいられる人であるか? まあ、友人の苦労ならばいくらでも助けられる人は決して少なくないかも知れない。だが、自分の苦労を裏切ろうとする人はとても多い。とても多いのだ。自分の苦労を他人に押しつけて逃げようとする人が。

 辛くあればこそ居住まいを正して事に当れと私は思う。……なぜなら、苦しむ人ほど周囲から注目されるからである。

 そう、人間にとって、他人への同情ほど、心を充足させるものはないのだから。

 多くの人の注目を浴びているその時に、馬脚を現すのは何とも気詰まりだ。いや、馬脚などという大がかりなものでなくても、言い訳や化粧がずれただけで周囲の人々は幻滅するのである。


グチから覗く裏面

2008年 08月 24日

 

 師からグチを聞かされた。……念のため、我が師は決してグチっぽい人でなく、これも心の安全弁としてのグチというよりも、私たちへの課題としてのグチと、私は理解している。

 とある老夫人の話。……ボケているのか、トボケているのか。

 ちなみに、この二語だが漢字で書くとフルっている。

 惚けているのか、惚けているのか……まあ、それは蛇足。

「老い先短いからと、勝手放題。天気が良ければ頭がクラクラするといい、天気が悪ければ、やはり頭がクラクラするという。介護士さん達から付けられたあだ名が、クララちゃん。」

『私はあなたを治してあげられないのだから、「クラクラする」と言われても不愉快なだけ、だから止めて。』と言ったのだけど……グチは止らない。

 その話を聞いて、私の脳裏には母の姿が思い浮かんだ。それなりに理由もあるのだろう。と。

が、それにしても。――歳を取り不自由になった人が、介護を受ける。当然の権利である。が……身体不自由である状態は、果たして誇りを抱ける状態であろうか。人権問題や介護保険制度を論じるのではなく、感情論的にである。

 可哀想だから……それは果たして憐憫か、同情か……実は侮蔑ではないか。自分よりも劣る者を侮蔑し、我が身の幸せに安堵しているのではないか。

……だから……

 歳を取り、身体が不自由になってから、介護を受けるのに、しつこく言訳せずにはいられないのではないか?

 痛いとか、眠いとか、自分の気持ちを素直に表現しているのであれば、霊媒は……私だって……師ならばなおのこと……そう煙ったがりはしない。むしろ素直に同情し、その素直な同情には力が籠るものだ。が……真意が別にある言葉は、とてもとても聞き苦しい。

 というか、先が見えて貪欲になっているとも思う。……その御夫人の若かりし時の話しも聞いているからなお思う。

 若いときにあまり我慢をすると、置いて醜くなるやも知れない。……努力も大切だ。だが、老いてメッキが剥がれては困る。いや、加齢だけが問題か?

 困難にあって物事を拗らせる人の何と多いことか。……巧く行かぬからグチをこぼさずにはいられない。つまるところ、グチとは本音のことなのだ。

初心者の手引き

2005/10/04

2005年 10月 03日


 心霊を学んでいる初期の頃は、偶然と呼ぶには都合が良すぎ、奇跡と呼ぶには照れくさい出来事が多いもの(例外もある)だが、その時期をすぎると、あとは精神的に淡々と抑揚を欠いた生活に落着くもののようだ。周囲の状況が落着くのではなく、むしろ変化が増えるのに心が動かされ難くなるのである。つまり心が落着いていることに確信が持てるようになる。

 むろん、過程を踏めない人も見受けられる。それを私なりに分析をしてみると……

初期の幸運

 初期の幸運に恵まれない人は、インスピレーションの真意義を捉えそこなっていると感じる。そもそもインスピレーションというのは可能性の明示・解決の糸口なのである。当然、可能性なく、解決の余地ないのものなら、明示すべき可能性なく、糸口もあり得ない。つまり、求めても何も見えないものだ。

 また、可能性には限りがある。自分の気に入った解決策が出てくるまで拒否し続けても、無尽蔵に可能性が生れてくるわけではない。まして、事態の行き詰りは可能性の枯渇でもある。行き詰り(可能性が枯渇し)てから、宗旨を変えてもおおむねどうにもならない。さらにいえば、行き詰ってからジタバタするのは、行き詰りを選んだ自分自身に対してあまりに反省がない。

 仮に解決の可能性があっても、事情により手も足も出ないことがある。…… 黙って待つより他ないときにもやはりインスピレーションは訪れない。

 焦れ、焦った人がやることはせいぜいが足手まといだけ。ジタバタして誰が得をするのだろう? 我慢できないから仕方がないじゃないか、等といういい訳はすべきではない。それはつまり、助ける価値がないと自ら表明するようなものだ。

(#1)

安定期

 安定期に入った人が、犯しやすい大きな間違いは、精神の安定によって好奇心を失うことである。……勉強するから心が安定したのに、安定したとたんに勉強をやめれば、それこそ、「やらずぶったくり」……恩を仇で返すようなものだ。

 実をいえば、心の落着き等というのは、精神性の向上の結果とは限らない。単に心の働きに無駄があるが故に騒いでいることが多いのだ。後ろを向いていたのが前を見るようになっただけ……前を見てこそ前に進めるはず。

 ようやく修行に取組む準備が出来たときに、修行をやめてしまうのは…… 私の知る限り霊界の者達に責められているのを見聞きしたことはないが……かなりひどい裏切り行為であると思う。

 また、せっかく得た精神の安定と、人生の安定を取違えてノホホンと過し、小さな火の粉が大火事になるまで何もしない人もいる。…… さらには大騒ぎをしてようやく大火事を納めた結果、逆恨みして背後霊への信頼を棄てることもある。

 背後霊との信頼関係が強まることで心が安定するわけだが、それは効率よい対処が出来る能力を得たということで、何もしないで問題が解決することはないのである。また、自らはノホホンとしている間に問題が解決すると信じているなら、それは自らの運命や守護霊らを侮っているといえまいか?

(#2)


 #1

 もしも選択を誤ったのなら、正しい選択肢まで戻らなければなるまい。一つ前か、二つ前か、または三つ、四つ、いや、十、二十前なのか。

 正しく瞑想して、しかし適切なインスピレーションが得られぬとしたら、自分自身の問うべき問題についても、どこまでも遡らなければならぬだろう。

 たとえば、自分が生れてきた意味、この親を選んできた意義、そして、自分が寄って立つべき信念のあり方。

 単純かつ、ばかばかしい質問であればこそ、答を間違ってその後の選択肢のすべてをゆがめていることも多い。

 たとえば身勝手な願いが叶わぬからといって神仏の存在を否定してみたり、苦労を親のせいにしてみたり……苦難の大元におびえながら、自分に親切にしてくれた人を逆恨みしてみたり。

 苦労は、苦労すべくして苦労しているものだ。

 #2

 幾人かの顔が脳裏に浮ぶ。……前世での優雅な生活の残滓か、はたまた、幸福な幼少時の記憶か、どうもノホホンと座していれば物事が平穏無事に解決・片付いていくことが理想の暮しと思いこんでいる人に思い至る。

 働かずに楽しく暮して褒められるのは幼児だけ、しかも恵まれているのであって権利ではない。大人が目指すべきは、働きながら楽しく暮すことである。間違った理想を抱くと、間違った人生を歩むことになる。


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