何のための修行か?
2005/10/01何のための修行か?
ここは伊良子カーフェリー埠頭。私は愛車に乗って、鳥羽港に向かうカーフェリーへの搭乗待ちをしている。目的地はむろん伊勢神宮。各自それぞれに主張はあろうが、一般的にいって、日本の最高霊地だ。
関東から伊勢神宮に向かう道で一番心躍るのが、このカーフェリーへの搭乗だろう。そのワクワク感が高調したところで……夢から覚めた。
例えるなら酒によって乗ったエスカレーターから、急に降りたような違和感と共に夢から覚めた。と、同時に、当たり前のように霊夢であることを感じ取って、この夢への招待者とその目的を探った。しかし、招待者は逃げも隠れもしていなかった。ただ、カーフェリー埠頭の風景の蔭になっていただけだ。
この招待者は、雰囲気からするといわゆる天狗霊と感じた。ただし、その衣装はいわゆる修験者風のものではなく、モーニング姿のつまりは現代風の礼装である。そしておもむろに私に懇願する。
『これから伊勢神宮に参って、私が眷属となれるように口添えしてくれないか?』という。
伊勢神宮に用があるなら、霊界で話をつけるか、せめて現職の神職に懸かればよさそうなものだ。一兼業霊媒に頼むような話でもない。… …すると、
『行き詰まったら発想を転換せよというではないか』という。無茶な論理だが興味を持つ。なにしろ、伊勢旅行の夢を見るのに伊良子カーフェリー乗り場を選んだ霊である。つまらぬ霊ではない。つまらぬ霊ならそもそも楽しい夢を切っ掛けなどにせず、ただ、霊聴で要求を伝えてくることだろう。何やら面白そうなので、出来る範囲で手伝うことに決めた。
まずその動機をモーニング姿の天狗に尋ねてみると、
『ずいぶん長いこと修行を続けたが一向に霊格が上がらぬ。そこで、いっそ修行するなら天照大神様の元が良かろう、だがそれについては、きちんとした紹介者がなければいつまでも下積みで働かされてやはり修行にならぬと思い、貴殿に頼む次第だ。』
そこで、私も背後を通じて祈願してみたが、それに応じたさる龍神は、
『お社造営用の木材確保するための森林の世話係ならば開いている。そこでチャンスを待つのはどうか?』という。が、モーニング姿の天狗の態度は煮え切らない。後で考えてみれば当然だろう。赤の他人である私が骨を折った職である。気に入らぬからといって断るのも失礼だが、志とは相反する。ともかくその時に私は、何やらその間のコミュニケーションにしっくりとしないものを感じて、問題を整理してみた。
Q なぜ霊格を上げたいのか?
天狗『霊格を高く上がるほど、より多くを学ぶことが出来る。霊格が低いまま修行をしても僅かなことしか学べぬではないか。旅をするのに歩くよりも車が欲しいのと同様だ。私はここ数百年、変らぬ努力をしているのにちっとも格が上がらぬ事に不満を抱いていた。私はもう限界に達したというのだろうか? 神界には私などが及ばぬ高みに登っておられる神々が大勢いらっしゃるというのに?』
Q なぜチャンスを与えないのだろうか?
龍神『たとえば具体的に、武芸であるとか、学問であるとかの指導を受けたいというのであればいくらでも指導する。だが、「格だけ上げよ」と願われても返事に窮する。そもそも、「長」という職があるのではなく、それぞれの職の優れたものを長というのだ。したがって、なにか、とくに秀でたものを磨いてからのち、その職責の長を目指すのが順当だろう。ただ偉くなりたいと思うだけの霊なら、まだまだ下積みの仕事が適当だ』
はたと気がついた。この天狗さん、決して知識技能に劣っているのではない。おそらく真面目に修行を続けたであろう霊なのだ。ただ、その修行の目的が単に出世することだったので、いつまでも下積み止まりだったのである。
私『天狗さん。なんだか一生懸命修行するよりも、もっと毎日楽しく過ごした方が霊格が早く上がりそうだねぇ。』
天狗『修行のためと思って一生懸命人助けに働いても、霊媒などには「所詮は天狗のすること」等と悪しくいわれると私もさすがに張り合いがない。霊格を上げねば、人助けも迷惑に思われるだけなら、まず先に霊格を挙げようと思い至った次第。だが、なんということだ。霊格で差別する霊媒に非があるというのか。ならば今までの負けず嫌いな修行もつまらぬ事だし、お伊勢様で修行をしたいという考えもあまり面白くないことだ。なるほど、これからは自分の道楽を見つけ、その一芸を磨いて修行とすることにする。ありがとう』
その後に貰った通信では、機織りや陶芸、園芸などを趣味とする人の背後に憑いては、自分の手助けできることをしてみたり、または一緒に考えて自分の芸を磨いたりと、楽しく暮らしているらしい。
『そのうち腕を磨いたら、霊格ではなく実力で指導霊として独り立ちしたいものだ。わっははは……』
一口に修行というが、その目的を選べば大変な回り道になるらしいことを私は学んだ。