‘2005/10’ カテゴリーのアーカイブ

(家族)仲が悪いと……

2005/10/31

05年 10月 31日

 

 シャワーを浴びながら、大阪オフ会の事などを考えていた。それからそれへと思うべき事は多い。思念の流れのちょうどその時に声が聞こえた……

「末の妹に不満が多いらしく」……という相談を思い出したときに、『兄弟仲が悪いと……』と、女性の声が聞こえた。……耳を傾けてみる。

・・・・・・・

 兄弟、姉妹というのは同じ一族・一家の業《カルマ》を分け合う仲です。一人一人それぞれが自分の業を背負っていると思うのは何とも、神界の仕組みを知らぬ事とて陥る過ちです。

 一家の業とは家族・兄弟に共通する欠点のこと。互いに欠点を知り抜いていればこそ、お互いにかばい合うことで難を減らせるというのに、互いに罵りあえば、互いの欠点をよく知る者同士どうにも傷つかずにはいられません。

 では、力を合わせて生きていこう! と思うのに障害となるのは、重荷は背の低い者にのし掛かるという現実です。助け合う者の中で、一番悲観的、そして、一番に不平不満をいう癖の酷い者の所に苦労が集まるのです。……そう、不幸は悲観的な人の元に集まります。

 苦労も苦悩も、そして病も、苦しく、痛いからこそ耐えがたいものです。しかも、痛みがあるから、身体も動かず、頭も働きません。身体が動かず、頭も働かないからなおのこと、痛みから逃れがたく、苦労と苦悩とがさらに重くのし掛かります。

 しかし、痛みというのは、外から来るものではなく、嫌なものがあるとき内からこみ上げてくるものです。つまり、イヤイヤ行う者はより痛みが増し、鈍感な者や脳天気な者には痛みが避けていくかのようです。……共に苦労して不愉快に思うのは、不満の多い人ほど結果として割の悪い現実でしょうが、それは天の不公平ではなく、単なる痛みの仕組みの現れなのです。

 その事は不公平なようですが、公平な仕組みの元に働いています。つまり、誰よりも不幸に敏感な人(つまり悲観的な人)ほど、無意識に不幸を握りしめてしまうというだけのことなのです。……その事は決して一家・一族の業《カルマ》に留まりません。悲観的な人は本当によく他人の不幸まで背負い込みがちなのですから。

 押しつけあっても、手の内をよく知る敵(兄弟・姉妹)が立ちふさがるだけ。大切なのは、自分が不幸を呼ばぬように、隙を作らぬ努力です。

・・・・・・・

 どこの兄弟姉妹の中にも、大抵一人は、一家・一族の重荷の如く思われているかのような人物がいます。何の事はありません。ただ、一家一族の業が重くのし掛かり、それに耐えかねた人に重みが集まってしまうだけのことです。共同作業というのは、一番最初に音を上げた人を犠牲にして動いていきます。

 最後まで強がった者が一番楽なのが共同作業の真の不平等さでしょう。…… 最初から投げ出すというのも他の兄弟が認めてくれるならありですが。

・・・・・・・

 兄弟・姉妹、仲良く助け合って……で、得をするのは、苦労を分かち合おうとする者ばかり。

 悲観的に生きると、割を食うと思う者が、慌てて楽観ぶっても、かえって危険に手を出して失敗してしまうのがオチ。楽観さのもたらす幸運とは、要するに重い荷物は、低いところに負担を掛けるという仕組みの働きなのです。……つまり、自分よりも悲観的な者がいなければ、楽観ぶってもやはり災難は避けられません。


霊感があるから霊がある

2005/10/30

2005年 10月 30日


 天の配剤か、私には過ぎたるものが二つある。心霊と出会う前にちょっと囓った整体の知識と、心霊の師だ。

 本日、久しぶりに整体の先生宅に行ってきた。といって私の具合が悪いわけではない。先生宅のインターフォンと呼び鈴とが二つともにダメになったとのこと。あっさり解決したのだが、それは本題ではない……そして、用事が済めばいつもの如く心霊談義。

 心霊を学ぶ前に整体を学んでとてもよかったと思う。大雑把でいながら相応に有益なだけ身体の仕組みについて把握することが出来たからだ。と同時に、問題に接するに心霊的な視点だけに囚われず、他の視点を持つことでより問題が立体的に見えることも私にとって重要なポイントだ。


 たとえば霊感発現の仕組みだ。

 一般には、霊がいるから……死後にも個性が存続するから……霊感が働くと思われているようだ。だが私は、 霊感があるから霊が認識されると考える。屁理屈に思われるかも知れないが、この差はとても大きい。

 たとえば霊感を持ちながらコントロールできずに苦しんでいる人がいる。昼夜なく飛び込む感覚に心身を非常に消耗するわけだが、その対処として何が出来るだろうか?……もしもラジオが騒がしいのなら、ラジオ(霊感)のスイッチを切ればよい。だが放送局(霊の語りかけ)を止めよというのには無理がある。無理があるのに努力すれば報われることは難しかろう。

 また、感覚に触れるものがあってもその意味が掴めないことも多々あるが、これなども、まず霊感があり、しかし、語りかける霊達がいないと考えると理解がしやすいだろう。ラジオは空電を拾っているだけ、というわけだ。

 こういう発想は、霊がいるから霊感があると考える人には難しいらしい。しかし、この違いが理解できると、他に様々なことも理解が及ぶ。……霊感がズバズバ当たるときがある一方で、まるで感じられなくなる時があるのはなぜか…… 霊がいなくても霊感があり、己の霊感を過信するから霊がいないときにさえも霊を錯覚してしまうのだ。

 さらにこれは自称霊媒が世間一般から受ける誤解の原因も暗示する。この件で私が整体で学んだことは、「運動によって過剰なエネルギーの発散をする人がいる一方で、頭を使うことで過剰エネルギーを発散する人もいる。そういう人の中には、往々霊感を発揮する人がいる」ということだ。……つまり、無駄に頭が働いているのである。それも発散行為として。そして発散行為なのだから自己の内面に止めておく事はとても難しいのである。

 そう、余計なことを考え、余計な事をいう。……しかも、実りある様な余計なことをだ。何と皮肉なことか、実りある余計なこととは! それは大抵の場合、人を不安にさせるような言動として表われる。

 端的にいえば、自分を抑えられない。だからこそ世間から見れば非常識と思われる事をズバズバ言えるのだ。


 もう一歩先に進めて考えてみる。

 霊感を欲しがる人がいる一方で、霊感の持ち主の中にはそれを棄てたがる人がいる。……なぜかくも霊界は不公平なのか? という疑問は、「霊がいるから霊感が働く」という発想が前提となる。もしも私がいうように、「霊感があるから霊を感じる」と発想するなら… …つまり霊界から選ばれて霊媒になるわけではないといえるだろう。……ただ、霊界から選ばれた者のみがその才能を使いこなせるというだけのことだ。

 つまり、霊感を持っているからといって霊達から選ばれたとはいえないのである。選ばれたと呼べる人は、進んで活用した人なのである。


 設問を間違えば答は得られない。答が得られなければ設問を疑ってみることも大切だ。心霊一本槍、霊的視点ばかりに囚われて物事をわざわざ狭く見ることで、自分自身の人間性を狭めるべきではない。

 霊感は道具、道具というのは持つことが素晴らしいのではなく、使いこなすことが素晴らしいことなのである。


忍耐も必要な修行か?

2005/10/27

Q 「忍耐も人生の修行の一つでしょうか?」

 為すことが修行の第一であり、待つことはその一部でしかない。

 為すために必要ならば待つ――それが大切である。目的なき忍耐は問題の先送り、時間の浪費でしかない。一つの事柄に拘り、人生には多くの課題があって、その多くは平行して片付けられる類の問題であることを正しく認識しなければならない。待たねばならぬ事があるなら、それは忍耐の時間ではなく、別な仕事を片付ける時間である。

 (待ち時間に)為さずにいるのは愚かであるし、(待ち時間に) 為すべき事を見いだせぬのはさらに愚かである。さらに、不平は冒涜いい訳(責任転嫁)は甘美な自虐でしかない。…… 人は為すために生れてきたのだ。待つためにではない。

 だが、地上に目を向けるなら、多くの人が待つことの辛さに悲鳴を上げて、他に為すことなど捜すゆとりさえないようだ。だがそれは、冬の中にあって、春に焦れるかのように……時が流れるだけで終る忍耐なのか?

……真の問題は、自らの欲望が実らぬことであろう。実らぬ苦しみを、待つことの苦しみにすり替えているのだ。だが、アワを播いて米が実るのか?

 為すために生れてきたのに、為すべき事を知らず、為す術を知らず、欲に炙られ、時の流れに焦って苦しみもがいている。…… 忍耐は実らぬ欲望の苦しみから人を救わない。

 だが道に迷った者はまず立ち止ってみる事が大切だ。自分の立場を見、自分の選べる道を見、求める未来と今・現在の有様とが一つにつながる道筋を見いだすために。……必要なのは忍耐ではなく、心を止め、自分と向合うことである。

・・・・・・・

 すぎたる欲望は苦しみでしかない。だが多くの場合、欲望が生み出す苦しみは、欲望に見合う行動力さえあれば解消する問題である。つまり、己の不甲斐なさを忍耐の問題にすり替えて、苦しい、苦しいと嘆いている。……嘘つきを救う神・仏がどうして信仰に値しよう? そんな怪しい神仏を拝んで後、宗教に騙されたと泣くのはすなわち己の業である。

 ああ、人は過ぎたる欲に苦しみ、それで足りぬ者は騙されてまた苦しむ。騙されてもなお過ぎたる欲に気がつかぬ者は、本当に騙した者が誰であるのか、本当に自分を苦しめているのが誰であるのかに気がつかず、他者を恨んでなお救われぬ。…… 自分のあり方さえ変えられぬ人が人を変えようとして苦しむのである。その愚かさは一生かかっても治らぬ。来世もまた同じ苦しみをするのか。


2005年 10月 28日

責任の所在を知る

2005/10/27

「責任感が強すぎるのも困りもの」という話題から…… 


Q 「無責任とはいかなくても、脱!過責任はどしたらいいのぉ~?」

 一つ実例を見せることが出来る。私はあなたの人生に責任を負わない。あなたがどう生きるか、(あなたの)人生にどう対処すべきかは、あなたの考えることであり、私の考えることではない。

 人が為すべき事は、人生で出会う一つ一つの事柄に、まず、心を止め(無駄な考えを働かせず)、真心を持って認識し、淡々と心・体を動かすことである。すると物事は自然に動いていくものだ。(……だからこそ「あなたの問題である」という前提が生きてくる)

 物事が自然に流れていかぬとしたら、そこには過ちか、無理、無駄がある。それを改めなければ無駄と犠牲が増えるばかりだ。…… 行き詰れば、立ち止って考え、方法を改めるべきである。

「過責任」などは一つの結果にすぎない。……問題は「強引な生き方」にある。傷つくように生きて、そして傷つく。…… 因縁果の働きとおりである。ならば対応策も因縁果の働きに従えばよい。結果を改めたければまず原因からただしていくことだ。

・・・・・・・

 他のために一生懸命に働いて他者を幸せにしても、自分のために働かなければ自分は幸せにならない。

 これだけ働いたのだから自分も幸せにしてもらえるだろうなどという交換条件で考えるなら……考えるべきだ。

 雇われ店員の給与は、売上げと比べるとあまりに僅かであることを。

 他者の為に働いて得られるのは福徳ではなく功徳である。つまり、得た経験こそが報酬と考えなければならない。

・・・・・・

 いや、おそらくあてにしている自覚はないのだろう。だが、無意識に行動していると分析すべきだ。…… 人の分の苦労を背負い込むことで、自分の業が軽くなることを祈っている。と。

 背伸びをすれば危うい。……ではなぜ背伸びをするのか? 心が危ういからである。


2005年 10月 27日

自分を見下す

2005/10/23

自分を見下す

2005年 10月 23日

 

Q 『自分を見下している自分と葛藤しています。それをどう受け止めたらよいでしょうか』

心を止めよ――葛藤とは自らと争うことである。努力すれば努力するほど葛藤は高まる。解決の努力を休むことなく解決策は見えず、心を静め、休めぬ限り解決はない。

 自らと争う事ほど無駄なことがあろうか。そして自らを信じぬ事も何たる無駄であろうか。己自身がこんな無駄をしていながら人に助けを求める。……智慧ある人ならそれが実に不毛なことに気がつくはず。

 相談者は、精神修養の大切さに気がつきながら、かたちばかり正しくあろうとして、心を静め、とどめる努力をなおざりにしている。姿形ではなく、かたちの見えぬ心の修行こそが大切なのに、人に教えを請う限り、姿形を整えることに夢中になって、遙かに修行から遠ざかってしまう。

 真の道から外れた努力であるから、努力しても筋肉の力、脳力の力しか出てこない。内心から湧き上がる友愛の念と縁がない。だから、皮肉で、冷酷で、下品なインスピレーションばかりが耳に残る。

 他の誰が認めようとも、自分自身が己を認めていない生き方。それを続けることの何たる孤独なことか。心を止めよ、誘惑があろうとも、また、自責の念、羞恥の念に焙られようとも、心を止めよ。最後に残るのはかけがえのない自分の心であり、自分が進むべき道だ。

 たった一つが残るまで心を止めよ。迷えるままに動き続ければますます深い迷いに捕まるだろう。

・・・・・・・

Q 「だいぶ間隔は長くなりましたが、この方からは何度も同じような質問が来ます」

 つまり、自分を信じていない。悲観を信じて、希望を信じず、希望を信じさせようと自分を騙し続けている。騙すのに疲れれば身体を動かし本当の問題から逃げ続けている。また、依存心と信仰心を混同しているので、なかなか自らを救うチャンスに出会えない。

 正しく自分を信じなければ、正しい人を信じることも出来ない。正しい人を信じてみても、理解を誤って自らを騙す。同じような回答を出し続けても、同じような質問を繰り返すのは、つまりそういうことだ。

 見よ、仏教は正しき教えであるが、いかに多くの者等がそれを誤って用いたことか。それは世界のいかなる宗教にも当て嵌まることだ。

 いくら人に学ぶ姿勢があろうとも、正しく理解できなければ人は迷い続ける。

Q 「浮き世暮らしと修行との両立はやはり難しいのでしょうか。」

 こうもいえるだろう。正規品よりも、代用品に手を出す人があまりに多いと。正規の品は得難く見えても本物であるが、代用品は代表品でしかない。

 自分の可能性を広げるための努力は良し。だが、芯がなければならぬ。――それを「筋が通らぬ」という。筋の通らぬ事を延々と続けて、実りの無さに嘆息しても誰も救うことは出来ぬ。

「忙しいから」を言い訳にして手を抜き、手を抜くから無駄仕事となるのだ。これは、在家・出家に関わらぬ、本人の資質の問題だ。 …… 同じ質問を繰り返す者達は、つまり筋が通っておらぬ。筋を通さずに結果だけ求める姿勢はあまり美しくもない。

 だが、人生の何がそんなに忙しいのか? 好むものにはいくらでも熱中できるのに。そう、熱心な努力家ほど、自らを救えずに苦悩する図がそこにある。

 ……間違った人生観が棄てられぬから本道に徹することが出来ない。間違った人生観に照らし合わせるから、真理の筋が飲み込めない。今の苦から逃れる努力ばかりで、苦の源泉を断たぬからいつまでもジクジクと苦しみ続けるのだ。

 つまり、過去の自分を救わずにいるから、未来の自分も救えぬのだ。……今だけを見ているものが陥る苦境である。


墓を移すに当って

2005/10/23

05年 10月 22日

 

 墓の移動について相談を受けた。質問は二点。

 1,田舎にある父の墓から、分骨して自宅の近辺にも墓を建てたい。親戚と縁も大切だが、家族との絆も大切に思うから。

「一人の男性が前に立たれて『家族のそばにいたい』と聞こえます。分骨その他については、『任せる』とのことです。」

 分りにくいと思うので解説します。死者から見れば墓地の位置は重要になりません。思いに距離は関係がないからです。しかし、残された家族にとって墓地の位置は大切です。多くの人は、墓地の前に立って初めて、亡くなられた方と対面する心の準備が出来るからです。

 分骨については、故人に雑念が増えるからあまり好ましくないといいますが、この場合は故郷と実家と二カ所で仏事を行う便宜ということで故人が煩わされることもないでしょう。分骨で一番いけないのは、たとえば一緒に仏事を行わず兄弟で分骨してそれぞれに仏事を行うような場合です。

……いずれにせよ、墓地建立に際して家族の意見が合わないときは、墓相の悪い墓を選びがちです。俗に、墓相が悪いと悪いことが怒るといいますが、私は逆が正しいと思います。つまり心掛けがまず墓相(や家相)に出て、その心掛けの悪さが悪事を招くのです。

 

 2,計画中に家族の要望でお墓がどんどん豪華になり負担が大きくて悩んでいます。

『お墓に凝るとあの世で貧しくなる』といいます。殺された人ならいざ知らず、亡くなった人が自分のお墓にあらぬ要求をすれば修行が足りぬと叱られてしまいます。

 では、お墓の格についての考え方ですが、心霊でも元来、慈善は隠れてやれといいますし、仏教にも「追善供養」という考え方があります。つまり、故人はこの世でもう慈善が出来ないわけですが、遺族が代わりに良いことをすることで死者が救われるという考え方です。

 お墓は、遺族が揃ってお参りに行くのに充分なだけの規模で良く、さらにお金を掛ける気があるなら、故人名義で寄付等する方がよほど良いでしょう。

 いえ、故人名義の寄付がないからあの世で故人が肩身の狭い思いをしていると考えても構いません。

 

 3,その他

 縁起物や墓地、墓石、仏壇などは値引きを縁起悪いと嫌いがちで、利幅が大きな商品でもあります。しかも、その効能(?)は気分的なものですから、色々と話題を盛り上げて無駄に高い買い物になりがちです。

 金や物であの世の関心を引こうとしても、関心を持ってくれるのは悪霊低級霊だけです。


我慢から生じるストレスの扱い方

2005/10/21

我慢から生じるストレスの扱い方

2005年 10月 21日

Q 「中耳炎に罹り、治療を受けているのですがちっとも治りません。薬が合わないのでしょうか?」

……ストレスがひどくて治りが遅いようです。

Q 「確かに色々、問題は抱えていますが今のところは出来ることもなく静観するようにしています。」

……確かに、頭を切り換えようと努力しているのでしょう。しかし、あなたは、人に会話を遮られると、声が大きくなる人ですよね。つまり、こらえ・我慢するのにとても強いストレスを感じる人でしょう。

Q 「ではどうすればいいのでしょうか?」

……さあ? 面白いテーマなので廬氏に助言を求めてみましょう。

・・・・・・・

Q 「我慢から生じるストレスの扱い方」

 最初にいう。――治療の助けには成りがたい。相談者は職場で、気むずかしい、扱いが難しい人物と見なされている。むろん周囲の誤解や、一人に多くを背負わせる事への罪悪感もあろう。

 いずれにせよ、そこに想念の澱みが生じて気の巡りに悪影響を及ぼしている。実際、(想念の)影響を受けやすい(社内)人々は、詰らぬ慢性病の形で表われているだろう。仕事の忙しいときほど具合が悪くなる。つまりそういうことである。

 二つ目にいう。これは今後の修行の在り方である。

 まず、人は魂の器である。したがって、魂がより快適に働ける在り方こそが、人が目指すべき生活態度である。

 さて、この世は、そして、我が身さえも、一個の魂がままなるものではない。多くの魂、多くの意志がせめぎ合った結果が表われているのであって、ではその結果が誰の意志かというと判然としない。一部には我の意志が働き、他者の意志も反映されている。それが意志と結果の関連である。

 すると結果とは自分一人が思い詰めることで実現することではないし、して良いことでもない。確かに、自分の意のままになれば面白くもあるだろうが、誰かがワガママをすれば他が憤り、ムキになって改めようとするのも摂理の内である。…… 勝てば恨まれるのである。正しくとも勝てば恨まれるのである。

 これは一重に人の意志ばかりに当て嵌まることではない。人一人と思ってみても、実は、自分は多くの意志を背負っていたりする。守護霊・祖霊・背後霊といった霊的環境もあるが、観念的にいえば、親兄弟、配偶者や子供等の意志を担っていることもあるだろう。…… なかなか勝手は言えぬ。勝手を言うとあちらこちらに障害が表われるものである。

 そう、事を為す……為すというのは自分の責務のようでいて、実は違う。自分はただの焦点、多くの意志の焦点に過ぎないのである。それ故に多くの人に望まれてやったことが、また多くの人から反対・非難を受けることにも繋がる。

あなたは責任感が強い……だが、誰が本当に責任を持つべきなのか?

 自分は生かされている。生かされてこの仕事をしている。……もしもあなたが過ちを犯したとしたら、それは、あなたを生かし続けてきた者にも責任の一端はあるだろう。

 そう、あなたは自分の責務に対して信念を持っている。だが、その信念は果たして正しいものなのか?  真に「責任を持つべき者」それが見えないが為にあなたは信念で自分に責任を課しているのではないか? 責任感の強さから人の分まで、また、神仏の分まで責任を取ろうとしてはいないか?……「過ぎたるは及ばざるがごとし」、摂理に反してまで責任を取ろうとすれば、その無理のすべてがあなたのものとなるのは自然なことだ。

 あなたは罪を犯していない神仏の分まで責任を取ろうとしているのである。病気などで済むなら、何と摂理は寛大な事であろう? きっと、そんなあなたをかばっている者がいるに違いない。

・・・・・・・

 設問を間違えば、正しい答は得られぬ。ストレスの解消法が必要なのではない。無用なストレスを受けぬ方法が必要なのである。

 その上で考えるなら、責任感が強いが故に、あなたは、自分の思いのままに行おうとする。人の考えでは責任がとれぬからだ。

 だが、あなたの責任に関する信念は果たして正しいのか? そもそも責任の所在は信念で決めるべきものか? 違う。責任者を決めるべきはその仕事の流れである。

 あなたは自分の不運を不満に思っていよう。だが、あなたの責任感の強さは、罰当たり(悪業)的ですらある。にも関わらず、その程度の障害で済んでいることは私が見るに、よほど庇われているのだろうということだ。


八つ当たりでもするか?

2005年 10月 21日

 

 友人等との会話の中で、我慢から生じるストレスの扱い方についての話題が出た。車での移動中でメモをとれる環境ではなかったので後ほど霊査を取ると約束して話題を変えたのだが、その間、「藁人形でも作って八つ当たりしたらどう?」等という罰当たり的な発言もあった。当然の如く、私の霊耳に『品のない!』と、非難が飛び込んできたのだが、その時、ふっと、廬氏が微笑むのを感じた。

「皆は品がないというだろうけれど、廬氏ならきっと違う答が返ってくるよね。」と私は話した。……で、尋ねてみた。

 ただし念のために明記したい。ここで大切なのは廬氏の意見ではなく、廬氏のスタンスだ。下品な質問を下品だからしてはいけないといわない。疑問には真剣に応えようとする姿勢があるのだ。

・・・・・・・

 恨むなといわれて恨まずに済むなら容易い。だが人は恨みと無縁には生きられぬ。だからといって恨むことが良いとはいわぬ。何よりも大切なことは、恨みは相手よりも自分を傷つけることを知ることだ。

 技能は言葉で伝授出来ぬ――技能は言葉で伝授が出来ぬ。作ろうと思うものの試行錯誤が不可欠である。だが、いずれにせよ試して自分の胸が痛まぬとしたら、それは出来損ないの呪具である。なぜなら、人間関係において非のないものなど無く、どちらにも相応に非のあるものを、一方にのみ責任が及ぶ呪具があるとしたらそこにあるのは正義でなくてただのワガママだ。

 さて、ワガママをいうものは人を困らせるだけでなく、自分も困った立場に追いやるものだ。従って、呪具に効果がなくても、自分の非を忘れて相手ばかりを恨んでいれば、自分に禍が及ぶであろう。自分に禍が及ばぬのであれば、その恨みは非力なものであるのだろう。

 非力な恨みの持ち主が一体何が出来るのだろうか? 不平不満をいうことで、自分の未来を浪費するだけのことだ。

 恨みは何よりも自分を傷つける。その様な呪具が何の役に立つのか? 誰の役に立つのか?

 恨みに思うことがあれば、まず必要なのは呪具ではない。その恨みを手放すことである。そうすれば己は悪業を生まずに済む。また、人の悪業に流されずに済む。……わざわざ恨むのは、相手の悪業を肩代わりするようなものである。あなたが受け取らなければその悪業のすべては相手の元に返るのに。

 だが、その悪業を当てられても受け止めずにいるのは難しい。それは理性よりも反射の働きによるものだから。悪業の帰し方を言葉で伝授する事は出来ぬ。試行錯誤が不可欠である。

 呪具の作り方など教えようもないが、呪具などが必要とは私には思えぬ。…… 摂理があれば充分の筈だ。あとは試し、慣れることだ。


霊査事例: 2005年10月19日 (ML)

2005/10/19

 以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての代表的な霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。  以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。


事例1

  •  下腹部の調子が悪いみたい。アルカリ食品が足りないのかも。私は最近、湯飲みに梅干し数個を沈めて、それにお茶を注いで飲んでいます。
  •  精神的な面では、頭に血が上っている感じに見えます。怒っているというのではなく、頭を使いすぎているのでしょう。でもそれは同時に怒りやすくなっていることも暗示します。実際、頭に血が上っているというのは良くできた比喩なのです。
  •  おおらかに……というより、いくつかは気にする必要もないと思います。出来ることから片付けていきましょう。

事例2

  •  お父様が心配そうにしているように見えます。……曖昧ないい方ですが、つまり、強く心配しているわけではありません…… あなたに対して、というよりもお母様に対してでしょう。大切なのはこの受け止め方です。運命を受け止めるということではなく、心配をしてくれる家族の情をいかに受け止めるかということです。
  •  情というのは複雑なものです。たとえば自分が不幸になると、親が自分を心配しているのではないかと心配し、親が子を見るとき、心配掛けていると思い煩っているのではないかと心配します。まるで合わせ鏡のようにお互いへの心配が心配を呼んで複雑になってしまう。
  •  だから、心配の念を受けたら……ありがとう。心がいつも傍にあることを共に喜びます。と、心配で応える代わりに、感謝の祈りで応えてください。
  •  寒さに、そして寂しさに嘆けば、それは不幸です。でも、寒いからこそ、寂しいからこそ感じ取れるぬくもりに気がつくなら、それは幸福の代償なのです。

 

事例3

  •  持つべきものは友……でも、面倒なのも友。あなたが気を遣うほどには誰もあなたに気を遣いません。
  •  心に波風を立てぬように……自分の波の波動と、相手の波とがうまくあえば良し、反発しあえば大げんかになりますから。

 

事例4

  •  今のあなたは落ち着き、歓びの中にあると感じます。……でも妬み・恨みの影も見えます。あなたが悪いというのではなく逆恨みですが、面倒ですね。……朝晩、背後に手を合わせて、大難は小難、小難は無事にと祈りましょう。
  •  お嬢さんは成績が上がったのかな? 誇らしそうな姿が見えました。

 

事例5

  •  ちょっとお二人が私から遠ざかっているのを感じます。別に気持ちが離れたというのではなく、何やら別なものに関心が向いているという感じ。霊査が取りにくいのですが、楽しそうにしていらっしゃるのが何よりです。
  •  精神統一をするヒマがないのかな?
  • 「頭上注意」と聞こえました。箱に入れたまま、積み上げて忘れているものに風を通しなさいと聞こえます。「もったいないよ」とのこと。

 

事例6

  •  恰幅の良い、判断力の優れた雰囲気の方と真剣に話し込んでいる姿が見えました。仕事の事で良き相談相手があるということでしょう。難しい仕事を抱えているようですが、行き詰まりではありませんね。
  •  寝起きが悪くありませんか。あなたも頭がのぼせている感じで、寝てると布団を蹴飛ばして起きたとき冷え込んでいるのではありませんか。入浴中に水で濡らしたタオルで眼を冷やしたりすると、体調が戻ります。

霊査事例: 2005年10月19日 (ML)

2005/10/19

以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての代表的な霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。  以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。


事例1

  •  下腹部の調子が悪いみたい。アルカリ食品が足りないのかも。私は最近、湯飲みに梅干し数個を沈めて、それにお茶を注いで飲んでいます。
  •  精神的な面では、頭に血が上っている感じに見えます。怒っているというのではなく、頭を使いすぎているのでしょう。でもそれは同時に怒りやすくなっていることも暗示します。実際、頭に血が上っているというのは良くできた比喩なのです。
  •  おおらかに……というより、いくつかは気にする必要もないと思います。出来ることから片付けていきましょう。

 

事例2

  •  お父様が心配そうにしているように見えます。……曖昧ないい方ですが、つまり、強く心配しているわけではありません…… あなたに対して、というよりもお母様に対してでしょう。大切なのはこの受け止め方です。運命を受け止めるということではなく、心配をしてくれる家族の情をいかに受け止めるかということです。
  •  情というのは複雑なものです。たとえば自分が不幸になると、親が自分を心配しているのではないかと心配し、親が子を見るとき、心配掛けていると思い煩っているのではないかと心配します。まるで合わせ鏡のようにお互いへの心配が心配を呼んで複雑になってしまう。
  •  だから、心配の念を受けたら……ありがとう。心がいつも傍にあることを共に喜びます。と、心配で応える代わりに、感謝の祈りで応えてください。
  •  寒さに、そして寂しさに嘆けば、それは不幸です。でも、寒いからこそ、寂しいからこそ感じ取れるぬくもりに気がつくなら、それは幸福の代償なのです。

事例3

  •  持つべきものは友……でも、面倒なのも友。あなたが気を遣うほどには誰もあなたに気を遣いません。
  •  心に波風を立てぬように……自分の波の波動と、相手の波とがうまくあえば良し、反発しあえば大げんかになりますから。

事例4

  •  今のあなたは落ち着き、歓びの中にあると感じます。……でも妬み・恨みの影も見えます。あなたが悪いというのではなく逆恨みですが、面倒ですね。……朝晩、背後に手を合わせて、大難は小難、小難は無事にと祈りましょう。
  •  お嬢さんは成績が上がったのかな? 誇らしそうな姿が見えました。

事例5

  •  ちょっとお二人が私から遠ざかっているのを感じます。別に気持ちが離れたというのではなく、何やら別なものに関心が向いているという感じ。霊査が取りにくいのですが、楽しそうにしていらっしゃるのが何よりです。
  •  精神統一をするヒマがないのかな?
  • 「頭上注意」と聞こえました。箱に入れたまま、積み上げて忘れているものに風を通しなさいと聞こえます。「もったいないよ」とのこと。

事例6

  •  恰幅の良い、判断力の優れた雰囲気の方と真剣に話し込んでいる姿が見えました。仕事の事で良き相談相手があるということでしょう。難しい仕事を抱えているようですが、行き詰まりではありませんね。
  •  寝起きが悪くありませんか。あなたも頭がのぼせている感じで、寝てると布団を蹴飛ばして起きたとき冷え込んでいるのではありませんか。入浴中に水で濡らしたタオルで眼を冷やしたりすると、体調が戻ります。

精神の修行

2005/10/17

2005年 10月 16日


 精神統一行の実態は、その背後にいかなる霊がつくかによって進行の度合いが異なります。また、個人的に精神統一を行うなら、個人の背後霊のみの指導となりますが、一方、集団で精神統一を行い、そしてそれぞれの背後霊の間に調和がとれるなら、霊達の指導は相乗効果によって実に強力になります。

 従って、精神統一会に出ると個人的な精神統一とその気持ちよさが違うと、参加者は言います。

 むろん……初心者は馴染むまでに時間が掛りますし、シャイな人はさらに馴染むのに時間が掛ります。反対に、周囲に打ち解けやすい人ほど精神統一の善さを体感しやすいという違いがあります。

 で、シャイで短気なら……体感するチャンスを自ら逃すかも知れません。

 というわけで、最近しみじみ思索するのが、精神統一の修行をする前に、忍耐を覚えるべき人が多いのかも知れない、忍耐をどう教えるかが大切なのかも知れないという、私の個人的テーマです。


お知らせBy老神いさお。

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