妬むな?
2005/09/262005年 09月 26日
人生を霊性向上の修行の場と考える心霊思想の支持者にとって、他者の進歩向上の障害にとなる「妬み」は、大きな罪悪と見なされます。
ところで他人の悪感情に敏感な人も、なかなか自分の内に生じる悪感情には気がつきません。気がつかぬというより、流されていると表現すべきでしょうか。色々と批判がうるさいからと「それって妬みじゃない?」等とやんわりと指摘すると、中には必死に理論立てて、「これは論理的な帰結であって……」等と自己弁護をはじめてしまう。――とてもナンセンスです。
論理的な帰結であろうが無かろうが、そもそも他者の進歩向上の障害になることが害なのです。他者を思いやるなら、批判ではなく是正案を提示すべきであって、それが出来ないならば他人の足を引くだけの罪悪を為しているのに代わりはありません。
この辺は、オーラ視能力者には、色彩に黒みが掛ることで察知できたり、他者の感情に敏感な人から見れば、ある種の痛みを感じることで一発で判定が可能です。もっともそれを客観的に証明することは難しく、直覚の優れた人には明らかであるのに、それを証明するために議論になってしまうという堂々巡りは、人類の霊性改革が必要とされる所以です。……つまり現状では、心霊思想は、不毛な議論の題材でしかないといえます。
ところで、他者の自慢話に付合わされてウンザリした……という経験はありますまいか? 『妬んではいけないのだから……』と、自分を抑えてわざわざ自慢話を耐えつつ聞いている人が世の中には案外多いと見受けますが、残念、私が知る限り、他人の自慢話に付合って、何らかの功徳を得たという霊界通信を知りません。
私の職場にも、自慢話が大好きな人がいて何かとうるさくしています。ところでことわざに「能ある鷹は爪を隠す」とあるように、自分の持ち札を自慢していたら、ポーカーでも、ババ抜きでも勝利はおぼつきません。黙っていれば、もっとすごいものを隠しているのでは、と思わしめるかも知れませんが、これほど自慢話が好きならば、おそらく持っている財物すべてをさらけ出していることは明白です。また評価基準といえば、性能、金額、知名度……でも最後には自分の好き嫌い。その滑稽さが見えますか? 他人がもっと良い物を持っていたら、「いやそれは私は好きじゃない」……つまり他人のワガママに付合わされているだけのことです。
更にいえば、自慢話の対象となるのは、物欲、名誉欲、食欲、性欲といった、犬でも持っているようなものばかり……ならば、犬の相手でもしている方がまだ楽しい。
他人の自慢話を聴きながら、自分の妬み心を抑えようとなさる方々。――そもそも、人も動物。生きている以上、競争心の働きが無ければ、むしろ病気と考えるべきです。そして、外部から刺激があれば、内部に反応が生じるのは当たり前のこと……それをして「精神修養が足らない」と思うのも結構ですが、他人のワガママに付合わされている滑稽さも思い出すべきです。
自慢話を聞くのも無駄、自慢話に妬むのも無駄、心に湧き上がる競争心を抑えるのも無駄、といって、自慢話に本気で相手をするのもなお無駄。無駄なんです。――その無駄を省けない理由は、誰に指摘されるまでもないでしょう。相手は、浮き世のしがらみを頼って、ワガママを押し通しているのです。
浮き世の付き合いなのだから……浮き世の付き合いとして受け止めるべきです。上手に付き合いが出来るならば、それも功徳。でも、我慢そのものには何の価値もありません。