好かれる工夫
2005/09/16私信を受けた。私信といっても内容は一般的で、また、一般向けに語らんとする意図もあるとのことなので転載する。
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『誰かに好かれたいと思うとき、人は自分を「魅力的」であるように努力いたします。でも、その努力は往々、行過ぎて反感を持たれたり、下手な芝居が滑稽に見えたり、どうも意図とは反対の結果をもたらします。
自分の真価に自信があるなら、ことさら自分を装う必要はありません。化粧や服装に気を遣《つか》うのは、文化であり、礼儀であるとしても、分相応を心がければ、努力が裏切られることはありません。たとえ笑われたとしてもそれが真実の自分であるなら、笑う相手が大人げないだけのこと。
自分に自信が無く、劣等感を隠そうとするから無理をして、その無理があざけりを呼んでしまうのです。好かれる努力を評価してくれる人もいるでしょうが、無理に自分を作ることを、嘘臭く思い、その嘘臭さを不誠実と受取る人もいるでしょう。
相手に好かれようとして、むしろ嫌われる。そういうことが度重《たびかさ》なるなら、好かれるために必要なことを考え直す必要があります。
そもそも人は好かれるとうれしく、頼られるとまたうれしく、礼を言われるとなお、うれしいものです。だからこそ、好かれようとし、頼られようとし、礼を言われるように努力しがちです。一方では、誰かに嫌《きら》われることを嫌がり、必要とされないことを恐れ、礼を失する人を不快に感じます。
容姿や才能的な魅力などというのは二の次、人が心の根底で好むのは、共に過して喜びを感じる相手なのです。
ですから人から好かれたければ、まず人を好き、頼って見せて、礼を言うように心がけることです。嫌うことを慎み、人を大切にし、無礼を避けることです。……このような小さな努力こそが、高価な化粧品や洋服、アクセサー類よりも遙かにあなたを魅力的な人とすることでしょう。
欲以外に物事が見えぬ人は、高価な装いを好むかもしれません。でも、経費で人を計るような人が、誰を幸せに出来るのでしょう?』
2005-09-16