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忍耐が身に付かない

2005/09/08

2005年 09月 08日


 人生には、忍耐を必要とする場面がたくさんあります。―― 耐えることばかりが良いとは申しません。別な手段があるのなら、座して待つより立ち上がって行動すべきでしょう。しかし、子供や後進の指導、または、老人の世話や、病人の看病などには、道具や工夫の余地があっても、忍耐を必要とします。そして、人々は耐えて、耐えて、今生きているはずなのです。そうして数多くの忍耐を乗り越えてきたのだから、我慢が上手になっても良さそうなのに、下手な人はいつまでも忍耐力が身に付きません。

 そもそも、何事も学ぶためには、集中することが大切ですし、出来ることならば楽しむことも有益です。でも、人は忍耐を嫌い、早く終わらぬかな、と思い、「人生は忍耐を必要とする」等という一般則をすっかり忘れたまま、ただその時の状況を、散漫にかつ、イヤイヤ耐え続けているのであれば、忍耐が上手になろう筈もありません。

 動きの前に、止ることを学ぶべきだ……というのは、突然言われればびっくりもいたしますが、心霊主義者は精神統一を修行の一つとし、心の働きを止める練習をいたします。……にも関わらず、耐えることに不平不満を抱いたとしたら……「今まで、何を学んでいたのか」、と叱かれてしまいそうですね。


2005年 09月 10日

参照: 「横浜オフ会 9月10日

一本のメールが切っ掛けになり、「忍耐が身に付かない」をまとめ、その当事者への霊査が「横浜オフ会 9月10日」にあります。問題提起のままで終わらせるのに忍びず、ここに転載いたします。

・・・・・・・

・『忍耐とは自分の成長を楽しむのではなく、相手の成長を楽しむことです。自分の心を動かすから相手(の内面)が見えず、相手が見えないから歓びが見いだせずに、耐え難くなるのです……本当は分っているのにね』……本当はやりたいことがあり、自分の為に時間を使いたいのに、誰かのために時間を費やさなければいけない。やりたいことが気になるから、他のことに身が入らない。身が入らないから、相手にも喜ばれず、自分も歓びを見いだせずにいるのです。……どう忍耐するか。忍耐の方法をしっかりと研究なさってください。


お手配

2005/09/08

2005年 09月 08日


何で抱え込んでしまうのだろう?」 ……について、「自分に思い当たるところがある。(同じものが)三本も掲載されているのは、守護霊から良く読め、とのメッセージなのだろうと思う」という内容のメールを頂いた。……私はそれを、否定も肯定もできない。

 楽屋裏をちょっと明かすと、昨日は都合で帰宅が遅くなり、しかも、帰宅後、映画(ポストマン)を見ていて更新が遅れ、サーバーが混雑していたのか、アップロードエラーが何度か出ても無視して更新したものが、私がPCの電源を切った後に復帰したものらしい。つまり三本掲載されたのは事故である。もっとも、夜遅くなったのにも関わらず、寝る前に更新をやっつけようとしたのは、やはり背後達からの強い勧めがあってのこともある。

 だから、三本載っているから重要なのだ、というのは肯定できないけれど、アクシデントを乗り越えても更新した、という点では重要さを肯定できる。……もっともそれは、私の立場からの見解であり、むろん、管理人としての私の立場を反映すれば、一つを除いてすみやかに削除することとなる。……若干遅れたのは、単にデーターベース管理上の都合から、単純削除よりも上書きすることを選んだだけのことだ。


 心霊思想に関心を持つ人ならば、大抵、自分自身に宛てた個人的な霊的メッセージを欲しがるのが普通だ。中には、過去の霊訓だけで充分であるなどと極論もあるようだが、その発想の大人げなさに危険な物を感じる。そもそも会話・交信というのは、自分一人の都合や要求だけで成立するものではない。こちらに用事が無くても先方に用事があるかも知れない。こちらは必要としなくても、相手が迷惑を受けて抗議しているのかも知れない。まして、こちらに用事があっても、相手は迷惑に思って拒絶されるかも知れないのである。自分の立場で不要というのは、傲慢としか思えない。

 また傲慢に生きている人でも、困れば神頼みをする事もある…… プライドが邪魔をして人に頼むよりも神に頼む方を選ぶ人も案外心霊家には多い……だが、困ったときだけの神頼みというのは、ビギナーズラックに自惚れて、後に身を滅ぼすことを良く眼にする。普段からの付き合いを大切にしない人が往々陥る過ちである。その意味において、心霊を学ぶ人は、やはり私的なメッセージを欲しがるぐらいが健全で順当であると思える。むろん、依存するのは極端だ。

 というわけで、当サイトの文章を自分宛のメッセージと受け止めるという動機は、決して不健全なものではない。ただ、「惜しい」と思えることがある。

 やはり、テレビやマンガの影響が強いのか、霊的メッセージというのはちゃんと霊視できたり、霊聴できるものという偏見が多いのでは無かろうか? だが、メッセージを伝えるのには、必ずしも映像、音声を必要としない。

 たとえば、何かを指させば、それで意味が通じることもある。……「その指が見えないのだ!」と思うなかれ。あなたの視線がそこに釘づけられたのならば、それは、霊達が指さしているのかも知れないのだ。

「これは自分のことを言っているのだ!」と思えたなら、それは、必要な箇所を示されたのとどう違うだろう? つまり自ら気がついたのか、自分を守護するものが手伝ってくれたのか、という違いでしかない。……やれやれ、手を引いて貰うだけで足りず、抱っこしてもらいたいと言うつもりだろうか?

 たしかに、霊魂の実在証明や、第三者への主義・思想を変えさせるためには、その確たる証拠が必要かも知れない。だがそれは素人が手を出すにはあまりに危険だ。たとえば、心霊図書館で更新を重ねている浅野和三郎著「出廬」を読んでみて欲しい、浅野氏の失敗談に触れることが出来るだろう。


 変に難しく考えるよりも、自分が必要とするべきものと出会えたことを素直に喜ぶべきではないだろうか。

 心霊を学んで、ささやかな幸運に出会い、それを背後霊達からの「お手配」と素直に喜ぶ。私たちの仲間内では当たり前のことだ。


何で抱え込んでしまうのだろう?

2005/09/08

 何でもかんでも抱え込む癖のある友人からの「何でこうなったんだろう?」という愚痴混じりの問いかけに、思わず霊感のスイッチが入った。守護霊とおぼしき女性の霊が何かを語り出そうとしたその時、わきから武家の気配のある力強く、鋭い声で……

『(子供の頃に)優しいことを褒めるからだ!

と聞えた。念のために注記するが、霊界通信のおもしろいところは、意念の伝達故に、言葉以外のニュアンスを含んでいることだ。言葉として伝わるのは「優しいことを褒めるからだ」だけであるが、子供の光景が見えることで、ああ、子供の教育に、「優しさ」を伸すことを問題視しているのだな、と見える。とにかくこの表現方法で先を聞いてみることにする。

『強さの伴わぬ優しさなど役には立たぬ。重要な仕事を先に片付けなければ愚図と呼ばれ、仕事を選ばなければ忙しさに苦しむ。すべての動作は、正しく静止できることから始る。止ることの大切さを知らぬものは、いかなる動作もまとまり悪く、だらしなくなるもの。何でもかんでも抱え込み、優しくあろうとして無責任に陥りがちなのは、優しさと思えて、実はだらしないのである。』

『いらぬものは捨て、今使わぬものは仕舞い、使うものは整頓し、もって片付けという。これは家内や、道具や、対人関係だけに限らず、心のありようにも当てはまる。故に、「家の片付かぬのは、心がだらしなきが故」と言われる。』

『そもそも、わきまえ(本来はかなり露骨な侮蔑語)の無い者は、動くことを良しとする。自分の都合よく動く者をさらに良しと見なす。だが、動いて見苦しきは躾の至らなさである。ましてや、戦場の駆引きをはじめとして、家内の治《おさめ》や、人とのつきあいなども、往々、害は敵よりも、身内の余計な手出しがもたらすもの。動かざることを躾《しつけ》ずに、動くことばかり躾《しつけ》るから、いざとなると足手まといにもなる。故に動くことを褒めるは、動かざることを褒めるの次とすべきである。天災の中でも被害の多くは人災から生じる。動かざるべき時に動かぬ事はとても大切な心得である。』

『あわてぬ事を褒め、出来ぬ事に手を出さぬ事を褒め、分を守ることを褒め、集中する様を褒め、心鎮めている様を褒めて、動かぬ事を第一の美徳として子を育てるべきである。なるほど子供は元気な方がよろしい。だが、静かにすべき時に出来ぬ子供は、古来から餓鬼と呼ばれ、品無きと言われる。どれほど才があろうとも品無き子は大成しない。』

『優しくともだらしのない子は、ものの役に立たぬ。見よ、現代は、(いらいらと生きる)神経質な片付け狂いか、(だらだらと暮す)だらしのない者ばかりが多くて、智慧ある片付けの出来る者がいない。だらしのないのも品がないが、せかせかと忙しいのも品がない。つまり世に品がないのである。』

・・・・・・・

……女性の霊がボツリとこぼす。

『手間のかかる親を持つと、子もだらしなくなるのでしょうね。まさか、親は片付けられませんから。親も自分が片付けられないように、子の優しさばかり褒めて、子の毅然としたところを嫌うものです。親を捨てる子は多いですから。』

・・・・・・・

 別に、親が意図的にだらしない子を育てているのではないだろう。ただ、いつか棄てられることを恐れて子供に優しさを強いるのか。

 そして子供達は、高すぎる理想に押しつぶされて、何も出来なくなる。……それを誰が危惧しただろう?

 優しくあることに耐えかねて、優しさを忘れる子供がいる。

 人の為すことの何と未熟なことだろう?


2005-09-08

 

お知らせBy老神いさお。

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