それって大切にしているの?
2005/09/052005年 09月 05日
自分の生命の価値を知らぬ人があまりに多いと思う。
口元は不平不満の愚痴まみれ、会話をすれば言い訳ばかりで取るに足りる話はない。部屋は散らかり放題でゴミもそのまま、しかもはみ出して周囲とトラブルを生じる。「今の仕事に誇りを持つ」と言いながら、夜更かし、夜遊びで体調不良、そして仕事に差し支える。
全然大切にしていない。――自分自身も周囲の人々も、自分を生かしている家族や仕事も疎かに扱っている。
宝物なら、その台や入れ物だって大切にするだろう。が、自分を大切に扱っていない。周囲にチヤホヤされると喜んでホイホイ言いなりになるけれど、本当に自分が大切であれば、まずは自分が大切にするべきだし、おいそれと第三者に預けたりはしないはず……でも見ていると、「自分は大切!!」と主張する人ほど、自分自身で面倒を見ないで誰かに面倒を見させようとしている。まるで、売れ残りの大安売りだ。
周囲を踏みにじって、周囲よりも大切にされればそれで気が済むかのように自己主張を繰り返す。だけど、持ち主が大切にしない宝物に、真の価値が備わっているものだろうか?
連絡を寄こすと思えば愚痴ばかり。でも適当にあしらうと怒り出す……自分を大切にせずに何が不満だというのだろう?
愚痴が溜まるような日常生活とは、つまり、心の澱みの中での暮らしということではないか。まるで汚水の中に自分を漬けておきながら、それを洗い流しもせずに、客間の客用座布団を使うというのか? ……内心では思う。『座布団も汚れるし、客間も汚れるぞ! あとで掃除するのが大変だ』
他人が押しつけてきたものなら、「ありがとう!」と微笑んで受け取り、後ろ手でゴミ箱行が普通の対応であると思うけれど…… そういう待遇を要求しているようにしか見えない人の実に多いこと。
神頼みは、祈祷主も潔斎して臨むものだ……つまり、悩める者もまた、心身を清めて神仏に助力を求めるのである。
その具体的な例として、墓参を上げよう。
水で清め、香を焚いて、花を飾る。……死者におもねるために香と花を用意するのではなく、祈祷者の真心を整えるために香と花を用意するのだ。
文句で文句が解決などするものか! 争いが争いを呼んで拗れるだけだ。悩めるなら、苦しいなら、耐えて自分を持ち上げて、目上の思慮を持って接しない限り、どうして問題が収束に向かうというのだろう。