‘2005/09’ カテゴリーのアーカイブ

自ら霊性を遠ざける

2005/09/30

2005年 09月 29日


 物事を素直に見ない……おだてられれば嘘でも信じ、正しいことを教わっても、自負心がじゃまをして物事が素直に見えない。

 たとえば……他人の長所を認めるよりも、欠点を探して安堵し、困っている人を捜すが、優れている人には気づきもしない… …私利・我欲が真実を妨げているのである。つまり霊性が働いていないのだ。

自らが霊性を遠ざけるのである。

 それでいかなる境涯にたどり着くのか、この人生を生きているうちに……そして死後に。


 何事についても体験が乏しいから、空理空論を主張する。空理空論をもてあそびて頭を酷使するから体が動かず、物憂いから実践を怠る。実践しないから体験に乏しく、体験に乏しいから空理空論に頼る

 人生は修行の場であるというが、多くは修行を学校の勉強のように捉えている。つまり、教科書を読み、暗記すればよいごとく考え、ひたすら努めれば向上するというのである。だが、多くは堂々巡りを続けているだけの無駄な努力で一生を費やし、死後もそれを繰返す。

 試練を与えられて、空理空論が役立たぬ事を気がつかされるまで、同じところをグルグルと回り続けるのである。が、試練さえも…… 試練であることに気がつこうともせず、現実から目をふさぎ、下らぬ議論を続ける。

 中には、生きることに努力するよりも、自殺の手段を捜して努力する者もいる。…… 生きるために得た知力を死ぬために使うというのである。これほどひどい矛盾、堂々巡りがあるだろうか?


 次のステージに移る準備の出来ていない人は……無意味なことにうつつを抜かしている。

 無意味なことにうつつを抜かしている人は……次のステージに移る準備が出来ていない。

 自らが霊性向上を遠ざけているのである。


自分に騙される

2005/09/29

2005年 09月 28日


 一口に「悩み事」といっても、その内容は二分別すべきでしょう。一つは具体的な助力の要請、もう一つは、問題意識の整理です。

 具体的な助力の要請に応えることはある意味簡単です。出来ることをやり、出来なければ他に回すか、断るしかないのですから。難しいのは「問題整理」です。なぜなら、相談者は、不平不満を抱いているだけで、何が問題であるのかさえ気がついていない、というより気がつきたくなくているのですから。

 ところが不平不満の解消に関する相談回答は非常に困難です。相談者・当人は、足りないことが問題であると考えるわけですが、論理的に分析してみると、その原因は、不足を感じる心の貧しさに見出すことが出来ます。

 たとえば、寂しいから買い物に走り、無駄遣いするから金が不足し、金が不足するから買い物が出来ず、買い物が出来ないから寂しさが騙せない……「寂しさ」という原因に対して、無駄遣いという間違った対処をするから、経済的破綻という別な問題まで生じて苦しみが増えているのです。これでは地獄だし、このような人に金銭を恵んでも真の問題解決になりません。解決にならぬどころか金銭感覚が麻痺して無駄遣いがエスカレートしていくことでしょう。

 この手の話はいくらでもあります。

 自信が無いから虚勢を張り、虚勢があって他人と折り合えず、ケンカとなる。しかし、ケンカに常に勝てるとは限らず、負ければ、ますます自分が情けなくなってしまう。

 劣等感を安易に癒そうとして、自分を高めるよりも有名人と知り合い、付合うことで、虎の威を借る狐を演じようとする……でも、そうして知り合った人が言うことを聞いてくれるとは限らず、かえって惨めさを味わってしまう。

……等々、自分が抱える不平不満の原因を突き詰めることなく、安易でズレた解決策を採用してますます苦しみの深みにはまる人の何と多いことでしょう。

 これがせめて、ズレた解決策をとる以前であれば、解決はさして痛みを伴いません。ところが、寂しさを癒すために莫大な借金を背負ったり、自信の無さから敵を大勢作ったり、劣等感から恥をかきすぎ、いたたまれなくなったりしたら真の問題の解決以前に、安易な努力の代償を払わなければなりません。むろんその間は、真の問題は手つかずのままです。

 人は人生を選んで産れてきます。 (親が子を選ぶのではありません。なにしろ、子供が霊界から親を選んでくるのです。もっと良い親を選びたかったって? 良い環境は競争率が激しいのですよ)……であれば、わざわざ乗り越えられない困苦のある親元に、生まれてくることはしません。でも、わざわざ人生の重荷を増やしていれば、乗り越えられる困難も乗り越えられなくなるでしょう。

自分に嘘をつく、自分を騙す……その弊害は壊滅的なのです。


針の穴にラクダを通す。(願望のダイエット)

2005/09/28

2005年 09月 28日


 困難な悩み……というより、解決困難な不平不満の解決に、それこそ、針の穴ほどのチャンスでも良いから助言をくれ、という人は多い。私もそれに同情する、いや、した。可能性がわずかでもあるなら、努力すべきが人間ではないか!

 ところが、心霊と接して人生を過していると、その理想に不都合があることを感じる。そもそも人生は、霊達の援助があって成立っている。従って、自分だけが熱くなっても背後が動かなければ実力が出ない。ところが霊達の援助がいかなる形で決るかは下手をすると結果を見ないとわからないところがある。五感を通じてのみ外界を知りうる人間と比べ、彼らの見通せる範囲はとても広く、多くの情報を元に行動を決めるのだから人間サイドで協力の有無を予測するのは難しいのである。

 だが、もう一つの要素は十分に予測可能である。

 そもそも人間には、困難を不可能にする要素がある。つまり自らの可能性を塞ぐ働きが人間の性質に潜んでいるのである。と同時にその要素は、人を困難に立ち向わせる働きも持っている。また、場合によっては同じ要素が人をこんなに陥らせるのだ。…… プライドである。

 人はプライドを守ろうとして他と争い、争うから困難に陥る。そして、プライドを捨て難いが為に困難に立ち向うが、プライドがあるが為になりふり構わぬ手段がとれない。格好をつけて苦しみ、格好をつけて勝機を逃してしまうのだ。

 努力で困難を克服する事例は歴史を振返れば枚挙のいとまもないだろう。だから、針の穴にラクダを通すぐらいの困難事だからといって諦めるべきでは無かろう……希望的観測かもしれないが、失敗を重ねてもなお私ならばそうする。

 だが、針の穴を通すなら痩せたラクダにすべきだ。プライドで太ったラクダを通すのは諦めた方がよいと思う。

 悩める人よ、針の穴をくぐりたいなら、くぐる努力だけでなく、願望のダイエットも行うべきだ。


妬むな?

2005/09/26

2005年 09月 26日


 人生を霊性向上の修行の場と考える心霊思想の支持者にとって、他者の進歩向上の障害にとなる「妬み」は、大きな罪悪と見なされます。

 ところで他人の悪感情に敏感な人も、なかなか自分の内に生じる悪感情には気がつきません。気がつかぬというより、流されていると表現すべきでしょうか。色々と批判がうるさいからと「それって妬みじゃない?」等とやんわりと指摘すると、中には必死に理論立てて、「これは論理的な帰結であって……」等と自己弁護をはじめてしまう。――とてもナンセンスです。

 論理的な帰結であろうが無かろうが、そもそも他者の進歩向上の障害になることが害なのです。他者を思いやるなら、批判ではなく是正案を提示すべきであって、それが出来ないならば他人の足を引くだけの罪悪を為しているのに代わりはありません。

 この辺は、オーラ視能力者には、色彩に黒みが掛ることで察知できたり、他者の感情に敏感な人から見れば、ある種の痛みを感じることで一発で判定が可能です。もっともそれを客観的に証明することは難しく、直覚の優れた人には明らかであるのに、それを証明するために議論になってしまうという堂々巡りは、人類の霊性改革が必要とされる所以です。……つまり現状では、心霊思想は、不毛な議論の題材でしかないといえます。

 ところで、他者の自慢話に付合わされてウンザリした……という経験はありますまいか? 『妬んではいけないのだから……』と、自分を抑えてわざわざ自慢話を耐えつつ聞いている人が世の中には案外多いと見受けますが、残念、私が知る限り、他人の自慢話に付合って、何らかの功徳を得たという霊界通信を知りません。

 私の職場にも、自慢話が大好きな人がいて何かとうるさくしています。ところでことわざに「能ある鷹は爪を隠す」とあるように、自分の持ち札を自慢していたら、ポーカーでも、ババ抜きでも勝利はおぼつきません。黙っていれば、もっとすごいものを隠しているのでは、と思わしめるかも知れませんが、これほど自慢話が好きならば、おそらく持っている財物すべてをさらけ出していることは明白です。また評価基準といえば、性能、金額、知名度……でも最後には自分の好き嫌い。その滑稽さが見えますか? 他人がもっと良い物を持っていたら、「いやそれは私は好きじゃない」……つまり他人のワガママに付合わされているだけのことです。

 更にいえば、自慢話の対象となるのは、物欲、名誉欲、食欲、性欲といった、犬でも持っているようなものばかり……ならば、犬の相手でもしている方がまだ楽しい。

 他人の自慢話を聴きながら、自分の妬み心を抑えようとなさる方々。――そもそも、人も動物。生きている以上、競争心の働きが無ければ、むしろ病気と考えるべきです。そして、外部から刺激があれば、内部に反応が生じるのは当たり前のこと……それをして「精神修養が足らない」と思うのも結構ですが、他人のワガママに付合わされている滑稽さも思い出すべきです。

 自慢話を聞くのも無駄、自慢話に妬むのも無駄、心に湧き上がる競争心を抑えるのも無駄、といって、自慢話に本気で相手をするのもなお無駄。無駄なんです。――その無駄を省けない理由は、誰に指摘されるまでもないでしょう。相手は、浮き世のしがらみを頼って、ワガママを押し通しているのです。

 浮き世の付き合いなのだから……浮き世の付き合いとして受け止めるべきです。上手に付き合いが出来るならば、それも功徳。でも、我慢そのものには何の価値もありません。


霊査事例: 2005年9月21日(ML)

2005/09/21

 以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての代表的な霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。  以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。


事例1

 出来るだけ沢山の練習をして……でもしない。なぜしないのかというと、発表のための義務として練習を考えるからです。あなたはどうも義務に弱い。義務には服従、でも、サボタージュ。

 もっと楽しんでください。楽しもうと無理をするのではなく、無ければ寂しいということに気がつくように。…… 楽しみは人に言われるのではなく、自分で探すものです。

事例2

 人の運命、人の寿命は、天が定めるもの。それを人間が、人間の智慧であれこれ弄ろうとしてもうまく行きません。うまく行かぬどころか、うまくいくものを混乱させるのがオチ。

 願いは、深く、静かに、一つだけ。それを忘れて懸命になっても、良い結果は生じません。

事例3

 ぽっかりと空いた時間。あなたには瞑想に適している時間がたくさんあります。一時間、二時間と使えるわけではないが、五分、十分ならば使える。ところがそういう時間のあなたを見ていると、どうも妄想に頭を覆われています。

 それはつまり、望みが高く、現実が受け入れがたく、そして、理想を実現する手段が見つからぬということです。

 考えても答が出ないなら、考えることを休んで瞑想することです。感覚を澄まして、でも何も考えない…… そこにヒントが感じ取れるのです。

事例4

 もしも自分なら、もしも自分なら……と、あれこれと悩み、物事を複雑にしている。それで誰が得をするのでしょう?

 過程に考慮の余地はありません。あなたがそこまで無駄な考えに囚われてしまうのは、誰かを同情するのではなく、同情されたくているからです。自分を正しく受け止めてください。

 人事を尽くして天命を待つ……人が出来る最善です。

事例5

 人生には出来ることと出来ないことがあります。でも開き直らないこと。

 あなたは、自分に対して開き直らず、他人に対して開き直ります。それはとても悪い癖です。

 自分をかばうために開き直れば、相手の心には敵意しか写りません。あなたが自分を守ろうとすればするほど、相手がムキになって攻めるのであれば、あなたはとても辛い目に遭います。

 自分が内心に抱く劣等感に対して開き直るのです。……「私なりに努力しているんだ!」と。

 ……ええ、むろん、あなたの廻りには他人に開き直る人ばかりです。でも、誰もそれが不都合であることを教えて貰える人はいません。… …あなたはそれだけ愛されているのです。

事例6

 もっと、もっと、自分に対して素直になることです。今のあなたは、とにかく動いて、それから考えます。往々それは、動けなくなってから考えるということです。

 あなたがそのようにしか考えないのは、自分の行動の是非を考えるとき、ついつい自己批判、自分を責める理由探しを主目的とするからです。自分との共存――他人の主観と自分との妥協。課題はたくさんあります。


天使の取り分

2005/09/20

2005年 09月 26日


誰もが豊かになりたいし、誰もが自分の主張を押し通したい……でも、世界は全人類の(いや全生命の)……共有物なのです。あなたが何かを得れば、大抵の場合、誰かがそれを失っているのです。

「宿命によって、または、神仏や守護霊によって人生が決められているなんて、そんな不自由な生き方は嫌だ!、私は自分で決めた道を歩みたい。」

 確かに、確かに。霊媒である私もそう思います。――大抵の場合。

 でも、一つを得るということは、誰かが一つを失っているのです。

「それがどうした、努力の結果得たものを、どうして他人に気兼ねしなければならないのだ!! 世の中には自分一人が溜め込んで、他に不自由を掛けている人なんていくらでもいるじゃないか。」

だからこそ……身勝手な人が多いからこそ、世の中には不足ばかりで、窮屈で、肝腎なところがうまく動いていないのです。

宿命にただ従うことが善であるというのではありません。努力で結果を得ようとするのが悪だというのではありません。……ただ、自分の取り分を「天」に預けた人がいて、その預けた分が回りまわって、それを必要とする人を救う資本となっているのです。でも、自分の権利を主張する人ばかりが多いから、困っていても助けを得られない人が出てくる。それも数多く。数多く、数多く。

 世の中は譲歩の絶対量が足りなくて、窮屈になっているのです。

 寄付やボランティアは、人の知恵の範囲でしか他者を幸せにしません。あなたの謙虚さや必要以上に貪らない気持ちは、それが「天使の取り分(霊達が自由に出来る過剰分)」を生み出して、思いも掛けない幸せを人々にもたらすことが出来るのです。

・・・・・・・

 他が決めた人生なんて嫌だ!!――確かに人間の智慧に従わされて生きるのは窮屈で詰りませんが、運命が紡ぎ出す「妙」というのは世界観を多きく変えるものです。

たとえば、肉体の死が、精神の死とは別物であるという実感や、五感で感じられる以上の現実があるという実感など……

自分自身の試行錯誤がもたらす驚きと、良き指導者が与えてくれる驚きとは、格が違うのです。それはつまり、知らぬ者と知る者との違いなのですから。良き指導者は、私たちが当たり前に通り過ぎている現実の中にさえも、驚きの種が潜んでいることを教えてくれます。

知らぬ者とはつまり、無駄な人生の歩み方をするものなのです。――日々の中で、驚きが、そして感動が無いと嘆き、学ぶべきものを探す人がいるとすれば、その人にとって本当の損失は、感動の不足ではなく、適切な師を持たぬことの無駄なのです。


不平等への不満

2005/09/20

くやしい!!

2005年 09月 18日


 「正義は一体どこにあるのか!」…… という嘆きを良く聞く。いや、油断すれば私もそうこぼしかねない。

 だが、その叫びには大きな勘違いがある。――正義が人を守るべき、ではなく、人は正義を守るべき、なのである。

 人のために懸命に働く人だって、裏切られて悲嘆に暮れる世の中である。人の不幸を嘲笑うような人々が、自分の不幸を嘆いたからといって、助けを得られるとは限らない。

「なんて不公平な世の中だ! 悪人がのさばり、善人が苦しむ。全く神はいるのだろうか?」

 私が思うに神はいる。だが、神が救うべき人はどこにいるのだろう? 皆、ワガママに自分の利益を善と呼び、自分の不利益を悪と罵るこの世の中で? 人の世は、我が身を大切にしたものが生き残り、我が身を疎かにしたものが苦しむようになっている。たとえ、他人のために身を粉にする人であろうとも。

 すると無言の反論が霊耳を打つ。……己を滅して人のために尽した人が必ずしも不幸になるとは限らない。……ナンセンスな話である。大切なのは、誰が不幸になり、誰が不幸にならぬのか、その違いだ。同じ滅私でも、身を委ねるべきインスピレーションの次元が異なるのである。つまり、霊性の差が、成功と失敗を分けるのだ。

・・・・・・・

あ! 念のため。別に私が復讐心に悶えているわけではありません。

いえ、話を聞いて私も腹立たしく思うのですが、どうせ三年を待たずに結果が出るから……(なんの?) 

・・・・・・・

 すると当然、成功すべき霊性の獲得法が問題となるが、努力無くして霊性は上がらず、言葉だけで霊性を上げる手段など有りはしない。ただ、失敗のおそれが心の中に僅かでもあれば、そのおそれこそ、あなたの良心と思うべきだろう。少なくとも、あなたの心の表裏は、互いに協力する姿勢を見せていないのだ。


不平等への不満

2005年 09月 20日

 私は度々日本の神霊……日本の精神風土について嫌悪を表わしている。まあ何もすべての日本的なものを否定したいわけではない。ただどうも、いわゆる「事なかれ主義」が肌に合わない。

 すべてと無関係でいられる時はまだ我慢できる。だが、被害者の立場に身を置く時、加害者よりも、加害者の肩を持つかのようは言動をする、「事なかれ主義者」に不快の念が燃え上がる。

 人生は、一個人の能力や才能を超えた荒波の上に浮かぶ小舟だ。たとえ正義を主張しても、いわゆる運命には逆らいようがない。また、一個人の利害よりも全体の利害を優先せざるを得ない時もあるだろう。日本は比較的に平等が守られている国ではあるが、細かなことに目を向ければ不公平に関する話題は尽きない。……しかたがない……たしかに、確かに仕方がない場面があまりに多い。

 人の個性が死後も存続し、魂は永遠の生を生き続けているのであれば、悪人を裁くことにいかなる意味があるだろう? 死者は再び生を受けるのだ、悪人もまた生まれ変わるだろう。……殺しても、殺しても悪人の総数は減らぬだろう。だが、世の不公平を嘆いた人は、いつまで善良に生きようと努力できるのだろう?

 幼い頃、兄弟げんかをした時、その理由は考慮されないまま、「あなたが年上なのだから」と叱られたことはないか? 我慢出来る者はいつまでも我慢をさせられる……そういう不公平がこの世にはないか? つまり、うるさく騒ぐ者が優遇される心理的な仕組みが?

……世の中は、平等なのだそうだ。多分……きっと、永遠の生の最後には。

 誰もが、世の不平等に不満を抱いているだろう。だが、あなたは安易に、ずるい生き方を選べるだろうか?……なぜ選べないのか?

 一体誰があなたに善く生きよとささやきかけ、なぜあなたはそのささやきに従うのか?

 都合の良い選択は、何ら不思議ではない。だが、不平等に不平を抱きながらも、それでもなお、善良に生きようとする……そういう、 (少なくとも短期的には)不都合な選択を、なぜあなたは出来るのか?

・・・・・・・

 不公平に思えても、不平を抱いても、でも善良に生きようとする……

 つまり、それが霊性の働きだ。……あなたは自分の霊性を自覚できただろうか? それを神様は見ておられる。


友人の相談にどう応じるか

2005/09/20

2005年 09月 19日


Q 「友人が悩んでいます。親戚の保証人だった父親が、多額の借金を肩代わりさせられ、友人の勤め先まで取り立てが来るようになりました。私も色々アドバイスをしたのですが、もう疲れたから話しかけないで、といわれてしまいました。」

 答や助言が欲しかったのではなく、同情が欲しかったのでしょう。

 そもそも、餅は餅屋。あなたが借金問題のプロフェッショナルならばいざ知らず、会社を辞めさせられそうなほどの取り立てであれば、警察などに相談するのが筋です。それを敢て友人に相談する……欲しいのは同情なのでしょう。

 あなたも心霊主義から色々学んで、自分が成長することの大切さや、人生で出会う困苦の意義を良くご理解なさって、その上で、自分が学んだことを人に伝えようとするのでしょうが……

 そもそも、危機に出会った人の反応は、まず二大別できます。動けなくなる人と、とっさに身体の動く人です。…… あなたはとっさに身体が動き、この友人は動けなくなる人ですから、あなたの経験と理論は、その友人に全く役に立ちません。

 強いて出来ることがあるとすれば、一緒に警察の相談窓口についていくことぐらいでしょう。


蛇足

「人事を尽くして天命を待つ」……私は自分の人生において、努力と信念が困苦を切り開いていくことを体験してきた。むろん、信仰に無限の可能性を信じていたりはしない。だが、一歩一歩前に進む気であれば、さして落胆はしないし、絶望も今のところ免れている。…… であるから、人に相談を求められれば真剣に応えようと努力するのは、上述の質問者のスタンスと同じだ。……だが、誰もが答を求めているわけではない。答よりも同情を求める人は何とも多い。

 それこそ、同情をひくためには……当人の表面意識が認識しているかどうかは別として……自殺まがいのことをしたり、過度の飲酒や薬物やらに手を出し、暴れ、泣き、荒淫に耽る人もいる。

 (境遇的に)困っている人の中には、本当に「(人格的に)困った人」が隠れているのだ。

 でも、無料心霊相談の霊媒にまで、答よりも同情を求めるのはどうか思う。


生・死は表裏一体

2005/09/20

2005年 09月 19日


 某学校教育をテーマにしたドラマが、一昨日最終回を迎えた。どうも痛々しくて三分と見ていられなかったし、あえてみようとも思わなかったが、背後の勧めもあって、最終回だけは、ほぼちゃんと見た。

 テーマはスパルタ教育といえようが、かなり無理がある展開だとは思う。物理的な存在には、必然的に限界がつきまとう。どれほど厳しく叱られても限界を打ち破るのは難しい。限界を超えて努力を要求されたら錯乱してしまうが普通だ。……まあ、ドラマのような展開を期待してスパルタ教育を実践するような軽薄な教師もいまいが……所詮はドラマ。教育には厳しさも必要だ、という主張があるとしたら一理ある。現実には、人格障害でもない限り、親も教師もそこまで真剣に子供とせする事が出来ないのではないか。この場合の真剣とはむろん病的で危険な、という意味である。

 まあ、ドラマ自体にはあまり関心もない。最終回らしく感動的なシーンもあったが、人生に役立つシーンがあるとも感じ取れなかった。が、劇中、教師が、「死後の問題」に触れるシーンに、感じるものがあった。

 一言一句覚えているわけではないが、

「宗教に従えば天国、逆らえば地獄に堕ちるなどということに惑わされるな、だれも行ったことがないのに分るはずがない」 ……という話だ。

 天国・地獄への行き先を宗教家が決めるというのは確かにナンセンスだ。ここで話を止めるならば、私も取り上げるべき題材がない。

 だが、行ったことがなければ本当に分らないのか?……ここに私は、霊界通信や霊媒による調査などを持ち出す気はない。それはそれで充分に興味深いが、多くの読者にとって心霊サイトの目指すべきテーマであると思われてもいよう。しかし、私は推論や思索なく「死後の個性存続」を信じているわけではない。……つまり、手順を踏んで考えることを大切にしたいのだ。

 そもそも、人が死後に様々な想像(主に妄想)を働かすのはなぜか、そこに思いを至らせるべきだ。端的にいえば、人は生きているから死を想像するのである。そして、死を免れることが出来ないから、なお強く想像するのである。

「生きるべき時は生き、死ぬべき時は死ぬがよい」などと達観した人も世の中にはいるが、それは死後の世界が分らないから達観したのではなく、生きることの意味を知っているから達観したのであろう。つまり……

 善く生きられぬものが、どうして善く死ねるというのか……ということだ。何事も道に至った人は、他の道にも深い洞察を見せるものだが、中途半端な人は何をしても中途半端なのである。

 これは「死後の世界観」にも当て嵌まる。そもそも自分の善性を信じることもなくどうして人は自分の人生を真っ直ぐに歩めるというのだろう? しっかり生きている人なら、地獄などおそれはしない。世間が罵るような悪党だって、「地獄に堕ちる」といわれてもせせら笑うではないか。

「あの世のことは死んでみなければ分らない」という……その言葉には何ら矛盾はない。だが、生・死が表裏一体で、別けて考えられぬことに気がつけば、これは幼稚なセリフになってしまうのだ。しっかり生きられなければ、ろくな死に方をしないし、しっかりと生きられない人は、存在するかも知れない(?)あの世でだって、ろくでもない生活を送ることだろう。


 生きながら死を恐れる(妄想)人がいる一方で、生きながら生きること(妄想)を想像する人もいる。…… 自分の人生を歩んでいない人である。

 夢を抱いても、その実現方法を知らずにいるから、ただ実現不可能な夢を見続けることしかできない…… 社会は確かに信念のある教育者を必要としている。だが、無茶な戦争のあと、怠惰な平和が続いたこの日本で、生・死が表裏一体であることを知るのは一体どの大人だろう? 案外、家庭内暴力に晒されている子供かも知れない。

 スパルタ教育に一理はあっても、現代日本を救えるのか?

……というより、作者は救われているのか? まあ、儲かってはいるかも知れないが。


莫妄想・憑依霊ヘの不安

2005/09/19

2005年 09月 18日


 あまり憑依霊の話はしたくない。霊能力のない人にとって妄想を刺激するだけだし、霊感のコントロールが出来ない人々にとっては病的な妄想を刺激するだけだからだ。でも、仕方のない場合もある。

 妄想するなかれ。

 反省するフリをして、自分を虐める。――そうしている間は、もっと酷い現実から目を背けることが出来るなどと、姑息なことを考えるから、つまらぬ低級霊におもちゃにされる。

 下らぬ人間だって、生きなきゃいけない。

 下らぬ人間だからこそ、

頑張って生きなきゃいけない。

 悪人だからといって、下らぬ人間だからといって、それを責めるのは下らぬ霊だ。悪人で、下らぬ人間だからこそ、助けを必要とするんじゃないか。

 悪人だから、下らぬ人間だから、救われる権利があるというのではない。悪人で、下らぬ人間だからこそ真理に真剣に耳を貸すのだ。自分を卑下するのであれば、惨めさこそ救いを素直に受け入れる資格だと、もっと自分を信じるべきだ。 


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