くやしい!!
2005年 09月 18日
「正義は一体どこにあるのか!」…… という嘆きを良く聞く。いや、油断すれば私もそうこぼしかねない。
だが、その叫びには大きな勘違いがある。――正義が人を守るべき、ではなく、人は正義を守るべき、なのである。
人のために懸命に働く人だって、裏切られて悲嘆に暮れる世の中である。人の不幸を嘲笑うような人々が、自分の不幸を嘆いたからといって、助けを得られるとは限らない。
「なんて不公平な世の中だ! 悪人がのさばり、善人が苦しむ。全く神はいるのだろうか?」
私が思うに神はいる。だが、神が救うべき人はどこにいるのだろう? 皆、ワガママに自分の利益を善と呼び、自分の不利益を悪と罵るこの世の中で? 人の世は、我が身を大切にしたものが生き残り、我が身を疎かにしたものが苦しむようになっている。たとえ、他人のために身を粉にする人であろうとも。
すると無言の反論が霊耳を打つ。……己を滅して人のために尽した人が必ずしも不幸になるとは限らない。……ナンセンスな話である。大切なのは、誰が不幸になり、誰が不幸にならぬのか、その違いだ。同じ滅私でも、身を委ねるべきインスピレーションの次元が異なるのである。つまり、霊性の差が、成功と失敗を分けるのだ。
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あ! 念のため。別に私が復讐心に悶えているわけではありません。
いえ、話を聞いて私も腹立たしく思うのですが、どうせ三年を待たずに結果が出るから……(なんの?)
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すると当然、成功すべき霊性の獲得法が問題となるが、努力無くして霊性は上がらず、言葉だけで霊性を上げる手段など有りはしない。ただ、失敗のおそれが心の中に僅かでもあれば、そのおそれこそ、あなたの良心と思うべきだろう。少なくとも、あなたの心の表裏は、互いに協力する姿勢を見せていないのだ。
不平等への不満
2005年 09月 20日
私は度々日本の神霊……日本の精神風土について嫌悪を表わしている。まあ何もすべての日本的なものを否定したいわけではない。ただどうも、いわゆる「事なかれ主義」が肌に合わない。
すべてと無関係でいられる時はまだ我慢できる。だが、被害者の立場に身を置く時、加害者よりも、加害者の肩を持つかのようは言動をする、「事なかれ主義者」に不快の念が燃え上がる。
人生は、一個人の能力や才能を超えた荒波の上に浮かぶ小舟だ。たとえ正義を主張しても、いわゆる運命には逆らいようがない。また、一個人の利害よりも全体の利害を優先せざるを得ない時もあるだろう。日本は比較的に平等が守られている国ではあるが、細かなことに目を向ければ不公平に関する話題は尽きない。……しかたがない……たしかに、確かに仕方がない場面があまりに多い。
人の個性が死後も存続し、魂は永遠の生を生き続けているのであれば、悪人を裁くことにいかなる意味があるだろう? 死者は再び生を受けるのだ、悪人もまた生まれ変わるだろう。……殺しても、殺しても悪人の総数は減らぬだろう。だが、世の不公平を嘆いた人は、いつまで善良に生きようと努力できるのだろう?
幼い頃、兄弟げんかをした時、その理由は考慮されないまま、「あなたが年上なのだから」と叱られたことはないか? 我慢出来る者はいつまでも我慢をさせられる……そういう不公平がこの世にはないか? つまり、うるさく騒ぐ者が優遇される心理的な仕組みが?
……世の中は、平等なのだそうだ。多分……きっと、永遠の生の最後には。
誰もが、世の不平等に不満を抱いているだろう。だが、あなたは安易に、ずるい生き方を選べるだろうか?……なぜ選べないのか?
一体誰があなたに善く生きよとささやきかけ、なぜあなたはそのささやきに従うのか?
都合の良い選択は、何ら不思議ではない。だが、不平等に不平を抱きながらも、それでもなお、善良に生きようとする……そういう、 (少なくとも短期的には)不都合な選択を、なぜあなたは出来るのか?
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不公平に思えても、不平を抱いても、でも善良に生きようとする……
つまり、それが霊性の働きだ。……あなたは自分の霊性を自覚できただろうか? それを神様は見ておられる。