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愛されたい!

2005/08/30

 愛されたい!

05年 08月 29日

 「愛されたくて苦しんでいます」とのメールを頂いた。巷《ちまた》では良く聞くフレーズではあるが、その時、私のインスピレーションには疑念が浮かんだ。

『愛したいのであれば、自分の努力次第だ。まあ、相手次第でもある。だが、愛される為には、誰の努力が必要なのだろう?』

 往々にして自分の努力すらままならないのが人間であるのに、自分以外の誰かの努力なんて、どうしてあてに出来るのか? 求めて得られなければ焦れ、焦れれば苦しく、苦しければ周囲に当たり散らして、自分の内と自分の周囲に地獄を拡げていくだけではないのか。

 これは辛い。この辛さを誰が知るだろう? 人々を苦しめたあとで幸せになる難しさ――償いながら幸せになるのは、自分だけ幸せになるよりも難しいのは単純な論理だ。
「愛されたい」という欲求は誰もが持つ。だが、それを主体とした生き方は行き詰まりの道だ。どんなに努力しても成就することはない。

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 ちょっと脱線するが、この問題は「霊感を欲しい」という問題と似た性質を持つ。霊感を欲しがる人に私はいう。…… 「あなたが懸命に話していたら、人の話など聞こえません。大切なのは耳を傾けることであって、語ることではないのです。」……多くの人は、誰かに何かを言うために霊感を欲しがる。だが、口を開けば耳が疎かになるのだ。霊感も同様である。しゃべっている内は何も聞こえない。誰かのために智慧が欲しいと想えば想うほど、耳は働かない、想うほど心が働くからだ。

 霊感とは自分以外の意見・他者の意見である。であるなら、自意識が強くなればなるほど、他者の意見から遠ざかるのはむしろ当たり前である。

 愛情の問題も同様だ。誰もが愛に飢えている。だが、もとめる心が何を呼び寄せるのだろうか。いや、愛を求める心が自分から何を奪うのだろうか?

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 くどいようだが、愛されたいと思う心は誰もが持っている。私はそれを否定するものではない。問題はあなたの心の働きである。求めるばかりで与えることを忘れはしないか?

 宗教心の篤《あつ》い人などは、「無償の奉仕」だ、「滅私」だ、などと言うが、与える者よりも奪う者が多いのが現実である。つまり、ギブ・アンド・テイクですら実現が難しいのである。

 与えぬ者がどうして得られるのか?……そして何より……人を愛することに忙しい人なら、人から愛されぬことにどうして気がつくヒマがあるのか?

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 人から愛されたくて苦しんでいる……実は……愛することを忘れていないか?

 愛することを忘れている……それは魂が未熟であるからか、それとも、報われぬ愛に傷つき疲れたからか。―― それは何も異性への愛をいうのではない。もっと幼稚な話だ。つまり、幼少時に、親を大切に思う気持ちを親から裏切られた人がどうも大人になってからも愛情に飢えているようだ。

 その心の仕組みは私も理解する。だが……心霊主義は善悪よりも可否を重視する…… 過去よりも未来を見て行う方が結局は幸せだと思うが、あなたはどうであろう?

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追記

 以下は個人的なメッセージである。といっても、特に誰かと指定する気はない。むしろ逆、つまり、自分のことではないと感じたのなら読み飛ばして欲しい。

 血の繋がった親兄弟ですら、愛し合い、助け合うことは難しい。――その苦労をあなたは、赤の他人である今の伴侶に向けてはいないか。

 愛さずに、愛されることを望むのは、とても難しい。とても難しいのだ。


愛と共に成長する

05年 09月 01日

 

 物質的な欲求は自覚しやすく、意思表明がしやすく、コントロールも比較的容易です。ところが精神的な欲求は、誤解しやすく、意思表明が難しく、コントロールしているつもりで振回されることが多々あります。

 特に愛情要求は難しいものです。いったい、世間の男女がささやきあう愛と、マザーテレサのような社会への奉仕者の実践的な愛というのは同種のものでしょうか? この二つはかなり違って見えますが、それこそオタマジャクシを育てればカエルになるように、愛し合う男女はいずれ社会への奉仕に目覚めるのでしょうか?

 男女の恋愛が、家族になることで家族愛に目覚め、隣人愛に目覚め、そして社会奉仕の必要性を理解する…… 人間本来の歩み方であると思いますが、往々、独占欲ばかり強くなって、家族の絆が憎悪を強める仕組となっている事例も多々見受けることです。

 人は愛を求めますが、多くの人は愛のなんたるかを考えることをしません。

 それは結局、いままでの人生で体験した餓えを癒す行為でしかない―― その多くは幼児期の欲求不満を大人になってまで引きずるだけの話です。恋愛ゲームに夢中な頃は楽しくあっても、冷静になれば、まともに相手にするだけばかばかしくなる類のこと。……そこには過去があるだけで未来がありません。

 ここに「霊性」というテーマが生じます。そもそも本能的な欲求を満たすだけで、人はどうして文明を獲得し、文化を実現させていくというのでしょうか?

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 今を楽しく……という考えは、若さの浪費であって、未来をおろそかにすることでしかありません。恋愛の喜びは肉体の老化とともに薄れていくのですから。

 また、自分だけの歓喜の追求は、夢幻界の絶頂であり、 醒めぬ夢はありません

 幸福感のもたらす酩酊は、酒類のもたらす酩酊よりも遙かに甘美で強烈でしょうが、飽きのこない酩酊はありません。人がもしも、自己の愛的環境に浸って歓喜をむさぼるだけであれば、「飽き」という地獄に陥り、より幸福を知れば知るほど、満足することが遠ざかっていきます。

 酩酊は、困苦を忘れさす麻酔薬として使えば醒めても幸せであるのに、退屈を癒す手段として使う人が歓喜中毒となって、満たされぬ思いの中でのたうち回ることをします。

 互いを幸せにする努力、互いに幸せになる努力……真の恋愛とは、自分の過去を癒すことではなく、自分と周囲の人々のよりよい未来を創造していくこと……精神的理想の追求なのです。

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  恋愛することで美しくなる人と、醜くなる人がいます。……あなたはどちらのタイプでしょう?


愛って何だ? (自分にとって……)

05年 09月 01日

 人は愛を求めますが、多くの人は愛のなんたるかを考えることをしません。

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 なんたるかを考えずに、求めるのは、結局、いままでの人生で体験した餓えを癒す行為でしかない―― その多くは幼児期の欲求不満を大人になってまで引きずっているというだけの話です。

 恋愛ゲームに夢中な頃は楽しくあっても、冷静になれば、まともに相手にするだけばかばかしくなる類のこと。…… そこには過去があるだけで未来がありません。

 私は恋愛相談を断り続けてきましたが、そもそも、霊媒に恋愛問題を相談する人というのは、「無理を承知で何とかしたい」という矛盾した論理が底辺にありますが、それ以外にも、恋愛に関する相談事は、どうも当人の親に対する不平不満に聞えて仕方がありません。

 心霊を知らぬ人なら「愚痴ぐらい、いいじゃないか」と思うのでしょうが、霊媒はただの中継者で、援助の実行者は主として、愚痴をいわれる対象である、その人の祖先の霊なのだから……『まだ苦労が足りんワイ!』という言葉がぶつけられないだけ幸せと思ってほしいものです。

 まして、血族が助けようとしないものを赤の他人の好意に期待するのはどういうものかとも思います。


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