霊障解決の問題点
2005/08/032005年 08月 03日
世間に流布する「心霊常識」には、他にも机上の空論的なものが数多くあります。 たとえば「霊障解決の考え方」です。
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人は往々、己の利益に反するものを悪と呼びます。そして、利に執着する人を世間では「強欲」と呼びますが、つまり強欲な人ほど、正義を振りかざして己の利益を守ろうとするものです。それが人間の性質であるのに、大騒ぎをする相談者の一方的な都合を聞いて荷担すれば、利の奪い合いの手助けをすることになります。
利は、理に添って分配するのが公平であるのに、情に流されて荷担すれば、それこそが不公平、不公平を為すことは悪であり、正義に反することになります。
また、人は往々、己の情念に反するものも悪と呼びますが、理によって裁かなければそこに不公平が生じ、正義に反することになります。
物事は必ずしも理(道理)で割り切れるとは限りませんから、利や情による判断も不要ではありませんが、理を抜きにして正義はあり得ません。――物事に取り組むスタンス、まず冷静で論理的に、そして公平に判断しなければ善事は成せません。
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霊障解決の問題点とは、一般常識でならばケンカ両成敗が原則だろうに、相談者の言い分だけで善悪を判断し、もう一方の当事者である霊魂の言い分を聞かずに、ただ悪と決めつけ、それを追い出そうとすることにあります。また、そうする霊媒もまた、利や情で善悪を考える人であると問題が拗れぬはずがありません。
私が不幸に思うのは、祖先の霊などが折角苦労して、子孫に危険を知らせに訪れたのに、子孫はただ恐れ、あわててしまい、かえって災難を拗らせたりすることです。……ちょっと話を聞いてあげるだけで、問題が解決することが圧倒的に多いのに、わざわざ除霊をしようとするから、無関係の霊が巻き込まれてトラブルが広がっていくことも良くあります。それをまた、問題解決が出来なかったからと、別な霊媒に相談すると、他とは違うところを見せようとして張り切り、さらに問題を拗らせることもあります。
霊障とは、人々が正しい心霊知識を持たぬから起こるのだ……という一面があるのです。
善悪は相対的
2005年 08月 08日
たとえばあなたは、耳が不自由であったとします。すると、隣人が寡黙であろうと、おしゃべりでうるさかろうと、どう違うというのでしょう? 隣人の騒音に神経質になるのは耳の良い人なのです。
霊障問題にもこれが当て嵌まります。世間には霊障問題をとても重大視して大騒ぎをなさる方もいらっしゃいますが、霊の存在を感じられない人々からみれば、耳が不自由な人に騒音問題の害を説くようなものです。
人にはそれぞれ立場があり、利害があります。強く主張するのは、果たしてあなたのためを思ってのことか、自分の立場や利害を守るためか…… 。
むろん、悪意をもってうるさくしている隣人を持っていたら、耳が不自由で知らん顔をしていたらなお危険です。ですが、品が悪くてうるさいだけならば、なまじ聞こえ正義漢ぶって注意でもする方がかえって危険かも知れません。
いずれにせよ、ただ隣人を憎んでしまえば問題は泥沼化するのは避けようもありません。そして大切なのは理性、つまり、騒音問題を解決するよりもお互いの幸福を追求すべきということです。たとえば特定の時間の騒音に寛容になる代り、特定の時間の静粛を勝ち取るなどの方策もあるはず。
いわゆる狐狸の霊……本当に狐や狸の霊であるかどうかは別問題……だって、霊的番犬の訳には立ちます。またはそれ以上の役にも。
どんな家にだって、探せば低級霊がいておかしくない。……それを仇と思うより、付き合いが難しい隣人と思うべきです。…… マンガみたいに、お札や呪文で、ぱっぱと除霊していく、心霊バトルを念頭に置いて、心霊問題を考えるととんでもない間違いを犯します。
世に中には確かに悪霊がいるとしても……あなたは自分が善霊に分類される自信をお持ちですか? 妬み、僻み、嫉妬、偏見、蔑視、虐め、転嫁……あなたは死後、霊媒に低級霊や悪霊呼ばわりせずにいられましょうか?
善悪は相対的なものです。人々は往々、自分に都合の悪いものを悪と呼びます。あなたが正論を吐いても、相手からは悪と見なされるかも知れない。……そういう身勝手な価値観を用いていたら、今日の味方は明日の敵となります。というより、そうやって敵を増やして現代の不毛な世相があります。