‘2005/08/02’ カテゴリーのアーカイブ

無駄が悩みを呼ぶ

2005/08/02

2005年 08月 24日


 おそらく、この投稿を嫌味に思う人もいるだろう。……もっとも、私が何を書こうが、それを嫌味に受け取る人がいることも事実だ。

 互いの発言を、互いが嫌味と受け取るのは、何のことはない、人はそれぞれ現実から目を背けながら、自分は誠実であると信じているのだ。自分が誠実であると信じているから、自分の嘘を見たくないのだろう。

 人はこうして地獄に堕ちる。どんな善良な人であろうとも、死の直後には地獄が待っているのだ。ただ、自分の嘘を素直に認められる人は、すみやかに浮き上がれ、認められない人はいつまでも地獄の中にいて、「死後の世界とは素晴らしいものだ」と現実を偽って、あいも変わらず己を嘘の中に置くだけである。

 まあ、そんなことはどうでもいい。地獄には地獄の獄卒がいて、救われるべき人は叩き出される仕組みが出来ている。

・・・・・・・

 悩みを抱える人はとても多いが、悩みの多くは他の誰が原因というのではなく、当人の行いに無駄が多いことが原因と私は見る。というより、無駄、無意味な言葉の多い人ほど、悩みが尽きないことを誰もが受け入れざるを得ないだろう。

 そして、無駄、無意味な努力の多い人ほど、努力に絶望して助けを欲しがる。つまり、絶望すべき人ほど絶望する仕組みがこの世の中にはあるということだ。

 困っている人を助けようとする……その志は尊い。だが、摂理はそれを否定する。


憎悪……やり直す切っ掛けになることを祈って

2005/08/02

2005年 08月 19日


 憎しみに支配されている人は往々気が付かないが、憎しみは相手よりもむしろ自分を苦しめる。その事は、憎む人が相手を傷つけずに入られぬ事を見ればわかるだろう。相手を苦しめるための手段がなければ、人はどれほど焦れ、苦しむか。

 相手を苦しめるのは、自分の苦しみを相手に転嫁する努力だ。――果して効果があるかどうかは別として。

 他を憎むことは自分の心を憎しみに囲い続けることに等しい。人の心は、愛や歓びで満たすことも出来るのに、憎むことで心を満たし、憎む心の醜さが、愛や歓びを遠ざけるのだから。

 憎しみは、一体誰を苦しめるのだろう?

 肉体の死と共に憎悪が消えていくのであれば、人の情念は忍耐だけで浄化できるのであろう。だが、人の個性が永遠に存続するのであれば、努力無くして憎悪は消えていかない。……その憎しみはどう消していくのか?

 憎悪を向けた相手が自分を愛するとでも思うのか? 自分の苦しみを転嫁して、その苦しみが再び舞戻らぬと信じているのか?…… 人はそれぞれに人生の重荷を背負っている。その重荷の上に苦しみを与えたのだ。復讐には利子が付かぬはずがない。

 相手が許しを請えばそれで憎悪が消えていくというのか?……なるほど、それで気は晴れるかも知れない。憎悪という幼稚で野蛮な、対人問題解決法を行使する人が、身の回りから憎悪を消し去ることが出来るだろうか。

 相手が許そうとしても、自分の情念をなだめることが出来ないのであれば、問題はなおのこと深刻だ。宇宙の総ての魂が善良であっても、自分一人は憎むことを止められないということなのだから。

 魂は進歩を続ける。……愛や歓びを遠ざけて、憎む心ばかりを大切にしていて、一体その魂はどのような進歩を成し遂げるのだろう。

 肉体の死と共に憎悪が消えていくのであれば、救いもないが、気が楽だろう。だが、魂が永遠の生を歩むのであれば、憎悪を抱くのは、より多くの苦悩と不安と、不安を消すための闘争が待っていることになる。


精神統一の意義?

2005/08/02

2005年 08月 10日


 8月のオフ会はお盆の最中のためか、思いがけず長時間会場を借りられることとなった。とはいえ、6時間も7時間も精神統一をするのはなかなか辛い。ちょっとは工夫をしようかと思い、テキストの制作を思い立った……が、背後に反対された。

『知識がつけば、人は直覚よりも知識で物事を判断しようとする。霊界の者達からいわせれば、そんなことはわざわざ眼をつぶって、記憶と手探りで前に進むようなものだ。目が見えないのならばともかく、なぜ眼を開く努力をしないのか?』

……なるほど、ではブログもサクッと削除しちゃおうか?

『人は智慧を尊ぶ。悪いのはそれではない。見て行えば簡単であるのに、眼をつぶったまま、言葉で得た知識でことを為そうとすることである。眼を開く訓練が出来るときは、それに専念すべきであろう。』

……なるほど、ではまあ、休憩時間の取り方でメリハリをつけるに止めるか。でも、そこまでいうのだから、何かしら見せてくれるのでしょうね?

『約束はせぬが努力する……』


お盆に祖先は帰るか?

2005/08/02

2005年 08月 02日


 最近では「夏休みの分散化」などという表現もあるが、やはりお盆の頃には高速道路が各地で渋滞を引き起こす。…… お盆は祖先の里帰りだけでなく、生きている子孫等の里帰りシーズンでもある。同時に海外旅行のハイシーズンも兼ねていて空港も混雑するが、「アラ、あの家は海外にお墓があるのかしら?」等といわれることはない。

 かくいう私は、霊媒を自認し、先祖供養の大切さを重々知りながら、「怠け者の節句働き」などといわれながらも、わざわざこの時期ばかりは会社で懸命に働いて、「わざわざ混雑する時季に遠出するなんて……」などと混雑の模様をテレビで鑑賞していたりする。

つまり、お盆は里帰りの時季ではあるが……誰もが里帰りをするわけではない。

 ところで、お盆には祖先の霊が帰宅するという。――お祖父さん、お祖母さんが、孫にそう教えるのであれば微笑ましいが、心霊家がこういうのであれば注意が必要だ。

 霊魂だって、元が人間であれば、それぞれに自我があり、自由意志があるはず。ならば、人々がお盆に里帰りしないのと同様に、里帰りしない霊魂だっていておかしくもない。

 更にいえば、霊感のある人であれば、お盆やお彼岸に限らずに祖先の霊が時折子孫の様子を見に来ることを知っている。

 ついでにいえば、お盆のいわれは、釈迦の弟子、目連尊者が地獄で苦しむ母代りに善行を積むことから来ている。……いわば、地獄の住人を助けるチャンスなのであって、この日しか子孫を訪ねることが出来ない祖先の霊とは、地獄にいる霊魂でしかないはず。

 確かに、帰幽(死の)直後で、未だ死後世界での適応訓練中の未熟で、大部屋住(集団中で指導を受けている)の霊魂であれば、勝手に出歩くことが出来ず、まして一人で出歩くことが出来ないから、お盆やお彼岸といった時季に外出許可と引率を得て出歩くことはあるようだ。また、そういう不自由な境遇の霊魂たちは、もう子孫が先祖供養の準備などを始めたなら……いや始める前からもう、ワクワクして大騒ぎをすることもある。

 お祭り好きが騒ぐ一方で、ニヒルに構える落ち着いた霊もいるし、我が子を棄てた者やこっそりと家族を裏切った者(不倫など)などは、この時季が早く終わらぬものかと小さくなっている。また、前世で悪行を為した者の中には、この時季が謝罪のチャンスであると懸命になる霊もある。

 人の数だけ、お盆の過ごし方がある。霊魂の数だけ、お盆の過ごし方がある。

 お盆にだけ帰宅できる霊もいるかも知れない。でも、大抵の霊魂は自由に里帰りできる。……人に自由意志があるなら、死者にだって自由意志があるのだろう。その死者の霊魂が杓子定規に動くと考えるのは矛盾している。

 修行の初期段階では自由は少ないが、修行の進行状況もまたそれぞれの才覚次第なのだ。死後何日たったから霊界入りするとか、死後何年たったから神様になるとか、そう杓子定規には行かない。むしろ、年期だけで境涯が進むと考えているような霊魂は、いつまでも向上しないだろう。


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