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間が悪い

2005/08/31

2005年 08月 31日


「思うように生きられぬ。この運の悪さは持って生まれた業《カルマ》であろうか?」――こういう問いを受けた。

 人によっては、好き嫌いを絶対視して、好きなものを好き、嫌なものは嫌、と区別することが自分らしい生き方と信じている向きがある。しかしそれはいささか乱雑な価値観であることは容易に考察できる。

 もしもあなたが、嫌いな相手から嫌われたとしたらどう思うだろう? おそらく「これ幸い!」と思うだろうが、反対に、好きな相手、または必要な相手から嫌われたらどう感じるだろう?……とても苦しみ、葛藤するに違いない。

 嫌いな相手に弱みを握られるのも辛いが、好きな相手に嫌われるのも辛い。

 してみると、「人を嫌う」、または、「人を好む」という情は、本当に人生の主導権を握る価値があるのだろうか?

 そもそも、関わる必要のない相手であれば、どんなに嫌な相手であろうとも嫌う必要もない。ただ関わらなければ良いだけである。また、どんなに好ましい性格の持ち主であろうが、出会うことがなければそこに好感も生まれようはずが無い。……つまり、好き嫌いは、「縁」の二次的産物なのである。縁がなければ好意も嫌悪も生まれることがない。

 故に……人を嫌い、または、憎む人を見て私は思う。

 自分を苦しめてどうなるのだろうか? 嫌うのであればまず縁を切るべきだ。縁を切らぬうちに相手を嫌えば、嫌うことで自分が苦しむ。

 たとえば会社の同僚、学校の同窓、家族や隣人等……距離が近ければ否応もなく利害がぶつかり、従って憎まざるを得なくなることも多々ある。だが、縁を切らずに相手を憎めば自分が苦しむのである。

 心霊思想は善悪を重視しないが、自分が苦しむような心の持ち方はナンセンスだ。

 間の悪い友人がいる。一生懸命なのだが、どうもそれが誤解される。これもまた、縁のもたらす二次的産物である。

 友人と車で移動中にこの話をした。

 狭い路地に対向車がある。むろん、強引に自分だけ進もうとすれば、互いの車が邪魔で前には進めなくなるだろう。この場は、譲り合うことこそが自分にとって好都合といえる。

 さて、うまい具合に空き地を利用して車がすれ違えば、相手のドライバーに好感を感じるが、お互い譲り合って、譲り合いすぎてすれ違いがうまく行かなければ……『なんだ、あいつは鈍くさい。免許を持っているのか!』などと心の中で毒づいてしまう。つまり、道を譲り合っているのにも関わらず、相手を嫌ってしまうのである。

 一本の道という縁を通じて、うまくすれ違えば相手に好意を、うまくすれ違えなければ相手に嫌悪を抱く。この好悪の差を支配しているのは、「間」である。そして、互いに違う道を走れば、好意も嫌悪も生じることはない。

 男女の恋愛も間が重要な要因である。出会いのタイミングが合わなければどうなっていただろう? または、出会う前にすでに結婚でもしていたら? その出会いが果たして幸せといえるだろうか?

 縁は、前世で決まっているかも知れない。少なくとも生来の性質に大きく左右されることではある。だが、間の悪さは練習・学習によって向上する類の問題で、後天的な問題と見なすべきだろう。つまりここに前世の因縁などを持ち込むべきではない。

 縁がなければ嫌う必要もない……互いに結びつきがあるからこそ、そこに嫌い、憎む必然性が生じる。

 前世を論じるとき、前世で親子・夫婦であったものが今生で憎み合ったり、前世で憎み合った者同士が、親子・夫婦であるというのは、つまり縁が深いからに他ならない。すると、縁を切らずに憎むということの危険性が見えてくるだろう。何度も生まれ変わって互いに苦しめ合わなければならなくなるのである。


 念のため……縁の生む絆は必ずしも双方向には働かない。

 自分がどれほど相手を必要としても、相手はさして必要としない場合もある。

 自分にとって唯一無二の存在だとしても、相手から見たら多数の中の一つの場合もある。

 強がることで、相手を利して、自分に損をさせる事例は数限りなく存在する。……何よりもその失敗は、自分をつまらぬ存在として思い知らされることである。


愛されたい!

2005/08/30

 愛されたい!

05年 08月 29日

 「愛されたくて苦しんでいます」とのメールを頂いた。巷《ちまた》では良く聞くフレーズではあるが、その時、私のインスピレーションには疑念が浮かんだ。

『愛したいのであれば、自分の努力次第だ。まあ、相手次第でもある。だが、愛される為には、誰の努力が必要なのだろう?』

 往々にして自分の努力すらままならないのが人間であるのに、自分以外の誰かの努力なんて、どうしてあてに出来るのか? 求めて得られなければ焦れ、焦れれば苦しく、苦しければ周囲に当たり散らして、自分の内と自分の周囲に地獄を拡げていくだけではないのか。

 これは辛い。この辛さを誰が知るだろう? 人々を苦しめたあとで幸せになる難しさ――償いながら幸せになるのは、自分だけ幸せになるよりも難しいのは単純な論理だ。
「愛されたい」という欲求は誰もが持つ。だが、それを主体とした生き方は行き詰まりの道だ。どんなに努力しても成就することはない。

・・・・・・・

 ちょっと脱線するが、この問題は「霊感を欲しい」という問題と似た性質を持つ。霊感を欲しがる人に私はいう。…… 「あなたが懸命に話していたら、人の話など聞こえません。大切なのは耳を傾けることであって、語ることではないのです。」……多くの人は、誰かに何かを言うために霊感を欲しがる。だが、口を開けば耳が疎かになるのだ。霊感も同様である。しゃべっている内は何も聞こえない。誰かのために智慧が欲しいと想えば想うほど、耳は働かない、想うほど心が働くからだ。

 霊感とは自分以外の意見・他者の意見である。であるなら、自意識が強くなればなるほど、他者の意見から遠ざかるのはむしろ当たり前である。

 愛情の問題も同様だ。誰もが愛に飢えている。だが、もとめる心が何を呼び寄せるのだろうか。いや、愛を求める心が自分から何を奪うのだろうか?

・・・・・・・

 くどいようだが、愛されたいと思う心は誰もが持っている。私はそれを否定するものではない。問題はあなたの心の働きである。求めるばかりで与えることを忘れはしないか?

 宗教心の篤《あつ》い人などは、「無償の奉仕」だ、「滅私」だ、などと言うが、与える者よりも奪う者が多いのが現実である。つまり、ギブ・アンド・テイクですら実現が難しいのである。

 与えぬ者がどうして得られるのか?……そして何より……人を愛することに忙しい人なら、人から愛されぬことにどうして気がつくヒマがあるのか?

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 人から愛されたくて苦しんでいる……実は……愛することを忘れていないか?

 愛することを忘れている……それは魂が未熟であるからか、それとも、報われぬ愛に傷つき疲れたからか。―― それは何も異性への愛をいうのではない。もっと幼稚な話だ。つまり、幼少時に、親を大切に思う気持ちを親から裏切られた人がどうも大人になってからも愛情に飢えているようだ。

 その心の仕組みは私も理解する。だが……心霊主義は善悪よりも可否を重視する…… 過去よりも未来を見て行う方が結局は幸せだと思うが、あなたはどうであろう?

・・・・・・・

追記

 以下は個人的なメッセージである。といっても、特に誰かと指定する気はない。むしろ逆、つまり、自分のことではないと感じたのなら読み飛ばして欲しい。

 血の繋がった親兄弟ですら、愛し合い、助け合うことは難しい。――その苦労をあなたは、赤の他人である今の伴侶に向けてはいないか。

 愛さずに、愛されることを望むのは、とても難しい。とても難しいのだ。


愛と共に成長する

05年 09月 01日

 

 物質的な欲求は自覚しやすく、意思表明がしやすく、コントロールも比較的容易です。ところが精神的な欲求は、誤解しやすく、意思表明が難しく、コントロールしているつもりで振回されることが多々あります。

 特に愛情要求は難しいものです。いったい、世間の男女がささやきあう愛と、マザーテレサのような社会への奉仕者の実践的な愛というのは同種のものでしょうか? この二つはかなり違って見えますが、それこそオタマジャクシを育てればカエルになるように、愛し合う男女はいずれ社会への奉仕に目覚めるのでしょうか?

 男女の恋愛が、家族になることで家族愛に目覚め、隣人愛に目覚め、そして社会奉仕の必要性を理解する…… 人間本来の歩み方であると思いますが、往々、独占欲ばかり強くなって、家族の絆が憎悪を強める仕組となっている事例も多々見受けることです。

 人は愛を求めますが、多くの人は愛のなんたるかを考えることをしません。

 それは結局、いままでの人生で体験した餓えを癒す行為でしかない―― その多くは幼児期の欲求不満を大人になってまで引きずるだけの話です。恋愛ゲームに夢中な頃は楽しくあっても、冷静になれば、まともに相手にするだけばかばかしくなる類のこと。……そこには過去があるだけで未来がありません。

 ここに「霊性」というテーマが生じます。そもそも本能的な欲求を満たすだけで、人はどうして文明を獲得し、文化を実現させていくというのでしょうか?

・・・・・・・

 今を楽しく……という考えは、若さの浪費であって、未来をおろそかにすることでしかありません。恋愛の喜びは肉体の老化とともに薄れていくのですから。

 また、自分だけの歓喜の追求は、夢幻界の絶頂であり、 醒めぬ夢はありません

 幸福感のもたらす酩酊は、酒類のもたらす酩酊よりも遙かに甘美で強烈でしょうが、飽きのこない酩酊はありません。人がもしも、自己の愛的環境に浸って歓喜をむさぼるだけであれば、「飽き」という地獄に陥り、より幸福を知れば知るほど、満足することが遠ざかっていきます。

 酩酊は、困苦を忘れさす麻酔薬として使えば醒めても幸せであるのに、退屈を癒す手段として使う人が歓喜中毒となって、満たされぬ思いの中でのたうち回ることをします。

 互いを幸せにする努力、互いに幸せになる努力……真の恋愛とは、自分の過去を癒すことではなく、自分と周囲の人々のよりよい未来を創造していくこと……精神的理想の追求なのです。

・・・・・・・

  恋愛することで美しくなる人と、醜くなる人がいます。……あなたはどちらのタイプでしょう?


愛って何だ? (自分にとって……)

05年 09月 01日

 人は愛を求めますが、多くの人は愛のなんたるかを考えることをしません。

・・・・・・・

 なんたるかを考えずに、求めるのは、結局、いままでの人生で体験した餓えを癒す行為でしかない―― その多くは幼児期の欲求不満を大人になってまで引きずっているというだけの話です。

 恋愛ゲームに夢中な頃は楽しくあっても、冷静になれば、まともに相手にするだけばかばかしくなる類のこと。…… そこには過去があるだけで未来がありません。

 私は恋愛相談を断り続けてきましたが、そもそも、霊媒に恋愛問題を相談する人というのは、「無理を承知で何とかしたい」という矛盾した論理が底辺にありますが、それ以外にも、恋愛に関する相談事は、どうも当人の親に対する不平不満に聞えて仕方がありません。

 心霊を知らぬ人なら「愚痴ぐらい、いいじゃないか」と思うのでしょうが、霊媒はただの中継者で、援助の実行者は主として、愚痴をいわれる対象である、その人の祖先の霊なのだから……『まだ苦労が足りんワイ!』という言葉がぶつけられないだけ幸せと思ってほしいものです。

 まして、血族が助けようとしないものを赤の他人の好意に期待するのはどういうものかとも思います。


死別した元の交際相手について

2005/08/29

05年 08月 28日


Q 2日前に1年前に付き合っていた元彼が亡くなりました。亡くなる前日に先方の母様から声を掛けられて会いに行ったのですが、行ってみたらすでに結婚していて、子供も産れているのに、なぜ私が呼ばれたのか不思議でした。

 また、遺族の人に「あなたが別れなければあの子はもっと長く生きられたのに……」といわれて、いささか不快でした。

 質問したいことは……

1, 彼とまた会うことになったのは必然だと思いますが、これは守護霊さんたちもその方が良いと思ってそのように動いたのでしょうか?(例えば成長するのにいい機会だとか)それと、彼は私を恨んでいますか??(ムリな質問なら無視してくださって結構です。)

 人と人との絆とは、好き嫌いだけではないのです。愛情(むしろ愛欲)だけに限らず、恨み、辛《つら》み、または怒りというのは二次的な感情であって、まず第一にあるのは、「縁」なのです。つまり、感情や理屈を超えた繋がりがあるから出会い、そこに感情が生まれるのです。

 もしも出会いがなければ愛情を抱くこともないでしょう。気に留める価値もなければ怒る必要もないでしょう。 恨みとか、憎しみとかが表われてしまうのは、実は縁・絆があるからで、相手を無関係な人と心底思っているなら、憎む必要もなければ、そんなことに関わる自分がバカバカしくなるものです。

……従って、守護霊の思惑よりも上位の問題で、それはつまり天気の善し悪しのようなものです。あなたの必要性とは必ずしも関係はありません。もっとも、必要性がないとしても、すべてのチャンスを生かそうとするのは良いことです。

 また恨み辛《つら》み等も、あなたに非がなければ、恐れる必要のある話ではありません。ただ、故人はあなたに対して執着心を持っているようで、それが気になります。つまり、あなたは面倒に巻き込まれた様に見えます。

2, 死ぬ間際まで自分の両親と揉めていた彼が、死んだときは険しいような気の抜けたような顔をしていたのに、数ヶ月ぶりに実家に戻ってきたら顔が笑顔になっていたのは何故でしょうか?? 私の願望でそう見えるだけでしょうか???

 上述の様に、対人関係に喜怒哀楽の情が湧き上がるのは、そこに縁があるからですが、この場合は縁というより、「依存心」・「甘え」というべきでしょう。それが満たされたのならば、人は確かに満足して良いはず。…… つまり最後までワガママを聞いて貰えたことで満足できたのでしょう。

3, 無知なことと、自分に勝てないこととどちらが罪でしょうか?

霊界通信や、それを元にした心霊思想ではあまり善悪を論じません。無知なことも、自分に勝てないことも、それを罪と見なすのではなく、それは不都合であると考えます。つまり、無知であることは自分にとって損であり自分に勝てないことも損であると考えます。

 ただし、無知であることに心の歪みは少ないが、自分に勝てぬ者は往々、負けを認められずに自分に対して嘘をつきます自分に嘘をついてしまえば何が真実か分からなくなり結局苦しみを一生引きずることになります

4,最近の私について守護霊さんはどういう思いでしょうか?成長してないって怒ってますか?

いつもご先祖様に感謝の気持ちを忘れずに(たまにお願い事をしちゃいますが)手を合わせて近況報告とかしているんですが、最近守護霊さんの存在を身近に感じられるんです。物事が悪い方向に行かないようにアドバイスをしてくれているように感じるんです。

 下記も関連しますが、これに関するお返事は複雑です。守護霊さんがあなたのことを大切に思っていることは間違ありません。でも、守護霊というのはワガママを聞いてくれる一種の神様みたいに受け止めてはまずいのです。人生の修行のいわば指導者なのですから、あなたがお願いする(一方的に送信する)のではなく、あなたが、自分の為すべき事を聞く(一方的に受信する)べきなのです。

 そうなると、やはり守護霊との絆を強めるためには、審神者(さにわ)・霊媒の指導を受けて精神統一を行う必要が出てきます。

5, その他、回答者の雑感として

5-1 交際に関して

 人間、頼られると嬉しいものです。そして、どうもあなたは見ていると、大切にすべき人を愛するのではなく、頼ってくれる人に恋愛感情を抱くようです。でも、いい歳をして女性に頼るような男は恋愛相手として適切とは考えにくい……とは思いませんか?

 あなたは交際相手に、とても執着心を抱かせるような長所の持ち主ですが、頼られることはつまり、あなたの幸せの役には立っていないようです。

5-2 「別れなければもっと生きられた」といわれたことについて。

 それは事実でしょう。でも、交際が長引けは、あなたの寿命が縮んでいましたよ。……あなたの考えたとおり、聞き流して宜しい。それも功徳です。逆に怒ってご覧なさい。かえって面倒になったはず。悪縁なんてさっさと棄ててしまうことです。

6, (追加の質問) 今、私に出来ることは「一刻も早くこの世への未練を断ち切って、自分の行くべき世界へ行って下さい」と願うことだと思うのですがいかがなものでしょうか?

 霊媒の中にはそういう祈り方を進める人があるようですが、私は別な意見を持っています。

 人間というのは素直な人もあれば、ひねくれた人もいるものですね。まして、未練を断ち切れ、行くべき所に行けといって、誰が実行できるのでしょう? 勉強や仕事を途中で投げ出す一方で、酒やたばこが止められない……そういう人が相手であれば、説教が役に立つかどうか。むしろ相手を開き直らせることが無いともいえません。

 この場合、相手はあなたの言うことを重要視してくれそうではありますから、あなたが思ったことを実行することは結構なことといえましょう。ですが、死者といっても、相手は元人間であり、人間には、その性質に合った声掛けが大切であることを認識なさってください。


強欲者の耳は曲る。

2005/08/26

2005年 08月 26日


 他の長所は真似がたいが、他の欠点は真似やすい。……長所を身につけるのは難しいが、欠点は真似やすい。それまで努力してきても、人のワガママや欠点を見た途端に、「なんだ、自分だけじゃないんだ!」とばかりに、浅ましいことを始めてしまう。マナー等はたちまち流行に押流されて、下品さばかりが目立つ世の中になっていく。

 無論、総ての人が欠点に流れていくわけではないし、往々、一人の性質中にも、欠点に流れやすい部分と、流れにくい部分もある。


『まだ気が付いていないようだから、注意しておきます。』と聞えた。

 誰もがあなたの理念を理解するわけではありません。あなたの理念をバカにしている人ならまだ害は少ないが、困るのは、あなたに期待し、でも理解しない人々です。期待はするが理解しない人が、あなたの言動の中で注目するのは、理解しやすく、真似のしやすい欠点や話題の中の下品な部分です。

 あなたは読者や聴者を退屈させぬようにささやかな冗談を織り交ぜる事があります。でも読者には話題の要点が心に残らず、ただ合間の冗談だけを覚えていたりするのです。

 そういう理解力に難ある人々が、自分の周囲にあなたの理念を語るとき、間接的な聴者が、いかなる印象をあなたに抱くことでしょう。きっと、くだらぬ下品な理念の持主との印象を抱くことになります。

 そう、悪評判は往々、悪意の流布者からではなく、善意の愚者から流布されるものです。高い理念の持主は、悪意ある理解よりも、理解なき善意を恐れることです。

 特に強欲で、霊達の援助を利用して、楽をして豊かで幸せな人生を送ろうと思う人ほど、あなたの理念や努力を無視して、あなたの冗談や欠点の中からチャンスを見出だそうとします。

 意味あることは何一つ心に残らず、つまらぬ事ばかりを覚えている人のなんと多いことでしょう。強欲な人の耳ほど、その仕組は曲っています。自分の都合の良いことしか聞えず、都合の悪いことも都合良く聞える人は大勢います。

 あなたは、熱心さと強欲さとの違いを正しく見分けることです。


……熱心さと強欲さとの違いをどう見分けるか。

 まずは真実を求めることです。せっかく注意しようとしているのに、あなたが熱心さにほだされては真実に気がつく余地がありません。


分を守って自分を守る

2005/08/26

2005年 08月 25日


  人間には持って生まれた「分《》」または「分限《ぶんげん》」があって、その範囲内でなら欲をかくのも、さぼるのも自由がきいて、しかも、そこそこの成果を得て人生を終えることが出来ます。

 この「人間の分」なるものは、多くの人々が考えるような、一個人の責任の問題ではありません。人は一人では生きられず、多くの人々と様々な関係の中に生きているのです。人生は沢山の他の人生と絡み合って制約を受けるのです。

 たとえばあなたが幸せになろうとして、分限を越えて努力したとします。良い学校や良い会社に入ろうと努力してその結果を得たら…… 入試や就職にも枠があり、あなたが入れば、他の誰かが落ちなければなりません。そして学校や勤め先が将来の人生に大きな影響を与えるのも事実でしょう。

 選択肢の中には、どちらを選ぼうとも結果が同じというものも数多くある一方で、重大な影響を及ぼす選択肢もあります。どうでもいい選択はお好きなように、でも、重大な選択肢は人の意志に反して強引に結果がもたらされるものなのです。

 ところが、たとえ僅かでもこの分限を越えようとするなら……邪魔をされるのであればまだ幸せかも知れません。なまじ、この努力を応援する者がいたりすると……制約というのは他に影響を及ぼさぬ為に必要なものなのです。ホンの些細なあなたの努力が、誰かにささやかな影響を及ぼし、そのささやかな影響がもっと大勢に大きな影響を及ぼして、と、ドミノ倒しの様に多大な被害を生じるかも知れません。それは一体誰の責任に帰するのでしょうか?

 幸せになるためにもっと力が欲しい……あなたが望んで良いのは、あなたの未知なる分の範囲内です。祈りは、人の持つ分・分限を最大限に活用させる力があります。ですが、あなたがその分限を越えようとしたなら……邪魔が入るか、全く効果がないのが普通なのです。さもなければ、望みは叶わず、代りに多くを失うこととなります。

 祈って効果がなければ、あとは焦らぬことです。あなたの焦りは、あなたのすべてをダメにするかも知れないし、あなたの周囲にも悪影響を出すかも知れないのです。そして、望みが叶わぬだけでなく、今持っているものまで失うのはつまらぬ事です。


たまには長所を論じたいが……

2005/08/21

2005年 08月 21日


 欠点の修正法ばかりでは、どうにもつまらない。たまには長所の伸ばし方を扱いたいものだと思っていた。そして今回、憎悪を論じたのだから、出来たら愛でも論じたいな、と思ったが……

『本来、長所というのは人がそれぞれ、自分なりに伸ばすべきことだ。私らが敢て霊界通信という形で、欠点の修正法を伝授するのは、そうすることが人々にとって良いことだからではない。ただ、人々に義務であるところの欠点修正を素早く終わらせて、人生の真意義であるところの、長所の育成に専念して貰いたいからだ。

『欠点の修正は義務ではあるが、なんの報酬もない。やって当たり前で、やらなければ叱責を受ける類のものである。ところが長所の育成は、結果が眼に見え、公私ともに報われる。……これは楽しい。

『嫌なことを終わらせるのには手助けを要し、楽しいことは、始まれば勝手に終わるものなのだ。

『たとえば愛である。人は(己が)愛すべき相手に出会えば、日々の幸せの中、より大きな愛を育てていって危うげがない。そう、人が長所を伸ばす時、人が正しい道のりに乗っているときは、歓びと共に成長が出来るのである。このような時に霊媒の、そして霊界の助けは必要ない。たとえ(人生の)逆風が吹こうとも、手を携えて立ち向かうから自ずと絆が深まる。真に幸せなカップルは、障害さえも歓びに変わるのである。』

……ということは苦しんでいるカップルは正しい伴侶を得ていないと?

『人は変わりうる。今が伴侶でないとしても(適切な役割分担が出来ぬとしても)、永遠に伴侶になり得ぬとはいえぬ。そもそも伴侶とは、同居や結婚の形式的なものには縛られぬ。同じ目的に向かって助け合うのが伴侶である。世の結婚をと見れば、伴侶でないカップルがあまりに多い。相手に依存して、依存することを愛と錯覚し、束縛することを愛情表現と誤解している。

『それは間違った道であり、間違った道は苦しく、そして実りがない。』

……たとえば、別れを促すのも親切なのだろうか?

『不適切な相手と付合っているのであれば、別れを促すのも手助けではあろうが、人は自ら選んだ道でなければ、真に学ぶことは出来ない。つまりは、同じような過ちを繰り返すことになる。一時で比べるなら良い智慧はいくらでも出てくる。だが、長い眼で見れば果たしてどうか?

『人々は、一時の利益だけで進路の善し悪しを比べ、自分の人生は良かった、悪かったと論じる。だが、最後に笑えるのは一体誰か? 死の直前に振り返って、「ああ自分の人生は良かった、自分はよい伴侶に恵まれた……」と誰が思えるのか。自分の我、目先の利益に拘るものは、最後に収拾がつかなくなるものだ。

『なんのことはない。それが人生の仕組みなのだから。

『良い結果は、適切な過程を必要とする。だが人々は過程を選ぶのにあまりに多くのえり好みをする。そのワガママが未来を狭めてしまうことなど誰も見て見ぬ振りをして結果に文句ばかりを言う。そして、一小事ですらワガママで台無しにする人々が、どうして小事の積み重ねである大事を為し得るのだろうか?

『良い結果を出すために伝えたいことは多々ある。だが、いかなる智慧(創業)よりも、無駄を減らす努力こそが、人には有益なのである。』

『欠点の正し方よりも、長所の伸ばし方を論じたいという気持ちも、どうせ読むなら、長所の伸ばし方の方が面白いという気持ちも理解する。だが、欠点をそのままに長所を伸ばしても、人は危ういのだ。危ういことはすみやかに対処すべきなのである。』


審神事例

2005/08/16

2005年 08月 16日


興味深い質問を頂いた。

Q「今朝方霊夢なのかただの夢なのか、私の前世に関する夢を見ました。数人の人がいたと思います。顔は見た覚えがないし、また覚えていません。いろんな話をした気がするのですが、一つのこと以外は覚えていないし、私と誰が話していたのかも覚えていません。ただ、中の一人と顔を合わせて話していたようです。覚えていることは私の前世の話で『○○だった。だから自信過剰だったのだ』という事です。いつの時代とか、名前とかは聞いたのか聞いてないのか、覚えていませんが。ひょっとしてこれが本当の霊夢だとすると、私のカルマ。。というか、前世から引き継いでいる課題を考えるヒントにはなりそうです。もし可能であればお手数ですが、審神者をお願いしても宜しいでしょうか。」

 そもそも、前世って、誰の前世でしょう? 交霊というのは、対話よりもむしろ同体化が普通なのです。すると、 ○○であったのはあなたではなく、あなたへの憑依霊の可能性も無くはありません。

 まあ、そこまでうがった見方をする必要も無いのですが、私の視点からいうと論じる必要性があまりない気がします。なぜなら、欠点だけが今のあなたに出ているのだとしたら、その前世は清算したい借金ではありませんか。

 ですからこのインスピレーションが本当であるか、否かよりも、もっと大切なのは、それが有益であるように努力なさることでしょう。つまり、「前世で○○だったから、こんなの長所があって良かったな。」と言われたときこそ、それがあなたの前世として胸を張って主張できるのではありませんか。

Q「そうですね、論じる必要性は私も感じていません。もし前世が○○だったとしても、まあ光栄に感じなくもありませんが、今の私が抱えてる問題、課題の解決に良い影響を与えるとは思えません。と言うか、勘違いしてしまうと悪い方向へ向かうことにもなりますから。」

 試されたんですよ。心霊を学び、霊媒と付合って堕落しないかどうか。 まあ、お盆に届いたお土産と考えて下さい。お土産なんて、価値がありそうで、話の種にしかならぬものですよね。


故善人者 不善人者師

2005/08/15

中傷を受けて思う。


実は、「不善人者、善人之資」の前には、「故善人者 不善人者師」とある。「故に善人は不善人の師」というわけだが、それをいうなら、「故に」も問題だ。……言葉の一部だけを抜き出して活用するのはいささか卑怯ではある。

 本来の老子の云わんとすることは、「聖人の行いというのは、善人悪人を分けずに活用する。それ故に善人は悪人の師となり、悪人は善人の資《もとで》となる」ということらしい。私はそれを理想としてはいるが、理想はどうにも小手先のワザとなって最後にはしくじる。

 そもそも霊媒というのは、媒介……あの世とこの世の媒介に過ぎない。この世の相談者に喜んで貰えるのは、あの世に協力者がある場合に限られる。つまり、たとえどれほど不公平な問題で悩んでいようが、祖先が身勝手であるなら助けは得られず、不公平な利益を得ている者も、先祖が信仰心篤かったりするとそのまま安らかな人生を送ってしまったりするのだ。

 結局、霊媒の手助けがあると、うまく行っている者が、ますますうまく行き、うまく行かぬ者は、ますますうまく行かなくなるという、いささか不公平な出来事が現出する。……実はこの辺の現実感が、私をして心霊をつまらぬと云わせる所以である。地獄の沙汰も金次第であるなどと、私は認めたくはないが、私の知る限り現実はその通りだ。ただ、いくらか溜飲が下がるのは、金で問題を解決しようとする人は、問題を解決するよりも大抵の場合は、詐欺に騙されるところだ。

 まあ、脱線は程々にしよう。

 故善人者、不善人者師――不善の人から中傷されてアクセス数が伸びる。としても、それを口外してしまえば、その意見を不善の人から逆手にとられて、いわゆる「褒め殺し」に合うかも。まあ、結局、それを私が利用できればよいわけだ。

 正しい志であれば道は開けるし、どんなに理に適っているようでも、間違った志ならば道は行き詰まるものだが…… 嫌も応もなく下らぬ争いに巻き込まれている自分が可笑しい。


何を学ぶか

2005/08/15

Q「人は何を学ぶべきでしょうか」

 生から学ぶべきである。――人が眼にする一番の神秘は、子の誕生である。また、よく似た双子であっても歳月は差異を増やし、個性を育てていく。 人の数だけ生き方があるのに、一冊の書、一つの思想に従うことは、個性の抹殺でしかない。大宇宙は独自性を産み、育んでいるのに、なぜ人は、一つの書、一つの思想で人々を縛り上げようとするのか。
 経典・聖書の為に生きるのではなく、生きるために経典・聖書を生かすことだ。学ぶために生きるのではなく、生きることから学ぶのである。生きることから学ぶために、人は地上に生を受けるのである。経典・聖書を学ぶために産れてくるのではない。書は霊界でも読めるのだから。


2005-08-15

霊査事例: 2005年8月14日(東京オフ会)

2005/08/14

 以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての代表的な霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。  以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。


霊査総論

 自分を評価する――まず、自分が抱いている誤解や錯覚を減らすことです。次に、正しく今の自分を評価してください。改善には無理をせず、発想の転換を心がけてください。

霊査事例1

  • 『腹で考えよ――頭で考えすぎて、色々なものが見えなくなっています。』
  • 『一人相撲は、勝ちも負けも自分一人です。……人生、一人で生きているようでも二人三脚であることを忘れずに。』
  • 『戦えば傷つきます。――往々傷は、戦いが終わってから気がつくものです。』……心中の葛藤があなたを敗北者にしています。
  • 『一家の大黒柱が父なら、家族の心の大黒柱は母です。――残念ながらご家族の心の中にも、すでにお母様が死しています。墓地の前で寂しそうに佇む姿が目に映りました。』

Q ……ではどうすればいいのでしょう?
A すべてに答があるわけではありません。相手の気持ちに感じるものがあれば、歩み寄る努力も大切になります。

霊査事例2

  • 『形になる直覚ばかりではありません』――あなたはインスピレーションを受けやすい人ですが、どうも霊的メッセージというと、幽霊が見えたり、霊言を得たりという野暮なことばかりを想像して折角のインスピレーションが活きていません。
  • 『知識よりも同情することが大切です』――いくら知識があっても、それを人に生かすためには、相手を知らなければなりません。しかし人の心は見えぬもの。すると、相手になった気持ち、つまり同情する事で相手に相応しい知識を生かすことが大切だということです。あなたは好奇心も強く、知識をいろいろと学ぶことが好きですし、実際博学です。でも、相手に有益な助言が出来なければ、折角の知識も持ち腐れです。
  • 『肝臓に頼る楽しみばかり多すぎます。』……『俗』とは己を卑しめる楽しみ方を言います。
  • 『ショウガ湯』――ショウガだけでは苦いので大方は甘みをつけますが、梅干しでもおいしいですよ。

霊査事例3

  •  座っているときに身体が曲がっていらっしゃいますが、しょげているのでしょう。――『小局面では悪いことだらけかも知れません。でも大局では胸を張って良いのです。』
  • 『自分で考えないから目先のことしか見えなくなります。』――部下の育て方を間違わぬように。

霊査事例4

  • 『気が多い』――移り気だから、善さが見えません。仕事とにらめっこする気概をお持ちなさい。
  • 『絶望』――考えても仕方の無いことをいつまでも考えるから、疲れて、絶望してしまうのです。
  • 『マァー良いか』――あなたの作品は、それを使う人の物です。ですから手抜き仕事は泥棒と同じです。
  • 『リセット』――行き詰まったら発想を変えることです。
  • 『糸口』――糸口が見つからずに糸を弄るからますますもつれます。
  •  結局、疲れているから集中が続かず、そのくせ、不幸な考えは振り払えなくなり、義務感も薄れます。

霊査事例5

  • 『自信の持ち方を間違っています。批評よりも提案する事が大切なことをお忘れ無く。』――精神統一中も私の眼には複体が見えまして、あなたの肉体の前にもう一人、きつい顔をして統一しているあなたの姿が見えました。まるで、精神統一している自分を精神統一しているような感じです。これはよほど自意識が強調されているのだと思います。……そんなのは自分じゃない!という憤りが、これが本当の自分だ! という想念が表われているのでしょう。
  • 『良いと思える作品は自分が作る。良いと言われる作品は神が作らせる』――自分の枠で作品を縛らぬことです。…… やはり自意識過剰を暗示しています。こういう状態では良い仕事が出来ません。自我が入りすぎて、自分が納得できても人が認めない作品となります。スランプの予兆ということです。
  • 『子供のケンカ』――つまり、誰かが仲裁に入らないとエスカレートする一方です。
  • 『結果が出てから考える――動き出したら急に止まれません。対処が遅れたら解決はさらに、さらに遅れるのです。結果が出る前、動き出す前に、あなたは予測して動き出さねばなりません。』
  • 『言われてから行うのではなく、言われる前に行うことです。』――とにかくあなたは間が悪い。タイミングの計り方が下手というより、チャンスをぶちこわす名人という表現の方があっているかも知れません。……それは出来ないのではなく、出来るのだけど正しいやり方をしていないと言うことです。

お知らせBy老神いさお。

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