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障害は人生の意義

2005/07/16

障害は人生の意義

2005年 07月 19日

 人生、金も人も時間も思うようになりません。自分の向上の努力だって容易に壁に突き当たり、挫折の種は尽きることもない。

……神様は本当にいるのかしら?

……あの霊媒、ちっとも役にたたねえな!

等という蔭口もあちこちから聞こえてきます。

 しかし……少なくとも私は、「よろず問題無料解決」的な看板は出してはおりません。それどころか、当サイトのあちこちには、因縁果・因果律、「自分で蒔いた種は」的な文章が読めるはず。

 霊界通信の多くは、人生の目的を「魂の向上」と教えます。それはつまり、計画通り、計算通りには行かない世界で、理想を形にしていく事が、その手段であるということです。

 思うようにいかない……それはつまり、あなたが適切な人生のコースを辿っているということなのです。すると真の問題は、障害を克服できぬこと……さらには、解決の気概が失われやすいことなのです。

 自分を守る霊・守護霊や祖霊の存在を感じ取り、それら背後霊がいかなる論理の元に、ある時は自分を助け、ある時は助けを与えぬのかを知ることが、困難多い人生に力を与えてくれるかも知れませんね。

・・・・・・・

 与えてくれるかも知れない……という表現はなんとも心細い言葉かも知れません。でも、誰の者でもない自分の人生なのです。映画や小説ならば、自分に代わって大事を為す、ヒーロー、ヒロインを期待するのは当然でも、自分の人生の主人公は他の誰かを据えるわけには行きません。

 自分が主人公、自分が人生のヒーロー、ヒロインであるように努力しなければ、それこそが、人生の損失です。……この人生の損失の、自殺よりもいくらかましなのは、思い直せば再開できるというだけのこと。人生の意義を正しく生かさなければ、行きながら死んでいるのと代りはありません。


障害は人生の意義?

2005年 07月 21日

人体操縦法

 人体は優秀な自動機械の一面を持っています。たとえば人が歩くとき、右足前に、左足前に、と、一々指示をする必要はありません。歩こうと思うだけで身体は自然と準備を始めて歩き出します。慣れた道であれば道順すら思い出す必要もなく、むしろ反対に、寄り道する用事があってもうっかりすると通り過ぎてしまいます。

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……だからなんだ、それが心霊とどう関係がある?

 ありますとも、とても大切なことです。たとえば憑依霊が人を歩かせるとき、右足前に、左足前に、などと一々念を押しつけるのは憑依がうまくいっていないからです。上手に憑依した霊なら、単に憑依者に目的を指し示すだけで事足ります。つまり、悪霊の側からいえば、ばれない憑依が上手な憑依であって、ばれるような憑依はつまらぬ低級霊どころか、下手をすると「予防接種」代わりに守護霊や、その上位の神霊らが企画して居る場合もあります。

 妙に感情的に霊媒を嫌う人などは、このばれない憑依の被害者であったり、反対に、ばれる憑依の被害者がいくら霊媒を頼っても楽にならないのは……つまり自分の免疫力を上げるのが目的だから……というわけです。

いつ反対するか。

 憑依霊でなくとも人体の操縦法を理解することは大切です。まず、ポイントは、相手に操縦していることがばれないようにする事が大切であると、認識することです。

 たとえば、家族や友人などから、相談事を持ち込まれたとします。いや、それどころか、見ていられないような悪事や、稚拙な行為を見つけたときにも当て嵌まりますが、この時不自然な矯正を行おうとすれば、相手は自我の働きのもとに逆らおうとするでしょう。立場や実力の差から表面的には逆らわなかったとしても、心の中に怒りや恨みを貯めていくかも知れません。 まして、この不自然な矯正を行う者を大勢持っている抑圧された人などは、爆発性の危険物と同様です。

 善意の注意が、結局、性質のぶつかり合いが原因で怒りや恨みを生じさせる……なんと不毛な話でしょう。それでなくても小言好きな人は、半面に自己顕示欲の強さを持ち合わせていますから、当人は善意のつもりがどうしても不自然な矯正になってしまいます。

 では何が大切かというと……念の為に自白しますが、私は必ずしもこの人体操縦法の最善の使い手ではありません。様々な事情・立場の板挟みの中で最善を目指しているだけです……まず、相手が迷っているときならば、助言者は自分の思うところを遠慮無く述べて善いという事です。

 しかし、多くの人は動き出してから他に相談を持ちかけます。これは非常な注意が必要です。というより、危険な状況です。そもそも当事者が本当に自身があるなら、動き出す前にあなたに断ることでしょう。それが最後まで黙っていて、実際に動き出してから相談するのは、自分自身が不安であるのを打ち消すために他人の意見を求めているだけなのです。

 頑張れといえば破局、ダメだといえば、「味方だと信じていたのに!」、どういっても不幸が生じます。…… まかり間違って好転する確率は絶無ではないとしてものは宝くじに当るようなものです。とくに霊媒にこの手の相談する人などは、宝くじに当るような幸運を求めている場合が多いわけですが、はっきりいって、ろくな徳も積まずに、霊媒の功徳を願うような者は、当たり前の確率さえも得難いもの。

 もう後は、大難は小難、小難は無事に……と祈るしかありません。

 しかも、困ったことに、迷っているときからちゃんと相談できる人は、ちゃんと相談するのに、それが出来ない人は必ず動き出してから相談することです。……人間、持って生まれた不幸の数はこなさないわけにはいかないらしいのです。


小石も躓けば障害

2005年 10月 11日

 金銭問題に関して書こうともくろんでいたのに、何やら忙しくてまとめる時間のないここ数日。ジタバタしている内に今朝、友人の店でボヤ騒ぎがあったとのメールが届いていた。

・・・・・・・

 失敗に落ち込み、自ら自分を責める以上に、子供達に見せる背中の心配をしている。うーん。たしかに。たしかに。……親として、子供に恥じぬ生き方、つまり、親の背中だけですべてを語ろうとする姿勢は誇りだよねぇ、と思う。つまり、つまり、子供にわびしい背中を見せたくないという思いが、親として一番大切にすべき誇りでは無かろうか。

 うん、まあ、そうだと思う。いや、少しぐらいは違ったとしても、それぐらいの覚悟無い親が良い親になれるのだろうか? 

……などと他人事なのに開き直ってしまったりする。

 ま、私には子供はいない。だがまあ、色々な書物(と霊感)を通じて古今東西の英傑の生き様を学んでいる。その上でいうなら……

 英傑の二代目は親という壁を乗り越えるのに苦労する。苦悩している姿を後進に見せることがないから、後進達は先人(親)を神格視してしまう。すると、親が子供に見せるべき一番の背中とは、困苦をバリバリと乗り越えていく姿ではなくて、苦悩しても真っ直ぐに進む姿では無いのか? 苦労ない姿を見せられれば子供達、跡を継ぐべき後進達は完全無欠でない(つまり悩みが絶えない)自分と、完璧に見える先人とを比べて自己嫌悪に陥るのだから。

 言っていて無責任にも思わなく無いが(子を持たぬ私としては)……

親が為すべきは、苦悩しても真っ直ぐに進む姿では無かろうか?

 子供に見られて恥ずかしいのは失敗する姿ではなく、失敗を誤魔化そうとする姿だと思う。……頑張れ。心底そう思う。

 神は人に乗り越えられない試練を与えないという。――すると、人に乗り越えられない試練を与えるのは誰なのだろう?
 失敗を責めるだけなら仇《かたき》でもできる。だが、心底、いたわれるのは味方だけだ。完璧を自分に……そして子供達に強《》いるのではなく、励ますことの大切さを子供達と分かち合って欲しい。

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 人間……とくに向上心のある人ほど、大きい障害を求めて、小さな障害を疎かにする。でも、爪先だって歩けば…… つまり無理して背伸びをしている人には……僅かな障害ですら命取りになる。たとえば車の運転。ちょとした運転ミスで人生が奈落の底に沈む事は容易に想像がつくだろう? 人を撥ねたらどうなるか……激突したらどうなるか…… その切っ掛けは、結果ほど大袈裟なものではない。たった一個の小石が悲劇の原因にも成りかねない。

 人生に立ちふさがる大壁……そんなものが無くても自分に隙があれば、または、無理をしているなら、小石一つで人生の転機を迎えざるを得ないのだから。

 問題は障害の大きさではなく、その障害を迎える自分のゆとりなんだと思う。

・・・・・・・

 ……ああ、たまには私も励ましてね! だって、励ますだけでは寂しいじゃないか? 

 摂理は一得一失。ギブアンドテイクさ。


誰が破邪の剣を欲しがるか!

2005/07/16

2005年 07月 16日


 入浴中に、突然霊感が働きだした。

『……どんな魂でも裁ける力を得たら、あなたは何をするだろうか?』

 中高生の自分ならばその話にも乗ったかも知れないが、さすがにこういう馬鹿げた話題に興味はない。無視していると……

『お試しであるから、答えられよ』とたたみ掛ける。……情けなくなってきた。テストに掛けられているのだ。そういえば霊感が始まったばかりの頃にも、「破邪の剣」なる物を貰ったっけ……試しに霊感の開けていない弟を実験台にして、霊視でしか見えないその剣を、弟の腕に当ててみて、右の手に当てたか、左の手に当てたかを質問したところ、数十回とも弟が当てたので、さぞかし役に立つだろうと信じたが、結局屁の突っ張りにもならなかった。

 それを思い出してますますバカバカしくなって、結局、試験官を追い出した。

 そもそも道具というのは、目的によって選ぶべきものだ。……目的も無く道具だけ与えるというのは、受け取った者を縛るのと同じだ。

 そして、破邪の剣を受け取るということは、正義を貫くという決意である。――未熟さを導いたり、過ちを正したりせずに、悪い奴をみな消せばいいって……そんな乱暴な話を、大の大人(私)が相手にするか。

 ……というか、結構なお試しか知らないけれど、その気になって調子に乗って破邪の剣を振り回して、除霊ごっこをする霊媒も多い。霊能力を得るというのは同時に力への渇望が背景にあるが、近代史が戦争と破壊の歴史であるのは、力への信仰がその背景にある。…… 業が深すぎるよ。


知るべき事、余計なこと。

2005/07/16

2005年 07月 16日


運命……無風の怖さ。

 未だ、MS-DOSが主流だった時代。道楽でノートパソコンにしこたまフリーの占いソフトをインストールしていた私は、悲観的な某友人に散々運命鑑定に付合わせられて辟易とした。

 ちょっと脱線するが、この某友人は、友人の友人という位置づけにある。仕事上の付き合いから仲良くなった友人のその友人であった関係から一時つるんでいたのだが、この二人、なぜ楽観的な友人が、悲観的な友人を持つのか、がしばらくの間、大きな疑問であった。後日、気づいたてみればなんのことはない、一方の運気が上昇中で調子に乗っているのを楽観的人物と誤解し、もう一方の友人は運気が下降中で意気消沈しているのを悲観的人物と見ていたのだ。

 私は彼らの「運命の働き」をその人間性と見ていたわけだが、運気の変化と共に彼らの人間性(と私が感じていたもの)もまた変化し、彼らの転職を機に疎遠になり、私はその状況を積極的に利用した。……彼らの転職(独立)には付合わなかった。

なぜ彼は運命鑑定にしがみつくのか……彼は無風状態にあったからだ。

 帆船時代、船乗りたちは逆風さえも前進力に換えた。彼らが恐れるのは逆風ではなく無風だった。それと同様である。希望を失った人間も非難されれば対抗心や復讐心を杖に人生を生きる。人が真に不幸なのは、希望を失うことではなく、為すべき事を失った時だ。

 が……いくら占いなんてしても状況は変わらない。なんとまあ不毛なことだ、と思いつつ、この時を耐えた…… 希望に変わる憎しみの対象にわざわざ立候補するのもバカバカしく思えたからだ。この時はうまく逃れることが出来たが、憎しみの対象に捕まったことは三度ならずある。我ながらナンセンスな話だ。

 話は変わる……おそらくは。

守護霊の鑑定……その裏話。

 人間に守護霊があるか、否か……真の問題は有無ではなく、その強弱・性質であろう。その守護霊をどう鑑定するのか。多くの人は霊媒にその鑑定を求める。特に人生が無風状態の霊魂肯定論者ほど守護霊に関心を持つ。

 これがもし不幸な最中にいる霊魂肯定論者であれば、霊障を先に心配するだろうし、うまくいっている人ならば、自分の才能を過信しがちで、往々加護に感謝することを忘れる。

 まあ、それはともかくとして、霊感に乏しい人であっても、憑依霊や守護霊を感じ、そして、信じられる時がある。いうまでもなく、運気がどんどん低下している最中であれば、憑依霊の存在は信じやすいし、運気がどんどん上昇していれば守護霊の存在は信じやすいものだ。

 ここまでが基礎・前提の話である。

 いわゆる、世間で成功者と見なされる人は、その守護霊・祖霊……いわゆる背後霊の働きが活溌であり、それら背後霊を見極め、そして、信じさせる事は容易だ。むろん、障害・不幸のどん底にいる人の因縁霊を見抜くのも容易だ。

 難しいのは、平々凡々に生き、努力せずに結果だけを欲しがる人の、守護霊・憑依霊の鑑定である。ビック・ネームが出ても嘘くさく、歴史的に無名であればつまらない。あげくに料金を請求されたらさらに不満を募らせる。

 なんのことはない。不平不満の輩を満足させるのは難しい……。 真に問うべきは守護霊と力を合わせて幸せを得る方法であるだろうに、正しい問いを見いだせないから、有益な答が見つからず、答が見つからぬから、あたら時間を無為に過ごして、不平不満が募るのだ。……全くの悪循環である。

 目の付け所が悪い人は、無為を追い掛けて時間を無為にするのである。

 

無風時の過ごし方

 人生の無風時……にっちもさっちも動かず、ただ憔悴している時機に、霊媒を頼るという話も多い。そもそも自分の力ではどうにもならぬ時機なら、他に頼るしか手が無いというのは自然な発想だ。だが、人生の無風時とは、守護霊・祖霊の働きすら鈍っているのである。

 無理な努力を重ねて、どうにもならぬと不平不満をいう……効果的な行動をとらずして、何が出来るというのだろう? 正しく問題を把握しないから、有益な解決策が見いだせず、解決策もなく努力するから、あたら労力を無駄にし、無駄な労力を使うから疲れてくだらぬ事を考える。何よりも、いざ運気が巡ったときに何も出来なくなっているのでは、愚かさもここに尽きるというべきだ。

  人生は、無理せず、怠けず、嫌がらずに、着々と前に進むべきなのである。時期が来れば波に乗って大きく進み、風向きが悪ければ、危うい方向に流されぬ程度に努力する。…… うまく行かないからと努力を諦めてしまう者が、開運産業の餌食に会う。

 

 待てといわれて待てない人々。待つべき時というのは動くと危険な時なのに。

 

余計なこと

 知るべき事を知らぬ害はとても大きい。……特に、余計なことに関心を持つ人ほど、知るべき事を知ることなくして害を受けるものだ。それはつまり、知ることが悪いのではない。先にすべきこと、後に回すべき事の区別をしない人が陥る誤りなのである。

 手っ取り早く、「余計なこと」と表現するが、その実体は、「大切なことを知らぬ」という意味である。これはとても重い智慧である。……不幸とは、大切なことを疎かにした結果なのである。


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