‘2005/06’ カテゴリーのアーカイブ

相談事例より:対人関係

2005/06/13

上司とうまく行かない

兄貴肌・姉御肌の人ほど、目上の人との関係がうまく行かぬのを目にいたします。私(霊媒)もそういうタイプですが、幸い技術系の仕事をしているために、あまり表面化せずにすんでいます。

仕事熱心な人は、客ばかり目がいって、往々忘れがちですが、自分の収入を事務的に保証しているのは上司であることをお忘れ無く。つまり、自分にとって最大のクライアントは、会社の顧客よりも上司なのです。……変ですよ。でも、人の世の成り立ちはそうなっているのです。

また、人から認められたいという欲求が強い人ほど、上司との相性がまずい人が多いようですが、それは、上司も又人の子、つまり、部下の成果を認めることが自分の否定に繋がるという、人間性の限界が問題を生じているものです。……変ですよ。でも、人の世の成り立ちはそうなっているのです。

 

上司からねちねちと虐められる

注意してください。その原因には相反する二つの場合があります。あなたを辞めさせたい場合と、あなたを辞めさせたくなくて虐めている場合です。

ただし、この二つの区別は案外簡単です。あなたが辞めたくないときに虐められるなら、それは辞めろという意味です。逆なら場、辞めるなという意味で脅しているのです。……どうしてこういう事が起こるか。

……勘が鈍くて、不器用な人は存在感が薄いものです。勘が鋭くて器用な人なら不快に思うことはありません。不快な人とは、器用なくせに勘が鈍い人か、勘が鋭くて器用な人のどちらかなのです。そして、他人を、特に部下を虐めるのは、勘の強くて(動機が生じやすく)、不器用(手段がくだらない)な人なのです。……ですから、あなた以上に、あなたの心の変化を見抜いている人と思って良いでしょう。

 

憎い人がいて縁が切れず、具合が悪くなりそうだ(又は、なってしまった)

負けん気(オフ会の質問への補足を含む)」を参照のこと。

昔からよくいわれることですが、他人を嫌うのは、往々、その相手の言動に自分の弱点を見いだすからだといいます。つまり、本当に嫌なのは、相手ではなく自分自身である……。すると、具合が悪くなる理由が判然といたします。つまり、自分を辞めたくなっているのです。これは最悪の選択なのです。……自己改革の努力が必要です。

 

老いた親との仲が悪い

「仲が悪い」……というと、単なる相性の悪さを連想しがちですが、本当に相性が悪いなら、ケンカするよりも、互いに避けあって、争いも起こらぬ事でしょう。わざわざちょっかいを掛けるのは引かれるものがあるからなのです。……ただ、互いの歯車を合わせる努力無く、自分に合わさせようとするからうまく行かず、うまく行かないのにそれでも引き寄せ、従わせようとするから憎しみが増えていくのです。

つまり噛み合いが悪いということなのです。……相互理解が足りません。

それでなくても、老いれば、自分のリズムを見失いがちです。意地もあって、いつまでも若い頃のリズムを守ろうとします。また、親思いの子ほど、親が老いたことを認めたくなくて、無理を強いたりいたします。結局、お互いに適当なリズムのなんたるかを見出すことも出来ずに、うまく行かないことをお互いのせいにしあえば、ケンカが絶えなくもなります。

 

親の健康状態が不安

病は気からと申します。それにはいくつか異論があるのですが、それはさておき、往々親子で気性が似るもの。つまり、親を思うのも大切ですが、親御さんと同じ過ちをしない配慮も大切ですよ。

 

年上の家族が急に意地悪になった

相手の健康状態が非常に悪化しています。……ただし、医師の検診にそれが現れるとは限りません。


05年 06月 13日

霊査事例: 2005年6月11日(東京オフ会)

2005/06/11

 以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての代表的な霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。  以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。


前論

 努力さえすれば、結果が伴わなくても良い。……地上で、こういう論理がまかり通るのは学校の中だけです。一歩社会にでれば、結果(すなわち報酬)があればこそ、生活の維持が可能なのですから。

 しかし、人間の精神生活という一面だけ、いわゆる霊的視点で人生を見るなら、結果が伴わなくとも努力することに意義が見いだせます。 ――それこそが、人生は霊性向上の修行の場であるということなのです。すると、もう一つ大切なことが見えてきます。霊達……守護霊・支配霊・指導霊等が、いかなる人の、いかなる気持ちを大切に守ろうとするのか、結果を焦らずに努力できる人なのです。

 ここに地上的視点と霊的視点のギャップが存在することに留意してください。霊達も「結果」…… とくに物質的なが必要であることに配慮はしてくれます。しかし、何よりも目的とするのは、その魂の向上であり、霊性の向上なのです。

 霊性の向上の為には、往々代償が必要である――従って、失うことを恐れていては、霊達と心を合わせて働くことは出来ません。

 霊達からのメッセージは往々、叱るような内容のものが多いわけですが、これは、指摘された当人を否定するのが目的ではありません。これもまた視点の相違が生み出すギャップです。目的が向上であるのだから、向上すべき点を指摘しなければその目的を果たせないのです。…… 「ならばどうすればいいのか」……まず自分で考え、そして足りないところを改めて背後霊等に問うことが大切です。

感想

 参加者の皆さんは、だいぶ精神統一になれて、長時間苦もなく、静かに座れるようになりましたが、半面、身構え方が上手になって、座っているけれども、背後と繋がっていないと感じます。数人の方は、もう貰える答を自分で用意していて、逆にインスピレーションを拒絶している姿勢も見受けます。……これでは面白くありません。もう一度初心に返りましょう。……端的に言えば、慢心が見られる、ということでもあります。

霊視

 今回は、珍しく気がそそられて、会場を霊視してみましたところ、一番奥に座っていらっしゃる方のあたりに薄暗い雰囲気の男性が三人、立っているのが見えました。場合によっては除霊も必要か、と思った途端に、私の背後霊から、「よく見よ、生きたる思念ではなく、ただの想念、いわば思考の具現である。除霊に及ばず」……幻想、というよりも、一種、アイコンが漂っているだけだというのです。

 統一後、霊査の他に、一番奥に座った方々に、この話をしました。

「私の見るところ、この人影は、自虐意識です。Aさんは二種類の視点から自分を批判し、Bさんも一つの視点から自分を批判しています。でも、何か起こる前からそうやって反省していたら、切りがありませんよ。」


事例1

  • 『自分を責めるな』……色々と見えたのですが、どうも霊査として伝えるような内容のものがありません。これはつまり、あなたの気持ちが、不毛な事柄に気取られていることだと思われます。
  • 先ほどは、少々猫背気味でしたが、今は、威風堂々と座っていらっしゃいます。それがつまり、自信を持つということです。つまらぬ事を思い出しては、未だ起こらぬ事を恐れて、わざわざ自分で自分の自信を捨て去る必要はありません。
  • 『秋の田に 咲く花ぞ我が心 倉満ちて、心満ちて』 ……小さな不平不満はあろうとも、今は物心両面が豊かな状態ですし、先行きの不安も見受けません。

事例2

  • 『良く話を聞き、よく話せ。』……子供等、純真な気持ちの持ち主との会話中にチャンスを見出すことが出来ます。これは、利口ぶった人との会話ではありません。なまじ専門知識のある人の話は、実があるようでいて実は独創性に欠けておもしろみがないので、そういう話に振り回されぬようにいたしましょう。
  • 『義母の口が悪くなっているが、逆らうな。』……対人関係にご注意を。
  • 某湖が見えて、「この地には人身御供の風習在り、それらの者の供養のために、にぎりめしなど捧げてくれまいか?」と問われました。基本的に供養の要求についてはまっとうな霊査として扱わない事としていますが、念のためにお聞きします。そういう風習があったことをご存じですか?

……戦中に強制労働者が生き埋めになったりしたそうです。

 私はもっと昔、不作の年に若い女性を沈めた姿が見えたのですが、それならば、「にぎりめし」と指定したこともうなずけます。本当の意味での人柱であれば、神になるという思想が通じて、むしろ「御団子」等を要求するはずなので、変だな、と思っていたのです。

……「にぎりめしでいいのですか」「死んだ人に供物が必要なのですか」等の質問

 振り上げた手を降ろさせるには、それなりの理由が必要なのです。精神的なケアは霊界でいくらでも出来るのですが、その前段階で、相手のメンツを立たせるためにもやはり誰かが供物を捧げることが必要なようです。

 もっとも、そんなに堅苦しく考えず、お子さんと一緒に、簡単なお弁当を持って遊びに行くと良いでしょう。お子さんたちの安全はちゃんと守っていただけます。その際に、ちょっと余分なにぎりめしを用意して、水辺にしばし捧げ、その後、水に沈めてください。

事例3

  • 『力の配分に気をつけよ』……気に入った仕事だけに集中して、その他の仕事が散漫になっています。
  • 『自分の意見を発表するだけでなく、他者の発表を聞くのも大切』……他者の発表にも興味深いものがあります。(後で気がついたのですが、他人の発表方法から学べ、の意味の方が強かったかも知れません)
  • いくつか、生活上の不安を抱えていることは理解するのですが、その件について、良い返事は貰えませんでした。ただ、「自分なりにどういう仕事が良さそうか、リサーチ/イメージトレーニングしてみろ、実現させるためには自覚することも大切だ」とのことです。

事例4

  • まんねり(慣れ)から、油断が生じています。その一方で、内向的になって外部に対して無関心に見えます。
  • 内向的との指摘を受けて、だいぶ心の居住まいが良くなりましたが、そうして座っているあなたの背後に守護霊が見えませんでした。これは、あなたに守護霊がいないのではなく、守護霊との絆が出来ていないということです。ご自分の守護霊探し…… どういう気持ちを持つことで繋がりやすくなるかという内面的な守護霊探し……が必要ですね。
  • 『一日に一歩でよいから前に進め、毎日一つでよいから目標を立てて実現のために努めよ』……とのことです。

事例5

  • 『後悔の無事終わらんことを。』
  • 後ろに立ったとき、サイフを落とす光景やら、その他のトラブルの光景やらが二、三見えたのですが、どれも過去の出来事です。あれ、ッと思っていたら……『心配ばかりするな。恐れてしまえば何も出来なくなる。』と聞こえました。
  • 『満ッ山の、木魂(呼魂)ぞ、我を呼ぶものは』……奇っ怪なイメージなので、霊査として扱うべきかどうか、少々迷ったのですが、念のためにお伝えします。私の霊眼には、深山に多数の人魂が集まっている姿が見えて、「あなたはこれらの霊の成仏を祈るべき立場である」と聞こえました。……意味深です。

質問

Q 「腹が立ったときの、気の持ちようを教えてください。」

 『怒りとは相手に対する負けん気である。が、相手に優位を感じているなら、負けん気など感じる必要もない。鷹揚に言わせておけばよいのである。鷹揚に言わせておけぬということは、相手の非を見て、それを正せぬ己の弱さを自覚しているということだ。負けん気とはつまり、勝利を求める気持ちでなく、負けを認められぬ弱さである。弱いから吠える。

 負けだから悔しいのだ。悔しいから、神仏を引き合いに出し、霊媒に頼り、正義を口にして地団駄踏む。

 真に悔しければ勝て。相手の非に対して鷹揚に受け止められる強さを得よ。

 相手に非があるからといって、相手に勝てるとは限らない。すると、神仏・正義の弱さを詰る気持ちが生じるが、それは正しい見地ではない。心霊家であるならすでに教わっているとおり、人は修行のために地上に生を得るのだ。……どうして地上に、学ぶ必要のない者がいようか。……どうして、神仏が、修行の機会を奪うというのか。愚か者だからこそ修行が必要なのだ。ならば、非を持つものは神仏の保護下にある。非を行うためでなく、非を正すために神仏に守られている。それが霊的真相である。

 むろん、自ら非に気がつかぬ愚か者も多い、それ故に様々な機会が準備されようし、その結果、善良に生きようとする者が心を痛めることもまま見ることではある。だが、善良である者も、修行の機会を与えられたればこそ善良に生きられるのだ。同様に非ある人にも機会を与えねばならない。

 許せとはいわぬ。だが、己が気持ちの負けを、神仏の弱さにすり替えてはならぬ。』

常識論(?) 『腹立ちの内容による――己と同じ弱点・欠点を持つが故に相手を憎むことがある。この腹立ちはいわば現実逃避・責任転嫁であるが故に、いかなる救いの手段も当て嵌めることが難しい。いわば、起こらざれば我が身を救えぬが故に起こるのである。そはあくまでも自業自得、誰にも救いがたい。

 対して、相手が現実逃避・責任転嫁するが故に腹が立つなら、その気持ちは報復の為の努力ではなく、事実の改善のために集中せよ。

 さらに、相手が無知・無能故に腹が立つなら、怒ることは己が自滅であることを知ることだ。無知・無能な者は自ら問題を解決する力がない。下手に叱れば、解決のために頼られてかえって面倒になるだけだ。むろん、むろん、人を導く気持ちは尊いが、腹が立つようでは導くことは出来ぬ。……ならば、怒りを棄てることの方が難が少ないと知れ』

 『怒りというのは一種の緊張だ。心の働きだけでなく、身体も一緒に緊張している。緊張したままでは良い智慧も浮かばず、常識的な知恵も役立てる前に自分の暴発でしくじってしまうだろう。まずは身体の緊張を解くことだ。この時、弛めよう、弛めようと考えても、心で心を抑えることは出来ず、かえって焦りが生じてしまうから、逆に心の中で相手をギタギタにすることを想像して、パッと放す、こうすると弛めやすい。また、他人の緊張を解きたければ、相手をびっくりさせるのがよい。ここで見え透いた嘘をついたり、ふざけたりするとかえって我が身に怒りを呼び寄せるが、虫が付いているとか、服にゴミが付いているとか、そういう相手がちょっと緊張するような言葉を掛けて話題をずらすだけで、リラックスさせやすくなるものだ。その上で、常識的な知恵を活かせばよい』


腹の立つとき

05年 06月 12日

 

オフ会で、「腹が立ったときの気の持ち方」について質問を受けた。その回答については、上にまとめてある。内容は重複するが、この回答過程をご紹介する。

当初まとめたのは、この内容だ。

常識論(?)

 『腹立ちの内容による――己と同じ弱点・欠点を持つが故に相手を憎むことがある。この腹立ちはいわば現実逃避・責任転嫁であるが故に、いかなる救いの手段も当て嵌めることが難しい。いわば、起こらざれば我が身を救えぬが故に起こるのである。そはあくまでも自業自得、誰にも救いがたい。

 対して、相手が現実逃避・責任転嫁するが故に腹が立つなら、その気持ちは報復の為の努力ではなく、事実の改善のために集中せよ。

 さらに、相手が無知・無能故に腹が立つなら、怒ることは己が自滅であることを知ることだ。無知・無能な者は自ら問題を解決する力がない。下手に叱れば、解決のために頼られてかえって面倒になるだけだ。むろん、むろん、人を導く気持ちは尊いが、腹が立つようでは導くことは出来ぬ。……ならば、怒りを棄てることの方が難が少ないと知れ』

・・・・・・・

これは当初、廬氏からの通信と理解していたが、正直、面白味に欠けている。対して別意見が出たのが、次の霊信である。

之氏(仮称)

 『怒りというのは一種の緊張だ。心の働きだけでなく、身体も一緒に緊張している。緊張したままでは良い智慧も浮かばず、常識的な知恵も役立てる前に自分の暴発でしくじってしまうだろう。まずは身体の緊張を解くことだ。この時、弛めよう、弛めようと考えても、心で心を抑えることは出来ず、かえって焦りが生じてしまうから、逆に心の中で相手をギタギタにすることを想像して、パッと放す、こうすると弛めやすい。また、他人の緊張を解きたければ、相手をびっくりさせるのがよい。ここで見え透いた嘘をついたり、ふざけたりするとかえって我が身に怒りを呼び寄せるが、虫が付いているとか、服にゴミが付いているとか、そういう相手がちょっと緊張するような言葉を掛けて話題をずらすだけで、リラックスさせやすくなるものだ。その上で、常識的な知恵を活かせばよい』

・・・・・・・

 之氏の意見を私は重視した。実際、腹の立っているときに最初の意見の通りに判断分析できるのであれば、それは起こっている内には入らぬはずだ。……が、どうも廬氏にしてみれば、相手のレベルに合わせた回答として、やむを得ずお茶を濁したものらしい。続いて得た霊信は、これこそが廬氏らしいものと感じた。

廬氏

 『怒りとは相手に対する負けん気である。が、相手に優位を感じているなら、負けん気など感じる必要もない。鷹揚に言わせておけばよいのである。鷹揚に言わせておけぬということは、相手の非を見て、それを正せぬ己の弱さを自覚しているということだ。負けん気とはつまり、勝利を求める気持ちでなく、負けを認められぬ弱さである。弱いから吠える。

 負けだから悔しいのだ。悔しいから、神仏を引き合いに出し、霊媒に頼り、正義を口にして地団駄踏む。

 真に悔しければ勝て。相手の非に対して鷹揚に受け止められる強さを得よ。

 相手に非があるからといって、相手に勝てるとは限らない。すると、神仏・正義の弱さを詰る気持ちが生じるが、それは正しい見地ではない。心霊家であるならすでに教わっているとおり、人は修行のために地上に生を得るのだ。……どうして地上に、学ぶ必要のない者がいようか。……どうして、神仏が、修行の機会を奪うというのか。愚か者だからこそ修行が必要なのだ。ならば、非を持つものは神仏の保護下にある。非を行うためでなく、非を正すために神仏に守られている。それが霊的真相である。

 むろん、自ら非に気がつかぬ愚か者も多い、それ故に様々な機会が準備されようし、その結果、善良に生きようとする者が心を痛めることもまま見ることではある。だが、善良である者も、修行の機会を与えられたればこそ善良に生きられるのだ。同様に非ある人にも機会を与えねばならない。

 許せとはいわぬ。だが、己が気持ちの負けを、神仏の弱さにすり替えてはならぬ。』

 だが、他人の非を見て腹が立ったとき、それを自分の弱さであると自覚し、あまつさえ、その改善法まで智慧を回らせるのは、努力目標ではあるが……「お前の負けだ!」と、いわれて、腹が立つより、冷水を浴びた気分だ。

 ところでお気づきかも知れない。何やら廬氏は怒こっている雰囲気だ。そして、一旦は投稿したこの原稿にさらに補足があるという。以後は、負けん気(オフ会の質問への補足を含む)をご参照願いたい。


霊媒が嫌う質問

2005/06/08

2005年 06月 08日


 霊媒が嫌う質問とは、すなわち、相談者が他の意見を聞く耳を持たぬ相談である。答は大別すれば、イエスもノーもあり得るのに、イエスだけ、ノーだけしか聴きたくないことを他に尋ねる。しかし、霊媒にせよ、その他の専門家にせよ、己の発言には相応の責任を保って任じる者に対し、このような質問の仕方は礼を失している。

それがいかなる心境の発露であれ、己はただ感情の赴くままに尋ねるが、相談を受けた側は、其の後のことまで心配せねばならぬのでは礼を失するどころか、信を失いかねない。

そもそも、イエスか、ノーかで迷っているから次のステップが見えないのだ。人生は連綿と続く。一時の結果は総ての終りではなく、次の判断の始りに過ぎない。しかも往々、現時点の選択がいずれにせよ将来で繋がっているのであれば……選択することに大きな意味はない。

現時点での判断が、さしたる意味もないのにあえてそれを聞きたがる、己の心情の中に、既に「都合の悪いことを聴きたくない」という心が現れているのである。そういう障害物を心に幾つも抱えているから、当り前に持っているはずのインスピレーションが働かない。

現実は、己にとっての不利益を含んでいるものだが、インスピレーションや未来の予想の中にも、多少の不利益が含まれないはずがない。障害をしっかりと見張るなら被害は最小に防げるものを、現実の不利益から目をそらし、警告のインスピレーションから耳を遠ざけ、あげく、他人に意見を求めてどうして難を逃れることが出来ようか。……まして、事が至ってから。

そこに存在しては困る障害物と、ぶつかって事故を起す例は、枚挙のいとまもない。

人々が求めるべきは、「あなたは不幸ではない」という託宣なのか? 

それとも、いかなる不幸をも乗り越えるための智慧なのか?

覚悟を決めるべきだ。

迷うことに異議があるのか? 

迷わねばならぬ程度の答えに価値があるのか?


生死の判断

2005/06/07

葛藤を背負い込む

2005年 06月 07日


 

 心霊相談を閉じている事もあって、私も、すっかり油断していたのですが、霊媒として、一種パラドックスな相談を持ち込まれる事はとても不愉快です。まあ、不愉快な相手が不愉快であるなら、当たり前なことと気に止める必要もないし、相手に悪意もなく、又心霊の素人だからと思えば、溜飲も下がらなくはないのですが……

 だいぶ昔の話ですが、弱っている猫を拾ってきた人が「この猫の命は助かりますか?」……と質問された時には正直参りました。当人は優しさ故にそう質問をするのでしょうが、猫には優しくても、霊媒には優しくありません。

 まして、白隠禅師も言うとおり、人はなまじ知恵があるために、未だ起こらぬ事も心痛(つまり心配)して、余計な苦しみを味わうものなのです。上述、衰弱した猫の例で言えば、相談・質問者は、猫の死を恐れて苦しんでいるのです。「ああ、ダメですね、もうすぐ死にます。病院に連れて行くのは金の無駄です」と、言えばどうなるか?……意地悪して!! と怨まれるでしょう。と言って、「助かります」と安易に希望を持たせれば、今度は、霊感が外れたと言われるでしょう。……人として責められるか、霊媒として責められるか、どう転んでも私にとって損です。……なにより、素直に生きているこの私が、何でわざわざ他人の葛藤を背負わねばならないのかが、腹立たしくもあります。

 だけど、命の価値というのは長さで決めるべきものではありませんし、人の優しさというのも助けた命で決まるものではありません。他のために……ここでは猫のために精一杯看病するというのも、自分の魂の糧になったかもしれません。……まあ、正直そう思っているわけではないのです。なにせ、牛や豚はわざわざ金を払って殺して貰う(肉を買う)のに、猫の命を助けるのに金を払うというのは、何やら依怙贔屓な気性を感じるのです。…… 情という別種の繋がりを持っている人間同士と同様に扱って良いかは、まあ、個人の自由の範疇でしょうね。

 ところでこの霊媒にとってのパラドックスですが、相手が人間であると覿面に問題が難しくなります。

 なまじ知恵があると、未だ起こらぬ事も心痛して、余計な苦しみを味わってしまいます。しかも、病人に心痛を与えると気力が萎えて病が治りにくくもなります。だから(現代ではどうか知らないが)日本では昔から、ガンについては患者本人には告知しないという話を聞きます。……にもかかわらず、「ガンでしょうか?」と質問を受けたら、どうしたらいいのか?

 仮に患者当人からの質問ではなくとも、善良すぎてすぐに顔に出る人からの質問ならばやはり同様です。

 「病気の事は医者に任せて、あなたは平常心を大切にしなさい。患者さんも気に病むタイプだから、平常心の大切さをなるべく教えてあげてください」……これぐらいしか言えないませんよ。

 まあ、どうにでも取れる曖昧な論法……戦略論で言えば、勝利を求めず、敗北しない選択というところですが、まあ、それを第三者から非難されても気に留めるいとまはありません。なにせ、相手のことを思えばこちらは薄氷を踏む慎重さが求められているのですから。

 ただ、その後で、気がついてしまったのです。……あれ、何のために精神統一の指導をしていたんだっけ、と。まあ、この事例では、目の前に病人がいれば誰かに頼りたくなる気もちも解らなくはありませんが……往々、不安や気持ちが落ち着かないなどの理由で、「話を聞いて!」……といわれている自分がフ、ッとバカバカしくなって。

 まあ、こう言うのを「魔が差す」というのであって、バカバカしいからオフ会を辞めるとか、サイトを閉じる、等という闇の声には従う気もありませんが、ちょっと活動方針について反省が必要と思うわけです。

 遠隔地の住人在り、また、公私それぞれしがらみがあって時間が取りにくいと言うこともあるでしょうが、人皆平等に時間には限りがあるのです。私だけが頑張っても幸せになる人はいません。 そもそも当サイトの趣旨は、「悩みや苦しみから逃れる方法ではなく、それを乗り越える歓びを感じつつ生きる」……霊性向上の実践にあります。

 でも、皆、気がつけば安易な苦境脱出法ばかりを知りたがります。……私も知らずにそれに答えようとしていたりもします。


ナンセンスですが……なにか?

2005/06/04

2005年 06月 04日


 私は「ナンセンス」という表現を多用する。受け取る人によってはかなり強引な否定的表現にも受け取られるだろうが、私にとってこの言葉は、語義通りの、「センスがない」……「認識」の甘さを指摘する言葉だ。まあ、ここまでいえばかなり差別的だが、「もっと霊感(SIX SENSE)を働かせろ」的な意味合いもある。

 私は無駄を否定しない。回り道や、右往左往……普段とは違う道を行けばこそ、新たな発見とも出会えるだろう。「急がば回れ」、という格言もある。従って、ナンセンスをユーモアと受け止めることも大切だと思う。

 ただ、急いでいる時には、ナンセンスを慎むべきだ。

 更にいえば、センスを働かせるべき時は、センスを働かせるべきだ。


ナンセンス

2005/06/04

ナンセンスですが……なにか?

2005年 06月 04日


 私は「ナンセンス」という表現を多用する。受け取る人によってはかなり強引な否定的表現にも受け取られるだろうが、私にとってこの言葉は、語義通りの、「センスがない」……「認識」の甘さを指摘する言葉だ。まあ、ここまでいえばかなり差別的だが、「もっと霊感(SIX SENSE)を働かせろ」的な意味合いもある。

 私は無駄を否定しない。回り道や、右往左往……普段とは違う道を行けばこそ、新たな発見とも出会えるだろう。「急がば回れ」、という格言もある。従って、ナンセンスをユーモアと受け止めることも大切だと思う。

 ただ、急いでいる時には、ナンセンスを慎むべきだ。

 更にいえば、センスを働かせるべき時は、センスを働かせるべきだ。……当たり前のことを当たり前と言うのは容易い。だが、世間では当たり前に思えることが不足して苦しむ人はとても多い。


ナンセンス

2005年 12月 02日


 言葉で、心や感覚を表現するには無理がある。聴き手にセンスが無ければ理解することは難しい…… 仏教では理解でなく悟りを要求するのはそういうことだ。

 私は往々、質問に対してナンセンスという返事を返す。無論失礼な返事ではあるだろうが、礼に拘っては混乱がますます広がるだろう。

・・・・・・

  •  ポジティブシンキングで生きたい。
  •  大宇宙に沿った生き方をしたい。
  •  不惑でありたい。

 一見よさげな言葉がなぜか実践できず、理想が人生の足手まといとなる。一見簡単そうな理想なのに実現できぬ自分を、卑下してコンプレックスさえも懐く。それもまじめで善良であるが故に。

……どうしたら実現できるのか?

 私はこの手の質問・相談に、相談者の努力や資質の不足を感じたことがない。ただ、これだけは確かだ。設問が間違っていたら正しい答が得られるはずもない。……実現出来ぬ理由を捜すのに、どうして自分の設問に疑問を抱かないのだろうか?

 誰かが長い思索の末に得た答だけを取出して、それを実現しようとするから陥る過ちだ。

 たとえば、明日私は大阪に出かけるが、大阪の地図だけ用意して、途中の乗換えに関する情報を用意しないとしたら、せっかくの大阪地図も役立たぬだろう。それに似ている。

 思うように生きられぬ人が、苦しんだあげくに、どうしたら前向きに生きられるだろうかと質問を寄せることがある。だが、ポジティブもネガティブも手段であり、手段は目的に応じて選ばなければならない。

 たとえば車の運転をするのに、「交差点では飛出す車や歩行者はいない」、「カーブの向うに対向車や駐車車両はいない」と決めつけて良いものだろうか?……注意すべき時には、可能な限り備えた方がよいのだ。

 どうも私の見る限り、ポジティブシンキングにあこがれる人は、注意すべき時に楽天的で、失敗したときに悲観的になる人ばかりだ。これは逆である。単に取組みが間違っているだけでなく、事故を起してしらばっくれようとするようなふてぶてしさが見て取れる。まして考えもなく行動してもうまくいくのがポジティブシンキングであるというなら、それを求めるのは何とも罰当りだ。

 この問題は更に根が深い。設問が悪くて答を得られない人なら抱えている問題が一つだけのはずがない。たくさんの問題を抱えて疲れ果て、一縷の希望にしがみついていることが多いのだ。だから、ポジティブシンキングや、その他の理想の実現方法を求める事の過ちを指摘されても、それでも答を求めようとする。間違った電車に乗っているのに気がついても、疲れていて席を立てないのだ。

 結局、答を求めているのではなく、重荷を預けられる相手を捜している……だからこそ答が得られない。当事者・責任者である自分ですら嫌な苦労を、誰が好んで引受けるというのか? 他人を利用して楽をしようとするのは泥棒と同じ発想ではないか。だから神・仏からも救われない。

 設問が悪いから答が得られず、頼りかたが悪いから助けも得られない。……だから私は、「ナンセンスだ」という。

 必要なのは答ではなく、センスを磨くことだ。


不明……見えないということ

2005年 12月 13日

 解らぬ人には千語を費やしても解らない。千語でも分らぬことを万語も費やせば疲れてますます理解できない。…… ただ努力を重ねることで知ったかぶることだけは上手になる。そう、実力がなければ、小手先のワザに頼るしかない。

 声を大にして! 筆舌を尽して! 図解で! グラフで! プレゼンソフトで!……

 その一方で、解る人には一言、二言でも伝わる。この差は一体どこから来るのだろう?

・・・・・・・

 力ずくで問題を解決しようとして……出来ない。
 己の力不足に気がついて助けを求め……断られる。
 さあどうする? 懇願する? 脅しつける?
 助けよと脅しつけて、敵を増やす……ナンセンスな話だ。
 でも、懇願しても……めんどくさがられる。

 何が足りないのだろう?
 でも、何が足りないのかさえも見いだせない。

・・・・・・・

 霊能者ですら、自分の得たインスピレーションの意味を理解しがたいこともある。

・・・・・・・

 頭のいい人は大勢いるだろうに、世のなかなか良くならない……何が足りないのだろう?

・・・・・・・

 うまく行かない世の中で、自分は一体何が出来るだろう?


非常識の溝

2006年 07月 07日

 失敗しても、反省し、是正すれば、その体験が次の危機に生きる。だが、失敗を相手の所為にして、自分はただ詰るだけなら、その体験を生かせるのは相手だけではないか?

 心の成長速度は人それぞれであるが、世の中には、自分をちゃんと育てている人と、自分を育てずに他人を育てている人がいるようだ。

・・・・・・・

 さて、「あなたは非常識ですね」といわれたら、あなたは何と返事をするだろう?

  • 「あなただって非常識じゃない」……と、対等に接する?
  • 「あなたの方がよほど非常識だ!」……と、見下して接する?
  •  論じるに値せず……と、遙か高みから無視を決め込む?

 なるほど、人々が「常識」と思うことには幅がある。それなのに、一方的に非常識呼ばわりされたら、腹が立つのが人情だろう。……ナンセンスであるが。

 相手が自分を非常識と見なしたとすれば、それはお互いが当たり前と思うことの間に溝があるということだ。……ということは、共通の話をしているつもりでいても、互いの理解に食い違いがあるということなのである。

 端的にいえば、会話になっていないのだ。……会話の様でいて、会話になっていないことが問題なのである。これでは時間の無駄どころか、誤解が誤解を招いてさらに面倒なことになりかねない。

 それに対して打開策が考えられるか……建設的な方法としては、互いに常識を一時忘れて、面倒でも、使っている用語の一つ一つの意味を確認しながら、共通認識を高めていくことである。ようするに、基礎に立ち返ることだ。

 なにしろ、人が常識と思うことには差があるのだから、理解の溝に気がついたら、互いに歩み寄らねばなるまい。そうしてこそ、常識が成立していくのだ。だが、あなたは溝に気がついたとき、相手に歩み寄ることが出来るだろうか?……歩み寄るどころか、相手が溝に気がつき、かみ砕くように説明しだす事に対して、非難してはいないか?

「人を見下したような態度ね!!」と。

・・・・・・・

 さて、大切な議論の途中で「あなたは非常識ですね」といわれたら、あなたは何と返事をするだろう?……むろん、ここでいう「非常識」という直接的な表現は比喩であるが、用語を選び、やんわりと言ったところで、非常識は非常識だ。

  • 「あなただって非常識じゃない」……と、対等に接する?
  • 「あなたの方がよほど非常識だ!」……と、見下して接する?
  •  論じるに値せず……と、遙か高みから無視を決め込む?

……互いの認識のズレを喧嘩にすり替えてしまったなら、それこそ本当の非常識だ。

 それとも、もっともっと基本的(幼稚な)レベルから議論を再開するだろうか? ……いや、それが出来る人であるなら最初から非常識扱いされないかも知れない。


‘霊障問題 (新編集)

2005/06/03

憑依霊

05年 06月 02日

憑依霊問題を扱う難しさ

「低級霊に憑依される」……私が、心霊サイトを主宰しながら、ネット上で憑依霊の話題をあえて避けるのは、目に見えぬ物に対して通りすがりの読者が神経質過敏に陥らぬようにとの配慮であるが、なにしろ、オカルトマンガやオカルト映画のビジュアル表現が、一般の人々に刷り込んだ先入観たるや大変なものだ。

 偏見だらけで大げさな憑依に関する知識ばかりは誰もが知っているが、本当に身近な問題は誰も知らない。……心霊問題において、基礎研究が疎かにされていると私がいう所以である。

 私の師、そのまた師もかくいう。

「自分の霊格を上げなければ、いくら除霊しても無駄」

「除霊しても戻ってくるから、戻らぬように浄霊しなければいけない」などという話もあるが、その考えはいかにも中途半端だ。たとえば、我が子と交際している悪友をいくら更正させたところで、我が子が毎夜、繁華街をうろついていれば、次々と新しい悪友を仕入れてくるだろう。むろん、悪友らも更正させるべき対象であるとしても、我が子の問題に限るなら、我が子の関心をもっと生産的な方向に向けるべきなのである。

 ……誘惑する悪霊・低級霊等を浄霊しても、相談者自身が余計なことに首を突っ込むのであれば、別な霊に憑依されるだけだ。真に変わるべきは相談者自身なのである。 だから、私は、憑依霊の浄霊よりも、相談者の「浄霊」を重視している。 もっとも自分自身の向上に関心を持つ相談者はあまり多くなかったが……まあ、それは私の心配すべき事ではない。

迎合しやすさこそが問題。

たとえば霊界の指導霊の助けを得て、創造的な仕事をする……原理的に言えば低級霊の憑依と何ら代りはない。しかも、低級霊の憑依はとても迷惑だが、指導霊の憑依がないのは案外困ることである。…… この背後関係は信仰心の強い人にはたちどころに理解いただけるが、信仰心の薄い人からはなかなか理解いただけない。なにせ、人はその信仰心のあり方によって、幸せを感じたときに神社仏閣にお参りする人と、不幸であるとき(開運目的で)神社仏閣にお参りする人とがいるが、それはつまり、高級霊に敏感な人と、低級霊に敏感な人とがあるのだ。低級霊に敏感な人は、害や欠点ばかりに敏感で、人の長所や受けた恩を軽視する傾向があって困る。

悪影響を受ける憑依現象……いわゆる世間一般で言うところの憑依現象だが、悪霊・低級霊達にしてみても、何も憑依相手を腕ずくで従わせる必要性がどこにあるだろう? ちょっと誘惑すればいくらでも悪事に手を染める人がいるのに。……そう、悪事に迎合しやすい人間は、無抵抗で憑依され、あまり自然に憑依されるから憑依されていることにすら気がつかないだろう。――この事こそが、私が一番問題視する憑依霊現象である。憑依されることが問題なのではなく、悪事に抵抗する心の持ち主が減っているから、社会問題が起こるのだ。

ところで、死後の世界に悪霊がいるのならば、それが地上に生まれ変わった、すなわち悪人が地上にいてもおかしくない。つまり、憑依されなくとも悪事を起こす人がいないとは思えない。そもそも、悪事に迎合するのならばすでに共犯、つまり充分に悪人と呼べる。つまり単なる迎合であれば、その問題解決に霊媒が必要とされても、実際、霊媒の出番に乏しい。何らかの事情をこじつけて相談者自身が霊媒の前から立ち去るだろう。

 何を持って憑依霊と呼ぶか

憑依現象の中には、対象者に好影響をもたらすものもあり、悪影響をもたらす場合も、対象者が自ら進んでそれを行うのであれば、いずれにせよ問題にはなり得ません。ただ、無理強いされたとき、人はそれを苦痛に感じ、専門家への相談をするのでしょう。…… このレベルの問題は、そう件数も多くなく、大変そうに見えても解決への希望があります。……私が解決を難しく考えるのは、 もっと地味な憑依霊現象です。

憑依霊現象とは、つまり自分の心の中に、他者の意識が投影されると言うことです。……自分が他者から操られているか、否か、その判断をするのも自分の心なのですから、その区別はとても難しいものです。単に自分の心をいくら反省しても、その過程で憑依霊の有無を感じ取るのはまず無理でしょう。

しかし、他者が命じることは、その命じた者に利のあることです。そう考えると、地味な憑依霊現象の影響下にあっても、憑依の有無を判断することが出来ます。つまり、利己的に行動しているつもりで、その実、自分に利のない行為に没頭していたら……他者に支配されていると想像することが可能でしょう。

辞めようと思いながら、辞められない……こういう現実に横着したとき、「どうせ辞められないんだから続けてしまえ!」と思うのであれば、憑依霊の思うつぼなのです。


霊障問題 1

05年 08月 07日

霊はどこにでもいる

「我が家には何かの霊が住み着いていて、災難はその霊障ではないか?」……という質問が出たとします。この回答はなかなか難しいのです。一般的に霊媒が、「ここには霊が存在しません」といったとしても往々それは自分の波長の合う霊がいないということで、ちょっと苦しい比喩ですが、FMラジオが受信できる番組がないからといって、AMラジオも役に立たぬとは言えないのと同様です。

 それは特殊な事例としても、霊媒が霊視して、何らかの低級霊が見えない家など滅多にありません。仮に低級霊が見えなかったとしても…… たとえば私が師の家を訪ねたとします。すると師の背後霊の気配が充満していて、低級霊を感じる余地がありません。しかし…… 師の守護霊は私にいつも微笑みかけるのに対して、霊媒としての師の通信霊はお小言ばかりをとばしてきます。すると、低級霊がいないからと言って、個人的に不都合な霊が全くいないとは限りません。

 ではいっそのこと、霊の全くいない環境が作れるかというと、私の体験からしても困難であると考えます。 かつて私は霊感発現初期に、集まった低級霊に苦しめられたのですが、いくら追い出しても切りが無いことを理解した時に発想を転換して今があります。つまり低級霊を追い出すのではなく、高級霊…… せめて私にとって不快ではない霊達が常に自分の廻りにいてくれるような精神性を身につけることが大切であると悟ったのです。

 その経験からいっても、霊の存在しない環境を作ることは、空気中に真空の箇所を作るより難しくあります。…… 真空を作るには容器が必要でしょうが、霊が存在しない環境を作るためには、いかなる容器が使えるというのでしょう? それならむしろ別なものを充填する方が良いわけです。

 整理しますと、低級霊のいない環境は滅多になく、不都合な霊も存在しないのはさらに珍しく、霊のいない環境を作るのはまず無理である……ということになります。

短気がトラブルを拗らせる

 さて、霊障を恐れた人が私にメールなどで相談を持ち込むと、長々と上述の解説を読まされることになります。まあ長い解説は誤解の種ですので、それを避けるために古典的叡智……要するに方便……を使うという手もあるのですが、心霊研究を名乗りながら迷信を利用することは私にも抵抗があります。すると焦っている人からは、

「そんな屁理屈は良いから早く除霊してくれ。それとも出来ないのか!」などと昂奮させてしまうこともあります。…… で困っているのに相談相手からノンビリとした回答が返ってくれば腹が立つのも情緒的には理解できなくはありません。しかし、この時の相談者の心情……もしくは霊性はといえば、独善的、かつ攻撃的で、これでは低級霊との縁が深まる一歩です。

 低級霊との縁が深まる……たとえば誰かにケンカを売られたとします。これを単純に買ってしまえばトラブルが拡大してしまうでしょう。ですから相手との波動をずらす……要するには理性的な対処がトラブルを最小に止めるわけです。ところが、霊障に悩む人々が、霊障問題に腹を立てたあげくに、霊媒にまでその怒りを向けたらどうなるでしょう? そう、トラブルが拗れ、なおかつ他に飛び火しかねないわけです。……ここでいう飛び火とはつまり自分を不幸にしようとする相手が増えるという意味です。

 更にいえば、霊障に対して、除霊を期待するということは、暴力に対して暴力で報いるという選択です。これはよほど力量差がないと闘争が長引いて霊障以上の自傷を受けたり、注意力や集中力が散漫になって、霊障以外の問題が拗れていったりという副次的な被害ももたらします。……そうなると、相手と自分とどちらがより自分にとっての悪霊なのかが微妙になってきます。


除霊法を知りたい

05年 08月 10日

「除霊法を知りたい」という質問を想定します。

 しかし……

1,相手は本当に悪霊でしょうか?

 私の経験でも、祖先の霊が警告を発しているのを祟りと誤解している方がかなり見受けられます。「霊イコール悪」という潜入観念や、悪霊や妖怪らとの対決マンガの見過ぎでこのような誤解をするのでしょう。憑依し悪影響を及ぼす霊を指して、俗に因縁霊という表現もありますが、因縁深いのは、赤の他人や仇よりもむしろ親子や親族なのです。本当は味方であるのに、冷静を失った判断で相手を間違えたなら、あなたはより大きな不幸を招くことになります。

2,力で解決すべき問題でしょうか?

 たとえばあなたがケンカに自信があるとしても、目隠ししても勝てるものでしょうか? まして強さは相対的なもの。あなたが除霊法を用意したら、相手の霊は、強い憑依法を勉強してくるでしょうし、あなたが強い除霊法を用意したら、相手の霊は、あなたへの影響力の強い相手に憑依するかも知れません。

 たとえば、上司や先輩などに憑依してあなたを虐める……憑依の対象となった人々は、自分は苦しくないし、下手をするとあなたを虐めることが楽しくなって、自分に憑依霊がついているなどと気がつかないかも知れない。あなたがそれに気がついて、上司や先輩の除霊を始めると、上司や先輩らは苦しくなってますますあなたを目の敵にする。……これは実例を知っています。

 そもそも、霊と人間との差は肉体の有無であり、霊格が同じであれば不自由な分だけ人間の方が圧倒的に不利なのです。まして、攻める側の選択肢の方が圧倒的に多いのですから、力ずくでの解決は往々逆効果になります。

3,相対的な見方を忘れていませんか?

 これは特に、有料心霊相談の回答事例などを見ての感想です。

 強さとは相対的なものです。……自分の霊力が強くても、相手の霊力がさらに強ければあなたは敵いません。それどころか、相手が本気で、なおかつ、そこそこの悪知恵を持っていたらあなたよりも弱くてもあなたは敵わぬ事でしょう。

 でも、果たしてあなたは霊界に敵しか持っていないのでしょうか?

 霊障問題の解決には、自分の品位を下げるような敵対的な方法ばかりではなく、自分の味方を増やすという友好的な手段もあるのです。

・・・・・・・

除霊法に関心を持つ……実は、目の前の障害に気をとられて、あまりに多くの宝物を疎かにしているのではありますまいか。


事例

2010年1月17日

 無理を通せば道理が引っ込む・・・腕ずくでの問題関係はいろいろな歪を生み出す。ましてや、霊界のことは霊界で解決するのが順当であろう。少なくとも・・・霊界の協力が会ってしかるべきであろう。

 霊障に苦しんでいる人の相談に応じるとき、私は極力、相談者の心境を上げるように努力する。心境が変わらないと必ず、リバウンドが生じるからだ。低級霊を引き離したはずが、かえって仲間を連れて戻ってきたりもする。ここで無理をしても、短期的には問題解決したように見えても、そう遠くないうちに再び同様の問題が生じる。

 面白いことに、いくつかの事例で、相談者が引越し、または、転勤することになった。私はもちろん、積極的にそれに賛成した。転地が心境を変える・・・もしくは、低級霊を呼びこむような心境をつくる、関係・縁者から相談者を引きはなす事になるからだ。

 結局、相談者の背後の霊たち、すなわち、守護霊や祖霊や、そもそも、相談者の試練を割り当てた産土の神々が、ちゃんと解決の道筋をつけてあったのだろう、とおもう。

 むろん、転地だけが心境を支配するわけでなく、また、誰もが転地可能なわけではない。

 ただ、まあ一般論として、対人・対霊のこじれを解消するのに、相手を変えようと努力するのは大抵うまくいかず、むしろこじらせ、さらに往々、上手くいかないことから気が急いて墓穴を掘ることも多いもの。まず、自分を変える努力の方が、効果が見えやすく、それゆえ焦りも抑えられるし、相手の変化も起こさしめやすいもの。

 費用対効果が高いのだけど・・・人は往々、誰かに・何かに頼りたがる。

 でも私は、霊拝主義者ではなく、共存共栄の心霊主義者なんです。


霊査事例: 2005年6月1日(ML)

2005/06/01

 以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての代表的な霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。  以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。


事例1

 出来ることから始めましょう。また、終わりの時間軸も計算に入れて。

 霊的な問題は努力すればよいというものではありません。努力はむしろ、満足感から現実との間にギャップを広げます。強く念じれば歪み、甘ければ動かない……適度なスピードがあり、適度なスピードがある限り、行程は予定時間を早くも遅くも出来ません。

事例2

 出来ることからコツコツと。面白いかどうかは、それを乗り越えた後でないと本当には解りません。焦って結論を出せばどうなるか。その過ちはあなたは前世で散々、経験してきたことです。幼少時にも。

 もっとも、大きな楽しみばかりを追い掛けるのではなく、手頃な楽しみもそこそこに楽しんでおくことです。

事例3

 あれをやらなきゃ、これをやらなきゃ。……相手を感心させるために努力するのは不毛です。不毛な努力というのは気持ちに結果がついてきません。結果のついてこない努力は自信を失わせます。

 今まで通り、遊び心を大切にして下さい。……この先はどうもよく見えませんが、今までの霊査では、あなたの遊び心が周囲から受け入れられないと暗示していたはずですが、今は、あなたの遊び心が周囲から必要とされていると感じますが?

事例4

 大切なのは、あなたが何を言ったか、または、何を言わなかったかではなく、回りがあなたの言葉をどう受け止めたか、であると思います。内容だけでなく、自分自身がどのようなイメージで扱われるのか、そこまで考えて言葉に気をつけましょう。

 ところで、あなたはとても恵まれていますね。あなたよりも才能溢れる人が数多いというのに、その人たちは誰も自分の才能を使いこなせず、むしろ才能に振り回されて自滅している。

 気がついていますか? あなたには才能がないのではなく、コントロールできる範囲にしっかり抑えられていると言うことを。

 持つ者が豊かなのではなく、使いこなせる者が豊かなのです。

事例5

 良いとか、良くないとか。その判断を、身体から溢れ出す、ワクワク感に求めてはいませんか。それは本来妄想です。

 危険に身を晒しながら、でも自分は安全だ!……それが何かの証明になるのでしょうか? ただ利用価値があるから活かされているだけかも知れないのです。

 もっと自分を大事に……大事に生きている自分を大事に思っている霊がいることを知ってください。あなただって、我が子の事でハラハラドキドキをしたくはないでしょう? 私たちだって同様です。

 一緒に幸せを追い掛けましょう。穏やかに、穏やかに。

事例6

 良い時を過ごしていると感じます。この穏やかさの中にも時はたち、時が至れば寿命が訪れますが、それはそれです。

 無理をして、得たつもりが失われる……それこそが愚かであり、忌むべきものですが、自然の時の流れの中で、生まれ、そして失われていくことは、当たり前のことであり、受け入れるべき事なのです。

 成るべき事は変えられません。でも残された時間を、不毛な努力に費やさないことです。すると、時間の多くを有益な目的に使えます。


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