手抜きの人生
2005/06/152005-06-15
……多分、多くの人に当てはまります。ですから「これは私のことですか?」という問い合わせはご遠慮下さい。私も知りません。いや、私のことかも知れませんし。
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ふと、手が空いたとき私の霊眼に、一人の老翁が姿を見せた。そして肩をすくめていう。
『やれやれ、人々の祈り事を聞いていると、肩が凝っていけない。やれ、楽に幸せになりたい、だの、苦しいから助けてくださいだのと、いう声ばかりがやたらに聞こえる。
『いっている本人は必死なのだろうが、何やら間違ってはいまいか。苦労をせずに得られる幸せや、他人の助けを必要とする生き方…… なんとまあ、当人はかくも手を抜きたいものか? なに、まあ、当人が手を抜くというのならそれはそれだ。だが、当人すら手を抜いている、みすぼらしくて、つまらぬ人生を、誰がわざわざ大切にするというのか? どうせ守るならば、やはり皆が丁寧に育てた大切な人生にこそ価値が見いだせるというものだ。
『人のいうことは何やらおかしい、神は弱者の味方だとか、悪人だからこそ救いが必要だとか。……そんな人の都合など、誰が気に掛けるというのか。努力もせずに泣きわめくのは弱者ではなく怠け者だ。まして、悪人を優遇してどうなるというのか。
『わし等に関心があるのは、正しい努力が、正しい結果を得られるような世の中だ。さすれば自ずと、善はより善に、悪も悔いて善に、心根を変えていくだろう。
『楽をしたければ、祈るよりも工夫をせよ。正しい工夫ならばきっと助けてとらす……』
……見え透いたお説教だが、何が言いたいのか?
『ふむ。つまりだ、正しい努力をしている人を見つけるのは、藁の山から張りを見つけるが如く難しいということだ。わし等も水を漏らさぬ努力はしているが、どうしてこうも、妄想主ばかり世の中に増えてしまったのかのう……このような世の中だから、まっとうな志を持った人々は、どうか静かに正しく祈りを捧げて欲しい。わし等も聞き漏らさぬように努力しているでな。』
……以上、精神統一行のCMでした。