‘2005/06’ カテゴリーのアーカイブ

「侮辱」に対する私見

2005/06/30

2005年 06月 30日

「良心の試練」掲示板より


不誠実なる人からバカにされて、いかなる害があるのでしょう。確かに中傷されることは不愉快です。ですが、逆に不誠実な人間からやたら褒められている人というのは、世間からどういう人に思われるでしょうか?

 悪党の元締め? 良いカモ?

 不誠実な人間にバカにされるのは、つまり善良であるということではありませんか。善良であることを恥じるのであれば、あなたは自ら偽善者を名乗るのに等しい。

善良に、そして誠実に生きようとするから、悪人に狙われるのであれば、恐れるべきは、あなたが善良に生きよう、誠実に生きようとする気持ちを邪魔する悪因縁……悪い人との付き合いではありませんか。

不平不満の塊、礼儀知らずで無責任、責任転嫁の卑怯者、ワガママを通すための誹謗中傷……悪口をいわれることよりも、無責任な誹謗中傷に迎合したり、屈服することの方が余程恥ずかしいことだと私は思います。


白いものも黒というへそ曲がりが多い世の中で、「黒だ、黒だ」という言葉にいかなる価値があるのでしょう? 大切なのは正しい見識の持ち主の言葉であるか否かなのです。……言葉を信じるのではなく、その人を信じる。

人を信じずに言葉を信じれば騙されて当たり前です。


呪ってやる!

2005/06/29

2005年 06月 29日


 「今誰かに殺してもらえれば、強烈な怨霊になれるのに……」……と、いうメールを受け取った。幸い私を呪うメールではない。世間は霊媒を勘違いしているようだが、呪いに敏感なのは霊感が敏感な人だ。

 時折テレビ番組などで、「普通の人なら命を奪われたかも知れない」……悪因縁なる話が登場するが、あれは霊媒の強がりである。普通の人なら気がつきもしない場所で、七転八倒するのがありきたりの霊媒の生き様だ。……不憫である。まあ、かつての私も充分不憫だったが、今は相応の敏感さと人並みの鈍感さも合わせて手に入れた。

 まあ、自慢話は辞めておく。……かなりアバウトな論理だが、私は思う。人の行為に怒り、我を忘れるのは真の怒りではない。自分に非があるのである。もしも相手に非があるなら、怒って冷静にならなければ勝ち目はない。

 まして社会は不完全だ。だが、不完全だからと法を犯せば、社会通念上の悪と見なされる。そして世の中には、不完全な世の仕組みを悪用して生きる者がある。――虎の威を借る狐に腹を立てても、下手に挑めば虎を怒らす。

 あいつが悪い、こいつが悪い……不平不満をいくら言ったところで問題は解決しない。解決し無いどころか、名誉毀損や誣告罪で逆に訴えられる材料を相手に提供するだけのことだ。――勝てないから相手を憎み、相手を憎むから自滅の道を辿る。こんな悪循環に誰が乗り出すというのか?

 強烈な怨霊なんてナンセンスだ。――そんなものになっても、類は友を呼んで怨霊同志で慰め合うか、功名心に踊るとんまな霊媒を呼び寄せるか、気弱な悪党と深い因縁を結ぶのがオチ。くだらぬ相手と来世も抱き合うつもりか?

 愚者と相争うのは愚者だけだ。愚者を悟らすという無謀なことは、愚者か、もしかしたら仏陀やメシア位が思い立つだけだ。その仏陀やメシア等も、2000年ほど前には、それを成せずに帰幽した。……であるから、一般則に照らせば、愚者をさとそうとするのは愚者だけである。

 愚者とは、己の叡智の引き立て役に使うのがちょうど良い使い道なのである。

 ところで、念のためにフォローするが、そもそも愚者とは、智慧・思慮の未熟なる者をいうのではない。未熟とは未熟であって愚ではない。愚とは己を智者と自惚れるものを指す。……または、自分より劣るものを求めるのが愚者、自分よりも優れたるものを探すのが智者だ。この智愚の違いは、そのまま霊格の高・低に等しい。

 兵は兵と戦い、将は軍と戦う――個人相手に争うのは所詮は将の器にあらず、ただの兵卒の行為だ。

 その愚者を生んだのが社会であるなら、社会と争う気概を持たなければ勝つはずもない。兵と争う将はすでに負けなのである。


頼る

2005/06/27

2005年 06月 27日


 表現はいささか大袈裟ではあるが、これはモデルとなったとある人を冒涜する意図はない。単に通俗的に見られる問題点の一つを浮き立たせるための処置である。

・・・・・・・

 「あなたはゴキブリ平気?」……死んだゴキブリを始末せよというらしい。面倒なので知らん顔をする。

 部屋にCATVを引きたいのだけど……引っ越したのだけどインターネットの接続は……面倒なので知らん顔をする。

・・・・・・・

 そもそも、自分の事だって面倒だから抛っておきたいのに、他人の世話なんて、知った事じゃない。…… それが自分で処理できる人の発想だ。

 しかし、自分では出来ないことなら頼むしかない。―― 他人に頼るからストレスが溜まる。

・・・・・・・

 怖い、汚い、複雑……出来るとか、出来ないとかではなく、自分が嫌なことは扱いが難しい。―― そもそも自分の事だって面倒だから抛っておきたいのに、他人の世話を焼きたがる奴はいかなる下心を持っているのか。といって、自分がやるのも面倒だし……葛藤はますます懊悩を増やす。……などと深く考えるよりも先に、人を頼んで断られ、断られてストレスが溜まる。

 悩んでも悩まなくても、他人に期待するだけでストレスが溜まる。

・・・・・・・

 ストレスが多い毎日だけど……

……犬を撫でて癒される。

……マッサージを受けて癒される。

……アロマテラピーで癒される。

癒しさえも他人頼り。

・・・・・・・

 結局、人は独りで生きられないのだから……他からストレスを貰って生きる。

……これが人生さ! ……ええええ! じゃあどうすればいいの?

 取り敢えず占いにでも頼る?

有名女性占い師が、テレビで有名人をミソくそに言うのは楽しい……が、自分の占いの結果にストレスが溜まる。

 なんだか、楽しいのは他人の不幸ばかり。かな?

・・・・・・・

 ありのままを、ありのままに受け取れず、自分に嘘をついて生きる苦しさ。

 他と共に生きることは大切だけれど。

人に頼らずには生きられないのだろうか?

……共存共栄の生き方は、絵に描いた餅なのかな?

・・・・・・・

 恋をすると醜くなる人がいる。――相手に執着して鬼のような顔になる。

 もしも心を写す鏡があれば、一番綺麗な顔で相手に言い寄れるだろうに、真剣に相手を思えば思うほど嫌われてしまうこの現実。…… 自分の心の有様を知らずに真剣になる恐ろしさ。

 だから皆、肩をすぼめてこういう……「マジになるなよ!」

 不真面目なのがスマートなのだろうか?

 昔の人間だけが真剣に生きていたのではないが……小細工が多すぎて、気が多すぎて無様に生きる現代人。か?

 全く酷い話だ。無様に行きながら、それを「今様・今時《ナウい!?》」と開き直るのが現代人だ。


永遠の大道を歩む

2005/06/27

2005年 06月 27日

 世の中が完璧なものなら、そこに暮らす人々は劣等感に悩む日々を送ることになるでしょう。父も母も、当然子供等も決して完全ではなく、完全でないが故に人には努力が求められます。

 人は完全ではない――物質にはすべからく限界が備わるが故に、絶対に信用できるものなどありはしません。親子も、夫婦も…… 約束を全うしたくても様々な限界に阻まれているのです。限界があるからこそ人々には努力が求められます。

 老いたる者も、幼き者も、その才能の許す限りの努力を求められております。かくも努力が求められている世界に私たちは暮らしている… …それが為に、努力を忘れた不平不満や、努力を棄てた傲慢さは摂理(天の道・かんながら)に反する行為なのです。

 そして、摂理(つまり自然)に反するとは、つまり、行きやすく見えて、行きにくい生き方であるということです。…… 確かに世間には悲惨な事件が数多く見受けられますが、それはつまり、安易な選択の果てに行き詰まった生き方と言えるでしょう。

 難しく思えても、自然に従うことが何よりも無理のない生き方なのです。幸せはそこに隠れております。


天の加護

2005/06/23

2005年 06月 23日


(「天」に代えて、神でも仏でもあなたの信仰に当てはまる解釈をしても結構です)

 天に祈った問題は、最善の時に最善な形で解決します。……それは必ずしも今のあなたの望む時、望む形と同じではありません。

 もしもあなたが、葛藤に苦しみ、また、不運・災難を自らに招くような思考に囚われているとしたら、天の加護は働きません。仮に天の配慮が働くとするなら、思慮浅いあなたの行動と衝突して事態はますます混乱し、強く破滅に向かって進むこととなるでしょう。

 加護を求めるなら、まず、あなたが誰かに仕えるところを思い描いてみてください。上司や経営者、先生や先輩に対して、あなたは様々な不満を抱くことでしょう。その不満のいくつかはあなたの独り善がりから来るものかも知れません。同時に不満のいくつかは、上役の指示の不鮮明さや、指示の矛盾、不適切な目標や、同僚・同輩との間の不公平感などから来ます。

 誰かの依頼に従って仕事をする……その依頼方法に、不鮮明さ、矛盾、不適切な目標や、不公平な要求があるなら……あなたに依頼された者も、あなたの依頼を受け止めてくれるかどうか。天に祈る時の注意事項も同様です。

 鮮明に筋道が通り、無理無駄なく、分相応に配慮するなら、案外と祈りは実現します。

 ……分相応というと、「それはつまらぬ」とそっぽを向く方が多いのですが、「千里の道も一歩から」、「塵も積もれば山となる」…… という言葉のあることを指摘して止めます。

 清貧の豊かさと、強欲の損失とは……情理が強く否定しますが、素直になればとても良く理解できるものです。

 懸命に努力する……それはただあなた一人の能力・努力に事態を委ねることです。努力しつつも、「センス」の一つは常に助言を受け入れるために開けておくことが、心霊主義者の生き方のコツです。


霊感の活かし方

2005/06/22

霊感の活かし方

2005年 06月 22日

 人にはそれぞれ、守護する霊がいて、日々、働いております。働いているからこそ、人は皆、ヒントを得るのに、そのヒントに気がつかない切なさ。……真理や真実は決して得難いものではありません。ただ、人は生きている限り、そしておそらくは死んでもなお、余計なものに目移りすることが避けがたいのです。……だからこそ、精神統一が大切となります。そして、精神統一以前に、正しく見、考える事が大切となります。

 過去が今を作り、今が未来を作ります。 あなたは……あなた方は、どんな未来を作りたいのですか?

 あなたが思い描く未来と、あなたが今やっていることの連携は取れていらっしゃいますか? 自分の未来のためにあなた自身が為すべき事を、あなたはちゃんと果たしていらっしゃいますか? 自分自身への責務を。

 為すべきことを為さず、為すべき事に気がつかない。……それではあまりに無駄が多すぎます。


霊感の活かし方 2

2005年 06月 23日

 人のために尽す……素晴らしいことです。が……儲けるためにする損よりも、人助けのためにする損の方が往々に破滅的なものです。それはつまり、ブレーキを掛けるための良心が失敗の味方をするからです。

 食べ過ぎが健康に良くないように、善行も過ぎれば身に付かず、傲慢に流れても、真の修行にはなりません。…… 常に中庸の精神を忘れずになさってください。


霊感は染る

2005/06/22

2005年 06月 22日


 たとえば外国語でも、水泳でも、プログラミングやPCの操作も、苦手とする人は、何かコツはないか、と尋ねます。しかし、これら技能は、頭で判断するのではなく、身に付いたいわば反射動作が伴わなければ、いつまでも不自由なままです。ただ目的を意識するだけで、口や、身体が動き出す、そういう反射を身につけない限りは、コツなんて活かしようもありません。

 精神統一を長年修行なさった方々も、霊感を得るのにコツはないか、と尋ねます。――しかし、霊感を自覚する人の大部分は、精神統一など知る以前に霊感を使います。……強いていえば、コツに拘らないのがコツ、自然体で望むことが大切です。

 礼節が大切になるのは、身体が自然に霊感を発揮できるようになってからのことです。つまり、質を求めるのは、必要なものを得てからにすべきなのです。

 それ故に……霊感は伝染します。「あ! これで良いんだ!!」というのに気がつくことが大切なのです。むろんそれは荒削りで利用価値の乏しいものです。でも、身に付けば、次は質の向上を求めることが出来ます。だから今はあわてず、ただ力を抜くことです。力を抜き、力を抜いて、赤子のように素直になる。すると、赤ん坊の頃に棄てて省みなかった能力のスイッチが入ります。

 オン、オフ、オン、オフ……自由にスイッチの入り切りが出来たら、そこから質の向上プログラムに入ります。

 霊感とは誰もが持っている仕組みなのです。その事を正しく知っている人ならば、直ちに大成を求めたりはいたしません。ところが天与のものと驕る者や、他人の結果ばかりを妬む者は、最初から大成を狙って挫折します。……幼児が、這うことから始めて、つかまり立ちに至り、そして誰にも頼らず歩いていく……結果を急ぐのは、一体誰と競ってのことでしょう?


忠告は聞くべし!……?

2005/06/19

努力は大切です!……?

2005年 06月 18日


私も師弟関係のしがらみで、非常にやりにくく思っているのですが、どうにも戦前の教育を受けた方々は、「努力」を神聖視しすぎていると感じます。

昔の常識では身体を鍛えるならウサギ跳び、女性が妊娠したらとにかく肥えさせようとする。ところが現代では、ウサギ跳びは逆効果といわれ、妊婦の肥満も否定されて、それぞれの現場ではその知識を実際に応用されているのに、心霊業界の世代交代はなかなか進まず……

むろん、私も努力の大切さを否定はしません。むしろ、痩せるために薬や電子機器を頼って、運動しないという考えには反対です。

確かに年長者の助言は尊重すべきですが、2500年前に生まれたお釈迦様も「何事も程々が大事」と教えている。孔子様やソクラテス様までそう教えている。ならば、努力第一主義の年長者様たちは、人類の大先達を軽んじてはいますまいか?

まして、悩める人に与えるべき何の知恵も持たぬ人も、「がんばれよ」とは言える。それでうまくいけばよし、うまくいかなければ、「きっとあいつの頑張り方が足りなかったんだろう。」と無責任を決め込める。……だが、うつ病の人に「がんばれ」といえば、相手をますます追い込んでしまう。

考えてみれば、ニートや、うつ病起因の自殺者の増大やらは、周囲の大人たちの安易かつ無責任に励まし方にあるのではなかろうか。その傍証に、どうも青年たちを見ていると、無駄に努力する子か、開き直っている子の両極端に見える。全く、世界の四大聖人を蔑ろにした人々が、人生の先輩を尊べというのだからやりにくい。

また、日本文化の悪いところは、物事を学ぶのに、勉強……「勉め強いる」事を当たり前と思うところですが、近年、とくにIT業界において、10代で起業した実業家たちが増えていますが、彼らは、自分の楽しみを事業の対象として成功をつかんでいます。「世界に誇る日本のマンガ文化」も、動機は楽しむ者が勝ち得たものです。つまり、今の日本は、強いられたものが衰退し、楽しむものが勃興しつつあるのです。この期に及んで、努力一辺倒、あげく、先輩は神と思えでは、迷える子羊を誤てる子羊に変えることしかできません。

これまた孔子様のいうとおり、
「之を知る者は、之を好む者に如かず 之を好む者は、之を樂しむ者に如かず 」……強いられるばかりで、楽しみ方を忘れた人間なんて、死人と同じです。いや、生きた肉体を持つだけ、死人よりも始末に負えません。まあ、努力しすぎで破滅する人よりも、楽しみすぎて身を持ち崩す人の方が遙かに多いのだけれど……

いずれにせよ、智慧と工夫の欠いた努力は往々無駄になりがちですし、だからといって努力をせずに智慧や工夫、そしてむろん霊感に頼るだけでは何事も成せないのが現実の姿です。


忠告は聞くべし!……?

2005年 06月 19日

 一般的な倫理観念でいえば、他人、特に目上の忠告には素直に従うべきとなるでしょう。もっとも常識という名の束縛を嫌って、わざわざそれに逆らう人もいるわけですが、従うか、従わぬかは、世間の良識云々、または自分の好き嫌いを基準とせず、その内容如何とすべきです。何となれば、多くの人々は自分の好都合を善と呼び、不都合を悪と呼ぶのですから、目上だからといって無条件に従えば、結局利用されて終わります。

といって、従わなければ往々、後悔を生むわけですが、霊性向上の修行の場である人生に於いて、一番つまらぬ収穫物がこの「後悔」です。……後悔が深ければこそ、チャレンジに臆病になり、また自信を失って他人の助言に頼るようになる。…… 主体性を失った人生は一体誰の修行の場になるのでしょう?

先に結論を掲げればこそ、見えるものがあります。忠告を受けることが後悔の伏線であるのは正しいあり方ではありません。

たしかに忠告は有難い……その言葉通り、忠心からの言葉であるなら。しかし、そもそも人は、一人一人の人生を歩んでいるのです。忠告は助言であって命令ではないし、忠告を主体に生きることも出来ません。つまり、人は自ら考え、選び、そして決めねばならないのです。それこそが自分の人生を生きると言うことです。

でも、忠告を聞かずに後悔する……それは、知恵がついたのではなく、臆病になっただけのことです。

人の指図に従うことが正しい道ではありません。善悪を見抜き、良いものを取入れ、悪いものを退けることこそが、人生に於いて大切なことです。

忠告を聞かなかったことが悪いのではなく、忠告された内容を理解できなかったことこそが悪いのです。善悪の区別がつかぬのであれば、例え忠告に従っても、偽善者に、または慢心の未熟者や知ったかぶる者に騙されるかも知れないのですから。


困って始めて見えるもの。

2005年 06月 19日

 忠告を聞かずに失敗して……その後。

「だからいったじゃないか!」で終わる人と、「全く、仕方がないんだから!」といってそれでもなお助けてくれようとする人がいる。

ここに真に忠告なのか、ただ、責任回避の偽善なのかが表われます。

・・・・・・・

 これは当然、自分が忠告者を持つか、という判断にも役立ちますし、自分が果たして真の忠告者であろうかという判断にも役立ちます。

そして、自分が真の忠告者である努力をしていなければ…… そもそも人間の縁というものは複雑怪奇でなかなかその真相を見極めることは出来ませんが……真の忠告は理解するのは難しいでしょうし、真の忠告者を得ることも難しいでしょう。


縁は複雑怪奇

2005年 06月 21日

困って始めて見えるもの。」において、「人間の縁というものは複雑怪奇」と書いたら、背後から「安易」との指摘を受けた。……当人的には思案の結果なので、それこそ、私の思いつく最適な答として、「正しい霊感無くしては”見え”ない」と書きたいところであった。

「因果律」や「因縁果」など、人はその行いの報いを受けるという説は、東西古今の聖人等が教えるところである。しかし、人生には限りがある。悪事の報いを受ける前に死ぬ人もいる。善事の報酬を得る前に死ぬ人もいる。その帳尻は死後か、来世で受け取ることが出来る……(本当か?)……本当かどうか、あやしいと思う人もいるだろう。そう、だからこそ、死後の個性存続を知るだけでは足りず、強く、強く信じる必要があるのだ。

はっ! そこに嘘はないだろう。だが、そこには何か隠したいものがある。――まあ、隠したいものを暴くのは下品でもあろう。

取り敢えず、表向きの話題だけでお茶を濁そう。人生は、この世の努力・行為・実績だけは決まらない。見えざる部分があまりに大きいから、「複雑怪奇」というしかないのだ。――複雑怪奇というしかないが、それを見極める手もある。

大切なのは素直になることだ。誰かにつけられた付箋、注意書き、裏書き、紹介状……そういう不可物をすべて無視して見ればいい。すべては真実に回帰するのである。


霊査事例: 2005年6月16日(ML)

2005/06/16

 以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての代表的な霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。  以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。


事例1

 上手に説明できるかどうか……

 特に人間の機能は、使いすぎれば壊れ、使わなければ畏縮してしまいます。程々のところで使わなければなりませんし、それこそ5日働いて2日目一杯休むよりも、7日間程々に働く方が体調がよいのが現実です。 また、同じ働かせるにも、楽しみながら働けば大変な仕事でも疲れず、嫌々働けばささやかな仕事でも健康を害しかねません。これはすなわち、人間の成せる仕事は、体力だけではなく、気力も大切な要素だということです。

 何を持って、程々とするか、また、どうすれば気力が奮い起こされるのか……これらは人それぞれによって答が異なり、これで充分という便利な回答を私は知りません。

 これから大人になるべき子供には躾が必要ですが、これからますます衰えていく、お年寄りにあれこれと強いぬ事です。と同時に、自分にもあまり多くを科さず、もっと、ゆったりとした気持ちを楽しむようになさってください。……冗談にはなりませんよ。それこそ、過労で入院したら、ゆったりとした気分以外に楽しむもの無く、そこで気が焦ればあるのはますます重い病なのですから。

 さぼるのではなく、効率を追求するのです。

事例2

『祈りは、一度で充分です。強く祈っても、又、くどくどと祈っても、事情が成就を妨げているのであれば、祈りになんの効果も現れません。深く、静かに、そしてただ一度祈り、後は耳を貸すことです。――つまり、正すべき事情があるなら、強く祈るよりも、いち早く正す方があなたはより幸運を素早く掴むことが出来るのです』


 あなたの人生にまつわる、すべてのものは連関しています。つまり、一つの事象を見て、それだけに取り組んでいるわけには参りません。現実というのは事情が交錯した網のようなもので、それ故に、ちょっとしたヒントや、大抵の予言・予知を得たぐらいでは、ただその順序や多少の日時が変わるだけで、結局、同じ結果がもたらされるものです。
 大きく変えたいのならば、事情や将来を変えるよりも、人生の一番基本的な部分である、自分自身を変えるより手がありません。

事例3

 今までのやりとりを振り返って思うのですが、『よい子でないと棄てられる』という恐怖感が、心中の奥深くであなたを縛り上げているようです。 恐怖でよい子にさせられているから、無理をしてよい子を演じてしまう。だから、よい子であることが苦しくて、悲鳴をあげたり、意地悪になったりもしてしまう。

 確かに、大抵の人間は、道理よりも自分の都合で善し悪しの判定を下します。だから、大抵の他人から善い人と思われるのは大変な努力を必要とします。

事例4

 善い精神統一が出来ていると感じます。これは、ちゃんと精神統一行をしていると言うより、むしろ、焦らず、悩まず、インスピレーションを大切にして無理、無駄のない思考を心がけていらっしゃるのでしょう。

 大過はありませんが、ただ、周囲があなたの存在に不思議がっているようです。「何でこんなに落ち着いているのだろう?」…… 大人であるのが恥ずかしいのが現代なのですから、なんとまあ、やりにくいことでしょう。

事例5

 職場で、あなたの存在を不思議がっているようです。「何でこんなに人に譲れるんだろう?」…… 大人であるのが恥ずかしいのが現代なのですから、なんとまあ、やりにくいことでしょう。

 サルを相手にするにはサルのやり方、犬を相手にするには犬のやり方が必要なのですが……これは差別的発言ですね。
 あなたに充分な徳があれば、周囲も皆、あなたを真似て大人ぶって静かになっていくものを、大人ぶる人を気味悪がるのだから救いようがありません。
 仕方がない。ゴミが多いときには、時間を掛けて掃除することです。焦ればかえって散らかりますよ。

事例6

 すっかり姿が見えませんが、お元気ですか? なんとなく伝わってくるのは、腹立たしさ。誰に、とか、何に、という感覚まで伝わってきませんが、特に原因が無いまま怒りっぽくなっている感じがします。……もっとも、霊媒も見え難いときには余計に気を回すから、そう思えるのかも知れません。

 スカを掴みやすくなるのが遠隔の辛さです。


手抜きの人生

2005/06/15

2005-06-15


……多分、多くの人に当てはまります。ですから「これは私のことですか?」という問い合わせはご遠慮下さい。私も知りません。いや、私のことかも知れませんし。

・・・・・・・

 ふと、手が空いたとき私の霊眼に、一人の老翁が姿を見せた。そして肩をすくめていう。

『やれやれ、人々の祈り事を聞いていると、肩が凝っていけない。やれ、楽に幸せになりたい、だの、苦しいから助けてくださいだのと、いう声ばかりがやたらに聞こえる。

『いっている本人は必死なのだろうが、何やら間違ってはいまいか。苦労をせずに得られる幸せや、他人の助けを必要とする生き方…… なんとまあ、当人はかくも手を抜きたいものか? なに、まあ、当人が手を抜くというのならそれはそれだ。だが、当人すら手を抜いている、みすぼらしくて、つまらぬ人生を、誰がわざわざ大切にするというのか? どうせ守るならば、やはり皆が丁寧に育てた大切な人生にこそ価値が見いだせるというものだ。

『人のいうことは何やらおかしい、神は弱者の味方だとか、悪人だからこそ救いが必要だとか。……そんな人の都合など、誰が気に掛けるというのか。努力もせずに泣きわめくのは弱者ではなく怠け者だ。まして、悪人を優遇してどうなるというのか。

『わし等に関心があるのは、正しい努力が、正しい結果を得られるような世の中だ。さすれば自ずと、善はより善に、悪も悔いて善に、心根を変えていくだろう。

『楽をしたければ、祈るよりも工夫をせよ。正しい工夫ならばきっと助けてとらす……』

……見え透いたお説教だが、何が言いたいのか?

『ふむ。つまりだ、正しい努力をしている人を見つけるのは、藁の山から張りを見つけるが如く難しいということだ。わし等も水を漏らさぬ努力はしているが、どうしてこうも、妄想主ばかり世の中に増えてしまったのかのう……このような世の中だから、まっとうな志を持った人々は、どうか静かに正しく祈りを捧げて欲しい。わし等も聞き漏らさぬように努力しているでな。』

……以上、精神統一行のCMでした。


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