ガマガエルを殺した罪
2005年 05月 31日
だいぶ昔の話だが、霊障除去の相談をやむを得ず断ることになった。そのいきさつの説明はあえて省くが、その決意に至ったのは、以下のような霊信であった。
『この者が苦しむのは、前世でガマガエルを殺した為である』
これにはいささか面食らった。ガマガエルを殺したからといって、気が変になるのであれば、牛や豚を食べてどうして無事に済むのだろう?
『生きるためにやむを得ない殺生をわざわざ責めたりしない。ましてガマガエルも虫を食って生きている。だが、この者は姿が醜いからという理由でガマガエルを殺したのである。そんな醜い心を変えることなくどうして救えようか?』
……実は霊障相談中に、「姿が美しい霊とは交信したいが、そうでない霊だけ取除いて欲しい」という条件がついていたのだ。これでは直らないとようやく私も確信した。
もっとも、こういうトンチの効いた、というか、仰々しい表現方法はどうにも好きになれない。何事も理詰で考えたがる現代人向けにこういう表現を使うことはかえって誤解の元だとも思う。
むろん先方(霊)にも言分があるようだ。
『仰々しい、ご大層だ……なる批判は理解する。が、超然とした態度でないと、どうも地上との間の低級霊が干渉して困るのだ。いわば、混信を受けても原意が伝わりやすいような表現を選んでいるのだと理解せよ。曲げられるのが厭であれば、硬く作らねばならぬのである。』…… 他に言外の意味もあるが、それを含めて止むを得ないらしい。
ところで、上記、『前世でのガマ殺し』の話には、(そもそも霊信が充分に正しいという前提が必要だが)再生論上微妙な意図が隠れている。
単に「前世の罪で苦しんでいる」との表現ではなく、 前世の過ちを未だに正さないから苦しんでいるというのだ。二代にわたって直らぬ悪癖は、(わざと言葉を濁すが)容易には改まらない。そして、私の相談回答体験を通じてしみじみと認識したことは、前世から今生、そして来世にわたる苦しみは、その罪の大小によって決るのではなく、その罪を正す意志の有無によって変るのである。
これは唯物論者や無神論者に対する私の不信にも繋がっていく……例えば唯物論者や無神論者も、その大多数は善良に生きようと努力していることだろう。これは唯識論者や有神論者にも独善的な人がいるのと何ら代りのない。だが、他が見ている前だけ、善良であろうとすることは人として足りないものがあるだろう。
善良であろうと努力する人の中には、他に恥じぬ善良さに努める人もいれば、己に恥じぬ善良さに努める人もいる。この二者は区別すべきだと心霊主義者である私は強く思う。
折角なので、相談者に対して、『前世の……』という霊信があった事例をいくつか紹介しよう。念のために注記するが、これは性格占いではなく、困苦の解消法の一部であり、霊媒の指導が伴わなければ意味のない情報だろう。
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1,自殺者
『前世で自殺している』という霊査が出た人は、根気が足りず、物事をやり遂げようとしない。それはつまり、無責任さを暗示するし、根気がない≒移り気、ということも示す。……相談に乗っていてとても不毛な相手である。痛みが無くなれば通院を辞めて病気を拗らせては又通院する病人のようなものだ。
2,異教徒排斥
『前世で異教徒を排斥した』という霊査が出た人は、正しい信仰を持ち得ない。――それがなんだ、と思われるかも知れないが、つまり他に恥じぬ善良さを持っていても、己に恥じぬ善良さを持つことが出来ない人だということだ。端的にいうと偽善者、または、御都合主義者なのである。
3,神を呪う
これは前世に限らないが、『神を呪った』という霊査が出た人は、端的にいえば、「恩知らず」、「逆恨みの多い」という、あまり関わるべきでない人間性の持主であることを示す。が、根底にあるのはもっと大きな矛盾だ。
心霊思想において、神とは主として観念上の存在を指す。日本においてはいささか面倒な事情があって、神道でいうところの神は、観念上と、高級霊との二種類に分別すべきであり、また、高級霊の行動はより忠実に摂理に従うので、見かけ上は観念的な神と同等に扱えるのだが、取り敢ずここでいう神とは、「観念上の神」であり、摂理・自然の運行と読替えてもいい。すると「神を呪う」とは、毎日の日の出や日没にまで文句をいう、独善極まりない性質を表す。
だが、考えてもみて欲しい。鳥が早く飛ぶことを妨げるのは空気の存在だが、鳥が飛べるのも空気が存在するからだ。…… 早く飛びたいから空気を抜け、といえば、飛ぶことも出来ず、それ以前に呼吸うもできずに鳥は死ぬ。そう、物事は一長一短、作用には反作用が伴うので、どちらか一方だけを得ようというのは大自然の法則に反することだ。……「天に唾する」という言葉もあるが、つまり、神を恨む、とは、不自然な考え、矛盾や葛藤から抜出せないことの意味がある。つまり望みを抱いても果せず、自分の矛盾や葛藤から苦しみ、その原因が自分の中にあるが故に、その状態から抜けられない人を指すのである。
もっとも、心の時代といわれる一方で、宗教が悪の秘密結社のように扱われる現代において、「神を呪う」人は珍しくもない。