心霊主義を見直す
2005/05/232005年 05月 23日
相談・質問という切っ掛け
夜中に突然、ヒマだ! と(心の中で)叫んではみたが、雑用は果てしなくある。ここでいうヒマとは、全身全霊を打込む仕事が無いことであって、雑用とも呼ばれるルーチンワークが尽きたわけではない。その叫びが天に通じたか、まあ、いささか関心を引かれる事態が生じた。
心霊相談は休眠中だが、霊感が塞がったわけで無し、気が向けば答えることにしている。ただ、ある相談者に対して感じたことを、あえてここで取上げたい。
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電子メールによる無料心霊相談ということで、当然、該相談者とは一面識もない。ただ、一番最初のメールを受取ったとき、当該相談者氏は、仕事も家庭も順調そうで、本来ならば悩みの無いのが悩みではないかと感じ取れた。
そう、特に今の私にはよく分る。彼はきっと「ヒマ」なのである。むろん、ここでいうヒマとは余暇の事ではない。感動し得る対象を求めているという意味だ。
むろん、良識人である私は、相談者に向けて、「あんた、ヒマだから幽霊なんて見えるんですよ」等とはいわない。もうちょっと言葉を選んで回答した。……で、その回答で納得されてしまった。
私は、彼が心底善良な人だと感じる。特に私がそうであるように、「おばあちゃん子」に、不親切な人はいない。まあ、それも一種の偏見かも知れないが……その後も何度か、細かな相談を受けて、まあ私なりに回答を楽しんだりもしたが、正直なところ、「やはり、この人はヒマを持てあましている」と感じる。だが、いかんせん、私は私事で忙しすぎた。しかし最大の問題である理事会の任期ももうじき終る。
そして何やらまた、新たな相談事があるらしい。むろん、私は誠意と良識を持ってその回答に当るつもりだ。だが私は、そろそろ、最初の相談への真の回答に取組むべきだろう。
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最初の相談を受けたとき、私に回答をもたらしたのは、彼の祖母を名告る霊であった。その暖かな雰囲気はとても忘れ難い。私は彼女のメッセージをたちどころに理解したが、でも、彼にはどう伝えて良いのか判らなかったのだ。
おそらく、彼は「心霊主義」のなんたるかを知らない。(では、私は理解しているのか?) その事は寄せられる相談内容から確信が持てる。彼は私を一種の拝み屋、または、よろず問題解決屋的に扱っている。私はそれを侮蔑とは感じていない。ただ、そば屋に入ってラーメンを頼み、「こりゃ旨い」と歓んで帰った客のように感じるだけだ。……つまり、自信作は一度も頼んでくれないのである。……もっともうちは、一見《いちげん》さんにはラーメンしか出さないという変な規則がある。
心霊主義
当サイトは、「心霊主義」を骨格にしている。そして心霊主義とは、Spiritualism の数多い日本語訳の一つで、まあ、日本ローカライズ版と捉えて欲しい。似たものには、淺野和三郎氏が提唱した神霊主義があり、また、直輸入版ともいうべき、スピリチュアリズムがある。それぞれを文章で説明すると思想的に差があるようにも見えるが、その差なるものは乱暴に表現すれば神の前の平等に均しいだろう。つまり、「大同小異」……その支持者の理解力相応のものでしかない。だが、世の中には少異に拘る方もいて、おおざっぱな私はそういう方々との付合いが面倒でもあり、あえて、「スピリチュアリズム」という表現を使わないことにしている。
ただ、霊媒としていうと、思想的には大差が無くとも、スポンサー(支援団体・霊界)が大きく異なる。スピリチュアリズムはキリスト教文化圏の霊団が支援し、神霊主義は主として神道系の霊団が支持する。対して、心霊主義は……神仏混交系(?)の霊団が支持している。といって、私は別に神棚に向って般若心経を唱えたりはしない。
で、スポンサー(支援団体・霊界)の違いに何か意味があるか、と問われるなら、何の違いもないと答えるだろう。宗教宗派・主義主張の違いなるものは、富士山の頂上を目指すのに登山口がたくさんあるのに均しい。ある程度上にあがれば、道の違いは意味を為さない。
ただ、地上の精神風土は、いまだ一つになるには至らないから、さまざまな心霊思想があるのだ。いわば、客をもてなすのに、洋風、中華、和風のいずれの料理を出すのか、といった違いでしかない。……因みに、心霊家・霊術家の中には、すべての神は一つだ、なる表現をするものがいるが、私は逆ではないかと思う。神を名告るものは数多いが、どの神々も導く先は一つなのだ。
では、何をすれば心霊主義者なのか……と問われると実は困る。「死後の個性存続」や、「霊性向上」などという決り文句があって、かつて私は、それらの言葉に心が震える思いもしたが、今に至れば空虚な言葉との思いが深い。
物事は、成るように成り、成らぬようには成らぬのだ。
人は生れてくる環境を選べず、生き続けることも選べない。……自由意志があったところで環境・境遇の奴隷でしかない。死後の世界を信じても、信じなくても死を避けられるわけではないし、霊性向上を受入れても拒絶しても人生は試練の連続だ。
人類愛だ、平等だ、永遠の生だ、向上の道だ、などと当り前なことをわざわざ叫ぶのもそれなりの意義はあるだろう。だが、 なぜ当り前なことをわざわざ言わなければならぬのか?
物事は、成るように成り、成らぬようには成らぬものだが、成らぬ事を為そうとし、成ることを為そうとしないで、不平不満の中に暮す人のなんと多いことだろう?
人は環境や境遇に隷属している―― 一人でどんなに頑張ったところで周囲の人々が邪魔をしたら決して不幸から抜出せない。自分だけ恵まれた境遇にあっても、遠く離れた家族、子供を心配して涙に暮れる人もいるし、親や子が作った様々な負債の尻ぬぐいに苦労する人もいる。……幸・不幸は個人の努力を越えている。
そして、人が環境や境遇に隷属しているものなら、人が幸せを掴むのに必要なのは何であろうか? ……努力もむろん大切だ。だが、闇雲に努力すれば良いわけでもない。自らの人生において支配的な要因が外部にあるのだとしたら? 環境や境遇と争うのではなく、それを生かすことが必要になるだろう。
言葉にすると「己を知れ」だ、だが、心霊主義でいう「己」とは、只今現在の己ではなく、 生れてくる前、そして、死んだ後を含めた己なのだ。
生れてくる前の自分を知らず、また、死んだ後の自分も知らない。……そういう生き方を否定はしないが、どうせ持っているものは、なるべく活かすべきだ。
世の多くの方々は、未知のことを教えようとする。だが、人に生れてくる前があり、死んだ後があることを知る、心霊主義者である私は、「知っていること」を思い出させようとする。……その対象に宗教宗派、主義・信条は関係ない。私にとって「心霊主義」とは、真の智慧、真のあり方へ通じる扉の装飾に過ぎない。
人が幸せになるために生れ、そして人が環境や境遇に隷属しているのであれば、わざわざ知らぬ事を教わらなくとも、本来知っている事を正しく認識するだけで、人は幸せになれるはずだ。――私はそう信じている。
向上指針としての霊査
向上指針としての霊査は、既存のML会員(現在は募集していない)か、オフ会参加者のみとしている。つまり、メールで頼まれても応じないが、今回は特例というより、スポンサーの好意として掲げる。
『生業《なりわい》とは別の事、反対の事をなさい。』……喰うための仕事も大切です。でも、生れてきたのは食べて寝るためだけではありません。善き事をする、また自分の魂を磨き、向上させていく事も大切な事です。
往々、生業はきれい事ばかりではありません。他人を蹴落すぐらいの気持がなければ商売は成立ちませんし、効率を考えれば往々誠意ばかりは尽せません。その生業の中だけで、自分を向上させていくのではなく、生業では出来ぬ事を、生業から離れた場で行う事も、人生に於いては大切な事でしょう。