不安
2005/05/192005/05/19
Q 「不安について再度質問いたします」
強く信じるが故に不安になる――不安に囚われる者はいう、「自分を信じる力が弱いが為に不安になるのだ」と、だが、違う。自らの失敗を強く信じるが故に人は不安に陥るのだ。
信念の弱い者は容易に人の意見に流される。だがなぜ、汝は信じよという言葉に流されぬのか? 汝は成功を信じているにあらず、失敗を強く信じているのだ。
失敗を信じている己を、騙そうとしてあれこれと言い訳しているのが、不安に囚われる人の為していることだ。……嘘である。欺瞞である。それは悪しきことである。それは神仏に背くことである。
不安の原因を、信じる心の弱さと思い、懸命に己を騙す者達が、見よ、他人にも騙される。信じることで不安を乗り切ろうとすればするほど、騙されやすい愚者が育つのである。
ましてや、「失敗する自分」とは、果たして正しい事であるのか?……すると、間違ったこと(失敗する自分)を信じ、自分を騙そう(不安を打ち消す)とするのが不安の解消法となる。これでは騙されない方がおかしい。
不安に囚われる人に必要なことは、強く信じることではない。間違った信念を弛めることなのである。
信念には現実ほどの価値もない――確固たる信念は一つの魅力にも写る。だが、間違ったことを信じる者ほど迷惑なことはない。信念には真実ほどの価値はなく、ただ、真実を見抜く力を持たぬ者が安易に求める次善が信念なのだ。
真実はどうあれ、ただ自分の信じるものに従う……それは眼をつぶって生きるのに等しい。まずは真実に目を向け、現実を受け入れる努力をすることだ。それでも見えぬものがあり、見えぬにも関わらず動かざるを得ないときにこそ信念に価値が生じる。
ならばまず、何事にせよ強く信じることを止め、ただ、ありのままを見よ。不安から逃れようと眼をつぶって生きるのは決して正しい生き方ではないし、決して幸せな生き方でもない。さらには、楽に見えて一番辛い生き方である。
不安と戦うな。まず、失敗を信じることを止めよ。すると真実が見え始める。真実が見えるなら、信じることに頼る必要がなくなる。そうすれば自ずと不安が減っていく。
ありのままに生きよ――失敗を信じることで不安を産み、不安を癒すために自分を偽り、自分を偽ることで他人にも騙され、他人に騙されることで必ず失敗する自分を信じる。かような悪循環、地獄の輪廻からすみやかに目覚めよ。