以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての代表的な霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。 以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。
事例1
- 神社でパワーを感じたとか――『貰うのではなく与えることを考えなさい。」無駄にする人に与える者はいないよ。』―― 感じたエネルギーを貰って喜ぶのでは、そこで終わります。得たものをどう活用するか、そういう発想が出来ないと、親切にするとばからしい相手と思われてしまいます。
- 『軽口で小さな恨みを買う。塵も積もれば山となる。吹けば飛ぶような山ではあるが、邪魔ではある』
- 『眺めの良い場所で、背伸びをする。「自分は幸せだ!」と思う、その瞬間が、あなたの心が守護霊と通じているのです』
- 『無駄な力み、無駄な力み』
- 『緊張・ストレスを感じやすい――だから軽口を叩く。誰がお前を緊張させるのか? 心の置き所に気をつけよ、不安定なところにおくから気疲れするのだ』
事例2
- 『肩に力が入り(無駄なところに凝り)、手抜きに言い訳がはいる。誇りばかりが先立ち、何が必要なのかを忘れている。独善は我が家の欠点である。くれぐれも(以後の子孫に伝えぬように)頼むぞ。』
- 『「努力せず、結果を欲しがる」霊を、独善家は呼び寄せやすい。あなたはそういう霊には憑かれませんが、そういう霊が家の邪魔をするのだと心に留めておいてください』
- 『人のために働く。だが人とは何か? 時々は立ち止まれそれが大切だ。(目標を見失わぬようにしなさい)』―― 端的に言えば簡単なのですが、そういういい方はしないでくれといわれました。参考までに……「行き詰まるまで歩き続けるのは悪い癖だ」
- 『変わり者なのに、職場でもどこでも理解者を得る。それも功徳だ。だが作用には反作用が伴う。嫌な相手にも関わろうが、それを厭うな。反作用を嫌えば、作用も失うのだから』
事例3
- 『たとえ他から認められなくても、あなたは善良なのです。そして、善良であることだけが、天に恥じずに誇れるものです』―― 頭がよいとか、知識が豊富であるとか、才能を誇るのならば上には上がいるものです。それを誇ればあざ笑われてしまいます。それに対して善良であることは当たり前のことではありますが、善良な行いの人がコソコソするようでは世の中がよくなりません。
- 『家に帰るとホッとして、邪気を吐く。外で大変だった人ほど家に邪気を持ち帰ります。家を清める心を大切になさって下さい。』
- 『次男坊気質』と聞こえます。認めて欲しいという気持ちが人一倍多いようですが、特別運が悪いとか、周囲が無関心と言うことではありませんよ。
- 『あせるな、あせるな』と聞こえます。あなたが、会社で虐められているのか、と心配になって霊視してみましたが、明るく活気のある会社ですよね。(肯定)
- でも、その中でどうもあなたは居心地悪く感じていらっしゃいます。(肯定)気持ちの置き所を工夫しましょう。
Q「家族に心配事があるのですが」(この時点では具体的な質問を言わない)
……お父様は、信仰心が篤い……というか、お祀りはしっかりするけれど、あまり信じてはいない方ですね。近隣との付き合いも頑張るけれど、頑張りすぎて具合が悪くなるタイプですね。……(以下略)
Q「父が急に痩せてしまい……」
……癌? いやいや。あなたの心配を読み取ってしまいました。あまりそう悪い方に考えない方が良いですよ。
- 『原因は病にあらず、病を作る心にあり。故に、心が病を作ることを知らぬ者は、うわべの幸せに満足せねばならぬ』―― 病気になるというのは、もう結果が表われたと言うことなのです。そうなる前に原因を取り除けない人、いや、心の健康の大切さに気がつかぬ人を、周囲が心配したら、当人はますますストレスを感じて病気になりやすくなってしまいます。まずはあなたが明るい気持ちを持つ様になさって下さい。
事例4
- 『偉そうにしている人こそ可哀想です。同情されぬし、同情されると傷つくのですから』
- 『ダメでもともと、ではだめだし、悲観的なのも損です。もっと自分を信じ、人を知る努力をしてください。』
- 『一生懸命に統一してはダメです。立ち止まるつもりでいなさい。』――遠路ですので、参加するのにも努力が必要でしょう。ですが、参加した後は、なにもせず、心静かにお座り下さい。たとえるなら、「人の話を聞く」方法にたとえられるでしょう。頑張っていたら、人の話が聞こえなくなってしまいます。心にゆとりを持つことが大切なのです。そのゆとりを持つために頑張る。つまり、ゆとりの時間を作るために、前と後を頑張る。そういうメリハリの作り方がよい精神統一のための努力と工夫なのです。
- 『いつも一緒にいますよ』
- 『春が来て喜ぶ子等よ。――だれよろこぶや、春が来るを?――素直な者のみ春を喜ぶ』
事例5
- 『雨が降るのも、降らぬのも困る。だが、枯れ果てた人よりは潤いがある人の方がつぶしが効くぞ』
- 『家を構える。一人、二人ではなく、一つなのだ。その視点を忘れるなかれ。』
- 『あせるな、あせるな、苦労せずに得たものは、失われやすいものなのだから』
- 『春に花咲く。誰のために咲く花か。――今はまだ、「わが為に咲く花さ」、と心に思う。咲く花は、咲くために咲く花ぞ』『自分のものではないのに、自分のものと思う。失えば悲しむが、元々自分のものではないのだ。つまり苦しむために心が働いている。』
質疑(事例3)
Q 霊査で、自分の運勢を過小評価する傾向と指摘されましたが、もう少し詳しく説明してください。
A 『端的に表現すると、あなたのご家族も、他人の評価を気にしすぎて、ストレスをため込むタイプですね。これも広義の因縁です。』
Q 「善良」という言葉が出ましたが具体的に霊界での善良とは人間界での、辞書にある善良と根本的にどこが違うのでしょうか?
A 『ご自分の善良さに不信を抱く人は、ある意味とても善良です。少なくとも、独善に陥らぬように努力しているということなのですから。
さて、恵能禅師は、月を指さして、「わが指ではなく月を見よ」と説きました。善良さとは何か? それは月を指さすようなものです。つまり、人はそれを指させても、手で触れることが出来ません。善良さも同様で、理想を目指せば切りなく、といって理想を差す「指」は理想とは異なります。
人も霊も、それぞれ、自分の能力・才能の範囲で、精一杯善良に生きようとすることしかできないのです。したがって、これで終わり、これだけで充分、という善良さの定義など有りはしません。あなたが善良であると霊界からお墨付きをいただいたところで、知らずに人に迷惑を掛けることまで無いとは言えないのです。
ただ大切なことは、あなたは自分に出来る限り善良であろうとしている。そして、チャンスがあれば己の器量を越えた善良さをも獲得しようと努力していることです。それこそが大切なことではありませんか。
意図せず害を為しても、意図して悪事を為すことはない。あなたがそういう人であると霊界は見ている、ということなのです。』
Q 「結果を焦る」ということを沈めるためには、そう感じないためには、やはり気を静める、落ち着くということと形に当てはめない発想を持つということでしょうか?
A 『あくどい話ですが、あなたの場合、「他人は外ズラが良く見えても、内心は穢れているものだ。」と、思うことが大切でしょう。あなたは、隣のバラや芝生を過大評価しすぎていると私は感じます。
他を過大評価するから、自信が揺らぎ、不安になって焦るのです。
でもそれは、あなたが善良であるから、相手の欠点を見るよりも、相手の長所を見るように無意識に振舞っているからなのです。隣のバラが赤く見えるのは、あなたの優しさの証なのです。ただ、それで自分いじめを始めてしまうところがあなたの欠点といえます。せっかくの長所を生かし方一つで欠点としてしまうのは何とももったいないことですよ。』
Q 以前、霊査で『水子の供養』という話題が出たのですが、その件が家族、または私個人の生活等に影響が出てますでしょうか?
A 『今回の統一会でだいぶ見えてきたのですが、あなたのご家族も、どうも隣のバラを赤く見すぎる人で、その反動から懸命になりすぎて力及ばず、結局、表面的な部分に力を入れて内面が就いてこないという悪循環に陥っていらっしゃいます。
たとえば先祖や神様のお祀りも、儀式には熱心ですが、信仰心の働く余地に乏しいようで、その祈りには効果があまりないようです。
すると、何かの祟りを恐れるよりも、身内を護る味方の働きが薄いことのほうが問題かも知れません。「水子霊の話題」なども、それが祟るというより、未だに片付いていないことの方が重大事であると私は感じます。
譬えは悪いかも知れませんが、ゴキブリを一匹見かけたら、あと何匹いるか、を考えるよりも、害虫が繁殖しやすい環境を改善する努力が必要と考えるべきでしょう。いずれにせよ、結果から過程の善し悪しを判断することも大切なことです。 』
Q 帰宅時に邪気を吐いている、と指摘されましたが、この邪気がたまると病気がちになったり、影響が少なからず出る可能性があるという認識で間違えないですか? また、現在の実家関連で何か障害が出ているということも言えるような気がしますが、この点はいかがでしょうか?
A 『某霊媒が、個人宅を会場に借りて精神統一会を行ったところ、その家族がつぎつぎと変な病気に罹ったそうです。その他、心霊的な話題に熱心だと、供養をして貰いたくて霊が集り、苦しむ霊が集れば気を惹こうとしてイタズラすることは良くある話です。また、霊媒がする除霊・浄霊等というのは、落ちているゴミを拾うようなもので、それだけではチリ・ホコリが溜ることまでは防げません。それ故に心霊に関心のある人は、定期的にお祓いを受ける事などが大切です。
ですが、心霊的な作用は、客観的な観測手段に乏しいものです。特に敏感な霊媒と呼ばれる者が大騒ぎすることで、問題の一端に触れることが出来るわけですが、作用・反作用の法則を前提に考えるなら、観測手段に乏しいエネルギーの直接的な作用力は、本来、とても非力であると考えるべきでしょう。
確かに、家などに邪気が溜ると健康その他に影響が生じることは、霊感の持主にとって直覚的に理解しやすいことですし、経験的な裏付けもあります。しかし、見かけ上の効果だけで、それを原理であると解釈するのには、天体の運行を地上から眺めるかのような誤解の種となります。
つまり、邪気そのものに大きな毒性があるというより、邪気の処理が出来ない状況が危険性を暗示していると考える方が合理的だろうというのが私の判断です。
帰宅時に、ほっとして邪気が出る……疲れて家に帰るということです。つまり、ストレスを家に持帰っているわけですね。ところが、ストレスというのは単なる精神的な重荷を意味せず、生理・化学的な働きも重要素なのです。つまり、休むだけでストレスを発散するのはとても難しく、生理的なストレスの解消には身体を動かした方が好ましいのです。しかし、普段であれば家に帰るのが精一杯で、あとは何も出来ない、考えたくないというのが本音でしょう。
ですから、心の中に、「もう一歩」の習慣を植付ける必要があります。玄関で柏手《かしわで》を打つなどの動作でも……音を立てる、手を打つ、という動作だけでも結構、ストレスの解消になります。貧乏揺すりなども無意識のストレス発散運動なのです…… 無いより余程楽なのです。さらにいえば、限界まで表で頑張るのではなく、若干、ゆとりを持って付合いを断ろう、という考えも大切にすべきでしょう。
むろん、心霊家である以上、帰宅時には、無事帰宅できた事への感謝の祈りを神・仏・天・守護霊・祖霊のいずれか、又は全部(すきにしてください)に捧げることはあってしかるべきと思います。すると、守護霊・祖霊もつまらぬ因縁を持帰らぬように、いろいろと気配りしてくれます。大切なのは、祈られたから、又は、頼まれたから、という事ではなく、連携・協調の手段としての祈りです。守護霊・祖霊とバラバラ・ちぐはぐな行動をしていると、なかなか中々加護が及びにくい、その対策として、祈りが大切なのです。』