神の道具
2005/04/292005年 04月 29日
某霊が曰く、
「霊界には、皆様の幸せを願い、助けようとしている霊が無数に控えております」……だそうだ。
だが、貯水池が満杯であろうとも、それを汲む手段がなければ渇いていても水は得られぬし、運ぶ手段がなければ渇ける人に水を配れない。――その事に気が付かない人が心霊主義に目覚めても社会の役に立たない。
| 老神心霊研究所 |
| 人は死んでも終わらない |
2005年 04月 29日
某霊が曰く、
「霊界には、皆様の幸せを願い、助けようとしている霊が無数に控えております」……だそうだ。
だが、貯水池が満杯であろうとも、それを汲む手段がなければ渇いていても水は得られぬし、運ぶ手段がなければ渇ける人に水を配れない。――その事に気が付かない人が心霊主義に目覚めても社会の役に立たない。
2005年 04月 29日
ある目的に至る道は無数にある。――目的は手段に支配はされない。
たとえば……東京から大阪に行く。新幹線で行くか、飛行機で行くか、車で行くか。いずれにせよ、到着地は「大阪」であって「新幹線」でも、「飛行機」でも「車」でもない。まして、他の手段で着けぬと談じるのは何ともばかげた話だ。そして、この一般常識が非常に良識的に思えるのが、宗教や人生思想と比べたときだ。
なぜ、仏教に極楽あり、また、キリスト教・イスラム教の天国があるのか? 目的地が至高であるなら、道が無数にあろうともたどり着く先は一つであるはず。
呼び方の差と思うなかれ、ならばなぜ、多くの宗教は異教徒の行く末を地獄と談じるのか?
多くの宗教者は、至る道と目的地をはき違えているのだ。門をくぐり、その雰囲気に従うことで至高に至れると思っている。答は門をくぐった、その先にあるのは、一般常識の示すところだ。
異教徒が地獄に堕ちるのではなく、手段と目的をはき違えた者が地獄に暮しているのだ。