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『どうでもいいじゃないか』という答

2005/04/26

2005年 04月 26日


 いささか気の抜けた……というより、頼ってきている人に対してかなり失礼な回答のように見えるでしょうが、ちょっと我慢してください。

Q 「……感覚・受止め方が違っていたらご指摘ください。」

『どうでもいいじゃないか、そんなこと……』

・・・・・・・

 ……人はどうして、こうも行動に理由付をしたがるのだろう。「誰かの言葉の、その解釈が正しいかどうか」……しかし、そもそも人の器には差があるのだから、抽象的な概念を完全に共有する事なんて出来はしない。

 いや、言わんとすることは解る。要するには理解者が、そして味方が欲しいのだ。それは誰にでもあることだし、特に先頭を歩かなければならない人が特に求めるものでもある。――その求めを拒絶しようというのではない。

 ただ、『どうでもいいじゃないか』という答もあるのだ。

 理詰で考えて答が出ない。でも答が必要ならどうすべきか。……行き詰ったときに必要なのはさらなる努力ではなく、発想の転換だ。たとえば理詰で駄目なら、直感・直覚を使うという手もあるだろう。

 だが理詰で考えて行き詰り、人の智慧を借りて峠を越え、そして又理詰で考える。…… 助けてくれた人が一体どうしてその智慧を得たのかを考えなければ、又何度でも手を借りなければならなくなる。そして、考えて答が得られぬなら、考えることに何の意味があるのか?……助けを求めざるを得ないという状況認識のためだけに頭を使っているのならば、努力が疲労と敗北感しかもたらさない。助けを得て希望を持っても、それは又、次の疲労と敗北感の種子でしかない。

 疲れて仕方がないのに、更に努力する。……どうして疲労感をもっと素直に受止めないのか。それが健康を損っているのに。

 考えることにくたびれ果てているのにさらに考える……心が疲れているからくだらぬ考えに憑かれて発作的に自殺をしたりもする。死を容易に選びたくなるほど辛いことにどうして気が付かないのだろう?

 ……人はどうして、こうも行動に理由付をしたがるのだろう。疲れたなら休み、元気になったら又歩く。それが自然であるのに不自然を繰返す。

試行錯誤だっていいじゃないか。無駄な考えで時間を潰すのとどちらが無益だというのか。

 自ら主体性を持ち、人生を切開いていく。そういう自負心をいつまで持ち続けるのか。活かされているのが人間ならば、その目的は活かされている人間が知り得なくても不思議ではない。答は自分を活かしている者に聞かなければ。

 手をヌケというのではなく、無駄な力みを抜け……というのだ。どうして人は苦楽の意味を反対に受止めるのだろう。苦労に執着しては死んでも苦労する。


 もっとも、力を抜け、といわれて、ハイわかりました、と、力を抜ける人は滅多にいない。呼吸法や精神統一等の手段もあるが、技能の伝授は難しい。人生は霊性修行の場ではあるが、この修行というのはいわば実習を指す……座学だけで人生を終えては落第だ。

 さて難しい……滅私、自然体、そして理詰めで考えない。

 これは、無学の勧めではない。小悟をすてて大悟を得るということだ。


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