功徳を積め
2005/04/212006年04月21日
『●●は今の1.6倍の資産を持つだけの先祖の功徳がある。だが、それを超えるものに手を伸すと殆ど全部を失う』と聞えた。数字がやけに細かい。……「私のことですか」等という問い合せはお断りする。
ところで事業をやっている人が、そういわれて思うのは正直、「なんだその程度か」という感想であるに違いない。「資産を失う」といわれるよりはうれしかろうが、限界を示されてしまうのも張合いがない。だから適切な質問をしなければならない。
「それは不変の上限ですか、それを変える手だてはありませんか?」
すると
『ある。功徳を積むことだ。今のままでは稼げば敵を作り出す。身内にも裏切られるだろう。だから余り手を広げるべきではない。だが、敵を作らずに稼げるようになるなら、なにも上限など付ける必要もない』
という。具体的にはどうするか。仏教用語を使って「功徳」というのだから、いわゆる陰徳を積む……人に隠れて慈善事業でもするのが良いのだろうが、その効果はいささか怪しい。
何せ人には個性があり、向き不向きがある。本来、朴訥で、不器用なのに、長男/長女気質でちやほやされたい人が、影でこそこそ陰徳を積もうとしたところで、見つかれば偽善者扱されるのが落ちである。……こういう誤解されやすい人物は世に多い。
『ならば偽善をせよ。偽善ですと公言しつつ、偽善をすればいい。「よく偽善だといわれますけど、歓んでもらえたら私もうれしいから、偽善してます」……と、偽善に励めばいい。』
人の眼から隠れるのではなく、人混みの中に紛れて行う陰徳、というわけだ。
『難しく考えることはない。下らぬ事で手柄を立てようとするよりは偽善の方がよほどましである。まして、影で偽善といわれると腹も立つだろうから、偽善ですと自分で言え、というのだ。偽善だと自称しているものを影で偽善と罵るのは愚か者だけだろう。それでも人から歓んで貰えば、その笑顔から学ぶことも数多い。変に先祖供養だとか、無縁物供養だとかに凝るよりも、人様の歓ぶ顔から学ぶ方がよい。当人に向いているのだ』
……まあ、一応、心霊サイトですので。
『親切にされて歓んだ人は、どうなる?』
あ!
『その心がゆるみ、少々の因縁もそれを切っ掛けに解けていくものだ。……だから詰らぬ作為などせずに、人に親切にしていれば、後は自ずとあるべき姿に整っていくと信じて行え。わざわざ宗教行事を増やして、不燃ゴミを生み出すこともないぞ。今の時代では、な。』
でも考えてみれば、私がそういう前から先方ではいろいろとやっているみたいだ。
『霊媒の自負心が強いと、どうも、相談者を感心させようとして心を乱す。金を取らなくても、刈取りを忘れたちっぽけな自尊心が芽を出している。そもそも、「心霊主義的霊媒の一番大切な仕事は、相談者の気づかぬことを言うのではなく、相談者が気づくように後押しすることかもしれない」というのがおまえの信念であろうが。だから、「あなた方が気が付いたことは、あなた方が思う以上に良い方向なのだよ」といってやれることこそが、おまえの信念に沿った助言ではないか。なにより、精神統一の修行に参加しながら、自分で気が付かぬものがいては、主催者として情けなかろう』
……仰るとおり。
『だからな、大勢を歓ばせて、しかも、「私のやっていることはただの偽善です」と、自分の善良さを謙虚に示していれば、下手な祈祷や、先祖供養よりも良い結果が出るのだ。それが間接的な、祈祷や先祖供養にもつながるのだよ。「感謝の念のなんたるかを知らずに、先祖供養するのはナンセンス」等といっておきながら、それが判らねば困る。歓ぶ人々を見て良い気に浸っている内はまだまだ。人に歓ばれることの幸せに心底救われたと感じれるようになれば、「感謝」の真意を理解し、真の先祖供養が会得できるだろうに。』
……私も初心を忘れかけていたようだ。
『霊感霊視が大切なのではない。為すべき時に、為すべき事を、無理せずに実行できること、つまり、よりよい自分の実現手段を会得することが大切なのだ。それが霊性の働きを磨くことであり、霊覚するということである。』