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「愛」について

2005/04/20

「愛」について

2005年 04月 20日

心は指させない

 愛や友情という観念的な言葉が示すものは、手に取り見ることが出来ません。従って、その表すものを理解するためには、自分の心を充分に働かせる必要があります。

 かつて、恵能禅師は、月を指さして、「我が指でなく月を見よ」と申しましたが、現代では往々にして、愛や友情という文字を見て辞書の説明に満足し、その指し示すものを見ることをしません。

 一体月とは何の意味か――観察力に乏しければ、月は天空に浮ぶ光る円盤であり、よく見れば、逆さに兎が餅をつくかのような模様のある円盤です。更に現代の様々な機器を用いれば、更に多くのことが判るでしょう。

 恵能禅師の指に惑わされず、正しく月を見てもなお、月をどう理解するかは、その人の観察力、観察手段、そして理解・洞察力に左右されます。そして観念的な言葉の示すものも又、それを求める者の共感性や理解力に縛られているのです。

 さて、愛とは何であるのか……それが単に人を慈しみ、大切に思う心、といったところで、自暴自棄の人と、日々を幸せに暮す人の理解の間では相当の違いがあることは理解できるでしょう。多くの宗教、哲学が愛の真意を論じますが、愛という言葉も、愛を論じるそれぞれの意見も又、長短の違いこそあれ、真の愛を指し示す、それぞれの指に他なりません。

 人毎に感じられるものも、そして行えるものも異なるのに、理想ばかりを論じていては、空虚な理解しか残らなくなります。

愛の基本

 人は社会性を持った動物です。そして知性は孤独を苦痛に感じます。つまり、人は存在する限り、仲間を、味方を欲するものですが、たとえ集ってもそれぞれが勝手に行動するなら、群れといっても個の集りに過ぎません。そして自分の目的のために他を強いるのなら、修羅の如く、互いに争うだけの集団となります。助け合い、いたわり合う集団を作るためには二つのものが必要になります。―― 法と愛です。

 夫婦家族を含めた、いかなる人間のグループも、その構成員にこの二つを求めます。そして乱暴な表現ですが、法とは分ち合うこと、愛とは理や利で割切れぬものを受入れる肝要さ……とみなすことも出来ます。これが基本的な「愛」の説明です。

 広く社会を見回せば、法と愛……秩序と思いやりに欠けた集団のいかに獣の群れに似ているかに気が付くはずです。と同時に、我儘気分を抑える努力もなく(法と愛とを遵守せずに)、穏やかな集団の一員に食込もうとする努力の不毛さも見て取れます。片付けるのは手間がかかるが、散らかすのは簡単。作るのは大変だが、壊すのは簡単、――どんな素晴しい集団も無法・無慈悲な一人の構成員でたちまち荒廃していくのです。

 それ故に、自ら法を守り、愛を体現しようとしない……周囲に我儘を強いるだけの人が、孤独を癒そうとすることのなんと不毛なことであるかが、ご理解いただけるでしょう。群れたところで群れの内部で争うことしかできないのですから。

実用的説明

 しかし、世の中にどれだけたくさんの愛情論があろうとも、あなたにとって本当に大切な愛情論は、まず、あなた自身が抱ける愛の意味であり、そしてあなたが受取る愛の意味ということになります。真理には真理の意義がありますが、あなたにとって有意義なのは、あなたの中とあなたを取巻く愛の意味なのです。

 この事を正しく理解するためには、二つのことが大切です。

1,まず、自分を大切にする心と、人を大切にする心とが、きちんと対照していることです。その対照に歪みがあれば、何らかの欲念、正しくない想念の働きがあなたの判断に作用していることが窺われます。それを極端に表現するなら、欲の働きを愛であると誤解しているということです。……つまり自分を大切にする心ばかりが強ければ、あなたの愛は相手に苦痛を与えるでしょう。そして、人を大切にする心ばかりが強ければ、あなたの心に飢えが生じます。

2,次に大切なことは、愛はあなたの心と共に、成長し、変化し、時にはまっすぐ、時には曲ることがあるということです。永遠不変の愛というのは、観念の中でも特殊な理解の仕方で、決して幻想ではないが、正しく理解するには、時間の仕組を理解せねばなりません。しかし、多くの人々は、一瞬一瞬、その時々の心に振回されてしまうのが現実であって、永遠とは願望の表れに過ぎません。したがって語るに値するのは今一瞬の心の働きであることを理解なさってください。
では、未来とは何か、という質問も既に用意されておりますが、愛、特に永遠の愛を願うのであれば、まず未来とは何かを、理解なさる必要があります。

 未来を、「黙って待てば訪れる運命」と思うのは敗者の思想というべきです。むろん、人智ではあらがえない出来事もあるでしょう。しかし、未来は今・現在から生じていることを忘れてはなりません。もしあなたが良い未来を欲するのであれば、より良い未来を作り出す努力が必要です。努力があっても運命に翻弄されることはあります。しかし、あなた自身の努力もなくあなたが良い未来を得る事はとても難しいといわざるを得ません。

 すると、愛について二番目に大切なのは、より深い愛を日々育てる努力、その努力も又、愛という言葉の中に含まれているということです。――努力無くして、愛が不変であることはありません。無論、間違った努力は良い結果を生みません。そして、自分の心が適切でなければ、素直な愛は育ちません。

 あなたが、日々を素直に生き、素直な愛を育てられますように祈念いたします。


応答:『愛について』

2005年 04月 24日


4月29日掲載の、『愛について』に関連して、メールでの質問をいただきました。このメールを読み、私は幾人かの悩みと共通する話題がそこにあることに気がつき、公開の場で返答させていただくことにしました。なお、プライバシー等を考慮して質問は整理・要約させていただきました。


1,「以前より孤独を感じる時が多くなったように思います。でも質が違うように思います。がなんとか耐えられるようになっています。」

 今までのあなたなら、孤独を感じる事が耐えられなかったのではありませんか。……以前より、孤独を感じられるというのは、「以前より孤独になった」というより、「孤独と向き合えるようになった」のだ、と、私は理解していますが?

 あなたは、不足を嘆くのではなく、不安を嘆くタイプの人でした。つまり、無くなれば開き直れるのに、無くなりそうだ、となると大騒ぎをしてしまう……私のうがちすぎでしょうか?

あなたは、あなたが思う以上に前進しているのだ……私はそう捉えます。


2,「今、プラス念頭に思う指針がとても欲しく探していました。中々見つけることができず尋ねたいと決心したところでした。」

3,「HPをひらき『愛について』を読み書かれていることを、少しずつでも読み解きながら努力する目標に掲げたいなと思ったのです。これは永遠のテーマですので、ほとんど押しつぶされそうになり、負けてしまうのではと思っています。時には自らを落ち込ませる元になるかもしれません。そして多くを残したままあの世へといくことになるでしょう。今の心境は上をめざしながらの日々を生きたいと切に願っているのです。」

「プラス念頭に思う指針」なる用語・造語はよく分かりません。いわゆる、ポジティブ思考というのであれば、私は半面の理と考えます。

 物事の流れには時機があります。――つまり、外に向かって伸びるべき時と、内容の充実を図るべき時です。外に向かって伸びるだけでは挫折に弱くなり、かといって内容の充実を図るだけなら世の役に立ちません。まして、どちらかに偏るのは不自然……もしくは極端で、中道から反します。ようは、ポジティブ、ネガティブ、そのどちらかに偏るのではなく、自分の置かれている立場を判断し、自由に適応する事こそが大切と考えます。

 ですが、私の目から見た、あなたの弱点は、自然体を取れないことです。 不自然を自分に強いるから、疲れる。そして、根気に不足を感じてしまう。そして、不足を感じることを自分のネガティブ思想と恥じている……。しかし、今のあなたが為すべき事は、「私が! 私が!」と自己を主張することではなく、周囲の努力家を立てる仕事ではありますまいか? 人を立てることをせず、自己を主張すれば、周囲から叩かれてしまいます。……すると、ポジティブになろうとするほど敵を作り、嫌でもネガティブに押しやられてしまいます。

 それこそ自己矛盾です。自己矛盾は発想の転換無くして解決しません。そして、自己矛盾を抱いたままの努力はただ苦しみしかもたらしません。

あなたは、自分の努力で、自分の人生を切り開けているのでしょうか?

 もしも、あなたの努力が無理を生じさせているのだとしたら、必要なのはポジティブ思想ではなく(発想の転換)……むしろ「唯神《かんながら》の大道」でありましょう。つまり、神にまかせた生き方、この場合の神とは高級心霊という意味合いではなく、「自然な流れ」を擬人化した存在である神です。

 とても厳しい言葉であることは重々承知しておりますが、同様の悩みに陥っている方々にも向けて、敢えて広言いたします。

 あなたは(そして幾人かは)、憧れさえ抱いた大切な人を死別によって失っております。……でもあなたは生きている。いや、生きていると言うより活かされていることを自覚なさっているはずです。

 皆を引っ張るが如く頑張る人が早世し、その人を頼っていたあなた(方)が生きながらえる。その差はどこにあるのでしょう? 生きようとして耐えられない人、そして、活かされて生きながらえる人。――つまり、不自然が命を縮めているのです。

 たとえ活かされていても、あなたには自由があります。その自由の範囲内で善く生きようとすることはむしろ義務です。でも、それを越えようとしたら……誰があなたを苦しめるのではなく、あなた自身があなたを苦しめることになります。

人生は背後霊との二人三脚。うまく前に進めないときには、もっと、ゆっくりと歩むことです。


 さて、強いて言えば、あなたの目標とすべき事は明白です。

滅私奉公――自分を抑えて、人を立てることです。

 なぜなら、それこそがあなたの嫌いなことであり、それゆえに、あなたがこの人生の中で、乗り越えるべき課題であると見なせるからです。……と同時に、これがあなたを触発した、『愛』の、あなたの理解を一段超えたあり方だからです。


調和

(補:応答:『愛について』)

2005年 04月 25日


応答:『愛について』中、当初、

 滅私奉公――自分を殺して、人を立てることです。

 と記載しました。ですが、「滅」と「殺す」は同義であっても、ちょっときつい表現なので、  

滅私奉公――自分を抑えて、人を立てることです。

 と改めました。

 さて。この滅私奉公が、想定外の反響を得て、同時に補足の霊信を受信しました。


 自薦は、他者との争いが必至です。……時にそれが必要であるとしても、最後の答にはなり得ません。

 他者を立て、他者から立てられてこそ、調和が成り立ち、 その先にこそ、(個人の満足ではない) 万人の満足があります。

 もしもあなたが、個人の満足だけを追い掛けたなら、どうして孤独に苦しまずにいられましょうか?

 そして、万人の幸せを追求するあなたが、どうして孤独に陥りましょうか?

 満足と、孤独との間に挟まれ、葛藤するのは答がないからではありません。……個人の満足と、孤独という相反する問題を同時に解決しようとするから答が見えない、いや、答があり得ないのです。

 この葛藤こそが、いわゆる夢幻界のフタ……低級霊界の出口を塞ぐフタなのです。

 調和――調和の尊さを知らずに対人的な葛藤からは救われません。

 そして、この調和を尊ぶ心を、人は何と呼ぶのか……その答はあなたの人生の中で見出していくべきものです。


霊査事例: 2005年4月20日

2005/04/20

 以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての代表的な霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。  以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。


事例1

 直感を活かすためには、思考を抑えなければなりません。智と霊格との共存は通常はあり得ません。難しいかも知れませんが、直感を活かす時と、思考を活かす時の双方を使い分けてください。

事例2

 いま、あなたの心が乱れているとしても、霊的にはとても静かです。情動が激しいときには無理に止めようとせず、どこかで暴れても良いのです。ただ、大切な判断、大切な行動に情動を持ち込まないように。

事例3

 お姉様が心配して、顔をのぞき込んでいるのが見えます。 (あなたは)疲れていらっしゃるのでしょう。ですが、落ち着きがほどよい霊感をあなたに与えております。「愛している」と聞こえます。心配だから通じるのではなく、通じる環境だから通じるのですね。

(霊査送信日の翌日が、お姉様(故人)のお誕生日だったそうで、お姉様を思う心が霊界に通じたのでしょう。)

追伸――心配するのが家族の役割ではありません。助け合うのが家族の役割です。……これを明らかにすることは非常に逡巡したのですが、とても大切なことなので、明らかにさせていただきます。「傍にいてあげられないのが辛い……」とこぼしておりました。生きている者にとって、死は悼むべきものですが、死者から見て何より辛いのは、死という事態の悲劇ではなく、手助けをしたくてももどかしいことのようです。 想い合うことは美しいものです。――ただ、過度の反省や無理な強がりで折角の絆を捩らせないようにいたしましょう。

事例4

 溌剌としていらっしゃるのが見て取れます。ほおづえをつき、いま少し様子を見守りたいという女性の霊がみえます。察するところ、今は楽しみなさいというところでしょう。

事例5

 体の芯に疲れが溜まっています。しかし、気持ちが先走りって疲れの自覚がありません。すると、あなたに自覚はなくても周囲に当たり散らしていることでしょう。 週末にはぜひ、山にでも行き、そして早めに帰宅してぐっすりとお休み下さい。

(空元気的なお返事をいただきましたが……?)

事例6

 疲れていらだっている相手から、ケンカを売られても決して買ってはいけません。激しく逆恨みされますし、相手を病気やケガに追い込むからです。――まあ、あなたもケンカを売りたいときもあるでしょうが……

(お疲れ的なお返事をいただきましたが……?)


責任論

2005/04/20


 

  それは誰が為すのか? そして誰が止めるべき事か?


   とある霊がかく語る。

『負けることと、悪しき行いとどちらが恥ずかしいことだろうか?

 相手がある事なら、優劣・勝ち負けは避けがたい。

 だが、悪しきことは、自らの努力で止めることが出来る。

 嫉妬、憎悪、執着……そして強欲。

 それは誰が為すのか? そして誰が止めるべき事か?

 為すべき事を為す。それこそが人間であるということだ。

 為すべき事を為さぬのは、人間をやめるということだ。』


‘, ”, 1, 5, 0, 21, ’2005-04-19 00:00:00′, 63, ”, ’0000-00-00 00:00:00′, 0, 0, ’0000-00-00 00:00:00′, ’2006-04-11 23:43:23′, ’0000-00-00 00:00:00′, ”, ”, ‘pageclass_sfx=\nback_button=\nitem_title=1\nlink_titles=\nintrotext=1\nsection=0\nsection_link=0\ncategory=0\ncategory_link=0\nrating=\nauthor=\ncreatedate=\nmodifydate=\npdf=\nprint=\nemail=\nkeyref=\ndocbook_type=’, 1, 0, 19, ”, ”, 0, 1939),

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