‘2005/04’ カテゴリーのアーカイブ

七転八倒の苦しみ

2005/04/30

2005年 04月 30日


「なぜ私がこんなに苦しまなければならないのか!!」という悲痛な叫びが世に満ちている。それを哀れみ、あなたが手を差しのばそうとすると、果してどうなるか。――あなたは責任を問われるのだ。

 人間の理解力には限りがある。というより「僅か」というべきであろう。すると人は知らずに過ちを犯し、罪を犯して自らの苦しみを増していくものだ。身に覚えがなくても、自らの苦しむ原因を産んでいるのが人間なのである。むろん、他からいわれなき危害を受けているものもいるし、身内の困苦の一端を背負わされているものもいる。だが大切なことは、 自分の苦しみの原因を正しく見抜くことの出来ない者に、どれだけの思慮があるのか……ということだ。助けるつもりが八つ当たりされることは覚悟せねばならない。

 悩める者が自らの未熟さに気が付き、思慮深さを得たのであれば自ずと苦しみは減っていくし、苦しみの種より多くの、歓びの種を播けるようになれば自然と幸せになっていく。 だが、往々悩める者は自分を省みない。自分の苦しみを誰かのせいにしたがる。そして誰が、いわれなき罪を甘受するというのか。責任転嫁は嫌われ、それが又自分の苦しみを増すのだ。

 愛する相手の為なら歓んで罪を引受けられるのでは、と問うか?

 むろん、むろん。もしもあなたが人類愛の実行者であり、また、相手も人類愛の理解者である限り。だが、一方でも人類愛の理解がなければ、そこに複雑な問題を生じるのだ。――なにしろ、愛とは往々に独占欲の隠れ蓑として使われる表現であるから。

 強欲な相手は救いがたい。特に怠惰で強欲の相手は救いがたい。そして、愚かで強欲の相手は救えない。


神の道具

2005/04/29

2005年 04月 29日


某霊が曰く、

「霊界には、皆様の幸せを願い、助けようとしている霊が無数に控えております」……だそうだ。

 だが、貯水池が満杯であろうとも、それを汲む手段がなければ渇いていても水は得られぬし、運ぶ手段がなければ渇ける人に水を配れない。――その事に気が付かない人が心霊主義に目覚めても社会の役に立たない。


手段と目的・・・行き着く先は?

2005/04/29

2005年 04月 29日


 ある目的に至る道は無数にある。――目的は手段に支配はされない。

 たとえば……東京から大阪に行く。新幹線で行くか、飛行機で行くか、車で行くか。いずれにせよ、到着地は「大阪」であって「新幹線」でも、「飛行機」でも「車」でもない。まして、他の手段で着けぬと談じるのは何ともばかげた話だ。そして、この一般常識が非常に良識的に思えるのが、宗教や人生思想と比べたときだ。

 なぜ、仏教に極楽あり、また、キリスト教・イスラム教の天国があるのか? 目的地が至高であるなら、道が無数にあろうともたどり着く先は一つであるはず。

 呼び方の差と思うなかれ、ならばなぜ、多くの宗教は異教徒の行く末を地獄と談じるのか?

 多くの宗教者は、至る道と目的地をはき違えているのだ。門をくぐり、その雰囲気に従うことで至高に至れると思っている。答は門をくぐった、その先にあるのは、一般常識の示すところだ。

 異教徒が地獄に堕ちるのではなく、手段と目的をはき違えた者が地獄に暮しているのだ。


『どうでもいいじゃないか』という答

2005/04/26

2005年 04月 26日


 いささか気の抜けた……というより、頼ってきている人に対してかなり失礼な回答のように見えるでしょうが、ちょっと我慢してください。

Q 「……感覚・受止め方が違っていたらご指摘ください。」

『どうでもいいじゃないか、そんなこと……』

・・・・・・・

 ……人はどうして、こうも行動に理由付をしたがるのだろう。「誰かの言葉の、その解釈が正しいかどうか」……しかし、そもそも人の器には差があるのだから、抽象的な概念を完全に共有する事なんて出来はしない。

 いや、言わんとすることは解る。要するには理解者が、そして味方が欲しいのだ。それは誰にでもあることだし、特に先頭を歩かなければならない人が特に求めるものでもある。――その求めを拒絶しようというのではない。

 ただ、『どうでもいいじゃないか』という答もあるのだ。

 理詰で考えて答が出ない。でも答が必要ならどうすべきか。……行き詰ったときに必要なのはさらなる努力ではなく、発想の転換だ。たとえば理詰で駄目なら、直感・直覚を使うという手もあるだろう。

 だが理詰で考えて行き詰り、人の智慧を借りて峠を越え、そして又理詰で考える。…… 助けてくれた人が一体どうしてその智慧を得たのかを考えなければ、又何度でも手を借りなければならなくなる。そして、考えて答が得られぬなら、考えることに何の意味があるのか?……助けを求めざるを得ないという状況認識のためだけに頭を使っているのならば、努力が疲労と敗北感しかもたらさない。助けを得て希望を持っても、それは又、次の疲労と敗北感の種子でしかない。

 疲れて仕方がないのに、更に努力する。……どうして疲労感をもっと素直に受止めないのか。それが健康を損っているのに。

 考えることにくたびれ果てているのにさらに考える……心が疲れているからくだらぬ考えに憑かれて発作的に自殺をしたりもする。死を容易に選びたくなるほど辛いことにどうして気が付かないのだろう?

 ……人はどうして、こうも行動に理由付をしたがるのだろう。疲れたなら休み、元気になったら又歩く。それが自然であるのに不自然を繰返す。

試行錯誤だっていいじゃないか。無駄な考えで時間を潰すのとどちらが無益だというのか。

 自ら主体性を持ち、人生を切開いていく。そういう自負心をいつまで持ち続けるのか。活かされているのが人間ならば、その目的は活かされている人間が知り得なくても不思議ではない。答は自分を活かしている者に聞かなければ。

 手をヌケというのではなく、無駄な力みを抜け……というのだ。どうして人は苦楽の意味を反対に受止めるのだろう。苦労に執着しては死んでも苦労する。


 もっとも、力を抜け、といわれて、ハイわかりました、と、力を抜ける人は滅多にいない。呼吸法や精神統一等の手段もあるが、技能の伝授は難しい。人生は霊性修行の場ではあるが、この修行というのはいわば実習を指す……座学だけで人生を終えては落第だ。

 さて難しい……滅私、自然体、そして理詰めで考えない。

 これは、無学の勧めではない。小悟をすてて大悟を得るということだ。


「楽」「苦」「怠惰」

2005/04/23

2005年 04月 23日


 楽を求めるものは多い。だが楽というのは楽しむの意味を持つ。手抜き仕事は「楽」とはいわぬ。

 過去が今を作り、今が明日を作るのである。苦を一瞬の今と思うところに過ちがある。それは過去が生みだしたものであり、未来の苦は今が生み出すものである。

 今現在の苦を避けることばかり考え、明日の苦を取除くことを忘れる。人はそうして苦しみの中に溺れ続ける。

怠惰

 怠けることの何が悪いのか? 因果応報、その報いは自分にかかるのではないか。だが、遅れれば人に迷惑を掛けるし、人が先を行けば妬みもする。今現在の楽を追いかけ、明日の苦を作り、明日の苦を作りながら、苦労のなさに安堵する。その視野の狭さこそが、怠惰の害である。

 怠惰の善し悪しに問題があるのではない。先が読めないことの不幸がそこにあるのだ。


優しさ

2005/04/22

2005年 04月 22日


 人は、自分がもたぬものを切実に求める。優しさを求める心も同様だ。「私は人に優しくしている!」というものは多いが、ではなぜ、他の優しさを必要とするのか。自分に厳しいからこそ、人の優しさを求めているのではないか。

 人は安易に自分に厳しくする。怠惰は危険であるが、厳しすぎれば傷つくのは他人も自分も同じ事だ。誰かの優しさを必要とするほど、自分に厳しすぎるのでは、持っている優しさというのも、いかなる下心があってのことか、判りはしない。―― 他からよく見られたいが為に優しくして、その演技が受入れられないからこそ、優しさが欲しいと不満をいっているのではないか?

 確かに、人は社会の中で暮し、孤独は耐え難い。それも又摂理、自然な反応ではある。だが、世の中には本当に優しさが足りないのであろうか?

 足りぬのは、優しさの意味への理解であろう。すなわち、人に偽りの優しさを与え、偽りの優しさで騙されるから、世の中に偽りの優しさばかり溢れて、いくら得ても歓びが生じないのだ。

 偽物が多い世の中で、必要なのは本物であり、本物を欲しがるならば、自ら本物の優しさを会得せねばならぬ。人は自分にもたぬものを切実に求めるが、無いことに不満が生じるとき、自分の貧しさを振返らねばならぬ。


「将来・未来」

2005/04/22

2005年 04月 22日


 人々は、天の運行、時の流れに何らかの意志が潜むと考える。だが、それよりも直接的な働きをするのが自分自身の心である。人はどういう明日を作りたいのか。それを思わざる人にいかなる明日が来るだろう?

 将来とは、未来とは、えてして予測不能ではあるし、人の意図に背くものだが、やはり作り上げていくものなのだ。

 秋の稔りの豊かさを求めるなら、丹念に土地を耕し、種を播き、そして雑草を取除かなければならない。それを忘れて稔りだけを願うなら、それは将来・未来の作り方を知らぬというべきか。

 明日を創る……気をつけねばならぬことは、往々、成功者と呼ばれるものは、明日を創ることを楽しみ、その過程のなんたるかを意識しない。そして、明日を作り損ねる人は、作る事に苦しみ、その過程に小細工を弄しすぎる。

 人に人情は通じても、天文・気象に人情は通じない。真心の大切さを思うべきである。そのためには、自分の行為のあり方を結果から学ぶ努力が必要だろう。


功徳を積め

2005/04/21

2006年04月21日


『●●は今の1.6倍の資産を持つだけの先祖の功徳がある。だが、それを超えるものに手を伸すと殆ど全部を失う』と聞えた。数字がやけに細かい。……「私のことですか」等という問い合せはお断りする。

 ところで事業をやっている人が、そういわれて思うのは正直、「なんだその程度か」という感想であるに違いない。「資産を失う」といわれるよりはうれしかろうが、限界を示されてしまうのも張合いがない。だから適切な質問をしなければならない。

「それは不変の上限ですか、それを変える手だてはありませんか?」

 すると

『ある。功徳を積むことだ。今のままでは稼げば敵を作り出す。身内にも裏切られるだろう。だから余り手を広げるべきではない。だが、敵を作らずに稼げるようになるなら、なにも上限など付ける必要もない』

 という。具体的にはどうするか。仏教用語を使って「功徳」というのだから、いわゆる陰徳を積む……人に隠れて慈善事業でもするのが良いのだろうが、その効果はいささか怪しい。

 何せ人には個性があり、向き不向きがある。本来、朴訥で、不器用なのに、長男/長女気質でちやほやされたい人が、影でこそこそ陰徳を積もうとしたところで、見つかれば偽善者扱されるのが落ちである。……こういう誤解されやすい人物は世に多い。

『ならば偽善をせよ。偽善ですと公言しつつ、偽善をすればいい。「よく偽善だといわれますけど、歓んでもらえたら私もうれしいから、偽善してます」……と、偽善に励めばいい。』

 人の眼から隠れるのではなく、人混みの中に紛れて行う陰徳、というわけだ。

『難しく考えることはない。下らぬ事で手柄を立てようとするよりは偽善の方がよほどましである。まして、影で偽善といわれると腹も立つだろうから、偽善ですと自分で言え、というのだ。偽善だと自称しているものを影で偽善と罵るのは愚か者だけだろう。それでも人から歓んで貰えば、その笑顔から学ぶことも数多い。変に先祖供養だとか、無縁物供養だとかに凝るよりも、人様の歓ぶ顔から学ぶ方がよい。当人に向いているのだ』

……まあ、一応、心霊サイトですので。

『親切にされて歓んだ人は、どうなる?』

 あ!

『その心がゆるみ、少々の因縁もそれを切っ掛けに解けていくものだ。……だから詰らぬ作為などせずに、人に親切にしていれば、後は自ずとあるべき姿に整っていくと信じて行え。わざわざ宗教行事を増やして、不燃ゴミを生み出すこともないぞ。今の時代では、な。』

 でも考えてみれば、私がそういう前から先方ではいろいろとやっているみたいだ。

『霊媒の自負心が強いと、どうも、相談者を感心させようとして心を乱す。金を取らなくても、刈取りを忘れたちっぽけな自尊心が芽を出している。そもそも、「心霊主義的霊媒の一番大切な仕事は、相談者の気づかぬことを言うのではなく、相談者が気づくように後押しすることかもしれない」というのがおまえの信念であろうが。だから、「あなた方が気が付いたことは、あなた方が思う以上に良い方向なのだよ」といってやれることこそが、おまえの信念に沿った助言ではないか。なにより、精神統一の修行に参加しながら、自分で気が付かぬものがいては、主催者として情けなかろう』

……仰るとおり。

『だからな、大勢を歓ばせて、しかも、「私のやっていることはただの偽善です」と、自分の善良さを謙虚に示していれば、下手な祈祷や、先祖供養よりも良い結果が出るのだ。それが間接的な、祈祷や先祖供養にもつながるのだよ。「感謝の念のなんたるかを知らずに、先祖供養するのはナンセンス」等といっておきながら、それが判らねば困る。歓ぶ人々を見て良い気に浸っている内はまだまだ。人に歓ばれることの幸せに心底救われたと感じれるようになれば、「感謝」の真意を理解し、真の先祖供養が会得できるだろうに。』

……私も初心を忘れかけていたようだ。

『霊感霊視が大切なのではない。為すべき時に、為すべき事を、無理せずに実行できること、つまり、よりよい自分の実現手段を会得することが大切なのだ。それが霊性の働きを磨くことであり、霊覚するということである。』


「愛」について

2005/04/20

「愛」について

2005年 04月 20日

心は指させない

 愛や友情という観念的な言葉が示すものは、手に取り見ることが出来ません。従って、その表すものを理解するためには、自分の心を充分に働かせる必要があります。

 かつて、恵能禅師は、月を指さして、「我が指でなく月を見よ」と申しましたが、現代では往々にして、愛や友情という文字を見て辞書の説明に満足し、その指し示すものを見ることをしません。

 一体月とは何の意味か――観察力に乏しければ、月は天空に浮ぶ光る円盤であり、よく見れば、逆さに兎が餅をつくかのような模様のある円盤です。更に現代の様々な機器を用いれば、更に多くのことが判るでしょう。

 恵能禅師の指に惑わされず、正しく月を見てもなお、月をどう理解するかは、その人の観察力、観察手段、そして理解・洞察力に左右されます。そして観念的な言葉の示すものも又、それを求める者の共感性や理解力に縛られているのです。

 さて、愛とは何であるのか……それが単に人を慈しみ、大切に思う心、といったところで、自暴自棄の人と、日々を幸せに暮す人の理解の間では相当の違いがあることは理解できるでしょう。多くの宗教、哲学が愛の真意を論じますが、愛という言葉も、愛を論じるそれぞれの意見も又、長短の違いこそあれ、真の愛を指し示す、それぞれの指に他なりません。

 人毎に感じられるものも、そして行えるものも異なるのに、理想ばかりを論じていては、空虚な理解しか残らなくなります。

愛の基本

 人は社会性を持った動物です。そして知性は孤独を苦痛に感じます。つまり、人は存在する限り、仲間を、味方を欲するものですが、たとえ集ってもそれぞれが勝手に行動するなら、群れといっても個の集りに過ぎません。そして自分の目的のために他を強いるのなら、修羅の如く、互いに争うだけの集団となります。助け合い、いたわり合う集団を作るためには二つのものが必要になります。―― 法と愛です。

 夫婦家族を含めた、いかなる人間のグループも、その構成員にこの二つを求めます。そして乱暴な表現ですが、法とは分ち合うこと、愛とは理や利で割切れぬものを受入れる肝要さ……とみなすことも出来ます。これが基本的な「愛」の説明です。

 広く社会を見回せば、法と愛……秩序と思いやりに欠けた集団のいかに獣の群れに似ているかに気が付くはずです。と同時に、我儘気分を抑える努力もなく(法と愛とを遵守せずに)、穏やかな集団の一員に食込もうとする努力の不毛さも見て取れます。片付けるのは手間がかかるが、散らかすのは簡単。作るのは大変だが、壊すのは簡単、――どんな素晴しい集団も無法・無慈悲な一人の構成員でたちまち荒廃していくのです。

 それ故に、自ら法を守り、愛を体現しようとしない……周囲に我儘を強いるだけの人が、孤独を癒そうとすることのなんと不毛なことであるかが、ご理解いただけるでしょう。群れたところで群れの内部で争うことしかできないのですから。

実用的説明

 しかし、世の中にどれだけたくさんの愛情論があろうとも、あなたにとって本当に大切な愛情論は、まず、あなた自身が抱ける愛の意味であり、そしてあなたが受取る愛の意味ということになります。真理には真理の意義がありますが、あなたにとって有意義なのは、あなたの中とあなたを取巻く愛の意味なのです。

 この事を正しく理解するためには、二つのことが大切です。

1,まず、自分を大切にする心と、人を大切にする心とが、きちんと対照していることです。その対照に歪みがあれば、何らかの欲念、正しくない想念の働きがあなたの判断に作用していることが窺われます。それを極端に表現するなら、欲の働きを愛であると誤解しているということです。……つまり自分を大切にする心ばかりが強ければ、あなたの愛は相手に苦痛を与えるでしょう。そして、人を大切にする心ばかりが強ければ、あなたの心に飢えが生じます。

2,次に大切なことは、愛はあなたの心と共に、成長し、変化し、時にはまっすぐ、時には曲ることがあるということです。永遠不変の愛というのは、観念の中でも特殊な理解の仕方で、決して幻想ではないが、正しく理解するには、時間の仕組を理解せねばなりません。しかし、多くの人々は、一瞬一瞬、その時々の心に振回されてしまうのが現実であって、永遠とは願望の表れに過ぎません。したがって語るに値するのは今一瞬の心の働きであることを理解なさってください。
では、未来とは何か、という質問も既に用意されておりますが、愛、特に永遠の愛を願うのであれば、まず未来とは何かを、理解なさる必要があります。

 未来を、「黙って待てば訪れる運命」と思うのは敗者の思想というべきです。むろん、人智ではあらがえない出来事もあるでしょう。しかし、未来は今・現在から生じていることを忘れてはなりません。もしあなたが良い未来を欲するのであれば、より良い未来を作り出す努力が必要です。努力があっても運命に翻弄されることはあります。しかし、あなた自身の努力もなくあなたが良い未来を得る事はとても難しいといわざるを得ません。

 すると、愛について二番目に大切なのは、より深い愛を日々育てる努力、その努力も又、愛という言葉の中に含まれているということです。――努力無くして、愛が不変であることはありません。無論、間違った努力は良い結果を生みません。そして、自分の心が適切でなければ、素直な愛は育ちません。

 あなたが、日々を素直に生き、素直な愛を育てられますように祈念いたします。


応答:『愛について』

2005年 04月 24日


4月29日掲載の、『愛について』に関連して、メールでの質問をいただきました。このメールを読み、私は幾人かの悩みと共通する話題がそこにあることに気がつき、公開の場で返答させていただくことにしました。なお、プライバシー等を考慮して質問は整理・要約させていただきました。


1,「以前より孤独を感じる時が多くなったように思います。でも質が違うように思います。がなんとか耐えられるようになっています。」

 今までのあなたなら、孤独を感じる事が耐えられなかったのではありませんか。……以前より、孤独を感じられるというのは、「以前より孤独になった」というより、「孤独と向き合えるようになった」のだ、と、私は理解していますが?

 あなたは、不足を嘆くのではなく、不安を嘆くタイプの人でした。つまり、無くなれば開き直れるのに、無くなりそうだ、となると大騒ぎをしてしまう……私のうがちすぎでしょうか?

あなたは、あなたが思う以上に前進しているのだ……私はそう捉えます。


2,「今、プラス念頭に思う指針がとても欲しく探していました。中々見つけることができず尋ねたいと決心したところでした。」

3,「HPをひらき『愛について』を読み書かれていることを、少しずつでも読み解きながら努力する目標に掲げたいなと思ったのです。これは永遠のテーマですので、ほとんど押しつぶされそうになり、負けてしまうのではと思っています。時には自らを落ち込ませる元になるかもしれません。そして多くを残したままあの世へといくことになるでしょう。今の心境は上をめざしながらの日々を生きたいと切に願っているのです。」

「プラス念頭に思う指針」なる用語・造語はよく分かりません。いわゆる、ポジティブ思考というのであれば、私は半面の理と考えます。

 物事の流れには時機があります。――つまり、外に向かって伸びるべき時と、内容の充実を図るべき時です。外に向かって伸びるだけでは挫折に弱くなり、かといって内容の充実を図るだけなら世の役に立ちません。まして、どちらかに偏るのは不自然……もしくは極端で、中道から反します。ようは、ポジティブ、ネガティブ、そのどちらかに偏るのではなく、自分の置かれている立場を判断し、自由に適応する事こそが大切と考えます。

 ですが、私の目から見た、あなたの弱点は、自然体を取れないことです。 不自然を自分に強いるから、疲れる。そして、根気に不足を感じてしまう。そして、不足を感じることを自分のネガティブ思想と恥じている……。しかし、今のあなたが為すべき事は、「私が! 私が!」と自己を主張することではなく、周囲の努力家を立てる仕事ではありますまいか? 人を立てることをせず、自己を主張すれば、周囲から叩かれてしまいます。……すると、ポジティブになろうとするほど敵を作り、嫌でもネガティブに押しやられてしまいます。

 それこそ自己矛盾です。自己矛盾は発想の転換無くして解決しません。そして、自己矛盾を抱いたままの努力はただ苦しみしかもたらしません。

あなたは、自分の努力で、自分の人生を切り開けているのでしょうか?

 もしも、あなたの努力が無理を生じさせているのだとしたら、必要なのはポジティブ思想ではなく(発想の転換)……むしろ「唯神《かんながら》の大道」でありましょう。つまり、神にまかせた生き方、この場合の神とは高級心霊という意味合いではなく、「自然な流れ」を擬人化した存在である神です。

 とても厳しい言葉であることは重々承知しておりますが、同様の悩みに陥っている方々にも向けて、敢えて広言いたします。

 あなたは(そして幾人かは)、憧れさえ抱いた大切な人を死別によって失っております。……でもあなたは生きている。いや、生きていると言うより活かされていることを自覚なさっているはずです。

 皆を引っ張るが如く頑張る人が早世し、その人を頼っていたあなた(方)が生きながらえる。その差はどこにあるのでしょう? 生きようとして耐えられない人、そして、活かされて生きながらえる人。――つまり、不自然が命を縮めているのです。

 たとえ活かされていても、あなたには自由があります。その自由の範囲内で善く生きようとすることはむしろ義務です。でも、それを越えようとしたら……誰があなたを苦しめるのではなく、あなた自身があなたを苦しめることになります。

人生は背後霊との二人三脚。うまく前に進めないときには、もっと、ゆっくりと歩むことです。


 さて、強いて言えば、あなたの目標とすべき事は明白です。

滅私奉公――自分を抑えて、人を立てることです。

 なぜなら、それこそがあなたの嫌いなことであり、それゆえに、あなたがこの人生の中で、乗り越えるべき課題であると見なせるからです。……と同時に、これがあなたを触発した、『愛』の、あなたの理解を一段超えたあり方だからです。


調和

(補:応答:『愛について』)

2005年 04月 25日


応答:『愛について』中、当初、

 滅私奉公――自分を殺して、人を立てることです。

 と記載しました。ですが、「滅」と「殺す」は同義であっても、ちょっときつい表現なので、  

滅私奉公――自分を抑えて、人を立てることです。

 と改めました。

 さて。この滅私奉公が、想定外の反響を得て、同時に補足の霊信を受信しました。


 自薦は、他者との争いが必至です。……時にそれが必要であるとしても、最後の答にはなり得ません。

 他者を立て、他者から立てられてこそ、調和が成り立ち、 その先にこそ、(個人の満足ではない) 万人の満足があります。

 もしもあなたが、個人の満足だけを追い掛けたなら、どうして孤独に苦しまずにいられましょうか?

 そして、万人の幸せを追求するあなたが、どうして孤独に陥りましょうか?

 満足と、孤独との間に挟まれ、葛藤するのは答がないからではありません。……個人の満足と、孤独という相反する問題を同時に解決しようとするから答が見えない、いや、答があり得ないのです。

 この葛藤こそが、いわゆる夢幻界のフタ……低級霊界の出口を塞ぐフタなのです。

 調和――調和の尊さを知らずに対人的な葛藤からは救われません。

 そして、この調和を尊ぶ心を、人は何と呼ぶのか……その答はあなたの人生の中で見出していくべきものです。


霊査事例: 2005年4月20日

2005/04/20

 以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての代表的な霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。  以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。


事例1

 直感を活かすためには、思考を抑えなければなりません。智と霊格との共存は通常はあり得ません。難しいかも知れませんが、直感を活かす時と、思考を活かす時の双方を使い分けてください。

事例2

 いま、あなたの心が乱れているとしても、霊的にはとても静かです。情動が激しいときには無理に止めようとせず、どこかで暴れても良いのです。ただ、大切な判断、大切な行動に情動を持ち込まないように。

事例3

 お姉様が心配して、顔をのぞき込んでいるのが見えます。 (あなたは)疲れていらっしゃるのでしょう。ですが、落ち着きがほどよい霊感をあなたに与えております。「愛している」と聞こえます。心配だから通じるのではなく、通じる環境だから通じるのですね。

(霊査送信日の翌日が、お姉様(故人)のお誕生日だったそうで、お姉様を思う心が霊界に通じたのでしょう。)

追伸――心配するのが家族の役割ではありません。助け合うのが家族の役割です。……これを明らかにすることは非常に逡巡したのですが、とても大切なことなので、明らかにさせていただきます。「傍にいてあげられないのが辛い……」とこぼしておりました。生きている者にとって、死は悼むべきものですが、死者から見て何より辛いのは、死という事態の悲劇ではなく、手助けをしたくてももどかしいことのようです。 想い合うことは美しいものです。――ただ、過度の反省や無理な強がりで折角の絆を捩らせないようにいたしましょう。

事例4

 溌剌としていらっしゃるのが見て取れます。ほおづえをつき、いま少し様子を見守りたいという女性の霊がみえます。察するところ、今は楽しみなさいというところでしょう。

事例5

 体の芯に疲れが溜まっています。しかし、気持ちが先走りって疲れの自覚がありません。すると、あなたに自覚はなくても周囲に当たり散らしていることでしょう。 週末にはぜひ、山にでも行き、そして早めに帰宅してぐっすりとお休み下さい。

(空元気的なお返事をいただきましたが……?)

事例6

 疲れていらだっている相手から、ケンカを売られても決して買ってはいけません。激しく逆恨みされますし、相手を病気やケガに追い込むからです。――まあ、あなたもケンカを売りたいときもあるでしょうが……

(お疲れ的なお返事をいただきましたが……?)


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