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無い袖は振れぬ(霊感の働き)

2005/03/28

2005年 04月 05日


 自分に関する霊感は働きにくいと多くの霊媒はいう。……意地の悪い人向けに釘を刺せば、我身を省みないのは霊媒だけにあてはまる欠点ではない。そもそも自己の洞察に自信を持てなければ霊媒を名乗れぬ訳で、自己の正しさに疑問を抱けば、それが霊感に対する葛藤となって霊感をにぶらせる働きがある。そして、これは主観的な観察ではあるが、霊感に自信を持っている霊媒ほど、自己を省みることを忘れがちで、それがなおさら自分に対する霊感を働きにくくさせるのかも知れない。

 いずれにせよ、霊媒に必要なのは、霊媒能力よりもむしろ自信なのだろうと私は観ずる。霊媒能力が充分に強ければ、自ずと自信が沸上がるという方もいるがそれは机上の空論だろう。

 揚足取り的な事例ではあるが、伊勢方面に心霊仲間と旅行中、空腹を感じて良い食事場所を探せとの要望を受けた、霊査に入るまもなく、『こんな山中で何を期待しているのだ。食べられるだけで幸せに思え』……との通信。当り前なことと一同納得してしまった。

 もうチョット滑稽な事例を紹介すると、師匠の運転手として、入院中の某霊媒をお見舞に訪ねたときのことである。運転中にふっと、病院に行ってはいけない、という気がした。先に自宅に向うか、少なくとも自宅に電話すべきと師匠に進言したが、おそらくは携帯電話を操作するのがイヤだったのだろう……かくいう私は運転中である。

 師匠はお守代りのペンダントを握りしめて精神統一に入る。10秒としないうちに、師匠は「へんねぇ」と言出す。「いま『四階の霊安置室』にいるというのだけど、普通、霊安置室は地下よねぇ」という。そして師に促されるまま、訳の分らぬまま病院を目指すことにする。

 病院に到着後、受付に訊ねるが該当する入院患者はいないという。で、仕方なく自宅に電話をしてみると、同名の病院が他にあり、そちらが入院先であったこと、また、某霊媒は一時退院で自宅におり、今、相談を受けている最中だからチョット遅れて訪ねてくれとのこと…… つまり、病院に行っても会えなかった。だが、まっすぐ自宅に来られても迷惑を掛けた。という事情があったわけだ。こういう複雑な事情は霊査で受信するのは難しい。質問はイエスかノーかで応えられるぐらいに整理しないと確たる答は得難く、複雑になるほど誤解の種が入り込みやすい。さらにいえば、電話で済むことを霊査に頼るのはやはり難しい。で、この時は、「あんたのところの狐にバカされた」と、なぜか私が怒られてしまったが、後日談がある。

 108歳まで生きると断じていた某霊媒は、その後ほどなく亡くなり、既に霊安置室にいる――死ぬ前の準備をしている、という意味において、先の霊査が正しかったと理解された。なぜ4階だったのかには疑問が残るが、それを追究すると屁理屈になるのでやめておく。

 念のために指摘するが、知人、それも親しい友人がもうじき亡くなるという霊査を受けるのは、辛いが故に難しいものだ。私は死期の近づきを感じていたが……108歳、108は人間の煩悩の数で、煩悩がらみの暗喩であって本当の寿命ではないと理解するのが自然だ……素直に受止められたのは、師よりも付合いが浅いからだろう。そして、その時には私の考えを師には告げられなかった。

 結局、真実は扱いが難しい。そして、いつでも答があるとは限らない。暫く待ってみなければ答が生れないことも多いのだ。そして、今無い答を今受取ることは出来ない。

無い袖は振れぬ――無い物ねだりをしているから、何の応えも得られぬのに、「神様なんていやしない、仏様なんていやしない、死後の世界なんてあるはずない、自分には霊感がないし、霊媒なんて嘘つきばかりだ」と物事を否定的にしか考えなければ、たとえどんなものであろうと利用できるはずがない。

 見つからないのは、さがしどころが悪いのだ。……そう思う。


霊感談義

2005/03/28

ヒヨコが吠える

2005年 03月 28日

 久しぶりに師匠&姉弟子と会って心霊談義、というか、師匠が帰った後で心霊談義。五〇・六〇歳は洟ッタレのこの世界でヒッヨコが吠える(?)。

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 心霊書籍というと、霊界主導の「霊界通信・霊訓」、非霊媒・心霊研究家の「理論・考察」、心霊事跡の収集つまり「歴史」、そして「霊媒の体験談」に四大別できるだろう。そして霊媒の体験談の大部分は営利霊媒の自己宣伝本だ。

 そして自己宣伝本というのは角の立つ呼び方で、そう分類されることを不本意に思う著者も多いだろう。が、私として単なる主観でその線引きをする気はない。いささか比較対象の相手が悪いかとは思うが、英国の霊言霊媒レナルド夫人の「霊能開発法」などを読むと、そのオリジナリティーに感動する。頁あたりの感動の数で比べると、他の霊媒の体験談などは月とスッポンの差がある。別な呼び方をすると、他の霊媒の体験談にセンスのかけらも見出しがたい。

(つまり私が自己宣伝本と呼ぶのは、オリジナリティー、ひいては、センスのない本である。わざわざそんなものを読むよりも、その大本になった本を読む方が誤解が少ないからだ)

 センスのかけらも見出しがたい――というのは、念のためにここに記すが、レナルド夫人と比べては、他の霊媒のセンスが劣って見えるという意味であり、私を含めた他の霊媒がクズという意味ではない。いや、レナルド夫人と比べられたらおよそクズと見られても仕方がないだろうが、レナルド夫人はそういう考えを持たないと言うことを指摘したい。

 手前味噌、というか、浅野和三郎氏流に言うなら自己免状といわれるかも知れないが、いささか審神者(さにわ)の体験・心得を持つ身として私見を著させていただくなら、私は在命の心霊家に対して、一つ苦言を抱いている。苦労なく得た物(シルバーバーチに言わせれば、それなりの物だ)を批判しすぎると思うのだ。

 極端な話、「現代はろくな霊媒がいない」という意見を耳にするが、霊媒であると同時に心霊研究をしている我が身から見れば、では、霊媒を養成するためのいかなる努力を払っているのだろうか? と思えるのである。探すのに苦労していると、言うかも知れないが、所詮は他人のフンドシで相撲を取ろうとする努力に過ぎない。私から見れば本末転倒だ。つまり、自分の代わりに苦労してくれる人を探すのに苦労しているのである。

 霊媒能力に恵まれないのだから仕方がないではないか……という心霊家がいたら、私は内心で侮蔑するだろう。どの分野に努力の不要な才能があるのか。天才と呼ばれる人であろうと努力が不要という話を私は聞かない。エジソンには失敗がないのか、モーツアルトやシェイクスピアにはスランプがないのか……言うまでもない。天才にも努力は必要なのである。当然、霊媒にだって努力は必要だ。その上で思う。現代の心霊家の大多数は、生み出す努力を惜しんで浪費ばかりしている。育てるのではなく、ただ批判に晒している。それで実績を上げようというのは摂理、そして、因果律に反することである。

 つまり、身も蓋もない見方をすれば、

1,他人の努力の結果を受売りしている最低の心霊家
 と
2,他人の努力の結果を批判しているだけの最低の心霊評論家
 と
3,ただの野次馬
 の三者が心霊研究家の大多数に思えるのである。 ……などという不平不満が吹き飛ぶぐらい、レナルド夫人著の「霊能開発法」は素晴らしい。

 夫人の言葉を要約すると、

「最初から理想を求めるな」――当たり前のことだ。天才にも努力は必要なのである。

「支配霊の好きにさせよ」――霊感の源泉は支配霊なのである。 それはつまり、すべての霊媒が、教科書的な霊媒になることが大切なのではなく、それぞれが持っている持ち味を発揮することが大切だということだ。

 レナルド夫人は、霊媒のなんたるかを生身で感じ取り……当たり前だ。レナルド夫人も霊媒なのだから……多くの心霊家は、非人間的な要求を霊媒に突きつけている。するとこのような意見は、レナルド夫人は必ずや否定するだろうが、あえて極論を提示すれば、肌身で心霊のなんたるか、交霊のなんたるかを知り得ない心霊研究家こそが、心霊研究・顕幽交通をダメにしているのである。

 そして、レナルド夫人ならばきっとこう主張するだろう。「そういう心霊研究家にこそ、真の交霊が必要なのだ」 ……と。

 さて、タイトルに関する話題にこっそりと戻る。品良く、分別も持ち合わせる姉弟子ならば言えないことをヒヨッコである私が、師匠に隠れて言うのである。まあ、明日の今頃にはバレて国際電話で叱られるのだろうが……とはいえ、くだらぬ憎悪に関わらぬ程度の分別はある。

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 創造力が充分にあれば、評論家などをせず、自ら生み出す……他人の事をあれこれと批判するのは、つまり、創造できないが、だが創造せずにはいられず、といって野次馬の無責任な言動に我慢が成らぬものだ……つまり、評論家とは作者になれぬ者である。 そして、評論家と野次馬の差は、真美の知識の有無である。
 つまり、真の評論家とは、たとえ気に入らぬ作者の作品であっても、美しければ美しいと評価し得るが、野次馬は好悪で作品を選ぶのだ。すると、野次馬はこういう表現を多用する。「あんな奴が良い作品を作れるはずがない」
 あにはからずや、インスピレーションは人を選ばず、機会を選ぶのである。つまり、どんな奴であろうと、チャンスに恵まれれば良い作品を残すのである。


ヒヨコが吠える(2) 霊能力の考察

姉弟子と顔を合わせれば、やはり関心は霊能開発に集まる。ただ、仁義に篤い姉弟子たちは人を批判するよりも自己反省を重ねてしまいがちだ。

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 オフ会参加者のAさんには、なかなか霊査が降りずに苦労する。わざわざ時間を割いて参加してくれるのだから、皆と同じか、それ以上の物を持って帰っていただきたいのだが、ただ黙って二時間座り、食事をして帰るのでは、いささか霊媒として心苦しいと感じるのだ。

 良い霊査を取ろうと、私自身がしっかりと精神統一を計ると何やら当たり障りのない言葉が浮かび上がる。それではつまらないからと、さらに集中すると……「おまえはAを感心させようと努力している」と釘を刺されてしまった。

 私としては虚栄心が皆無であると主張するつもりはないが、さして強いとも思えない。むろん、霊査への欲求は参加者への当然の気配りのつもりでいる。と同時に、答えがないことも答えの内だと知ってもいる。だが、こう言われては引き下がるしかない。

 ところが同じ会に参加するBさんには、しっかりと十二単衣を纏った女性が霊視できて、あげく『この子に、しかじかとお伝え下さい』などと丁寧に頼まれもする。しかもこの女性(霊)、下手をすると別な参加者の分まで霊査を中継してくれるのである。(この女性の身元調査は私の重大関心事ではあるが、Bさんの霊能開発をなおざりにしてその守護霊の身元調査を行うほど私は礼儀知らずではない。守護霊はBさんの幸せのために私に時間を割いているのだ。私の関心に応えるためにではないのである)

 一方は沈黙だけが漂い、もう一方は極彩色で音声画像付の霊信が寄せられる……さらに不可解なのは、Aさんの守護霊が通信下手かと思いきや、Aさんは時々霊聴を体験する。対してBさんには未だそういう体験がない。

 こういう体験をすると、やはり霊界通信というのは、霊媒能力のみに依存するのではなく、通信相手の技能、または、表現方法への志向が重要なのだと思う。つまりAさんの守護霊は無駄口を嫌うのであるが、交信能力は充分に強いと察せられる。そしてBさんが自分の守護霊と通じるようになったらきっと素晴らしい霊視霊媒になるのだろうと思う……が、これらは別な話題だ。

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 霊媒能力が発揮できるか否かは、その通信相手による。―― しかし、相談者によっては霊査が取れないのであれば、職業霊媒は勤まらない。ではどうするか……実は自明の話で、昔からまともな霊媒は、相談者の守護霊と直接交信することをせず、主に自分の守護霊、または支配霊を通信相手とするのである。

 私は諸般の事情……たとえば心霊研究上の都合から、支配霊を通さず、直接交流しているが、この状態がベストでないことは当然すぎることなのだ。

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 姉弟子は霊視が苦手であると私に告げたが、私はそれが姉弟子に原因があるのではないと、上述の経験から指摘した。そしてレナルド夫人の著書を例にとって自説を述べた。

「師匠とか、そのまた師匠の用になろうとしてもうまく行きませんよ。霊能力には人の数だけそのあり方があるのだと思います。つまり自分なりの霊能発揮が大切なのであって、その訓練のためには自分の守護霊、または支配霊の好き勝手にさせる方が良いのでしょう。『霊媒とはこうでなければならない』という偏見から何年も無駄にしてしまったと、レナルド夫人も告白していますよ。」

 さらに私の貧しい心霊体験を開陳した。

「私の精神統一の参加者中に、写真家がいるのですが、一緒に旅行に行った時など、一体どこで見つけたのかと思うような綺麗な写真を彼は写します。私などが見落としている物を、彼はインスピレーションで見出しているのです。その意味で、彼の霊能力は素晴らしい物だと思うのですが、いかんせん、写真の被写体を見つける方向にしかそれが活かされていません。ですからこう言えると思うのです。」

『霊能力をもたぬ人はない。ただ、その現れ方(表現方法)が、人の数だけ違うのだ。』

そして思います。

「『死んだ人間と交信できる』、なんていう能力は、すごいというより気持ち悪い能力ですよ。本当に大切な能力は、人生や社会にとって素晴らしい物を見つけ出す能力だと思います。霊視が出来るとか、出来ないとか、というのは霊媒の問題ではなく、霊界の意志次第なのだと思います」

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 死者と交信する力は、ないよりはあった方が良いと思うのです。ただ大切なのは、交信能力のそのものではなく、その能力をいかに用いて、人生を、そして社会をより豊かにしていく、その理想実現のための企画・行動力なのだと思います。

 つまり、何事も無駄にせず、活用して行く力こそが、人間にとって大切な力であって、霊視が出来るとか、出来ないとか、そんなことは表面的な長所短所に過ぎぬと思うのです。

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 霊感がなくても他を幸せに出来る人もいれば、霊感があっても他を幸せに出来ない人もいます。決定的なのは霊感ではなく、才能やチャンスの活用法であり、活用する覚悟だと私は思います。


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