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いわゆる試練

2005/02/06

2005年 02月 06日


「悪いことをしたら、すぐに罰《ばち》が当れば、人はそれ以上悪くなることもないのにね」……という話を聞きます。確かにそうかも知れません。

しかし、現実に目を向けてみると、普段はしつこいぐらい法規を守り、安全運転を心がけている人が、やむを得ず路駐をしたら取り締まられたり、知らない土地で道に迷っているときに進路変更違反で捕まってみたりと、いう話を聞きます。

 「何十年かに一回の違反で捕まるなんて……」

 その一方で、路上駐車の常習者、スピード違反の常習者がゴールド免許を自慢したり……全く現実は無慈悲に思えます。

 今日のニュースに耳を傾けても、この現実の無慈悲さを痛感します。免停中に飲酒運転をして人をはねる、または、赤ん坊を刺し殺す……今更キチガイのフリをしようとしてもダメです。こういう人々に対して、世の中の多くはいささか不謹慎な考えが脳裏に浮かんで、追い払うことが出来ぬでしょう。

 心掛けの悪い人同士で、業《カルマ》を押しつけあってくれればいいのに。善良な人は善良な人同士でお互いを高めあえればいいのに――そう思うのは自然な発想です。なのに何故か、被害者になるのは大抵が善良な人です。運が悪いのは善良な人で、悪運強い人が悪事まで働いてしまう事があまりに多い。……そう、この理想は実現の手段がないのです。

・・・・・・・

 その事を心霊知識を踏まえて考察してみます。

 そもそも、行いの善し悪しを正しく指摘し、導けるのは誰でありましょうか? 神と呼ぶのは安易に過ぎるでしょうが、いずれにせよ、ある程度の高級霊であることは必然であると思われますね。そして、高級霊と繋がる……繋がらなければ導かれ様もありません……には、霊性の働きが不可欠です。たとえば霊感が強くても、憑依霊や悪霊しか見えないのであれば、魔が差すことは多くなっても、反省する機会は遠くなってしまいます。

 そう、いささか不公平な感がありまが、――または、システム的に不安定(負のフィードバックを持つ)ではありますが、霊性の高い者ほどより強く高級霊の指導を受けやすく、霊性が低いほど高級霊の指導を受けにくいのです。

 人皆平等と考えるなら、この事実は不可思議ではあります。しかし、私たち一般が現実に対して抱く不平等感は、霊性の仕組みと反するものではありません。つまり、霊性の高い者はより反省の機会が多く、霊性の低い者は反省の機会が少ないのです。

 ……善良に生きようと努力する人にとって、反省の機会が多いという事実は不愉快でしかありますまい。しかし、この論理を決して誤解しないでください。災難の多くは、不運または神仏の罰であるよりも、むしろ未熟さや要領の悪さの結果です。私がここで論証したいのは、 善良な人だからこそ被る被害もあるのだ……ということなのです。不運な思いは決してあなたの未熟さや、前世の悪行の証拠とはなりません。

 一体その違いはどこにあるのか――何事からも、自身の善良さを反省できる人が高き霊性の持ち主であり、何事も自身の善良さとは無関係であると思う人が低き霊性の持ち主なのです。

……等という話をすると、反省の下手な人が「そういうあなただって」とか「いっていることとやっていることが違うじゃない」などと言い出しますが、他人を悪く言っても自身の善良性は高まりません。そういう不毛なことに手を惜しまぬ事が霊性の低さの証だと私は思います。

……かくいう私も他人の否定をしていますがそれで一体何を得ようとしているのか――>反省できる人が高き霊性の証なのです。ですが、反省と自分虐めを混同してはいけません。反省とは無駄を く心の働きであって、自虐とは自ずと異なるのです。

 霊性が低ければ高級霊の指導を受けにくい。だが、いくら霊性が高くても、反省マニアと化してしまえば、やはり高級霊の指導がどこかに行ってしまいます。

 反省マニアもしつこいと面倒がられますよ。

・・・・・・・

 ところで、霊性が高いからこそ罰《ばち》……不運……に会いやすい。それが心霊研究の当然の帰結であると言われると釈然としないのが人情でありましょう。しかし、その判断は半面の理であります。つまり、せっかくの霊性――高級霊との絆を、反省という消極的、または後ろ向きな方針にのみ向けるから、損をした気分になるのです。どうせなら、創造性の向上という、霊性本来の目的に集中するなら、罰《ばち》の当りやすさなど問題にならぬぐらいの、有益さを感じ取れることでしょう。


運命・宿命

2005/02/06

2005年 02月 06日


活かされている

心霊家として生き、人生を振り返ってみて思う。

私も人生の要所要所に、不思議な力の働きを感じる。それを人々は、宿命であるとか、運命であるとか、呼ぶのであろう。そのような体験からか、宿命を変えよう、運命を転じよう、と様々な工夫を凝らす人たちがいる。

 その努力を、姑息――と呼ぶのは無慈悲に過ぎるかも知れない。だが、個人のための個人的な努力は、いわゆる独り善がりと呼ぶべきものだ。自分のための努力であればこそ、人は必死に打ち込み、必死の余りに周囲が見えなくなる。……周囲が見えないのにひたすら突っ走ろうとするから、自分を傷つけ、周囲を傷つけ、傷つけ合うことに傷つき、孤立していく自分に傷つき、傷ついている自分に傷つく。

人は誰も善良に生きたいと考える。だが、善良に生きようとして、自分も周囲も傷つくのだとしたら、果たして自分は善良であるのだろうか……と思い悩み、苦悩が重なり、あげく死を決意する人もいる。善良に生きようとして、善良に生きられぬからといって、死を選ぶなんて、何と善良で無思慮な人々だろう!? 世の中、むしゃくしゃするからといって子供を殺す大人もいるというのに、自ら死を選ぶ人もいるのだ……なんとこの世の仕組みは、無慈悲にもすれ違いが重なるのか。

善良であるためにも智慧がいるのである。いや、他人に善良さを認めさせるために智慧が必要なのである。……ただ、善良であるだけで満足できず、周囲に善良と認めさせるために努力し、その努力で周囲を傷つけているのだから。

 苦しむために努力するのは止めるべきだ。

 運命の好転術など、私は知らない。だが、こうは思う。自分の善良さが、独善に偏らず、より普遍に近づくように努力しているなら、私が願わなくても周囲が幸せを願ってくれると……少なくとも、神仏・祖霊・守護霊が守ってくれると……往々、個人的な努力よりもさらに大きな力で、人生が導かれていると感じる。それ故に思う、個人の努力を越えた力は、どうやって得られるのだろうか。と。

 

運命、宿命について考える。

何が運命、何が宿命か、大きな力を受けて始めて知り、そして、結果を得て始めて理解できるのが、運命や宿命である。そこに人の好悪、意志の立ち入る隙はない。……人の意志の立ち入れぬものならば考えを巡らせるのは無駄である。

だから思う。結局、人が選べるのは、自ら進んでそれに向かうか、無理強いされてそれに向かうかの違いだけである。ならば、前に向かって進むべきだ。それは負けず嫌いなのでも、積極さの表れでもない。たとえ恐ろしくとも、困苦・障害をしっかりと視野に入れているなら被害は最小に済ませることが出来るだろう。だが、後ろから困苦に襲われたらどうなるのか?

絶望は突然やってくるのではなく、目を背けただけで安心している人が襲われるものなのである。

己の威を過信する者も、往々、無駄な争いで被害を育てる。が、逃げられぬものから逃げようとするのは、難を避けるのではなく、被害を大きく育てているだけのことだ。避けようとして被害を増やす・乗り越えようとして被害を増やす……なんと愚かな生き方だろう! 無謀に前に勧めというのではない。そして困苦との勝敗に気取られてはいけない。ただ、最適な道を選ぶようにするだけである。

敵に後ろを見せるな……その努力は、勇気を見せるためにではなく、難を避けるために必要な努力なのである。

 

優しいとか、優しくないとか

過程だけをみて、優しいとか、優しくないとか、人を裁く。……なんと愚かな話だ。笑って地獄に突き落とす人が優しくて、迷妄から覚そうとする人が残酷であるのか? そういう人は根っからの魔界の住人に違いない。魂を地獄に留めたがっているのだから。

してみると、天国と地獄では、優しさの定義が違うのか? ――それはつまり、天国に住むべくして住む人と、地獄に住むべくして住む人とがいるということなのだ。天国地獄に垣根はない。どちらを選ぶのもその人の自由で、その自由意志の元にそこに暮らすのである。――辛いから地獄は嫌だって? ならなぜ、復讐の念を棄てず、独善を抑えようとせず、見栄を棄てようとしないのだろう?

復讐の賛同者、誹謗の賛同者が得られたなら、きっとあなたのいる境涯は、地獄か、魔界であるのだろう。そして、復讐の賛同者が得られぬのならば、まだあなたには天国への門が開かれているのだ。


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