他人の親にゴマする恩知らず
2005/02/022005年 02月 02日
「他人の親にゴマをする恩知らず」と聞こえました。耳を貸してみます。
『真理に関心を持つというのは良いことだ。死後に関心を持つこともありがたい。だが、なぜ、他人の親にゴマをすって、自分の親をないがしろにするのだ?』
……?
『瑞穂の国のいにしえ人は、なるほど口べたかも知れぬ。また、外国の文物を学ぶことが良いことだと私らも思う。だが、我らも決して愚かでもなければ、無能でもない。そもそも、なにゆえ人々が外国の文物を学べるのか。それは何のかんのといっても日本が豊かで穏やかだからである。
『一頃の者共が、気短な愛国心に駆られて、何でも国産が良く、何でも外国のものが悪いといい、穏やかで純朴な人々を野蛮人だ、等と小馬鹿にするのが、日本の神の真意だなどと思われるのも心外である。むろん、仏教を学ぶのも良いし、キリスト教を信じるのも良い、スピリチュアリズムだって一考に構わない。だがなにゆえ日本に生れ、日本で育ったのだ? 嫌なら外つ国に生まれれば良かったではないか。生まれる前には日本が良いといい、生まれてみたら外国が良いという。そのような浮ついた気分で、己がどれだけの境涯にあると思うか?
『何も神道が大事で、他はくだらぬ修強打などというつもりはない。すべての宗教は人の作りしもので、人の都合に合わせてある。だがそれにしても、外国の文物にあこがれると同時に、どうして日本の悪口を言うのだ? それが情けない。
『なるほど日本にも欠点はあるだろう。だが長所もある。どうして日本に生まれた汝らが、長所を生かし、短所をただして良い国にしようと言ってはくれぬのだ。外国から学んだことをどうして日本に活かしてはくれぬのだろう? 日本は恩知らずを育てるための国であるのか。勘違いしてはならぬ。そんなことがまかり通るのは地上だけである。』
……私も日本霊団の方針は好きではない。祖霊は子孫を甘やかせ、死者は供養に依存しきっている。
『それが正しい状態であるとは、我らは思わぬ。ただ、日本人は皆寂しがりやなのかも知れぬ。寂しいと認められぬ孤独な寂しがり屋なのだ。それは理念ではなく、情念が生み出したものだ。理念だけでは簡単には変わらぬ。』
……話の腰を折って申し訳ない。
『霊界通信――相互交流の大切さは、誤解やすれ違いを無くす所にある。どうも人はなまじ知識をえると、物事に偏見を持つ。知れば知るほど、頭を下げて人に聞くことの大切さを忘れ、そして間違っていく。さあ、次に進もう。
『人が死んだ先になにがあるのかと思いを巡らせる。死を恐れるが為に死後のことを主に思い詰めるのも理解は出来る。だが、人は生まれるが故に死ぬのだ。死ばかりを気にして、なにゆえ死ぬのかを考えた所でどうして真実が分かろうか?
『未来だけを見る――なるほど立派だ。確かに、過去に囚われ、過去を悔やんでいるだけの人では何の役にも立たぬからな。だが、忘れてはいまいか? 未来を掴むために踏みしめているその基盤は一体誰の努力で成り立っているのか。過去があってこそ、未来に手を伸ばせるのだ。
『自分の欲しいものを手に入れることばかりを考えて、自分を育ててきたものを軽んじる者達。そういう者が多いのは何とも情けない。生まれてくる前の約束を我らが守ればこそ、嘘つきであろうとも富貴は得られるものだが、死後にまでその富貴が及ぶと思ったら大間違いである。
『人は死して、その魂の力量・境涯にあった世界に暮らす。たとえ経文をどれだけ暗誦し、どれだけ理屈を並べ、いかなる神仏に祈ろうとも、低き霊性のものが高き魂らと共に暮らすことはないのだ。それは、水と油が混じり合うことがないのと同様の摂理である。』
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『そう、先祖供養をせよというのではない。自分を海だし、育てた万物に対する感謝を忘れて、他人に奉仕することで自分を善良であると思うのは、未熟な物の見方であるというのである。そが正否は、その結果で思い知るか、はたまた道理を持って未来を洞察するか、己が境涯の範囲で選ぶが宜しかろう』
……確かに、他人の親を褒める一方で、自分の親の悪口をいう輩もいるね。まあ、つまらぬ自慢話をする輩の方が多い気もするけれど。
『ゴマをすられて喜ぶのはどうせろくな者ではない。また、親にどれほど不満があろうが、所詮は分相応だからこそその親の元に生まれてきたのである。親の悪口というのは実に己が魂の霊格を汚すことだ。つまり、自分がつまらぬ者であると明言しつつ、ろくでもない相手に自分を捧げるから、「他人の親にゴマをする恩知らず」というのである。
『そもそも、代金は惜しむべきではない。地上で受けた恩は地上でしっかり返さないと、代金以上の損を被る。信用を失うことの損害の大きさを知らぬ者が恩知らずなことをするのである。すべては未熟さの結果であるが、未熟な者が得られる物はそう多くはないのだから。……今夜はこの辺で終わりとしよう』
……さようなら。