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自己信仰の盲信者 (基本的人権)

2005/01/21

2005年 01月 21日


 何やら物凄く久しぶりに、「お前は間違っている!」的なメールが舞い込んだ。内容はナンセンスで取り上げるほどの話でもないが、内容そのものよりもその言語表現や非論理的な動機に唖然とする。

 サイト立ち上げ初期には、「心霊を信じるなんて非科学的だ!」的な論戦を持ち込まれたこともあったが、非科学的であるとか、私の持説が間違っているか、等ということの前に、人間として踏まえておくべき事があるのではなかろうか?

 つまり、基本的人権への配慮である。

 非科学的?――さすがに「非科学的な事を信じている連中(心霊論者?)」と「科学的な論理で会話が可能である」と思考する非論理的な連中(?)とは、最近とんと縁もなく、忙しいだけで平穏な日々を送れている。これはまあ結構なことだ。迂遠なことを扱っているのにせせこましい論戦など面倒以外の何物でもないからだ。

 私にしてみれば非論理的であろうが非科学的であろうが、応用手段があるなら利用する……しかし、怪しいノウハウを売り物にした営業活動で我が身を貶める気もない。隠すべき事は隠すが、隠さなくても良いことは隠さない……私が提供する知識を利用するのもしないのも、読者の勝手、笑いたければ笑えばいいし、有益と思えば使えばいい。

 私は議論そのものを嫌うのではない。不毛な議論を嫌うのだ。

 盲信者――どうも不思議なことに、宗教や心霊に関心のある人ほど、基本的な人権への配慮が足りない。例えば日本では憲法で「信仰の自由」が保証されているが、憲法の保障下で活動している宗教家が、迷惑な布教活動などで他人の信仰の自由を侵犯している事を散見する。基本的な人権を認めない、または、軽視する……神様なり、仏様なり、はたまた教祖様というのは、一体どのような霊格・人格の持ち主なのだろう? 少なくとも私は、そのような神仏・人間に尊敬の意は抱けない。

 例えば、僧侶が源氏物語の大胆な現代語訳をして、著作者人格権云々の話題が出たことがあった……私も、著作商用権の切れた浅野氏の本などを電子化して改めて、著作者人格権と向き合うことになり、著作者人格権の制約に歯がみをしている。なるほど読みやすさを考えれば書き直したい所が多々あるのだ。だが……死体を勝手に解剖する医者がいたら、遺族から訴えられないだろうか? 死んで50年たったら、その人が生前に残したものをどう扱っても良いというわけではない。たとえ僧侶であろうが、霊媒であろうが……。訴える人がいないからといって行いは肯定できない。

 また、意見の異なる相手に、大人ぶって、「誰某さんの間違った心を直してあげたい」等という人も散見するが、『基本的人権て、聞いたことがある?』等と思ってしまう。

 宗教や心霊関係者が、各種の人権を軽視するかの態度を取ることは、非科学的以上に大きな問題ではなかろうか? それはもう、何がどう問題であるのかなどと、分析する気も起こらないぐらいに、バカバカしいほど基本的な問題だ。というか、わざわざ書くのは恥の上塗り的な気分ですらある。

つまり、人権を軽視する人は、人としての資質を備えているのだろうか? そして、そうした連中の仲間と私も見られてしまうのだろうか?

自身の過ちの結果は自業自得として甘受せざるを得ないが、他人と同一視されるのはかなり迷惑である。

 さて、今回、届いたメールには「何でこんなホームページ開いてまで、人に主張することがあるのか、」とあったが、ホームページを読む、読まないは受け手の自由である。そしてホームページの開設が、作者のうぬぼれの結果だったとしても、ホームページの開設そのものは、うぬぼれを何ら第三者に押しつけてはいない。反して、メールは相手に送りつけるものだ……勝手に読んで腹を立て、腹が立ったからとわざわざ三通のメールで批判を寄こすのは、私の立場から見れば、送信者のうぬぼれの押しつけである。……基本的人権に「うぬぼれる権利」が含まれるか、否かは不勉強で知らないが、少なくとも「うぬぼれを押しつける権利」が憲法で保障されているとは思えない。まあ、人それぞれ目指すものが違うが、良識の範囲でやっていただきたいものだ。

 むろん、異なる意見の持ち主と議論することは、良いことだと思う。だが、自己矛盾やうぬぼれの押し付け合いは不毛だし、不毛なことをしたがるのは愚か者だ。 そして、議論と恥のさらし合いの違いの分からぬ人々の何と多いことか。見ている方が恥ずかしくなる。

善悪――人間の数だけ意見があり、利害がある。自分の信念や利益だけを追求すれば他と争いが生じるのは避けられない。その上で何を目指すのだろう? 求めるべきは真理か、愛か、利益か、幸福か……人により価値観は異なるだろうが、修羅の如く、ただ争いを求める低き境涯ならばいざ知らず、もうちょっと高尚な目的を持つ人であるなら、周囲とは程々のところで妥協しつつ、極力自己の人生に集中しようとする。例えば、百獣の王と呼ばれるライオンは、人類を支配し得ない……一能は最終的な勝利をもたらさないものだ。

 そして社会は、種々雑多な理念の妥協の産物……それは一見矛盾の塊、キメラのごとき複雑怪奇な化け物じみた存在ではある。だが社会、いや、他人に強く依存しなければ、社会の矛盾など問題にもなるまいし、自分に自信があるなら、他人の意見なども指して問題にはなるまい。また、そもそも、無理・無駄・矛盾は余計な努力を必要とするが故に自然に淘汰されていく。

 どれほど社会に矛盾があろうが幸せを掴む人はいる。霊能力がなくても幸せを掴む人がいる。世界中にどんな意見の持ち主がいようが幸せを掴む人がいる。――人の間違いを正したければ、相手よりも高潔な態度を示すべきだ。それが出来なければ笑えばいい。それをわざわざ、意見したことであざ笑われるような真似は、誰に利のある行為なのか? 利敵行為は矛盾に思えるし、 墓穴を掘るのはあまり建設的とは思えない。

 私は思う――他人を怨むよりも、社会に押しつぶされぬように生きていくべきだ。……だが、その思いを誰かに押しつけようなどとは思わない。だから、批判的なメールにメールで返事をして、異なる意見の相手に読むことを強要する代わりに、ここに「1月20日、くだらぬ意見が寄せられた」という事実だけを記す。

 備考――相談メールなら、第三者には絶対に見せないけれど、批判メールは広く第三者に見せて、より公平な観点での意見を仰ぐべき性質のものだと思う。といって、わざわざ我がサイトに掲載する気はさらさら無いが。


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