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嫌な顔が目の前にちらつく

2005/01/12

2005年 01月 11日


かわらけ割り

 当サイトには、変な用語がある。「アフターオフ会」はその代表だろう。ネットで知り合い、メールなどを通じて付き合う仲間達と遊びに行く……普通ならばオフ会と呼ぶべきものが、当サイトでは、精神統一や滝行の集まりが正規のオフ会で、そのオフ会後の息抜きがアフターオフ会と呼ばれる。まあ、大抵の場合、オフ会よりも時間も金もかかるのが普通で、息抜きがメインと受け取る向きも無くはない。

 似た言葉に、「裏掲示板」なるものがある。別に隠し掲示板でも怪しい話題専門の掲示板でもない。心霊問題を扱うのが表掲示板で、息抜き話題用が裏掲示板と呼ばれているだけのこと。

 何せ、主催者からして、勤めの合間を縫って、心霊研究をしている。当然ストレスも溜まるし、堅い話ばかりでは互いがうち解ける機会もない。当初、一つの掲示板だけで運営していたら、おふざけ話題が掲示板を塞いでしまったので、真面目な表、お楽しみの裏、と分けただけの話だ。まあ、最近ではすっかり閑古鳥が鳴いているが、このスタイルは大切なものと思う。

 さて、1月の「アフターオフ会」は……どこからがアフターなのかは微妙なところだ、精神統一後、中華街に繰り出して、新年会、生ビールを飲みながらも心霊や統一に関する話題で盛り上がったからだ。その後、関帝廟にお参りした後は、間違いなくアフターオフ会だろう。我々は鎌倉に向かい、まずは鶴岡八幡宮を参拝、丸坊主の大イチョウの木を見てカメラを持ってこなかったことを後悔しつつ、鎌倉宮に向かう……カワラケ割をするために。

 午後4時を過ぎて、門前の通りを夕日が照らす。神社参りにふさわしい時間帯ではないし、動機を考えると危険な感じも有りはするが、兎も角皆でカワラケ割りを楽しむ。

 簡単に説明すると、酒杯型の素焼きの土器(カワラケ)を一枚百円で買い、厭な思いを込めるつもりで、カワラケに息を吹きかけ、それを敷地内の石に叩きつけて割ることでストレス発散が出来るという仕組みだ。そして我々はカモで有る。我々がバチバチ割っているのを見て、神職がイタズラを疑ってようすを見に来たぐらいである。しかし、ちゃんと五百円玉の山が出来ていた。

 たどり着くまでに充分に盛り上がっていた私は、一万円札を出すだの、千円札を出すだの、大きな事を言っていたが、いざとなると羞恥が兆して最初は三百円、後でこっそりともう百円の、都合4回、カワラケを割った。

 実は、道中、うるさく背後霊から説教を喰らっていたのだ。……やれ、物に八つ当たりするのはみっともない、怒りや不満を人前で顕わにするのはみっともない、バカ騒ぎはみっともない、……こいつへの怒りもカワラケに込めたか、どうかは読み手の妄想に任せることとする。

 心霊的といえるかどうか……ストレス発散法として、私は滝行や水垢離を行っていた。その代わりにカワラケ割りが良いとは思わないが、滝行や水垢離は誰でも真似が出来るわけではないし、下手に真似をされて風邪を引かれたり、酷い場合、脳溢血や心臓麻痺で死人でも出られた日には寝覚めが悪いことこの上ない。まして、皆で楽しめたことはいうまでもない。

 この後、二点気になることがあった。

 帰宅途中、メンバーが、お汁粉が食べたいと言い出した。ところが、門前をチョット離れると、お汁粉が食べられる店が無く、あっても一杯700円前後も取る。下手をするとカニ天丼が食べられる値段だ……などと思うと、もう食べる気がしなくなってしまった。が……

 また、普段の穏和さとはうって変わって、凶暴なまでにカワラケを割っている人は、どうなったのだろうか……トップページ的な話題に持って行くが……つまりこういう事だ。

 作用には反作用が伴う。

 そして、怒りは往々、相手よりも自分を傷つけるものなのだ。

 そう、後悔先に立たず、皆が、カワラケ割りで無駄に疲れ、自分を傷つけはしなかっただろうかと、心配になったのである。

 ついでに言うと、我々の帰り際に、見知らぬ一人の女性が参拝し、カワラケを一枚割って、それを見ていた我々に気が付き、はずかしそうに立ち去っていった。帰路再びすれ違ったら、彼女の顔はとても晴々していたことにメンバー全員が気が付いたのだ。

 まあ、カワラケ割りはやっても一枚にすべきだな……でも、わざわざ鎌倉に行ったなら、やはり10枚は割りたいかな? イヤ、どうせならカワラケに顔を描いて……結局、貧乏性(むしろ貧乏人根性?)に捕らわれ、我らはサル並の学習能力である。

嫌な顔がちらつく

 私も人の子、厭な相手の1人や2人や、その数の10倍から2、30倍はいなくもない。まあ、面倒なので勘定をしたことはないが3桁までは行かないだろう。それほど広い人間関係は築いていないし、おバカさんなのでそんなに多くの憎しみを管理できない。

 論理的にいうなら、嫌いな人間を持つことは自分の可能性を狭めることであり、決して好ましいことではないし、 「好きにならなくて良いから、嫌いにならないようにしなさい」という教えも受けている。しかし、『ああ、これ以上係わると嫌いになりそうだから、チョット距離を置こうかなぁーー』と思っても、距離というのは相対的なものなので難しい。こちらが遠ざかろうとすると、相手はますます寄ろうとすることもある。これは別段、私に魅力があるとか、価値があるからとは限らない。単に、「人から嫌われる自分」がイヤで、離れていこうとする相手に、反射的にサービス精神を示す人は多々居る……女性に多く、病的なまでの反応を示す人もいる……からだ。要するに距離を置いた関係を築くのは難しい。――というより、対人関係の距離感のつかみ方が下手な人が現代にはあまりに多い。そして、距離感が掴めないから人に嫌われていることに気が付かず、包容力のある人に執着したりもする。

 ただ、幸いなことに、私には、仕事や生活などの都合から縁を切れずに困る相手はホンの数人しかいない。つまり、大半の厭な相手は私にとって無用の相手、無価値な相手なのである。そして、厭な相手を無視して困ることが少ないのはきっと幸いなのだろうと思う。……これはあくまでも実際面でのことだ。

 ところが迷惑なことに、時々、私にとって無用な相手の顔が、脳裏にちらつくことがある。これは霊感故とは言い難い、恐らく似たような体験は霊感を自認しない人でも持っていることだろう。……どうしてこういう事が起こるのだろうか。「大脳生理学的、記憶システムの構造的な問題」――にも原因の一端はあるだろうが、私はそれをナンセンスに思う。思念の働きのスタートからゴールまでの過程に生理現象が介在する事には意義がない。が、なぜそれがスタートするのだろうか……私が求める答えはそこにある。少なくとも構造的に仕方がないという答えは学術的に正しくても意義は見えない。そして、今までもその答えを求め続けたが答えが得られずにいた。が、カワラケ割りの後にふっと聞き取ったメッセージがある。

・・・・・

『ストレス発散の為に他を頼るなどというのは情けないことだ。相手が石とカワラケ(土器)だから文句も言うまいがそれでよいのか?

『(多くの)人は無意識にストレスを他者にぶつけて発散し、悪びれることもない。さもしい心で冷静ぶりながらも、無自覚のストレスが溜まると、憎き相手を心に浮かべる。本来は内在するストレスや自己矛盾だが、自分を責めずに人を責める。それで何が変わるのだろう?

『自分を変えるためには有力な味方が必要なのに、野次馬を味方と誤解し、強い敵を増やしてしまう。愚かな行為といえばいえる。しかしそれも摂理のうちである。人はそうして慎みを覚えていくのだ。他人の手を煩わせる必要が無くなり、転生を卒業していく者は僅かしかいない。

『好まぬ者の顔が脳裏にちらつくという――その者が生け贄を求めているのだ。決してあなただけを思うわけではない。ちょうど、そう、ケンカ相手をネットワークで検索しているようなものだ。その面影にいらだちを覚え、応じてしまえばそこで争いが起こる。めんどくさいかも知れぬが、それもまた霊感の仕組みなのだ。』

……どうせなら、同じ喧噪な相手を選べばよいのに

『それは出来ぬ。彼らにもまた向上心があればこそ、より高き者を相手にしたがる。人を導くことが出来ぬから、人の足を引こうとするのだ。争いで得られるのは軽蔑だけだと魂の芯にまで届くその日まで。』

……なるほど、摂理には神も仏もいるが、それ以上に悪魔も多いらしい。

『そして、神と悪魔の区別もつかぬ者が、悪魔の数以上に多い。みよ、我欲を満たすためだけに神に祈りを捧げる者達を。神と接するのに悪魔に接する態度を取る者ばかりだ』

……情けを掛ければ裏切られるしね。

『目の向け先どころを間違うなかれ』

……トラップ仕掛けて良い? すると嘲笑が遠ざかった。


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