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霊査事例: 2004年12月15日

2004/12/15

 以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての代表的な霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。  以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。


事例1

 お父様、というより、その守護霊様からと感じますが、

『年老いてみればこそ、小さな利害にくよくよせず、大きな目で相手を見ることが出来る。そして、死して見ると、しがらみなく人の愛情を見て取れる。 お前(あなた)も、生死の境界などをくよくよ思わず、精一杯活きるのと同時に、人を見る時には生死を超越した寛大さで相手を見てあげなさい。利益なんて、あと四、五十年しか使わぬ腐った風呂敷なのだから。』

 続いて、女性の霊です。

『生の良い所と、死後の良い所と、両方を使い分けられる。心霊学徒は本当に幸せですね』…… だそうです。

事例2

『追い掛けている時に見えなくて、手放したつもりではっきり見えるし、しかも手の中に残っている。』……もう、あなたのお嬢さんは、絵本の歳ではありますまいが、こういう話は、どこかの童話で読んではいませんか? 前回はサルカニ合戦。今回は、『青い鳥』かな? お嬢さんに学校の図書館で借りてきてもらったら? 親子で童話というのも楽しいかも知れませんよ。

事例3

 ふと、あなたのお姉様のことが頭に上がりました。

 お姉様は、気力は旺盛なのだけど、病弱ですね。 時には、『お姉さん、忙しい時機に、健康管理がおろそかになったりしていない?』 等と声を掛けてあげてください。

 あなた? うん、まあ、ボチボチでしょう。強いていうなら、腹の底から笑うことがちょっと不足気味ですね。

事例4

 形にしなければ、どんなに素晴らしいアイデアも、妄想とさして違いがありません。 考える時は、考えるだけでなく、世に出し、試す所まで推し進めなければダメですよ。

 また、考えすぎる時には、現実逃避のために頭を働かせてしまうという邪な動機が働いている場合があります。考えすぎに注意しましょう。


事例5

『会社であなたに好意的な人がいます』……等という霊査が出てきて焦りました。疑似餌です。私は釣をしませんが、エサで釣られた魚は、ともかく、ニセのエサで釣られた魚は惨めなものだ……などと、釣道楽の友人と話していたものです。要するに、気を引くために意義のありそうな話をする霊がいる。

 これはつまり、あなたが色々と思い悩むのに際して、どうも自分の反省よりもむしろ、打開策のインスピレーションを期待しすぎていることの暗示かと思われます。 ここでいう、自分の反省は、●●がうまく行かないのは、相手が悪いのか、自分が悪いのか、等と考えることを意味しません。どちらが良いか悪いか(心霊は善悪に拘らぬのです)は二の次で、大切なのは、●●をもっとうまくやるには何が必要か? ということなのです。どうもあなたは善悪に拘る見方に縛られがちです。

 どんなに良い行いでも結果が悪いものなら無意味なのです。工夫をお勧めします。

事例6

『「人に優しくする」ことを、「他人の業《カルマ》を背負うこと」と勘違いせぬ事です。また、自分の業《カルマ》を押しつけようとする人と、接する上で大切なのは、「どう付合うか」ではなく、「どうつきあわぬか」なのです。悪縁断ちがたし……あなたに良い結果を与えてくれる人とは、縁を切るのは簡単ですが、あなたに業《カルマ》を押しつけようとする人は、最初はにこにこと微笑んでいても、断れば般若の如く必死にあなたを捕まえようとします。黙って立ち去るのが一番の手です。


霊査事例: 2004年12月11日(横浜)

2004/12/11

 以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての代表的な霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。  以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。


太字は霊査、その他は質疑と解説です。

事例1

『いうまでもないが(あなた自身が言い出したことであるし)「安物買いの銭失い」だが、工夫で補えるものだ。』

値段が安いのは、それなりの価値しかないか、それなりの魅力しかないからです。そして、価値を生むのは、頭を使うか、手間を掛けるか、はたまた金を掛けるか……難しいが打開策がないわけではありません。

『外の敵には勝ちやすく、内なる敵には勝ち難し』……あなたには行動力があり、難しいことを実現する才能もありますが、どうも自分に甘くてそれでチャンスを失しています。本当の勝利を得るためには、決して自分を甘やかさないことです。もしも自分を甘やかしたければ、決して人とは争わぬ事です。

『順調に借金(因縁的な意味)を返しています。後は柔らかく、優しく人に接し、そして自分に厳しくありなさい。そうすると福徳が身に付きます』

この霊査、思わず私自身が身につまされました。下世話な話ですが例えば金銭問題にたとえると、稼いだお金を自分で浪費せず、他人のために使っていなさい、という意味に取れます。稼いだ金を自分で皆使ってしまえば、いつまでたっても自分で稼いだだけが収入です。でも、他人に投資してその配当が入り出したらどうでしょうか?
他人を生かすことで自分が活きるそういう発想が大切なのですね。

事例2

『両親の背中に手を合わせなさい。』

人の心には様々な要因が影を落とし、なかなか素直には表に出てきません。面と向かってありがとうといっても、それが両親の魂に届くかどうか。むしろ遠回りに見えても、目の届かぬ背中に向かって、手を合わせる気持ちを持つことが、本当に素直に相手の魂に届くものです。

『折角、出張のチャンスが多いのです。ぜひ紀行文を書いてご覧なさい』

 あなたの文章は硬すぎるか、柔らかすぎるか極端です。文章力を練るために旅行の際には紀行文を書くようにすると良いでしょう。

『華のない女性だって、幸せを感じれば美しく微笑むものです。今の自分よりも明日の自分、今の相手よりも明日の相手、今を見て明日が見える人です。あなたは。』

意味深ですが、解説はいたしません。

事例3

『あなたには考えすぎる癖があり、不毛な思いが頭と魂の間に詰まって、インスピレーションが働きにくくなっています。』

答えがあればこそインスピレーションが生まれるのであって、答えのない問題にいくら頭を悩ませても、答えが無ければインスピレーションが生まれません。答えを得られない問題にいつまでも関わらずに、答えの得られる問題から先に片付けていくことです。でも、あわてぬ事、焦れば現実を見失い、妄想に憑かれるからです。

『犬といる時は無心なのにね。』

嫌味でも冗談でもありません。あなたは、精神統一に真剣に臨んでいらっしゃいます。それはそれで嬉しいことですが、そもそも精神統一というのはあなた一人の修行ではなく、あなたと守護霊との連携を取る事の練習なのです。従って、あなたが緊張しすぎると、うまくリズムが行かなくなります。ちょうど犬を相手に遊んでいる時……言葉が通じない、犬の気持ちを理解しようと心を開いていらっしゃいますよね?……の様に無心になって、楽しい気持ちで精神統一に臨んでください。リラックスが大切ですよ。

また、これは霊査ではありませんが、あなたに喘息の気を感じました。あなたは喘息持ちではありませんよね? 、するとおそらく、空気が乾燥しているのと、犬を扱うことで埃などを吸い込む機会が多く、肺を痛めているのだと感じます。ブラッシングの際などには必ずマスクをするようにしてください。具合が悪くなったら直るのに物凄く時間が掛ります。予防が大切ですよ。

『空気が乾燥しています。外に出る機会が多いあなたは、こまめに水分を取りましょう。』むろん、一時に水分を取りすぎるとトイレが近くなって大変です。

Q『女性には女性の守護霊がつくのですか? 自分では男性の守護霊がついている気がしています』

 原則、女性には女性がつきますが、例外はあります。でも、先ほどのメッセージは、女性の霊で、十二単を着ていらっしゃいましたよ。とても犬が好きな女性なのだな、と感じました。

 あなたは、自分のことを男性的に感じていらっしゃいますが、それは勘違いです。むしろ、幼少時の境遇に対する反発心から、態度や行動に荒々しい所があり、その荒々しさが男性的に見せているのです。気持ちの整理がついていけば、自然に素直になれるし、素直になれば、もっと女性的な雰囲気が魅力的になってきます。

『ヒマがあれば、身体を左右に揺すってください。内蔵に刺激が加わり調子が整えられます』

事例4

『邪気を吐きなさい。』

嫌なことがあると、あなたはそれを飲み込み、表に出さぬ癖があります。でも、好んで飲み込むわけでないから、はらわたが煮えくりかえって、目の前のものが見えなくなります。

例えば、気に入らなくても厳然と存在する利点・長所、また、鉄壁に思えても明白なる相手の弱点……しっかりと見れば、世間はあなたに有益なのに、あなたが邪気を飲み込もうとするから、有益なものが見えなくなります。

『腹で考えよ。』

おたおたしない。何事にも覚悟を決めて立ち向かうことです。すると見えてくるものがあります。

『恋人との食い違いを悩むよりも、仕事を手伝ってもらうことで理解を深めてもらうことです』

『職務上……腰を鍛えなさい。また、○○神社の御札を祀れと聞こえます。』

事例6

『でも、幸せよね、といえる人なのです。』

あなたも考えすぎる人で、考えるよりも口が先に立つタイプです。考えたら不安はきりがなく、語れば当然角も立つし、角が立てば売り言葉に買い言葉で腹も立つ。腹が立てばそれだけで不幸にも感じられます。

でも、色々なことがあっても、よく考えてみるとあなたは幸せな人です。不満があっても、不幸はありませんよね。

文句を言っても、愚痴を吐いても構いません。「でも、私は幸せよね」と、思える、そう思える心のゆとりを失わぬ事です。それを失わない限り、あなたは幸せな人なのです。

『あなたは、頭と口で考える所があります。それが相手の本音を見えなくさせるのです。』

言返すことややり返すことばかり考えて、相手を見なければ食い違いが生まれて無駄な争いが生じます。ご注意を。

(統一終了後、食事会中の雑談に於いて、他の参加者を厳しく追及していた所、『まずは聞いてくれる!、霊査でも言われたでしょう!!』と逆襲されて、一同大爆笑する)

『ヒマがあれば、おへそを中心に身体をねじるようにしてください。お腹の掃除が出来ますよ』

事例7

『外から見た自分を意識してください。』

実は、あなたの背後に回った時、あなたのご先祖を名乗る人からこういわれました。「もっと胸を張って生きて欲しい。」で、私はこう切り替えしました。「でも、調子に乗ってまた失敗しても困りますよね」相手は唸って退きました。……確かにあなたの心には調子に乗りすぎて失敗した記憶が焼き付いているのでしょう。とはいえ、もう少し胸を張ってもいいですよ。

『志は善し、もっと自信を持て』

Q「別段、志といわれるようなものは持っていませんが……」

あなたは「志」という言葉を難しく考えすぎていらっしゃいます。仕事の姿勢を見ても、利益追求だけでなく、ちゃんと客先の事情も考えてあげられるではありませんか。そういう生き方そのものが、もっと胸を張って生きて良いという根拠なのです。

『お茶の飲み過ぎです。空気が乾燥しているので、水分を取るのは大切ですが、出来たら、お茶などではなく、水にしてください。体内の老廃物が排泄しやすくなります。また、大きな声を出しましょう。小声でいると邪霊が集まりますよ』

質疑

Q 「後ろに立っている時、九字を切っていませんでしたか?」

宗派が違うので(爆)、九字は切りませんが、印は切っていました。(他の参加者に向かい)、後ろでの行為に気がついたのは必ずしも霊感の働きとは限りません、手の動きに風を感じたり増しますし、精神統一中には風や音などに敏感になるものです。

Q 「でも、除霊をしてくださっていたのだと思います。軽くなるのを感じたのですが、除霊というのはどういう感じにするものなのでしょうか、やはり霊がみえたりするのですか?」

憑依霊の話などをすると、霊感の弱い方々は疑心暗鬼に陥りやすいので、避けている話題ですが、参加者のうち、二人ほどは確かに顔まで見えました。そういう場合は、あなたの世話は、この者がいたします。といって、背後霊に任せます。他の方々については、身体の回りに、説くに頭の周囲に黒い煙が漂っているように見え、それを祓い取るようにしています。むろん、落としただけで終わりではなく、その後、会場に落としたものが残らぬように掃除まで気を配ります。で、除霊というよりむしろ、鈍感になっている感覚を、叩いて刺激し、抵抗力を高めるような感覚で、皆さんに接しています。例えば精神統一中に、ちょっと背中に手を当てられるだけで、とても心強い感じがするでしょう? そういう感覚を持たれることが大切なのです。一方、注意して頂きたいのですが、精神統一中はとても暗示に掛りやすいのです。私に悪気があったら、それこそどれだけのことが出来るだろうかと思います。こういう知識を悪用するのではなく、悪用されないようにするために覚えておいてください。

なお、大抵の憑き物は、死んだ後にどうしていいか判らないでいるだけの、悪意のない存在ですが、なまじ、憑依慣れすると、憑依相手が霊媒と会うのを嫌ったり、憑依相手が霊媒と会う時には、家に残って帰ってきたらまた憑依するなどと、技巧を凝らす場合があります。ですから私は除霊よりもむしろ、皆様の免疫力が強まるように工夫しています。

Q「男兄弟がいないし、子供もいないので、親のお墓がどうなるかが心配です」

お墓というのは所詮は死体の埋葬場所の印に過ぎません。魂が宿るべき場所ではないのですが、それは所詮建前で、人情は簡単に割り切れたりはいたしません。心霊的にいえばお墓に意味などないけれど、人によってはとても大切に思うかも知れません。ですから、真心が大切と覚えておいてください。

また、昔は、跡取りのないことをとても心配したものですが、少子化の時代、そういわれてもどうにもなりません。また、跡取りのないことは、先祖の力不足という見方もあります。結局、お墓の処遇については、ケースバイケース、色々と意見もありますが、だいたいに置いては屁理屈で、ただ誠意だけに意味があります。しかし、誠意が大切といった所で、よほど精神統一のしっかりした人でなければ、表面的に理解して見せても、腹の底ではやはり不快に思って後で拗れる場合もあります。だんだんに納得してもらうしかないのが現実です。

なお、あなた一人で責任を背負い込むのではなく、姉妹にも声を掛けるといいでしょう。

Q「家庭環境が複雑で、親に祖先のお墓がどこにあるかを聞き出せずにいます……」

肩に力を入れず、何かあった時のために、お墓の場所ぐらいは教えておいて、と、声を掛けてみることです。道は開けていきますよ。

Q「他の姉妹とは、母親(先妻)が違うのですが、姉妹に母のお墓の事を頼んで良いものでしょうか?」

共通のお父様の、人生を指させたのは、まずは先妻様の筈。先妻がいればこそ、後を後妻に任せられたのです。血が繋がっていなくとも、お父様の人生を指させてくれた人であることは間違いありません。

そういれば、かつて心霊相談で、「後妻の子(跡取り)が、先妻の位牌を焼き捨ててから、ノイローゼになった、祟りを鎮めて欲しい」と頼まれたことがあります。私は、「除霊などは必要ありません。お寺に頼んで位牌を作り直してもらってください。あなたと血のつながりがなくても、先妻様は、お父様の人生を支えてくれた方なのです。その事に感謝の念を抱けば、血が繋がっていないあなたの味方になってくれます」と答えました。実際、位牌を作り直した所、快方に向かったそうです。

ちなみに、私に相談する前に、霊媒に数十万円、、教会に数万円の寄付をしたそうですが、私は一円も頂いていません。つまり、力で解決するよりも和解する方が、無理も無駄もないということです。

Q「パチンコ屋に入る前に通りすがった神社の前で、何かに取憑かれたような気配があり、パチンコでもすってしまいました。ただ、機転を利かせてすぐ辞めたので大きな損はしていません。どう考えるべきでしょうか?」

低級霊の感化というのは、案外ありふれています。で、物事がうまく行かない時には気持ちを切り替える習慣があれば、大過無く過ごせます。また、一般的に博打を悪視して、毛嫌いする向きもありますが、神経質になるのはナンセンスです。負けても意固地になって辞められないのならば問題ですが、博打なんて絶対しないと意固地なのも、逆に融通の利かない霊の支配下にあるのかも知れません。何事も程々が大切、なのです。


再生説と統一会への参加

2004/12/10

 人間が生まれ変わる……仏教思想では輪廻と呼びますが輪廻という言葉には仏教というより、古代インド思想からくる一種独特な再生論の意味合いがあるため、近代心霊では、再生という表現を用います。

 基本的に心霊家の大多数は、人間が生まれ変わる事に肯定的でありますが、私は一種独特な屁理屈で、再生説には否定的な態度を取っております。

 人の心、人の意識を占めている個性の大部分は、その霊性よりもむしろ肉体の影響に支配されているから……死して肉体の影響を失えば、その個性は大きく変わるのが筋ではないか。まして、個性は肉体の影響のみ成らず、環境の影響も大きく受ける。では、仮に個性が死後も存続するとして、また、生まれ変わることがあるとして、肉体的状況、環境的状況が異なれば、その個性は本当に生まれ変わる前と同じものといえるのだろうか……と思うわけです。つまり、再生という仕組みがあるとしても個性の変化があればそれは純粋な再生とはいえません。……屁理屈といえば屁理屈、しかし、現場経験はこういう発想を必要としているのだと感じます。

 そもそも人間の個性というのは、肉体的な影響と霊的な影響のどちらがより支配的なのでありましょうか? 霊主であるべきが、現実には大半が肉主、さらには環境にも支配されている場合が大多数ではないかと感じられてなりません。

 もしも、人々が死ねば滅びてしまい、また縁が切れてしまうような、肉体や環境に支配されて生きているなら、生まれ変わりや死後の個性存続ということに確信を持てないのはむしろ当たり前だと思うわけです。

 そして、実践を重視する心霊家が精神統一の修行をするのも、個性の支配を霊的な部分に委ねるためといえます。そう、ある意味に於いて、死後も個性が存続する人と死後に個性が崩れる人の二種類あるのではと思えるのです。そして、心霊家の多くは、死後の個性存続を信じるというより、死後にも個性が存続するように努力しているのでありましょう。

 さて、明日は、私が主催するものの中で、今年最後の精神統一会です。その申し込みのメールには、今年最後の精神統一に望むに当っての覚悟が記されている場合が多く、指導役の霊媒である、私もその重責について思わざるを得ません。と同時に、参加できない人々に対して、言い難き様々な事柄が心の中に浮かび上がりては消えていくを繰り返します。

 「精神統一」と呼べば、一個人の修行と読み取れるかも知れませんが、心霊的な見地からいうと、人とその背後霊との共同作業なのです。さらに多数が集まり、指導役の霊媒も参加する精神統一であれば、集う霊はより多彩に、またより専門的に成っていきます。いわば、地上の参加者に感じ取れるのは、氷山の一角であって、真の作用は見えざる部分に求めなければ成りません。

 参加すれば、○○が得られるよ……そういえるものならば、もっと色々と具体的な話も出来ましょうが、事はそう単純ではありません。こちらが努力しても、霊界がそれを評価しなければ何も得られぬのですから。だからこそ私は極力に言葉を慎むわけですが、精神統一だけならばどこでも出来るとばかりにオフ会に参加せずにいる人が多いことは残念に思います。

霊査事例: 2004年12月7日

2004/12/07

 以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての代表的な霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。  以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。


 現在海外旅行中の某氏宛に、頻々と「某は愚痴が多い」との霊信が届いていた。連絡してあげようと思いつつも、なんとなく忙しさに放置していたら、某氏の宿泊先で大きな人身事故があったとのこと。そのメールを受け取った時、ふと、出発前に参拝を薦めた某神社と縁のある霊からメッセージを受けた。

『たとえ無事であっても、身に危険を感じ、不安に思えば不安に心を痛めつけられます。本当の無事とは、不安も不信もないことですが、不安・不信はひとえに背後の者達だけではどうにも解決が出来ません。日々の暮らしの中でどうして不安・不信を解消し、また、不安・不信をいかなる形に昇華させていくかが、人生に置ける大切な修行、いや、生きるための必須の技能と申せましょう。』

(不安・不信は避けられないから、それで魂を汚すのではなく、それで魂を磨くつもりで居りなさいとの意味です)

『思い詰めるから愚痴が出ます。……(目先の利益で物事を考えず、長い目で見てご覧なさい。決してあなたの不幸とばかりはいえません)』

『旅とは遠距離を出掛けることとは限りません。たとえ身体は動かなくとも、心境の大きな変化があればそれもまた旅なのです。地獄を旅するのも極楽を目指すのも、あなたの心一つなのです。』

 以上を持って、12月のオフ会に参加できない某氏への霊査にかえます。


ミイラ取りがミイラ

2004/12/06

 風は強いが澄み切った晴天が仰げる師走のある日……仕事の最中とはいえ暖かな日差しに包まれて外を歩いていると気分はすっかりお散歩で、「初詣にはどこに行こうかしら……」等という考えが沸き上がってくる。

 あそこも天狗さんの山、こちらも天狗さんの山、天狗さん、天狗さん……などと天狗について思いが集まっていくのは、実は向こうでも呼びかけているからだ。……気が付くと同時に馴染みの天狗さんと感応した。


『あなたは、我等に好意的だから心配は無いと思うが、念を押しておきたい。増長した僧侶などを指して、天狗が憑いている等というが、実に往々、下級の天狗が憑依している場合がある。が、このようなものを観ても、「人に憑依するなどとんでもない野天狗なり!」 とは、思わぬで欲しい。

 もともと、山はわれら山人が住まう場所、人々が職務《しょく》や糧を得るのに山にはいるのは許していたが、里をわれらが犯さぬのと同様、山にはいるにはそれなりに敬意を払ってしかるべしと思う。が、われら幽冥の狭間の存在物とて、向上心はあるし、好奇心もある。それで、あれこれと試みたるものを人は天狗の仕業だ、イタズラなどと呼ぶ。人はなるほど地上に生まれ出でて、あれこれと試みて、好奇心を満たすこともできようが、われら山人は地上に肉体を得ることも出来ず、顕幽の狭間でささやかな試みを楽しむのみである。

 が、それらを怪異と怯える人々も有れば、人々の安寧を願う者もいて、その昔、高僧等は好んで我等山人の住む山に寺を建てた。』

……相手はチョット口ごもったので、察して私が逆に問いかけた。

「つまり、怪しげな霊魂住まうところに、僧を住まわせて、慰撫・感化し、人に有益な神霊に向上さしめようという魂胆ですね。」

『まあ、そのようなところでしょう。我等とて、当時の近代的な文物風習が入り込むのは歓迎とするところで、まして、天狗様などとおだてられれば悪い気もしない。そういうわけで、それなりにうまく行っては居たのですが……』

なるほど……

『われら山人の中にだって、気の荒いのもいれば、向ッ気の強いものも大勢おります。無知故に傲慢な山人も多いわけで、そこに修行未熟で、才走った僧侶が暮らしていれば、自ずと感交わりて互いに悪影響がでる場合も多い。昔のことであれば、僧侶には相応、志がありて往々増長などに流されるまいとの気概があったので、感応しても、師兄に叱られ、又、物事がうまく行かなくなって、自ずと鼻をくじかれ、顕幽双方いずれ互いに浄化していったものを、最近はどうも、志が低い割には強欲で、軽薄な小理屈がまかり通ってしまい、顕幽双方の天狗の鼻がくじけません。

『下手をすると、鼻の高い天狗の方が真面目な僧よりもちやほやされる始末……いや、これは、たまたま私の受け持ちに寺が建っているからの話で、同様の趣旨に立つ神社などでは神官が天狗に憑る。この害に僧侶神官の区別はありません。

『まあ、後輩を先導する師兄等もご苦労様ですが、我等としても、神社仏閣の存在が勉強の機会となる筈が、くだらぬ誘惑が増えるばかりで頭を痛めております。

『感応は、双方の意気が合って初めて成るもの、顕幽双方、互いに向上心があって初めて互いに良い影響を及ぼせます。人が山に籠もりて修行をするなら、高慢・横暴な天狗に憑依されても負けないぐらいの志を持って頂かなければ、下級の山人等がくだらぬ感化を受けてかえって迷惑です。

『従って、霊媒さん達には、くれぐれも心得ていただきたいのは、山に籠もって天狗が憑いても、山人ばかりに非があるのではなく無謀・横暴な修行者にも落ち度がある、すなわち喧嘩両成敗の積もりで接して欲しいのです。まあ、お前が悪いといえば相手も聴かないでしょうから、地上の人々が天狗を罵り、山人らが修行者を罵るのは致し方有るまいが……(笑い)が、かような方便を真実と信じられては、互いに溝が深まるばかりです。』

「なるほど、つまり、最近ではミイラ取りがミイラになる事が多いと……」

相手は肯く

「ところで、天狗・山人と、二通りの表現をお使いですね?」

『そうそう、どうも、世間では我等のことを天狗呼ばわりするが……天狗というのはしょせん借り物の言葉で、使っている方々にもよく分かっているようには思えません。挿絵にあるような装束は、我等に見慣れた、山に籠もれる修験者の姿を真似たもの、われらは山人……山に棲まう霊魂ゆえに、里や都の衣装などはとんと縁がございませんから、修験者の姿を借りております。

『が、それとても別段こうという決まりがあるわけでなく、ただ、その組頭に敬意を払って、階級ごとに差を付けておるだけで、裸でいようと、葛布をまとおうが本来関係ないわけです。』

 ちなみに、浅野氏の著作で天狗などを扱うものを入力編集中であったために、改めてその容姿、服装を観たが、服装は修験者というより、神主が着るような狩衣姿、縁取りに紐が使われ、兜巾などは付けていない。等と思っていると、

『そんなこけおどしの姿など、いつもいつもしているわけでも無し……(笑)

『私とても、僧籍に有るようなもので、袈裟を付けても良いのですが、もったいぶって見られてもつまりません。といって、現代風だとうさんくさく思われましょうし』

 たしかに、背広姿で出られたら……変だ。

『ようは、天狗という呼び名が一般的で山人というと漂泊民と混同されるし、品がある者は仙人と間違われることもあるが、我等は山人で、山人の中で修験者の真似をするのが天狗と呼ばれるのです。当然、羽など有りません。』

「天狗には羽根があるという平田篤胤の霊界通信がありますが?」

『それは恐らく、羽黒山の修験道から来ているのでしょう。』

『ともかく、人心の志低きが悪いのではありません。あなたもよく知るように、理詰めで考えると善悪で物事を推し量るのは意味がありません。悪くとも無くならない以上は、文句を言うよりも工夫をせねば成りますまい。同時に、天狗霊ばかりを責められるのも困ります。山人とて、不心得者が山に押し入られて迷惑しているし、迷惑だからと乱暴して良いものでもありません。

『せめて、共存共栄の心を持った方が一人でも増えて、我等と共に修行してくれるならばこれほど喜ばしいことはないのです。』

……今日はここまでと致しました。

我が身を苦しめる

2004/12/03

2004年 12月 02日


嫌いな人間から信用されても嬉しくはありませんが、大切に思っている人から不審の目を向けられるのは辛いものです。そしてまた、不審の念を向けられることの辛さを知っている人であっても、大切な人に不審の念を向けてしまうのが人間です。……いざという時、棄てられるのではと恐れるから。

自分を傷つけたくないから、大切な人に不審の念を抱く。……多くの人がそう努力しています。が、不審の念を抱くから大切な人が去っていくのです。――わざわざ自分を苦しめるために努力する人々。業が深いというのはこういう事です。

間違った努力は決して良い結果をもたらしません。増して、自分を苦しめるための努力がいかなる結果をもたらすというのでしょうか?……そして、間違った努力を辞めない人を助けようとするのは、やはり一つの間違った努力です。また、間違った努力をする人を信じるのは、それもまたやっぱり間違った努力なのです。

信じられないなら、せめて知る努力をするべきなのに、知ることもせずにただ不審ばかりを口にする。信用されないと言うことは苦痛なのです。相手に苦痛を与えてどうして自分は大切にされると思うのでしょうか?


霊査事例: 2004年12月1日

2004/12/01

 以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての代表的な霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。  以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。


総論

 三日ほど前には、悪魔と踊るかのような忙しさ。理事会の仕事で休暇まで取って頑張っているのに、文句を言う奴はいう。……理事会はサービス業だ。すると住民の満足度こそが絶対の評価基準だが、一方、住民の満足基準はどこにあ
るのだろうか?

 これは守護霊とその庇護者の間にも当てはまる。どれだけ成果を上げたら守護霊は感謝されるのだろう?……つまり人は何をもって満足するのか?

 欲が強い人の守護霊の勤めはとても不毛に見える。


事例1

 サルカニ合戦を思い出してください。オムスビは目先の利益、柿の種は未来
の利益。

 あなたはご自分が思っているよりもずっと幸せです。ただ、オムスビを持っていないだけ。柿の種ではお腹はふくれませんが、オムスビは一度食べればなくなってしまう。……今の幸せだけで人生を考えぬ事です。今を欲張ればあなたの未来は貧しくなるのですから。


事例2

 よく頑張っていらっしゃいます。また、先月後半から今月いっぱいぐらいまで、まあまあ穏やかな日々が得られるようですね。

 人生には様々な要因が絡み合っております。あなた自身が変えられる部分も多いが、あなたが変えられないこともまた多い。……そして……ワガママに生きようとする人ばかりなら世の中は止めどもなく悪化していくでしょう。結局、義務を大切にする人にしわ寄せが集まります。

 のびのびと生きられるなら、人からとやかく言われるまでもないのに、義務に押しつぶされそうになっているから、もっと頑張れと尻を叩かれる。さらなる努力を求められたらやはり心が痛い。大変です。大変ですが逃げたくても逃げられないし、上手にやれなければ苦しいのはあなた自身。

 義務に負けず、励ましに負けず、自分らしさを大切にしつつ、でも、未来に向けてより良い自分を目指してください。

事例3

 身体を冷やさないように気を配ってください。それは何も、洋服や暖房の話ばかりではありません。食事の時などに生姜を上手に使うなどして、中から暖めてください。

 また、「口が悪い」と聞こえます。物事は複雑なもの……複雑なものがうまく行くのはむしろ神業なのです。その神業がうまく行かないのは人々が足を引っ張っているから。……問題提起は構いません。でも、一つの事態、それが悪いものであっても、その事態は大勢の人々、そしてまた大勢の心霊に支えられているから、事態を十把一絡げにあしざまに言うのは、とても切ないことです。

事例4

 言うまでもなく、神仏や信仰心が大切なのではありません。人の行いが単純な欲から、または、複雑な経験が引き起こす衝動から生まれることを理解してください。

 人は正しき動機からのみ行動を起こすわけではありません。それはつまりこういう事です。人の動機を信じているから思わぬ結果に戸惑うのです。大切なのは結果から人の動機を推し量ることです。 彼らが何を守ろうとして努力しているのか? 

 それを見抜いた上で道を選んでください。必ず開けていきます。

事例5

 大切なのは答えではなく、答えに至る道筋です。なぜならそれは無限の富を生むものだから。

 あなたはまるで、サルカニ合戦のサルのようにオムスビに拘っています。で、あなたはオムスビを食べた後、カニから柿を取り上げるのですか? そんな悪意など思いも寄らぬ……たしかに、たしかに。あなたはとても善良な人です。そういわれると恥ずかしいし、下手をするとイヤミにすら思うでしょうが、それは事実だ。あなたのご両親も、また、あなたの御祖父・祖母様方も……それはつまりこういう事です。

 あなたの魂に間違いがあるのではなく、地上の教育制度が強いる論理的な思考に問題があるのです。
 無理難題を理解しろというのではありません。無理難題を理解させられる、その人の後ろに隠れるなと言いたいのです。

事例6

 待てば海路の日和あり……なるほど待ちすぎて時機を失する場合もありますが、あわてて時機を失する場合もあります。待つのはなるほど辛いけれど、待てばこそ得られるものもあります。

 ところで……あなたはもう少し、幸せの追求にどん欲になってもいいと思いますが?……という話は何度も繰り返してなれっこになったかもしれません。つまり、ちょっと淡泊すぎる気がするのですが?


怨霊の科学、いや哲学?

2004/12/01

2004年 11月 30日


 私は、水を遣りすぎて植木を枯らすタイプの人間だ。だから荒野を開墾するのには向いているが、既存の畑はダメにしてしまう。

人付き合いに於いても、自立心の強い人とはうまく行くが、依存心の強い人を苦手にする。付合っているうちに……ああ、こういう言い回しで誤解する女性がいるので表現を変えるが……関わっているうちに相手がだんだん増長してくるのは不快なものだ。

であるから、私は霊感発現前後から、自分の運命に大きな弱点が見えていた。

「私が滅びる時は強敵に滅ぼされるのではなく、情けを掛けた相手に裏切られて滅びるのだろう」

力を競い合っての果てに勝負がつくなら、たとえ後悔は残っても恨みは残らない。しかし、だまし討ちや裏切りの果てに勝負がついたならどうだろうか? ……恨みの念を持ってはいけないとか、執着心から自縛に陥るなどというのは、オカルト話の読み過ぎである。因果律の働きと部分再生説を考え合わせると、高潔な人格の持ち主ほど逆境に於いて後に祟りを為しうることが類推できるのだ。

因果律より怨念を読む――「手に入れちまった者が勝ち」という考えがあるから、騙してもなんでも手に入れようとしがちだ、だが、一得一失、何かを得るにはそれに見合った代償が必要なものなのである。無理に手に入れたら代償はさらに割高になる。安易に手に入れたつもりでいて実は苦労して借財をこさえただけなのである。

部分再生説より怨念を読む――部分再生論とは、生死の循環に於いて一つの人格が完全に生まれ変わるのではなく、魂の中で、不完全な部分だけが再生(生まれ変わり)し、完成した一部分は生まれ変わることなく向上していくという説である。私の尊敬する心霊家はこぞって、部分再生論者だが、私はどうも部分再生論にうさんくさいものを感じている。まあ、部分再生論を否定しても、高度な霊格の持ち主には相応の随伴霊……見習いのようなもの……がついている。指導役が人生半ばで泣訴すると、行き場を失った随伴霊の復讐を招くことが多々ある。

祟りを為すのは、人格卑しい人ではない。むしろ、人格卑しい人であるなら騙されても自業自得の部分も多く、また、努力が裏目に出て祟るほど相手を幸せにしかねない。祟るのは往々、人格貴い人であり、さもなくば反対に、祟られる人が往々人格卑しいのである。

まあ、別段私は、今日明日に死ぬ予定もないが、死んで化けて出たからといって安易に軽蔑をしないで頂きたい。もしもその死に方が哀れであったても、なお、祟りもなければ、それこそ随伴霊もいない詰らぬ奴であったか……と、疑うぐらいの器量を持って頂きたい。

・・・・・・・

いささか、下品な話に見えましょうか? では、もう少しだけ、説明しましょう。

怨霊であるとか、祟りであるとか、そういった心霊談義は往々、情緒的な解釈で皆納得しているかのようにみえます。が、しかし、実はそう単純なものではないのです。では、どう受け止めればいいのか? 大切なのは、実現する手段は動機よりもむしろ計画者の巧拙と重大な関連があるということです。ぶっちゃけた話……未熟者の復讐は未熟に過ぎず、巧みな者の復讐こそが恐ろしいと言うことです。


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