‘2004/12/17’ カテゴリーのアーカイブ

対人トラブルの錯覚

2004/12/17

2004年 12月 16日


 人間関係のトラブルについては時より質問が寄せられますが、私自身も泥沼に足を突っ込んでいたりで、それこそ、「敗軍の将兵を語らず」の心境でいました。私なりにたどり着いたのは、対人トラブルは対人関係のトラブルではない……という実感です。変な言い回しに聞こえるかも知れませんが、原因や問題を取り違えていたら、解決策が見えるはずもないし、解決しようとしてもうまく行くはずがない……対人トラブルがうまく解決しないのは、実は対人関係のようでいて別な問題なのではないか、と、疑い、視点や発想を変えてみることが大切と感じたのです。

 そして、私が往々にたどり着く別な結論は……相互の関係のあり方よりも、相手、もしくは自分の、一方的な執着心にあると思うのです。

「私はこんな筈じゃない。私はあなたが思っているような人間ではないし、こんな結果しか出せない人間ではない」その幻想にしがみついている人が、自分の理想と現実のギャップにあせり、自分で自分を信じ切れなくなって、一緒に自分の幻想に付合ってくれる人を求める。いや、求めるなどという生やさしさではなく、火事場の馬鹿力的に必死にしがみつくのです。必死にしがみつくけれど、でもその動機は幻想を維持することだからしがみつく意義も、手を放すべき時機も見えない。ただ、力の続く限りしがみつこうとするばかりで……だから、しがみつく方が苦しいのももちろん、しがみつかれた方も苦しく、お互いに苦しんでも解決策が見えないなどという、馬鹿げた結果になるのでしょう。

 更にいえば、これは一部の話であって、現実には、相談相手や友人にしがみつくだけでなく、趣味や仕事や様々なものにしがみついて、対象から離れることに、死以上の恐怖を抱いている人があまりに多い気がします。みな己の幻想・仮面の奴隷になっているのですから、話合おうにも決定権がありません。その人の抱えている限界や執着やトラウマと語り合わなければ答えが得られない。……対人関係に悩む時、答えが見えないのは、大抵の場合、問題が間違えているのではないか。そう思います。


霊媒とは何か?

2004/12/17

霊媒とは何か?

2005年 01月 20日

 突然開いた霊感に戸惑い、苦しむ人は多い。私もその経験者であるし、横の繋がりからそういう話も多々聞く。自分も一人で苦しんだからなおのこと、同じ苦しみの持ち主を見捨てておけないという思いもある。

考えても見て欲しい――トラブルに巻き込まれたとする。それは不可抗力か、それとも扱いを間違えたが故であるのか? いずれにせよ、こうはいえまいか。正しい知識を持たなかったから拗れたのだ、と。確かに心霊的なトラブルは、無知が事情を拗らせている場合が多い。

例えば、遺伝的に霊媒能力を受け継いだ人であれば、親なり祖父母なりから適切なる心霊知識を学び取れるかも知れない。しかし、世間に流布する心霊知識のうち、興味本位・実用本位のいずれかが多いであろうか? 需要と供給の関係で考えてみればよく分かる。親戚知人に霊媒がいないのに、突然霊感が開いてしまった人々は、迷信や妄想、または、興味本位で創造されたフィクションの海の中から真実を掴まなければならない。さらに、困難さをもたらすのは、マンガやテレビによって刷り込まれた、興味本位活実用無視の心霊常識である。警戒心を持って学び始める前に知っていたデマは、容易に頭から追い出すことが出来ない。かくして、霊媒初心者は迷信の中で彷徨《さまよ》うのだ。

そもそも、「霊媒とは何か?」その事すら正しく理解せずにいては、霊媒(能力を持つ者)であることが苦しくて当たり前だ。……だが、人々は霊媒をなんだと思っているのだろうか?

「神に与えられた才能をもっているのだから霊媒は善良で当たり前」等という馬鹿げた妄想に騙されてはいないか? 善良でなくても良い人間なんて独りもいない。だから「霊媒だけ特に善良であるべき」と、主張する者がいたらその下心に関心を向けるべきか、距離を置いて関わらぬようにすべきである。

その他にも、「霊媒の真偽を見抜くには当て物をさせろ」、「百発百中で当たり前」、「いつでも霊査が取れて当たり前」、「困っている者を無料で助けて当たり前」……等という意見に惑わされてはいけない。

そもそも、霊媒とは、霊との媒介をする者を意味する。省略されてはいるが、正式には「霊と人との媒介」である。くどいようだが、霊と人との間に立つのが霊媒なのだ。それはつまり、 人間の都合と霊界側の都合をすりあわせ、その妥協点を見いだすのが霊媒の真の義務である。それなのに、迷信に迷わされて、霊を見たら有無をいわさず、また事情を斟酌せず、ただちに除霊したり、毛嫌いしたり、はたまた、人間の都合ばかりを重視して、背後霊の好意に甘えて、次々と当て物させたり、くだらぬ仕事を背負い込ませ、休ませもせず、他人の苦労まで背負い込んでしまえば…… 人間・地上側の御用霊媒にいそしんで、霊界側から見捨てられなければ感謝し、罰(自業自得の報い)が当らなければ幸運と思うべきだ。ここで夢想的な妄想に取憑かれてはいけない。超常的な力を持っている霊達なら、そういう条件の悪さをはねのけられる……かも知れないが、地上の人間の心に巣くい、人を不幸にしているのは社会の矛盾などではなく、その人本人の心に内在する葛藤なのだ。強い力があればなるほど困難を打ち破る事も出来るだろう。だが、葛藤を力押しで解決しようとすればますます苦しみがますのである。

金儲けが霊媒の使命ではないし、迷信の流布は慎むべきだが、人間、特に身勝手な人間に奉仕する義務は霊媒にないし、勝手な義務感に守護霊・背後霊を巻き込むことがあったら、それはタコが自分の足を喰うようなものである。すなわち自滅への道だ。

霊界の従僕になるのも社会的な破滅に繋がるが、そもそも霊媒の悩み事、特に霊的な悩み事に対して、解決力を持っているのは霊界なのだ。地上のご都合主義的な心霊思想に惑って、縁も縁もない他人に使い潰されぬように注意すべきである。

少々の揺らぎはさしたる問題ではないが、地上にも、霊界にも、双方に押しが強くなるまで霊媒の苦悩は続く。


難が増えたら考える。

2004/12/17

2004年 12月 16日


「人間万事塞翁が馬」とか、「禍福は糾える縄の如し」等と申します。

良いことが続いたからといって、悪いことが起こるとは限らず、悪いことばかりかと思えばよいこともある。……人生はなかなか先が読みがたいものですが、心霊はそう受け取りません。

不幸になるために生まれてきた人は一人もいない。――逆境の中に生まれ落ちても、幸せへの道筋はちゃんと用意してあって、幸せへの最短の道のりに導こうと、守護霊は日夜努力しているのだ……が、どうにも人は、目先の利に釣られて道を誤ります。正当な努力こそが一番の近道なのに、もっと楽な道はないかと脇道にそれて行き詰まる人々の何と多いことか。後戻りできるうちに気がつけば良し、多くは、袋小路の前でぐるぐる回りをして時間切れを迎えることも多いもの。

……まあ、それは極端な話として……

 心霊を勉強し、精神統一を学ぶようになると、守護霊と息が合ってきて、物事がスムーズに動き始めます。何やら忙しく、そして楽しくなってくる。頭で色々考えるとかえってうまく行かず、程々に考え、少々、行き当たりバッタリ的な選択の自由を取っておくとずいぶんと楽しめる。……絆、守護霊の絆にはこのような特徴があります。

 だんだん、難が減って益が増えていく……これが指令を学ぶ人が歩く、順当な経路で、益が増えずに難が増えたら、それは心霊の学び方を間違っているということです。では、心霊を学び、順調にいき(誠に喜ばしい!)ながら、ある時、急に災難・不運が増えるとしたら? または、運不運が交互に訪れるとしたら、どう考えるべきか?

 まず、急に難が増える・不運になるとしたら、それは、危険に足を突っ込んだ印です。近づくべきでないものに近づいてしまったのです。一体何に近づいてはいけないのか、じっくり考えて後戻りする必要があります。この時、ヒントになるキーワードは、

良縁結びがたく、悪縁断ちがたし

 ということです。まあ、非常識な人もいるので念のために書きますが、ここでいう良縁・悪縁とは男女間の仲に限りません、というより、縁という言葉を男女の仲と見なしがちな人は色情因縁を解くべきです。ここでいう縁とは人間の関係全般をさします。

 つまり、望んでもなかなか得がたいものが良縁で、断ち切ろうとしてもなかなか断てないのが悪縁である……屁理屈じみていますが、向こうからすり寄り、手放そうとするとしつこい……これが悪縁の特徴です。要するに、災難の肩代わりをさせようとする人は食いついたら放そうとしません。反対に、良縁の持ち主は、相手をよりどりみどりに選べるのですから、ある意味お高い雰囲気を持ちます。

 ところがどうも、今時の人は愛情に飢えているというか、チヤホヤされることが悪縁の始まりであることに気がついていません。と同時に、親切とチヤホヤの違いも判らずにいる人もいます。親切にされると騙されるのではと身構えたあげく、「失礼な奴だ!」と縁を切られてしまうのは、つまり 良縁結びがたしということです。

(そりゃ、善良に活きようと努力している人を捕まえて、「下心がある」と騒ぎ立てる人がいたら、その人に親切にする事が墓穴を掘ることに繋がりますからね。こういう人がどんどん良縁を失うのは当然です。)

 迂遠な言い回しから始めましたが、大分問題が見えてきたと思われます。要するに、悪縁というのは、たとえ悪意がなくとも、悪い結果を導き出しがちな、未熟・要領の悪い人との関わりです。で、心霊的に見てこういう人には 醜い愚痴が多いという欠点が潜んでいます。ここでいう「醜い愚痴」というのは、難しく考えずにそのまま受け取ってください。つまり、当人にとっては必要なガス抜きのつもりでいても、付合わされ、 聞かされる側にとって、とても災難に思えるような愚痴、二度と聞きたくない愚痴のことです。このような愚痴が心霊的にみて悪いのは……心霊は善悪を論じません、可否で考えるのです。詰まり、悪い結果が予測されることを悪いと見なします……醜い愚痴は、創造的な霊性の持ち主から好かれず、避けられる傾向にあるということです。そして、良識ある人から避けられるとどうなるか……好ましくない人々が近づいてくるということです。すると不運になる。不運になるとますます愚痴が増え、愚痴がますます不運を呼び寄せるという悪循環に陥ります。

 ですから、醜い愚痴が多い人は、周囲にも不運をもたらす危険性を考えるべきでしょう。

 なお、ここで十分に検討して頂きたいのは、単純に災難がふえ、反対に益が減ってきた場合、まず、自分自身の醜い愚痴について注意すべきだということです。反対に、益も災難も増えてきたとしたら、家族、恋人、親友の中に、醜い愚痴の持ち主がいると疑うべき事です。

 ともかく、原因が自分にあるのか、自分以外にあるのか、その違いぐらいは見抜けなければ次のステップに進めません。まずは、そこまでを反省してみましょう。

 ……念のため、醜い愚痴の持ち主が、家族、とくに、配偶者であった場合、別れることを先に考えては罰が当りますよ。それは自殺と同じ、途中で責任を放棄することで大罪と見なされます。


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