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ミイラ取りがミイラ

2004/12/06

 風は強いが澄み切った晴天が仰げる師走のある日……仕事の最中とはいえ暖かな日差しに包まれて外を歩いていると気分はすっかりお散歩で、「初詣にはどこに行こうかしら……」等という考えが沸き上がってくる。

 あそこも天狗さんの山、こちらも天狗さんの山、天狗さん、天狗さん……などと天狗について思いが集まっていくのは、実は向こうでも呼びかけているからだ。……気が付くと同時に馴染みの天狗さんと感応した。


『あなたは、我等に好意的だから心配は無いと思うが、念を押しておきたい。増長した僧侶などを指して、天狗が憑いている等というが、実に往々、下級の天狗が憑依している場合がある。が、このようなものを観ても、「人に憑依するなどとんでもない野天狗なり!」 とは、思わぬで欲しい。

 もともと、山はわれら山人が住まう場所、人々が職務《しょく》や糧を得るのに山にはいるのは許していたが、里をわれらが犯さぬのと同様、山にはいるにはそれなりに敬意を払ってしかるべしと思う。が、われら幽冥の狭間の存在物とて、向上心はあるし、好奇心もある。それで、あれこれと試みたるものを人は天狗の仕業だ、イタズラなどと呼ぶ。人はなるほど地上に生まれ出でて、あれこれと試みて、好奇心を満たすこともできようが、われら山人は地上に肉体を得ることも出来ず、顕幽の狭間でささやかな試みを楽しむのみである。

 が、それらを怪異と怯える人々も有れば、人々の安寧を願う者もいて、その昔、高僧等は好んで我等山人の住む山に寺を建てた。』

……相手はチョット口ごもったので、察して私が逆に問いかけた。

「つまり、怪しげな霊魂住まうところに、僧を住まわせて、慰撫・感化し、人に有益な神霊に向上さしめようという魂胆ですね。」

『まあ、そのようなところでしょう。我等とて、当時の近代的な文物風習が入り込むのは歓迎とするところで、まして、天狗様などとおだてられれば悪い気もしない。そういうわけで、それなりにうまく行っては居たのですが……』

なるほど……

『われら山人の中にだって、気の荒いのもいれば、向ッ気の強いものも大勢おります。無知故に傲慢な山人も多いわけで、そこに修行未熟で、才走った僧侶が暮らしていれば、自ずと感交わりて互いに悪影響がでる場合も多い。昔のことであれば、僧侶には相応、志がありて往々増長などに流されるまいとの気概があったので、感応しても、師兄に叱られ、又、物事がうまく行かなくなって、自ずと鼻をくじかれ、顕幽双方いずれ互いに浄化していったものを、最近はどうも、志が低い割には強欲で、軽薄な小理屈がまかり通ってしまい、顕幽双方の天狗の鼻がくじけません。

『下手をすると、鼻の高い天狗の方が真面目な僧よりもちやほやされる始末……いや、これは、たまたま私の受け持ちに寺が建っているからの話で、同様の趣旨に立つ神社などでは神官が天狗に憑る。この害に僧侶神官の区別はありません。

『まあ、後輩を先導する師兄等もご苦労様ですが、我等としても、神社仏閣の存在が勉強の機会となる筈が、くだらぬ誘惑が増えるばかりで頭を痛めております。

『感応は、双方の意気が合って初めて成るもの、顕幽双方、互いに向上心があって初めて互いに良い影響を及ぼせます。人が山に籠もりて修行をするなら、高慢・横暴な天狗に憑依されても負けないぐらいの志を持って頂かなければ、下級の山人等がくだらぬ感化を受けてかえって迷惑です。

『従って、霊媒さん達には、くれぐれも心得ていただきたいのは、山に籠もって天狗が憑いても、山人ばかりに非があるのではなく無謀・横暴な修行者にも落ち度がある、すなわち喧嘩両成敗の積もりで接して欲しいのです。まあ、お前が悪いといえば相手も聴かないでしょうから、地上の人々が天狗を罵り、山人らが修行者を罵るのは致し方有るまいが……(笑い)が、かような方便を真実と信じられては、互いに溝が深まるばかりです。』

「なるほど、つまり、最近ではミイラ取りがミイラになる事が多いと……」

相手は肯く

「ところで、天狗・山人と、二通りの表現をお使いですね?」

『そうそう、どうも、世間では我等のことを天狗呼ばわりするが……天狗というのはしょせん借り物の言葉で、使っている方々にもよく分かっているようには思えません。挿絵にあるような装束は、我等に見慣れた、山に籠もれる修験者の姿を真似たもの、われらは山人……山に棲まう霊魂ゆえに、里や都の衣装などはとんと縁がございませんから、修験者の姿を借りております。

『が、それとても別段こうという決まりがあるわけでなく、ただ、その組頭に敬意を払って、階級ごとに差を付けておるだけで、裸でいようと、葛布をまとおうが本来関係ないわけです。』

 ちなみに、浅野氏の著作で天狗などを扱うものを入力編集中であったために、改めてその容姿、服装を観たが、服装は修験者というより、神主が着るような狩衣姿、縁取りに紐が使われ、兜巾などは付けていない。等と思っていると、

『そんなこけおどしの姿など、いつもいつもしているわけでも無し……(笑)

『私とても、僧籍に有るようなもので、袈裟を付けても良いのですが、もったいぶって見られてもつまりません。といって、現代風だとうさんくさく思われましょうし』

 たしかに、背広姿で出られたら……変だ。

『ようは、天狗という呼び名が一般的で山人というと漂泊民と混同されるし、品がある者は仙人と間違われることもあるが、我等は山人で、山人の中で修験者の真似をするのが天狗と呼ばれるのです。当然、羽など有りません。』

「天狗には羽根があるという平田篤胤の霊界通信がありますが?」

『それは恐らく、羽黒山の修験道から来ているのでしょう。』

『ともかく、人心の志低きが悪いのではありません。あなたもよく知るように、理詰めで考えると善悪で物事を推し量るのは意味がありません。悪くとも無くならない以上は、文句を言うよりも工夫をせねば成りますまい。同時に、天狗霊ばかりを責められるのも困ります。山人とて、不心得者が山に押し入られて迷惑しているし、迷惑だからと乱暴して良いものでもありません。

『せめて、共存共栄の心を持った方が一人でも増えて、我等と共に修行してくれるならばこれほど喜ばしいことはないのです。』

……今日はここまでと致しました。

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