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霊査事例: 2004年12月1日

2004/12/01

 以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての代表的な霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。  以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。


総論

 三日ほど前には、悪魔と踊るかのような忙しさ。理事会の仕事で休暇まで取って頑張っているのに、文句を言う奴はいう。……理事会はサービス業だ。すると住民の満足度こそが絶対の評価基準だが、一方、住民の満足基準はどこにあ
るのだろうか?

 これは守護霊とその庇護者の間にも当てはまる。どれだけ成果を上げたら守護霊は感謝されるのだろう?……つまり人は何をもって満足するのか?

 欲が強い人の守護霊の勤めはとても不毛に見える。


事例1

 サルカニ合戦を思い出してください。オムスビは目先の利益、柿の種は未来
の利益。

 あなたはご自分が思っているよりもずっと幸せです。ただ、オムスビを持っていないだけ。柿の種ではお腹はふくれませんが、オムスビは一度食べればなくなってしまう。……今の幸せだけで人生を考えぬ事です。今を欲張ればあなたの未来は貧しくなるのですから。


事例2

 よく頑張っていらっしゃいます。また、先月後半から今月いっぱいぐらいまで、まあまあ穏やかな日々が得られるようですね。

 人生には様々な要因が絡み合っております。あなた自身が変えられる部分も多いが、あなたが変えられないこともまた多い。……そして……ワガママに生きようとする人ばかりなら世の中は止めどもなく悪化していくでしょう。結局、義務を大切にする人にしわ寄せが集まります。

 のびのびと生きられるなら、人からとやかく言われるまでもないのに、義務に押しつぶされそうになっているから、もっと頑張れと尻を叩かれる。さらなる努力を求められたらやはり心が痛い。大変です。大変ですが逃げたくても逃げられないし、上手にやれなければ苦しいのはあなた自身。

 義務に負けず、励ましに負けず、自分らしさを大切にしつつ、でも、未来に向けてより良い自分を目指してください。

事例3

 身体を冷やさないように気を配ってください。それは何も、洋服や暖房の話ばかりではありません。食事の時などに生姜を上手に使うなどして、中から暖めてください。

 また、「口が悪い」と聞こえます。物事は複雑なもの……複雑なものがうまく行くのはむしろ神業なのです。その神業がうまく行かないのは人々が足を引っ張っているから。……問題提起は構いません。でも、一つの事態、それが悪いものであっても、その事態は大勢の人々、そしてまた大勢の心霊に支えられているから、事態を十把一絡げにあしざまに言うのは、とても切ないことです。

事例4

 言うまでもなく、神仏や信仰心が大切なのではありません。人の行いが単純な欲から、または、複雑な経験が引き起こす衝動から生まれることを理解してください。

 人は正しき動機からのみ行動を起こすわけではありません。それはつまりこういう事です。人の動機を信じているから思わぬ結果に戸惑うのです。大切なのは結果から人の動機を推し量ることです。 彼らが何を守ろうとして努力しているのか? 

 それを見抜いた上で道を選んでください。必ず開けていきます。

事例5

 大切なのは答えではなく、答えに至る道筋です。なぜならそれは無限の富を生むものだから。

 あなたはまるで、サルカニ合戦のサルのようにオムスビに拘っています。で、あなたはオムスビを食べた後、カニから柿を取り上げるのですか? そんな悪意など思いも寄らぬ……たしかに、たしかに。あなたはとても善良な人です。そういわれると恥ずかしいし、下手をするとイヤミにすら思うでしょうが、それは事実だ。あなたのご両親も、また、あなたの御祖父・祖母様方も……それはつまりこういう事です。

 あなたの魂に間違いがあるのではなく、地上の教育制度が強いる論理的な思考に問題があるのです。
 無理難題を理解しろというのではありません。無理難題を理解させられる、その人の後ろに隠れるなと言いたいのです。

事例6

 待てば海路の日和あり……なるほど待ちすぎて時機を失する場合もありますが、あわてて時機を失する場合もあります。待つのはなるほど辛いけれど、待てばこそ得られるものもあります。

 ところで……あなたはもう少し、幸せの追求にどん欲になってもいいと思いますが?……という話は何度も繰り返してなれっこになったかもしれません。つまり、ちょっと淡泊すぎる気がするのですが?


怨霊の科学、いや哲学?

2004/12/01

2004年 11月 30日


 私は、水を遣りすぎて植木を枯らすタイプの人間だ。だから荒野を開墾するのには向いているが、既存の畑はダメにしてしまう。

人付き合いに於いても、自立心の強い人とはうまく行くが、依存心の強い人を苦手にする。付合っているうちに……ああ、こういう言い回しで誤解する女性がいるので表現を変えるが……関わっているうちに相手がだんだん増長してくるのは不快なものだ。

であるから、私は霊感発現前後から、自分の運命に大きな弱点が見えていた。

「私が滅びる時は強敵に滅ぼされるのではなく、情けを掛けた相手に裏切られて滅びるのだろう」

力を競い合っての果てに勝負がつくなら、たとえ後悔は残っても恨みは残らない。しかし、だまし討ちや裏切りの果てに勝負がついたならどうだろうか? ……恨みの念を持ってはいけないとか、執着心から自縛に陥るなどというのは、オカルト話の読み過ぎである。因果律の働きと部分再生説を考え合わせると、高潔な人格の持ち主ほど逆境に於いて後に祟りを為しうることが類推できるのだ。

因果律より怨念を読む――「手に入れちまった者が勝ち」という考えがあるから、騙してもなんでも手に入れようとしがちだ、だが、一得一失、何かを得るにはそれに見合った代償が必要なものなのである。無理に手に入れたら代償はさらに割高になる。安易に手に入れたつもりでいて実は苦労して借財をこさえただけなのである。

部分再生説より怨念を読む――部分再生論とは、生死の循環に於いて一つの人格が完全に生まれ変わるのではなく、魂の中で、不完全な部分だけが再生(生まれ変わり)し、完成した一部分は生まれ変わることなく向上していくという説である。私の尊敬する心霊家はこぞって、部分再生論者だが、私はどうも部分再生論にうさんくさいものを感じている。まあ、部分再生論を否定しても、高度な霊格の持ち主には相応の随伴霊……見習いのようなもの……がついている。指導役が人生半ばで泣訴すると、行き場を失った随伴霊の復讐を招くことが多々ある。

祟りを為すのは、人格卑しい人ではない。むしろ、人格卑しい人であるなら騙されても自業自得の部分も多く、また、努力が裏目に出て祟るほど相手を幸せにしかねない。祟るのは往々、人格貴い人であり、さもなくば反対に、祟られる人が往々人格卑しいのである。

まあ、別段私は、今日明日に死ぬ予定もないが、死んで化けて出たからといって安易に軽蔑をしないで頂きたい。もしもその死に方が哀れであったても、なお、祟りもなければ、それこそ随伴霊もいない詰らぬ奴であったか……と、疑うぐらいの器量を持って頂きたい。

・・・・・・・

いささか、下品な話に見えましょうか? では、もう少しだけ、説明しましょう。

怨霊であるとか、祟りであるとか、そういった心霊談義は往々、情緒的な解釈で皆納得しているかのようにみえます。が、しかし、実はそう単純なものではないのです。では、どう受け止めればいいのか? 大切なのは、実現する手段は動機よりもむしろ計画者の巧拙と重大な関連があるということです。ぶっちゃけた話……未熟者の復讐は未熟に過ぎず、巧みな者の復讐こそが恐ろしいと言うことです。


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