相手にするものが違う。
2004/11/292004年 11月 28日
私は、人付き合いが決して下手な方ではないと思うが、かといって器用な方でもない。従って上手な人付き合いの方法など、とても論じる資格を持たないが、「これはまずい」と思うものをいくつか列記するのは許されよう。
まず、「我を押し通すこと」を人付き合いと勘違いしていると思える人がいる。確かに、自分のワガママを聞いてくれる人がいたら嬉しいものだが…… 一得一失、あなたのワガママを聞くことに何のメリットがあるのだろう? たまたま親切な人と出会いいくつかワガママを通したとしても、調子に乗ってワガママを言い続けると嫌われかねない。
これが上手な人であれば、相手を引きつけ続けるため、適宜にエサをまく。エサをケチるのは単なる失敗だが、エサを蒔かずにうまく行かないというのは失敗以前の愚かさである。太公望は釣り針もつけずに糸を垂らして歴史に名を残したが、彼が釣らんとしたのはもとより魚ではない。では、相手にメリットも与えずにワガママを押し通そうとするの人は何を釣らんとするのだろう? ……何にせよ、目的・行動に思慮が足りないのは明白だ。するとこうもいえる。分不相応のものを欲しがるからうまく行かないのだ。……と。
他にもまずいと思えることがいくつかある。相手を追いつめてみたり、後に引けなくなる状況に自分を追い込んだり……努力が裏目に出るようにわざわざ努力している人々を多々見る。勘違いは直ちに直せるが、未熟であるのは容易に直るはずもない。従って、こういう人からの相談は恐怖だ。明白な霊障以外で霊能者に相談を持ちかける人は、ほば間違いなく、努力せず、素早く解決することを期待している。しかし、安直な考えの持ち主を助けることを守護霊や産土神はとても嫌うのだ。その間に入るのは単なる面倒事でしかない。
まあ、同情を得ることが目的ではないので本題に進みたい。
「あなたは霊能者なんだから、(私のために)○○しなければいけない!」と、何度か言われたことがある。何の理由があって、いかなる義理があってそういわれるのかは私も疑問に思うが、それを確かめないだけの思慮はある。まともな理由があるならわざわざ尋ねなくても相手がいうものだし、反対に、尋ねてますます非論理的なことを言われるのも面倒この上ない。
むしろ怖いのは、第三者から「何か負い目でもあるのか?」と思われることだ。そう、身勝手な言い分は、相手が身勝手だから否定するのではなく、第三者の誤解への予防線として否定せざるを得ない。言った当人にすれば、「何もそこまで口汚く否定しなくてもいいではないか!」……と、戸惑いながらもさらに復讐心を昂揚させる。しかし、すでに問題は個人が相手ではなく、見えざる大多数であるからこそ徹底した反論が必要になるのだ。
……え! そんな身勝手な言い分に誰が迎合するのかって? そもそも、明白な霊障以外で霊能者に相談を持ちかける人は、ほば間違いなく、努力せず、素早く解決することを期待している。いわば、霊能者の言動をチェックしている人の大半は、身勝手な言い分の持ち主なのだ。更にいえば、悪霊・低級霊などというのも、身勝手な言い分で人を祟るのである。その意味で霊媒というのは火薬の上に座って火を扱っている様なものなのだ。
一対一でのことなら大概のことは大目に見られても、多数を相手にしている人はやられっぱなしというわけにはいかないのである。……で、そこまでの思慮を持たずに安易に発言するから、求めるものが得られない……相手にしているものが違うのである。
相手にしているものが違う――それではうまく付き合えるはずもない。これは自明だろう。が、なぜ自分が相手にしているものを判別できないのであろうか? 自分以外の他をどう認識するか……認識能力に身勝手さがないか? つまり、現実に妄想を持ち込んでいないだろうか? すると、この問題がとてつもなく解決困難なものに見えてくる。
他に勝つのは易いが、自分に勝つのはとても難しいのである。そして、安易に他人を攻撃するのは往々、自分と争えない人に見られることなのだ。
現実に妄想を持ち込む人が、「霊が見える」、「霊が言う」等といっても……実際に見聞きしているとしても……その言動に意義はなく、意義がないためにデタラメと変わりはない。そのデタラメを信じるのはデタラメな連中だけだ。