‘2004/11’ カテゴリーのアーカイブ

相手にするものが違う。

2004/11/29

2004年 11月 28日


 私は、人付き合いが決して下手な方ではないと思うが、かといって器用な方でもない。従って上手な人付き合いの方法など、とても論じる資格を持たないが、「これはまずい」と思うものをいくつか列記するのは許されよう。

 まず、「我を押し通すこと」を人付き合いと勘違いしていると思える人がいる。確かに、自分のワガママを聞いてくれる人がいたら嬉しいものだが…… 一得一失、あなたのワガママを聞くことに何のメリットがあるのだろう? たまたま親切な人と出会いいくつかワガママを通したとしても、調子に乗ってワガママを言い続けると嫌われかねない。

 これが上手な人であれば、相手を引きつけ続けるため、適宜にエサをまく。エサをケチるのは単なる失敗だが、エサを蒔かずにうまく行かないというのは失敗以前の愚かさである。太公望は釣り針もつけずに糸を垂らして歴史に名を残したが、彼が釣らんとしたのはもとより魚ではない。では、相手にメリットも与えずにワガママを押し通そうとするの人は何を釣らんとするのだろう? ……何にせよ、目的・行動に思慮が足りないのは明白だ。するとこうもいえる。分不相応のものを欲しがるからうまく行かないのだ。……と。

 他にもまずいと思えることがいくつかある。相手を追いつめてみたり、後に引けなくなる状況に自分を追い込んだり……努力が裏目に出るようにわざわざ努力している人々を多々見る。勘違いは直ちに直せるが、未熟であるのは容易に直るはずもない。従って、こういう人からの相談は恐怖だ。明白な霊障以外で霊能者に相談を持ちかける人は、ほば間違いなく、努力せず、素早く解決することを期待している。しかし、安直な考えの持ち主を助けることを守護霊や産土神はとても嫌うのだ。その間に入るのは単なる面倒事でしかない。

 まあ、同情を得ることが目的ではないので本題に進みたい。

「あなたは霊能者なんだから、(私のために)○○しなければいけない!」と、何度か言われたことがある。何の理由があって、いかなる義理があってそういわれるのかは私も疑問に思うが、それを確かめないだけの思慮はある。まともな理由があるならわざわざ尋ねなくても相手がいうものだし、反対に、尋ねてますます非論理的なことを言われるのも面倒この上ない。

 むしろ怖いのは、第三者から「何か負い目でもあるのか?」と思われることだ。そう、身勝手な言い分は、相手が身勝手だから否定するのではなく、第三者の誤解への予防線として否定せざるを得ない。言った当人にすれば、「何もそこまで口汚く否定しなくてもいいではないか!」……と、戸惑いながらもさらに復讐心を昂揚させる。しかし、すでに問題は個人が相手ではなく、見えざる大多数であるからこそ徹底した反論が必要になるのだ。

……え! そんな身勝手な言い分に誰が迎合するのかって? そもそも、明白な霊障以外で霊能者に相談を持ちかける人は、ほば間違いなく、努力せず、素早く解決することを期待している。いわば、霊能者の言動をチェックしている人の大半は、身勝手な言い分の持ち主なのだ。更にいえば、悪霊・低級霊などというのも、身勝手な言い分で人を祟るのである。その意味で霊媒というのは火薬の上に座って火を扱っている様なものなのだ。

 一対一でのことなら大概のことは大目に見られても、多数を相手にしている人はやられっぱなしというわけにはいかないのである。……で、そこまでの思慮を持たずに安易に発言するから、求めるものが得られない……相手にしているものが違うのである。

 相手にしているものが違う――それではうまく付き合えるはずもない。これは自明だろう。が、なぜ自分が相手にしているものを判別できないのであろうか? 自分以外の他をどう認識するか……認識能力に身勝手さがないか? つまり、現実に妄想を持ち込んでいないだろうか? すると、この問題がとてつもなく解決困難なものに見えてくる。

 他に勝つのは易いが、自分に勝つのはとても難しいのである。そして、安易に他人を攻撃するのは往々、自分と争えない人に見られることなのだ。

 現実に妄想を持ち込む人が、「霊が見える」、「霊が言う」等といっても……実際に見聞きしているとしても……その言動に意義はなく、意義がないためにデタラメと変わりはない。そのデタラメを信じるのはデタラメな連中だけだ。


欠点は親の因縁!?

2004/11/28

……自由を求めて……

2004年 11月 27日


「三つ子の魂百まで」――幼少時に身につけた癖はなかなか直せない。してみると、人間の悪癖・欠点のうち、物心つく前に仕込まれたものが果たしてどれだけあることだろう。

「そんなことをするとあのおじさんに叱られるわよ」……と、親が叱る。『では親は悪いと思っていないのか?』 それとも『見つからなければ叱られないのか?』 ……と子供は考える。こうやって親が「隠れて悪いことをする子供」に育てている。

人の性質というのは、生きてきた環境の中で育まれた。むろん、一つの環境に答えは幾多もある。そして様々な局面で洗濯するのはその魂の霊性の現れでもある。しかし、選択肢も可能性も無限にあるわけはない。

この事を認識して欲しい。性質はその人のものだが、その性質が生まれたのはその人だけの問題ではない。

汝、向上すべし!!

確かに、確かに……しかし、その性質が、あなたの能力を超えた所で強いられたものであれば? ……簡単に治らないのが当たり前なのだ。それを急いで直そうとして人は挫折する。

人は、己を自分の手の中にあるかのように錯覚しているが、己とは自分のものでありながら、多くの人や物に依存して存在しているのである。自分のものでありながら自分の自由にならないのだ。だからこそ、人は「自由」にあこがれ、「自在」にあこがれる。 自由自在の境地にあこがれるが故に、他に支配されることを嫌って反抗の限りを尽くしもする……何とナンセンスなことだろう!! 束縛されるのが嫌ならば出ていけばいい。出ていくための扉は開け放れているというのに、自由を求めて騒ぐ愚かさ!!  縛られて不自由なのではなく、しがみついているから不自由なのに、その無様さに気がつかず正義の旗幟を気取る。

誰かがあなたを不自由にしているのではなく、あなたの依存心、すなわちあなたが自分を不自由にしているのである。――真の不自由とは、決してそんな甘ったれた話ではない。だが、現代日本を覆い尽くしている不自由さは、そんな甘ったれた不自由さばかりだ。

自分に勝てない人ほど、他人に勝とうとする。だが、自分に勝てない人は決して真の勝者には成れない。自分は勝ったつもりでいても皆に侮られるからだ。―― 「全く、しょうがない奴だ。でもまあ本当のことをいうと面倒だから、おだてておくか……」と、おだてられてい瑠間だけ夢を見ている。でも、いざと成ると現実は厳しい。厳しいけれど、自尊心が強い人は自分を上手に騙すのです。まあたいしたことなどないさ……結局、死ぬまで判らない。死んでもなお判らず、再生してもなお判らない。ただ、自分の境遇が悪いと思うだけ。

もしも大地がなければ、人はどこに立てばよいのだろう? ――この答えが会得できなければあなたが死後に行く先は地獄だ。……大地がなければ立つ必要もないのである。さて、あなたは死後に大地を求めるか、それとも自由に飛び回れるかどちらであろうか?


人は誰に嘘をつく?

2004/11/26

2004年 11月 25日


 忙しさの中にも、メール相談などが舞い込むと、忙しさが逆に励みになって、「嗚呼! 生きて居るなぁ~」等と感じるのだけど、それが私の魂にとって本当に良い状態とはいえないのが辛い所です。忙しさというのは自分の弱点を覆い隠してくれる利点があります。だから、自分の弱さを自覚している人ほど忙しさの中に埋没しようとする。

 人間が、一番嘘をいう相手は誰か……自分自身なのですよ。「私は正直者だ、一度も嘘をついたことがない。」……という人であっても、自分に嘘をついていない人はまずいない。『しかたないさ』『本当は好きじゃなかった』『どうせ詰らなかったさ』……等と、常に自分に言い訳をしている。

 それが良いとか悪いとかという問題ではないのです。くどいようですが、心霊思想が従周するのは善悪ではなく、理……理に適うか、適わぬかということなのですから。

 で、誰も他人に騙されればいい気持ちはしません。一方で、自分が自分に嘘をついてもそれは誰に迷惑をかけるわけでなし……と寛大になってしまうこともあります。……が、それはとんでもない大間違いなのです。

 考えても見てください。いつも嘘をついている人をあなたは信じられますか? ――では、いつも自分に嘘をついている自分を信じることが出来ますか?

 「自信がない」という人はとても多いものですが、自信とは、自らを信じることなのです。自分が嘘つきであることを知っている人がどうして自信を持てるでしょうか? そして、日常的に自分に嘘……(柔らかく言い換えるなら)言い訳を重ねている人が自信を持つ事が出来たとしたら、それは好んで詐欺師に騙されるようなものだと思いませんか? 自ら選んだことだからどんな結果になっても悔やまない……ナンセンスです。

 さらにナンセンスな話があります。人が自分に嘘をつくものなら……人が語る「嘘でない」話に、一体どれだけ真実が含まれているというのでしょう? ある人の言葉に嘘がないとしても、その人は自分に騙されているのかも知れないのです。いわば、真実を語るその人と一緒に、騙されてしまうかも知れません。

 『そんな人とは思わなかった……』 他人に嘘をつく人よりも、自分に嘘をつく人の方が多いのです。ですから、相手も実は嘘の被害者かも知れない……そう、自分を騙すのは他人に迷惑をかけていないのではなく、何が真実であるのか判らなくするという大きな障害であるのです。

・・・・・・・

 心に傷をもつ人は多い。そして、その傷に触れずに会話をするのはまるで綱渡りのようなスリルがあります。更にいえば……心に傷を持ち、会話に注意が必要な人が三人集まったら……何を言っても傷に触れてしまい、もう何も言えなくなってしまいます。……結局、心に傷はないと信じる人の嘘に付合って、嘘を言わなければならなくなるとしたら……それは優しい行為のようでいて、何やらおかしくはないでしょうか。

 『他人に嘘を強要する人』……て、死後にどんな天国に行くのでしょう?

 『真実を語ってはいけない』……という人にどんな未来が待っているのでしょう?

 傷を化膿させて死に至らしめるのが優しさであるというなら、それは地獄の倫理としか思えない。すなわち、永遠に続く苦悩の輪廻から人を逃すことがない、その為の法律のようにしか見えないのです。……まあ、そういう境涯もあるのでしょう。私の境涯とは異なる。それだけのことです。

 ただ、私はなるべく真実を語りたい。真実があまりに痛みを生むなら、せめて沈黙を守ることで正義と優しさのバランスを取りたいと思う。優しさを理由に嘘を強要する奴なんて、悪魔の手先にしか思えないのです。……で、今の世の中、悪魔の手先も確かに多いが、 他人に嘘を強要する人もあまりに多すぎて大変だと思います。

 嘘って、安上がりな優しさかも知れませんが、一つ嘘をつくと、嘘が嘘を呼び、いずれ何が本当であるのか判らなくなるという恐ろしさがあります。……自分も周囲も迷わす。――真っ直ぐ歩くのも難しい人生に於いて、ぐるぐる回って果たして目的地を見失わずに済むのでしょうか? いかなる事情があろうと、嘘をつくと、想像も難しい害があり、想像が難しいが為に、害にあっても理解できず、自分で自分を騙して当人だけが幸せなつもりになることがある。これはつまり、道を間違っていることに気がつくまで、莫大な時間が掛るということなのです。続に「馬鹿は死ななきゃ直らない、死んで直った馬鹿もない」等と申しますが、それはつまり、何度も生まれ変わらなければ直らない、いや、何度生まれ変わっても直らないという意味とも取れます。

……私が、前世の話を隠したがる理由の一つです。前世の過ちは、往々何度も繰り返す……

 例えば宗教で人生を誤った人は、たとえ宗教で誤らなくとも、口論で人生を誤るし、前世で自殺した人は、物事を途中で投げ出して完成させることが出来なかったり……心霊思想は、向上を至上命題とするわけですが、現実問題として直らぬ人の方が遙かに多いのが霊媒のジレンマです。心霊思想を説きながら、同時に無力感を味わっているのですから。


己への嘘

2006年 03月 30日

 

勝利を譲る。 負けたくないから。

譲っても悔しくているから、心は常に負けている。

 

勝ちを譲っても、勝てなくても。

根っからの敗北者であることを、自認しない苦しさ。

 

勝利の方法を知らない愚かさ。

いや、勝利の意味を知らない暗さ。

 

そして自分を騙し続ける。

勝利の日なんて永遠に来ないのに。


呪縛を解く

2006年 04月 06日

 

人間は生れてこの方、実に多くの嘘で自らの心を固めてきた。いや、嘘と言うより暗示を掛けてきたというべきか。

「出来ない、出来るはずがない」……と自分の可能性を諦め、「無理を押しつけて」……と相手のせいにし、正当な手段を諦めて、姑息、不正に手を出し始める。

「誰にも迷惑を掛けていない」「いいじゃないかこれぐらい」「もっと悪い奴が居る」……と悪事がエスカレートし、露見すれば「どうして私だけ」……と、開き直る。

一つ一つは、なにやら道理が通り、論理的にも見えるが、創造性の欠片もない。……創造のない、浪費だけの人生に陥っている。

それがあなたに行き詰りをもたらしている。他者の助けを必要とするが故に、主体性を持って生きられないあなたの現状を産んでいるのだ。

自らに掛けた暗示を一つ残らず解いて始めて、人は自由という言葉の真の意味を知るのだろう。だが、自由に至たる道のりは創造性の試練でもある。今まで創造性を眠らせてきた人々には容易な道のりではない。


姿勢が大切

2006年 09月 05日

 

 スポーツや力仕事では姿勢が大切だ。適切な姿勢をとらなければ充分に力を発揮できないし、ケガの恐れもある。いや、ディスクワークにだって姿勢は大切だ。……わざわざ霊媒に指摘されるまでもあるまい。

 だが、身体の姿勢は各自注意するとして、心の姿勢に気を配っている者がどれだけいるだろう?

・・・・・・・

 「あの子は良い子なんだけど、どうして……」

 表面は磨き上げても、内心はどうか? 溢れんばかりの不平不満を笑顔で覆い隠しているのを良い子と呼ぶのはこの世だけの話である。

 「あの真面目な子が、どうして……」

 人生哲学しているようでいて、頭の中は不満と言い訳をいったり来たり。

 自分に都合が良ければ、神様に感謝するが、自分に不都合であれば神様に呪いの言葉を吐く……正しい道程なんて知りもしないのに。

・・・・・・・

 人生の大事にもかかわらず、いつでも逃げ出す覚悟の……へっぴり腰

 重さも知らずに安易に手を出す……押っ取り刀

 手を出せばケガをし、手を出さなければ飢えるこの現実。

・・・・・・・

 価値の解るものを尊び、価値の解らぬものを侮る愚かさ……自分に足らぬものがあるからこそ、行き詰まっているのに。救いの途は己の理解を超えたところにある。が、理解できないものに、騙さずに……または誤解せずにいられようか?

 突き詰めれば答は己に返っていく。不可知なるものに救いを求めなければならないところに騙される原因があると。

 「侮り」と「依存」とは表裏一体。――弱い者が侮り、侮るから力を得られずに敗北を重ねる。勝利や達成よりも、相手を侮る事で満足するからこそ、弱者なのに。

 心の姿勢が悪いから……弱く、心の姿勢が悪いから……強くなれず、心の姿勢が悪いから……絶望する。

 絶望もまた、悪しき心の姿勢であるが、それはつまり今までの心の姿勢の積み重ねの結果である。

・・・・・・・

 姿勢を正すべきだ。嘘でも良いから正しく生きようとするべきだ。

 

 

 

 ……だが、嘘で満足し、嘘で終わる多くの人々。


悪魔崇拝者

2004/11/25

2004年 11月 24日


 さて、青年時代、スマートで行動的な青年が、現実社会に揉まれているうちに忍耐を強いられ、忍耐の中で不平不満を育ててしまい、不平不満が守護霊や祖霊との絆を塞ぎ、不平不満が悪霊・邪霊の誘惑を呼び寄せて、悪しかる道に人を誘い込むことは良くあることです。

 こういう問題は切ないですね。特にこのような転落を味わうのは、信仰心の強い人によく見られることです。むろん信仰のあり方に問題があります。…… 「自分に恩顧を与えてくれるのが真の神なり」という解釈は、悪魔崇拝そのものです。それがたとえ、正統的な信仰団体(?)の信者であったとしても、心掛けそのものが悪魔崇拝です。

 神とは力、実現するべきは我が欲望……悪魔・悪霊が、十字架・聖書・御経に弱いなどという迷信は一体誰が作り上げたのでしょう。本当は、 悪魔・悪霊のたぐいほど、十字架・聖書・御経のたぐいを好むのですよ

 当然でしょう? 虎になるより、虎の威をかる法が手っ取り早いのだから。悪魔・悪霊と呼ばれるものが、どうして盗みもせずに堂々と争うと思うのです?  宗教を語る詐欺師が多いことから、宗教そのものを悪く見なす風潮がすっかり定着していますが、それは要するに、責められるのが嫌だからと城を棄てるようなものです。敵軍は、まず城を落とし、その後に略奪を始めるのですよ。

 神社仏閣のいわゆる聖域が、霊的に清く、悪霊が入り込めないと考えるのはナンセンスです。人が考えるほど悪因縁をもたらす仕組みは簡単ではありません。そして、悪魔や悪霊は、金が集まる場所と、人の多い場所を好むのです。人の多い場所には良くもたくさん集まるし、金の多い場所は、欲の強い人が集まりますよね。……そして往々、聖域と悪霊の好む場所も重なるのです。

 心掛けの良い人が始めた事業だって、目の前に大金が積み上がれば欲心がこみ上げてくるかも知れない。人は常に悪魔の誘惑に狙われている……というのは本来は比喩ですが、持たざるものが我慢するのは簡単で、持つものが我慢するのは大変な努力を必要とします。つまり、 外の敵には勝ち易く、内の敵には勝ちがたいのです。外の敵に勝ち続けている人が本当の英雄とは限らない。むしろ、内の敵に勝てぬ人ほど強がって外で争いを起こすのですから。

 ここでは悪魔・悪霊をテーマにしていますが、私は別段、造物主に戦いを挑む魔王サタンのごとき存在を信じているわけではありません。また悪魔の誘惑というのは大部分が比喩であることを霊媒なりに理解しています。悪魔とは要するに人の心の弱さのことなのです。誰もが悪魔を抱え、それを追い出すことは決して出来ない……であるから、その戦い方が大切なのです。

 聖書や十字架、御経や御札、塩に聖水――無駄だとはいいません。でもその本当の効用は、実は自分の守護霊に対する「たすけて!」というサインなんだとしたらどうでしょうか? 悪魔・悪霊に打ち勝つのは誠意と良心だけだと思います。

 力を求め、欲の満たされることを求めての信仰は悪魔崇拝と代わり有りません。仏陀やイエスキリスト、アッラーや天照大神を信仰の対象にしていても、その目的が、力や欲の充足や、はたまた、自分の身の安全を祈るにしても、独善的であれば悪魔崇拝と代わり有りません。

 神に祈って悪魔に心通じる……世の中、悪魔崇拝者があふれかえっています。

 幽霊や祟りを恐れるよりも、心掛けの悪い人々が増え、そして、心掛けを正すチャンスが減っていることこそが恐ろしい。と、私は思います。


不平不満が勘を閉ざす

2004/11/25

2004年 11月 24日


 不平不満を抱くと霊感が鈍ります。ものの見事に……霊界は想念の世界です。それは意念に手応えが得られるということでもあります。あまり強く思うことは心の周囲に壁を作ってしまうし、同意を求めるような不平不満の持ち方では周囲に低級霊を呼び寄せてしまいます。

 いずれにせよ、不平不満を抱くと、守護霊から遠ざかり、祖霊の愛情も入りにくくなり、霊感が鈍くなっていきます。霊感が……というと大袈裟かも知れません。想像力や直感が鈍くなるのです。

 昔から、優秀な霊媒であっても、なかなか自分のことは当てられない……等といいますが、これも受け身であるべき心が、自己主張に流れた時に壁を作ってしまったり、低級霊を呼んでしまったりで、適切な通信が出来ず、適切な通信が出来ない状況で、しつこく回答を求めるから、低級霊・雑霊の囁きに騙されたり、もっと単純に、周囲の雑音、自分自身の雑念を、幸福なるメッセージと受け止めてしまう場合が多いのです。

 問題提起や現状分析は、より良い未来を得るためにはとても大切なことだと思います。が、将来の展望を育てることなく、ただ問題点を見つけ、現状の不備を明らかにすることは、不平不満を増大させることでしか有りません。

 普通に生きているだけならば、たいした問題とも思えないでしょうが、精神統一をし始めると、普段の不平不満がどれほど精神性を乱すかに気がつくことになります……嫌、本当は難しいのです。ちょうど、酔っぱらっている人を酔っぱらい扱いするようなもので、適切な環境のなんたるかを知らない人に適切な環境のすばらしさを説く難しさがあるのです。でも、環境を良くすることの大切さに思い至らないよりもよほど良いわけです。


不自然な常識

2004/11/24

2004年 11月 23日


不自然な行為は長続きするはずがありません。いや、それが命取りになるかも知れません。

ある人が、勤め先での苦労を友人に語った所、「辞めたらいい」と、助言されたとか。当人曰く、

「自分にはたくさん足らないところがあり、こんな中でも頑張る必要があるんじゃないか? と、思っていましたが?」

とのことですが、こういう発想を私は古典的倫理観と見なしています。……むろん本音ではありません。 封建制度的倫理観という呼称は、実は今、思いついたもので、要するに本音を言えばぼろくそに非難したい所なのです。

確かに心霊思想は、魂の向上というテーマを第一に考えます。

しかし……何が足りず、どう頑張ればよいのか把握しているのでしょうか?

頑張る理由や手段を見いだせないのに頑張るのは、試験範囲も知らずに試験勉強するのと同じです。試験対策の為だけの勉強も人生に於いては不毛ですが、少なくとも努力の果てに合格は期待できます。しかし、あてもなく勉強するのは、勉強そのものに意義はあっても、砂地に水をまいて米を育てるような不毛さがあります。本当にそれで実るのでしょうか???

そもそも苦しみが耐えない人は、努力を間違えている人です。逆境の中で、自分の至らなさを心配し、なんとか努力したいという心掛けは立派です。いえ、本当にそう思うのです。なにしろ、霊媒が辟易するのは、自分の未熟さを棚に上げて不運を嘆く人々なのですから、外/他が悪くても自分が悪いと反省してくれる方はもう、本当に大歓迎なのです。これで私がニセ霊媒なら……未熟であることは否定しないが、ニセといわれると反発する……ぜひ、騙して全財産を巻き上げてあげたいぐらいに、有難たい存在です。がしかし……

そもそも、苦しみが絶えない人は、努力の方法を間違えている人です。そして、苦しみが耐えがたい人は努力の意義に気がついていない人なのです。考えても見てください。何もすることがなかったら……今、くたびれ果てている人々にとって何もすることがないというのは、理想的であることでしょうが、本来はとても退屈だし、居辛いものなのです。むしろ、苦労は生き甲斐であり、楽しみであるのが順調に生きている人の価値観で、苦労を楽しむ人と耐え難い人との最大の相違は、乗り越えた先に得られるものが見えているか居ないかの違いなのです。

……見えていないのに耐えようとするのは、限りなく無理無駄です。いや、分不相応という表現の方がしっくりとするかも知れません。でもねぇ……

学校の勉強の意義が見えない子供達に対して、親や教師達は、信じて学びつづけることを助言するでしょう。しかし、それは学校だからいえることです、何しろ学校とは意義有ることを学ぶ場なのですから、無駄になるようでは困ります。が、実社会はどうでしょうか? どうも、タガのはずれた大人達が無意味な努力に往々夢中になっているのを眼にします。

努力や忍耐は確かに必要だと思うのです。なにしろ春に蒔いた種が、芽吹き、収穫できるまでには手間もヒマもかかるものですから……でも、努力の方向性を間違えては幸せの芽の出るはずが不幸の芽が出かねませんし、忍耐強く待っていては、あやまちが取り返しがつかなくなるまで大きく生長してしまうでしょう。

不自然な常識に従うべきではありません。 正しい努力、必要な忍耐は当然のことですが、無為な努力も、思慮の伴わぬ忍耐も、往々人の苦悩を増やすだけのことなのですから。

無理は続きません。無理はよい結果をもたらしません。……あせりは禁物だし、舐めてかかってもいけないのです。


答えるのが難しい

2004/11/23

2004年 11月 22日


 精神統一に際して、個人宛の霊査をとります。この霊査は対照毎に難易が異なります。同一の霊媒が指導相手によって霊査を取る難易が異なるというのは、霊媒能力の仕組みにとって重要な暗示を意味しますが、ここではそれに触れません。

 常連参加者の中に、とても霊査が取り難い相手が二人いて、そのうち一人については面白い霊査を得ております。

「お前(霊媒)は、この者を感心させようとしている」

 いや、ドキッとしました。しかし、仕事に熱心に打ち込むのに、そこに自意識の昂揚がないと誰が言い切れましょうか? 周囲に認められたいという衝動があればこそ、仕事をがんばるのはむしろ当たり前な動機であるといえます。……いえいえ、そのような情動を抑えなければ霊媒として不適切であるのも事実です。が、よく考えてみるとちょっと変です。

 私が無理に霊査を取りたがっている部分があるにせよ、精神統一会に於いて霊査を取るという習慣があるのですから、せめて「言うべき事無し」ぐらいの返事があってしかるべきではと思うのです。……こうなるとどうも、一人異教徒が混じった感じでやりにくい感があります。

 ちょっと待てよ、精神統一の指導以前に、参加者それぞれの守護霊と、一度みっちり話をつける必要があるな!……と思うわけです。

 基本的に私は、人の事情を詮索することが嫌いです。いえ、人並み以上に好奇心はあるのですが、詮索することでつまらぬ事に責任を負わされるのがとても嫌なのです。 「知らなければ是非もなし」……ですから、「言いたくないことはどうぞ言わないでください」というのが私のスタンスです。と同時に、 詮索しない、自ら首を突っ込まないという姿勢もやはり霊媒としての誠意の一部だと信じての事です。

 ところが、ある日、思わぬところからこの問題がぽっかりと解決に至ってしまいました。精神統一の際に「課題を出す」事を始めた時から状況が変わったのです。いわば彼は他の参加者よりも前に進みすぎていたのですね。

・・・・・・・

 もう一人、霊査を取るのが難しい人がいます。オマケにこの人については自分自身、霊感がとても鈍いという二重苦です。その一方でどうにも霊感発動の予兆があるのです。『変だな……』と思いつつもその原因についてしばらく気がつかずにいたのです。で、ある日別件で質問を受けた時に霊査を取ってようやく気がついたのです。

『パイプが詰っている……』

 今までおろそかにしてきた……おろそかと言っても霊感が働かずに聞こえなかったことですから罪のないことですが……事柄に耳を貸す前に、自分の都合の良い話だけ聞こうとしても、そうは問屋が卸さないわけです。どうも、普段から人の話を聞かぬ部分が強いから……山積みの問題解決が先なようです。

 まあ、聞く耳を持たぬ話も世の中に多いわけですが、ただ話を聞かぬというだけで、恨みを買う場合も多いし、なにより普段話を聞かぬ為に思わぬ人を敵に回してしまったり、せっかくの味方を失ったりということも良くある話。言いがかりをつけられたりするとなかなか話を聞くのも難しいが、 時にはつまらぬ話に付合うのも、大難を小難に変える手だてかも知れません。……いや、そうしなかったから小難が大難に化けたのかも知れませんねぇ。


霊媒

2004/11/22

2004年 11月 21日


 霊媒にとってなにより大切なことは何か? そのヒントは、『霊媒』という言葉に潜んでいます。霊媒とは、霊と人との媒介者です。そして、媒介者とは紹介すべき二者の間に立って上手に結びつけるのが任務です。つまり、霊と人との間にあって、でも目立たないことが大切なのです。

 その事は単純な計算で理解できるはずです。霊の存在抜きで霊媒が成り立ちますか? 成り立ちませんよね。

 ではさらに考察を深めてみましょう。自己主張が強い霊媒は良い霊媒と言えるでしょうか? 返事をするのが霊媒だけなら、それは霊の存在を無視する事になります。霊を無視する霊媒って、どんな霊媒でしょう? そこに矛盾と葛藤があることは明白ですよね。

 で、もう一歩、推し進めて考えてみましょう。どういう人が霊媒になり得るのか? 

『私は霊媒になります。なりたいです』……という人はどうか? 果たして自我を抑えて媒介者に徹することが出来るのでしょうか。

『霊の声が聞こえるのです。でも霊媒には成りたくありません』……という人は? 他人に奉仕する気持ちが無くて良い媒介者になれるのでしょうか。

 こういう人こそ霊媒になって欲しい……そう思えるのは、口が堅く、責任感が強く、そして、出しゃばらない人ですよね。

……むろん、霊憑っているのに黙っていられては困りますが。

……と同時に、くだらない話しかできないのに霊媒を名乗られたら、どんな低級霊がついているのかと不安になりますが……ねぇ。


墓参について

2004/11/15

メールに答えて。


時間のある時は、必ずHPを拝見させてもらってます。

私にとっては、老神さんのお言葉を読んでいるだけで問題を抱えている時は、心落ち着きます。

なぜか?悩んでいる事柄に事例がいつも一致しているんです。私にとっては、老神さんのお言葉を読んでいるだけで問題を抱えている時は、心落ち着きます。


 人の目が吸い寄せられるのは、ある人の場合、自分の弱点であり、また別な人の場合は現実からの逃げ口です。自分の弱点を補う視点をお持ちの方は、 反省という名目の自分虐めにさえ注意すれば着実に向上の道をたどれることでしょう。……あわてず、着実に前に進んでください。

 向上のなんたるかを知っている人は、人の長所を見てそれを取入れ、人の欠点を見てその後を追わぬようにいたします。反対に、他の長所を見て妬み、憎み、避けようとし、人の欠点を見て嘲り、なじって時間を潰す人もいます。 向上のための視点をもっている人であるなら、欠点が多い人からも多くを学べるでしょう。ですから、欠点が多い人だからといってその繋がりを悪縁とは呼び得ません。しかし、妬みと憎しみが多く、他人の長所を聞きたがらず、嘲り、詰ることが好きな人と関わることは自らを悪人の如く振る舞うことを要求されます。これこそが悪縁です。

 さて、ここでは良縁・悪縁という表現を用いましたが、本来、心霊ではあまり善悪を重視致しません。むしろ重要とされるのは、 理に適うか、適わぬかということです。すなわち、無理は長続きしないものだし、無理は躓《つまづ》きやすいものだからです。無理をして手に入れたものを、躓《つまづ》き、転んで失なうことはよくあることです。まして、無理して手に入れても欲が満たされるだけで実は苦しく、ふとした拍子に我に返って、幸福に思えていた自分が実は不幸であったと気がつくこともあります。無理は文字通り、理に適わず、そして理に適わぬことは多くの代償を強いるものです。

 一時の幸福で満足するという人もいますが、失うために手に入れ、それで良しとするのは明け方の夢を懐かしむのとどう違うというのでしょう? そして現実が手に入れがたいのと同様、明け方に見る夢もままならないのが人間なのです。 どうせなら望みの夢を見ることよりも、現実に得られる最善を求めるべきでありましょう。

相談回答・墓参について

 墓参については、心霊的な意味だけでなく、その土地の風習や、家の習わしといったことも絡んで参ります。 また、一般に霊媒・心霊家はいわゆる先祖供養を大切にいたしますが、先祖供養というのは果たして墓参りや仏壇の掃除、お線香の本数、花の上げ下げのことでしょうか? そうだという霊媒もいるようですが、私は違うと思います。問題なのは墓という、死体置き場にあるのではなく、相手の魂に届く祈りなのです。

 また、一般の人々にとって、死者というのは埋葬した相手であって、死別の時から変化も生長もない相手で、心霊家がいうような、死後の自由を謳歌し、地上では得られぬ喜びを楽しみ、地上の人々の祈りを求めるどころか、地上での暮らしを蔑《さげす》み、哀《あわ》れむなどということは想像もしていないかのようです。たしかに、苦しんで墓に執着する霊もありますが、反対に 「私が、いつまでも墓にいると思っているのか。私は新しい生活を楽しんでいるのだから墓参なんてありがた迷惑だ!」という霊もあります。

つまり墓参りを喜ぶ死者もいれば、嫌がる死者もいて、その辺は個別に応対せざるを得ませんが、大抵の場合、「言わぬが花」が真相以前の真実です。というのは、墓参が残された人にとっての心の癒しである場合もあり、そうなると、死んだ人のための墓参なのか、生きている人のワガママが墓参なのか、表と裏とでは異なる意味がある場合も多く、それはつまり真実が苦しみとなるのです。従って、こういう相談は回答よりも断り方にテクニックが必要といえます。

Q 『ある人の悩み事に答えて、「他人の墓参はしない方が良い」という人がいました。ただし、理由については判らないとのことですが。』

「理由が分からないが止めろ」 という意見には偏見の場合もありますが、直感すなわちインスピレーションの場合も数多くあります。この場合、相談者に対して、直感的に良い回答が出来たと解釈できます。

 すなわち、愛情・友情等というものには、どうしても執着心や依存心が混じらずに入られず、墓参が往々、執着・依存心の現われであることも多いものです。そういう墓参の仕方は、続に「 連れて行かれる」等といって、不慮の死を迎えやすくなるといわれます。心霊的にいうなら、墓地で感情的になると低級霊につけ込まれやすくなるのです。

Q 『私も以前、親友のお世話になったお母さんのお墓参りを一緒にしたことがあります。』

 墓参は、家族揃ってとか、一族揃ってが一番好ましいし、「大切な人」を連れて行くのも、見守ってくれている霊・祖先の霊達などからとても喜ばれることなのです。つまり、墓参に大切なのは、哀れみや、惜しむ気持ちであるより、むしろ、生死を超えた絆を確認する場なのですね。

 また、近親者や配偶者・恋人の墓参などに一人で行くと、やはり、「連れて行かれるから危ない」といいます。これは、実際に近親者や配偶者等の霊に殺されるという意味ではなく、寂しさなどにつけ込まれて、低級霊に憑依されたり、自殺願望に取憑かれたりする場合があるので、理性を引き留める人が必要というわけです。

 その意味で、あなたが親友のお母様の墓参に付合ったのは、1,友達の紹介 2,付き添いの二つの理由からとても良い行いです。


2004年 11月 15日

霊査事例: 2004年11月13日(横浜)

2004/11/13

 以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての代表的な霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。  以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。


事例1

  • 『ストレスから食事の量が増えています。「口が寂しいな!」と感じたら、お菓子などをつまむよりも、散歩に飛び出すようにして下さい。』

気力が衰えているから、身体を動かさずに口を動かして済まそうとするのです。しかし、身体を動かして血行が良くなるだけでも気力は戻ります。ましてあなたには癒しの力を持ったお供(ペット)がいるのですから、疲れた時こそお供との時間を大切になさって下さい。

  • あなたは、楽しく、そして一生懸命に日々を送っていらっしゃいますね。でも、一生懸命で見えないものがあります。今100パーセント楽しむのではなく、90パーセントに抑えておけば、新しい喜びや楽しみを見つけたり、または、今の自分には想像もつかない喜びや楽しみを見つけたり、素晴らしいチャンスを掴めるかも知れません。余力を残すようにいたしましょう。

 また、あなたは気配りの出来る人ですが、ご自分への気配りが足りません。もう少し自分を大切にして良いのですよ。

  • はつらつと過ごしていらっしゃる姿が見えました。よく考えてみると、私もいろいろとご意見を申し上げましたが、あなたの日常は楽しくはつらつとしたものですよね。お幸せだと思います。

事例2

  • 『大分体調を取り戻しましたね』

 まだ体調、とくに下腹部の調子が良くないとお感じでしょうが、しかし、気力的には回復期に来ています。つまり、現実に感覚が追いつかない様子です。

 もう一点。あなたは何やら生き甲斐を求めていらっしゃるようです。「こうしなさい」という霊査は絶対にしてはいけないものですから、一緒に探していきましょう。

  • 『職場での会話を楽しみなさい』

 男性の場合、暇つぶしというと酒と博打ぐらいしかもたぬ人も多いのですが、女性の場合、いろいろと趣味をもっている人も多いでしょう。そして、趣味に関する話をするのは皆、嬉しいものなのです。ですから「何か習い事をしたいのだけど、お勧めはない?」などと話しかけると、想わぬ人と仲良くなり、また、身近で面白い習い事のチャンスを見いだせるでしょう。

  • あなたの祖母様だと想いますが、『ちょっと私事でお手を煩わせます』というお申し出を受けました。

『この子は、あなた様(霊媒)が思っていらっしゃるよりも我が強くて困ります。せめて我を通すのも、目を怒らせて人に言うのではなく、笑って人を促すように出来たらよいのですが……是非そうお伝え下さい。』

事例3

  • 『頭で考えず、腹で考えよ』

行動の為の理論付けや、失敗の際の言い訳を考えている内に時機や勢いを失うのがあなたです。もっと腹をくくって行動力を発揮して下さい。

  • 『ありがとうを口癖になさい』――人は「ありがとう」といわれることがとても嬉しいものです。ですから、「ありがとう」を連発すれば、あなたは周囲の人をとても喜ばせることが出来ます。むろんそれはあなたにお礼を言われたい人を呼び寄せてしまいますが、しつこい話が出来なくなって、結局はあなたが楽になります。
  • 『霊媒との因縁』と聞こえました。なまじ霊媒との付き合いがあると、比べてしまって自分なりの霊感の使い方が出来ないのでは?

事例4

  • 『妄想するなかれ』――あなたは私(霊媒)が考えるよりもよほど幸せです。(変な言い回しだが、周りの人々が傍から心配するよりも……という意味らしい)

Q「これでいいのか不安になってしまって」

A「(オフ会時とは表現が異なります) 毒喰らわば皿まで! 今つまらぬ心配をするのは無粋ですよ。料金の心配は、レストランに入る前か、食べ終わってから考えればいいのです。」

  • 『幸腹』という字が見えました。『幸福』ではなく『幸腹』です。すなわち、今は、気持ちが満ち足りている状態である。ということです。
  • 『「自傷行為」と見えました。後は判るはずです。』

Q「いや、自信がないので詳しく教えてください」

A「あなたは自傷行為を自ら乗り越えてきた方ですから、自傷行為に悩む人に的確な助言が出来ます。そして今、あなたの側に、その助言を必要としている方がいらっしゃいます。あわてず、いそがず、でもしっかりと手を引いて幸せを掴んでください」

  • もっとリラックスして精神統一なさい。

事例5

  •  神様(みたいな霊)があなたの店の中をあちこち見回っているのが見え、『うん、うん、そのうち良い智慧を授けてやろう』といっています。そして脇から、

『店をきれいに片付け、足繁く通って折角のインスピレーションを無駄にしないように』とのことです。

  • (整理しました) 家を見て、仕事を想ってください。すなわち、家で、家族との関係に行き違いを感じたとしたら、職場ではもっと大きな行き違いが起こっているということです。身近な家族ですら問題が生じるなら、会社の中ではさらに大きな問題が起こっているのでしょう。タダ、あなたの耳に届かないのは相手がみな大人で遠慮があるからに過ぎません。家族との間にささやかな諍《いさか》いでもあれば、それはきっと職場ではもっと大きな問題が、皆の我慢の裡に隠れているはずです。
  • 『答えではなく智慧をもらうつもりで』――自分の問題に答えをもらうだけでは、自分の器量を越えた智慧を得られません。時には、すべての問題を忘れて、自分の想像もしない智慧を頂くつもりで精神統一なさってください。

事例6

  • 『何が良いのかは決められぬ。何を信じ、何を生むかが大切だ』

……「お腹が空いた、今すぐ何か食べたい」と思っても、あなたが選べるのは目の前にある(オフ会用の)お茶菓子だけです。でも、ちょっと辛抱して、おいしい店に行こうとか、じゃあおいしい料理を作ろうと努力するなら、お茶菓子よりはよほどしっかりとした食事が出来ます。

 今あることをむさぼろうとするのではなく、自分の将来により良いものを獲得できるように工夫することも大切ですよ。

Q「今の霊査は職業的なものですか。私的なものですか?」

A「物事を狭く考えないで下さい。良い智慧は工夫次第でいくらでも応用が効きます。つまり、仕事にも私生活にも生かしてください」

  • 『バカとハサミは使いよう。』――道具を生かすには応用力が大切です。道具の足りぬことを憂うのではなく、今ある道具の応用を効かすように工夫してください。
  • 『もっとお腹の力を抜いて精神統一なさい』……統一中にそう声をかけた途端、大きなため息をついた。

事例7

  • 『精神的な工事は終わった。次は環境的な工事だ』

 精神的・霊的には充分に生長して、後はあなたの努力次第でいくらでも生長していきます。そこで、あなたの守護霊等は、霊的指導のチャンスを増やすことよりも、それを支える生活基盤の拡充に専念できるとのことです。……

(審神的補足)まあ、おべっかと疑えなくもない霊査ですが、あなたはオフ会に参加し始めてから後、ここ一年ほどは面白いほど幸運が掴めているし、インスピレーションにも恵まれていますよね。

  • 『飲み過ぎです。肝臓に気をつけて』……悪い友達がいます。彼らのペースで一緒にお酒を飲んでいると体質の違うあなたは身体を壊します。くれぐれも自分のペースを守りなさい。……なお、悪いお友達はよく叱っておきます。
  • 『しっかり見えていますね』――あなたは適切に霊感・霊視能力が働いています。ただ、影響が強すぎて何を見ているのか分からないだけです。

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