‘2004/09’ カテゴリーのアーカイブ

恥知らずに騙される?

2004/09/25

04年 09月 25日


 本日は何件か書店を回ったが、魔法の~とか、楽して~等というタイトルの本がかなり目につく。かつての心霊相談にも、なにやら依存的な相談が多くて匙を投げた経緯もある。……この問題をどう考えるべきか、そう思っていた所に声が聞こえた。

『人が担げる荷物は限りがある。重たければ誰かにすがらねばなるまいさ。だがな、人は無理、無駄な生き方を続け、役に立たぬものを抱えて放さず、それでいながら、人生の大事を他に頼り、呪いやらインチキやらに手を染める。なにやら棄てる物を間違えてはないか?

『両手に一杯荷物をぶら下げて、それでいながら欲しいものに手が出ないと喚いている。呪いやインチキやら、助っ人やらを捜すよりも、手荷物を整理して、せめて片手を開けて生きられるようになるのが先決だろう。両手が塞がったままならば、転びもするし、立つのにもこまる。大切なのは、「楽に欲を満たす方法」ではなく、「どんな欲でも追い掛けられる自由と気力」の筈だろう。不健康だから、欲に負け、負けても手放せぬから欲に騙され、欲に目がくらんでいるから恥知らずに騙される。容易に手にはいるのは所詮それだけの価値しかないのだ。楽して手に入る等というのは、要するにまがい物を売りつけられているだけだ。

『まあ、そんなつまらぬ事さえ気がつかぬ輩は抛っておけ、努力だけではどうにもならぬ試練があるのが人生だ、人を案じるゆとりがあるなら、それを無駄にすることなく明日に備えよ。』

 ……まあ、……まあ、釈然としないが、……まあ、いいか。


お籠もりしたい!!

2004/09/25

『参籠』という言葉が見えます。

「お籠もり」などとも言いますが、神示・お告げなどがでるまで、霊山・聖域に泊り込む事です。忙しくも悩ましい日々が続くと、ああ、お籠もりしたいな……などと真剣に思います。それは何も現実逃避と為の参籠ではなく、腹を据えて掛る上で自分の覚悟が醸造されるのを待つ気分なのです。つまり、そう、走りながら食事をするような生き方を止めて、せめて食事の時には座って食事をしたいものだ、というような感覚です。

 もっとも、周囲を見回すと、嫌な事から逃げだして、走っている内に次々と背中の荷物を増やしていく人がいるのを見れば、まだまだ、腹をくくる覚悟があるだけ増しかも知れませんが、私は人と比べての幸せでなく、納得出来る幸せを求めたい。……という話はさておき、この問題は精神統一会の運営方針とも関わる一テーマでもあります。

・・・・・・・

 お前がいくら回答を求めた所で、こちらにも準備がある。段取りがある。事態の変化には時期も大切だ。成すべきことはただ一つとしても、今は待つより仕方のない事もある。

 心霊学徒として、また心霊主義者として、無い答えを求めぬ分別をお前は持っているが、だが、精神統一会という限られた時間の中で、どうしても答えを欲しがるという気分は直っていない。

 なるほどなるほど、確かにお前が納得しても参加者の事をおもんばかれば、何とか答えを出してやらんとする親心も湧き上がろうが。だがな。出ない物は仕方がない。

……しばし沈黙が支配する……

 何事にせよ、待つのは辛い。それが必要と思えばこそ、なおのこと待つのは辛いものだな?

 だが、与える者にも都合があり、待つ者は焦りつつ待って、焦るから耳が聞こえない。お互いの都合があるのは難しいものだ。言わんとする事は分かるだろう? 一体何が必要なのか。

『ああ! 精神統一!!』

 そうだ、本当に必要なのは精神統一であって、参籠ではない。どこが違うかというと、待っているだけよりも待つ間を無駄にせぬことが利口とは思わぬか?

・・・・・・・

 ……待つ間を無駄にせぬことは、なるほど利口とも思ったが、指導を求めねばならぬ段階で、疲れて休みたがっている自分がいる事を再発見して、答えられなかった。ああ……参籠という名の現実逃避がしたい。

・・・・・・・

 ふふふ!。 心底休みたきが故の参籠は大いに結構じゃ! お互い素直になって心底で付合おうぞ。ではまた会おう。


2004-09-24

自然霊について

2004/09/24

2004年 09月 23日


 自然霊とは、現存する地上の生物とは無関係の霊魂、顕幽間の輪廻から解き放たれた精神性をさす言葉です。纏まった論文としては浅野和三郎氏の一連の著作がありますが、浅野和三郎氏が自然霊と呼んだ存在は、正しくは二分別すべきと思われます。

 一は、地上の絶滅種(恐竜や原人など。既存種も含めるべきかも)が肉体に拠らず、霊界にて霊性向上を遂げた存在。これにはたとえば、淺野和三郎著、小桜姫物語中に出ている天狗などが当てはまります。……彼らは、地上生活の印象が薄いために、“彼ら”の向上思想は人間のそれとはかなり異質です。彼らの個々は限りなく”白色”を目指します。すなわち、調和、合一、同化……同質的向上です。即ち学校教育のようなものといえましょうか。すべての科目をこなすことを要求しがちです。

 しかしながら、これは「かなり不毛な努力である」と、地上で苦労なさった方は思うことでしょう。すべての人が有りとあらゆる事に精通する――それを理想と思えるのは無限の中に生きる……身も蓋もない言い方をすれば暇人の発想です。

 実は、「絶滅種の霊魂」を、この分類の最初に上げたのは、霊界に往々見られる不毛な努力が、どうやら絶滅種的な発想と思われたからです。すなわち、地上の生こそが幻想であると見なし、人間共の努力を侮蔑し、安易に相づちを打ちつつも何ら手を出さぬ見なし高級霊の性行がこれに当てはまります。

 もう一つは、霊界独自の存在として、霊性向上を遂げた存在です。……“それら”は、霊界に適応をして、霊界の中だけの向上を目指しますので、私ども人間の価値観をあてはめることに無理があります。ただ私の見るところ、それらの向上は、分化・並列化・調和……分業的向上です。色でいうなら、遠方から見れば白色だが、近くで見るとカラフルなモザイクとなります。

 彼らはよほど効率化に熱心なのですが、しかし、彼らの時間的感覚は地上の人間から比べると、あまりに雄大です。雄大すぎて……彼らの心情と触れた人間は、彼らを寛容で、包容力が強く、そして愛情豊かな存在と錯覚します。そう錯覚なのです。それはただ単に、人間と比べてより愛情深いというだけであって、充分に愛情が深い、すなわち次のステップに進めるほど愛情が深いというわけではないから……そこにジレンマがあります。いえ、これは彼らのジレンマではありません。なぜなら、彼らの時間的感覚の雄大さから見ると、彼らは充分に速やかに向上しているからです。ただ、我々人間が、彼らの力を拝借出来そうで……役に立たないというだけのことです。なにしろ、彼らの時間的感覚に合わせたら人間の持っている特質が役に立たなくなるからです。


憑依霊の話題

2004/09/24

2004年 09月 23日


 人々が、霊の何を恐れるかといって、そのつかみ所の無さといえましょう。つまり、相手のしようがないから怖い……心霊サイトであるにも関わらず、私はあえて憑依霊の話題を避けるようにしているのは、いたずらに人々の不安をかき立てぬ為でもあります。

 そもそも人には憑依を防ぐ仕組みが備わっています。にもかかわらず、憑依が怖いというのは、心霊知識の貧しさが原因の第一です。また、ことさらに霊障の恐ろしさをかき立てて儲ける人もいる。さらには、中途半端な霊感の持ち主は、自身が霊障に苦しんだ体験から過敏とも思えるほど憑依霊を怖がります。結局、 心霊知識の貧しい人々が、手に入れやすい心霊情報というと憑依霊に関することばかりとなります。

 憑依霊の害は、なるほど私も認めています。というより体験者でもあります。しかし、多くの皆様は根本的な過ちを犯しています。霊はなるほどつかみ所がない。でも、霊……死後の個性……それはすなわち人の心と同質なのです。 憑依霊問題を考える時、相手を人として扱わなければ大きな失敗をしでかします。

 大声で罵ったり、暴力に訴えたり、化け物扱いしたり……こんな事をすれば感情的に拗れるのは現世に置換えれば判ること。まして、ケンカ両成敗が世の常識。「殴ってみたら相手の方が強かった……助けて!!」というのは通りません。……むろん、すべての憑依霊が愛だけで導けるなどとは思っていません。右の頬を叩いた人が右の頬だけで我慢すると期待出来るほど現代は平和ではありません。左も叩こうとし、もみ合っている内に感情が高ぶって刃物を持ち出すなどというのも良くある話。

 また、「溺れる者は藁を持つかむ」というが、溺れる人を助けようとしてしがみつかれ、泳ぎの達人も一緒に溺死する事を良く耳にします。……必死にしがみついている相手に、いかなる理性的な対応が通用するというのでしょう。

……ではどうすればいいのか? 

 最終的な意見としては、やはり専門家に任せることが一番となります。……しかし、ただ任せるだけというのも怠惰な話ですね。

 ……普段から心がけるべきはなんだろう? 

 そもそも、「憑依霊の問題」という考えを棄てるべきです。手の届かぬ相手と争うことは不毛であるばかりか、むしろその闘争心があなたの弱点となります。同時に、 まず、「憑依霊がなぜ憑依するのか」を考えることです。……なぜ、自分自身では行わず、誰かの身体を借りようとするのか? つまり、あなたを利用せざるを得ない事情があるのです。その事情は相手の弱みとなります。……出来もしない戦い方を思い描くのはつまる所妄想に過ぎません。見えざる敵の憑依霊を相手に妄想で戦うのは、火に油を注ぐようなものです。

 霊性に考えると、自分に不利になるような努力をしている……こういう状態からの脱却こそが、誰にでも出来る憑依霊対策の第一歩であり、憑依霊以前の問題なのです。マンガやドラマに出てくるような派手な戦い方……素人が・眼を瞑ったまま・大立ち回りをする……妄想するには楽しくても、実践するには大失敗しないはずがないような選択はナンセンスです。

 相手につけ込まれないようにする。――防御をなおざりにしてはいかなる工夫も役立つ余地がありません。

……注意すべき事。

 この時に間違ってはならないのは、自分にとって「不利になる」と「利益がない」とを混同しないことです。不利になるための努力とは、他者に操られている/操られているのと同等という意味がありますが、利益がないというのは、自身の見識の狭さを疑うべき事だからです。つまり、「不利なことをしない」というのは当たり前の事ですが、「利益がないことをしない」というのでは、怠惰に流れがちです。より良い未来は過去から現在へと連なる努力が生み出すものなのです。目先の利益がないからといって何もせざれば、つまらぬ未来しか期待が出来ぬではありませんか。

 ……プロに何が期待出来るか?

 憑依霊問題はプロに任せよと申しましたが、それはあくまでも技能に関しての話です。憑依霊問題も含めて自分の人生であるということを肝に銘じなくてはなりません。とくに、プロに期待出来るのは一時しのぎに過ぎないからです。なんとなれば、あなたの心が隙だらけで、また、感情の赴くまま、「不利になること」を止められずにいる人ならば、どんな素晴らしい霊能者に除霊を受けた所で、掘った穴に雨水が溜まって池になるかのように、取れば取るほど(除霊するほど)より強い霊があなたを目指して飛び込んでくるようになってしまいます。

 その意味で大切なのは、荒事はプロに任せても、自分の心を清く、穏やかに、そして素直に保つようになさるべきです。

……一応、内緒の話。

 喰っていくためには仕事もせねばならず、あまり面倒な相談事には応じられないのが生活上の制約です。まあ、それはさておき、(あまりトップページには書きたくないが) ちょっとコツをお教えします。

 霊能者は凡人共よりも守護霊が強く/凡人共の守護霊は弱いというのは愚者の発想です。霊媒が自分の守護霊を自慢するのは、親の自慢話をする程度の理由で、別段普遍的な真理というわけではありません。守護霊と庇護者の関係は、お互いの必然に基づいています。つまり、庇護者が極悪人であったり、軟弱者であったりすれば、それを補うために強い守護霊が必要となると考えるべきです。逆に庇護者が善良であるなら、守護霊を勤めるのも楽ということで、未熟な守護霊があてがわれることもあります。

 つまり……守護霊の霊力を利用出来ないのは、守護霊が弱いからではなく、それを受け止める側の問題と考えるべきなのです。要するに連携損失が少なければ〔守護霊とのシンクロ率が高ければ)さしたる霊格の守護霊を持たなくても充分に強い霊力を発揮出来るし、連携損失どころか、連携が不可能であれば天文学的な能力を持つ大神霊が背後に立っても、せいぜいポルターガイスト現象の様な迷惑なことしかできないということです。

 で、ここまでいわなければ判らない人も多いのは残念なことですが、恐怖心に囚われやすいというのは、要するに守護霊の力を借りるための心の準備が出来ていない人なのです。

本当の裏話(?)

 むしろろくでもない人の方が守護霊が強い……と、いうことは、「あいつは性格(人柄)は、最悪だけど才能があるからなぁ!」と、陰口をたたかれる人の、その才能とは大抵の場合、その人の本質…魂の才能というより、実は守護霊の力なのです。

 芸事……芸術関連の才能でも、霊媒の能力でも当てはまることですが、碌でもない人間の守護霊を受諾するからには、前世でやり残したことを指導霊として実現して良いという了解が行われることが多いのです。嫌な仕事には相応の報酬が必要です。そして、地上に一人の人間として認められる一個性が、悪辣なる性質を正されるべき魂と、芸事を世に問いたい指導霊との組み合わせであることも多いというわけです。むろん、このような連携は、誰にも当てはまることであります。ただ、庇護者と守護霊との霊格にあまりに差異がありすぎると、結局、人生で味わう苦労から学べるのは守護霊ばかり、悪辣・未熟なる魂はただ、これ以上悪くならなければめっけもの、という場合もあるわけです。

 ……で、心霊家は精神統一行を行うわけですが、この修行は、守護霊と庇護者が等しく人生から学んだことを分け合うという意味合いもあります。むろん、守護霊の霊力を無駄にしないという意味もある。意味はたくさんあるのです。……問題は、どれだけそれらを自分の中に取り込めるかということ……でも、取り込もうとして取り込んでいるのは実は自分のはき出した欲心を再び吸い込むようなものなのですが。


それぞれの課題

2004/09/19

04年 09月 18日


1,業が深い

「業が深い」――と聞こえます。

自分の意に従わせるために、泣きわめいたり、威したり……あなたの課題は人生上の難題なのか、それとも善意の隣人らを支配する事なのか、どちらなのだろうか? 味方を苦しめて、敵を増やす。――幸せになろうとして不幸になる。なんとまあ業が深いのだろうか?

2,勇気が必要

神秘体験を受け止める勇気がなければ霊感は得られません。

受け止める勇気――覚悟が無い人であれば、何を見ても怖がるだけでしょう。たとえば子孫に慈愛を注ぐ高級祖霊であろうと、また庇護者のために我を忘れて働く守護霊であろうと、十把一絡げに「お化け」扱いされかねません。「霊を見て怖かった」……そういうだけならば、善霊達にした所で、姿を見せる意義がありません。それは同時に、神秘体験を受け止める覚悟の無い人は素直な愛情を注げる相手ではないという事です。

恐れさせぬようにコソコソと守護霊・祖霊が働かなければならない。――何ともまどろっこしい人という事です。

3、不審が拭えず

「(私の霊査に)半信半疑が越えられない」というメールがありました。

私の心中は複雑です。

(当人相手に返事をしにくいが……当然このページを当人は読んでいるだろう)

果たして私の態度が悪いから不審が拭えないのか。むしろ……

   都合の良い霊査が出ないから信じたくない。

   信じる努力をしないから信じられない。

どちらか、または両方ではないか……? そしてその答えは……

誰の人生なのだろう? 誰が責任を持つべき人生なのだろう? 誰の努力が必要な人生なのだろう?……その答えをだらだらと先延ばしする……その時間は誰のもので、老いて誰が切ない思いをするのか?

信じる事を強要するのでもなければ、知る事を急かすわけでもありません。また、信じないからと言われて深いに思う必要も感じません。ただ、当人に急ぐ気がないなら、私もあわてて応える必要はない、他にやるべきことはたくさんあるしな……と思うわけです。

4、次に……

みんなも懸命に前に進む。それが人間の義務だから。

そして、私自身もまた、そろそろ次に進みたいと思う秋の夜空。

勉強すればするほど、前には荒野が広がる。

無知なる人は屋根に登って竹竿で星を落とそうとする……知識こそは宇宙、宇宙の広さとは理解力の限界を意味するのです。


 この霊査は、一個人宛のものではありません。オフ会参加者やメール送信者などに対して、一般的に感じられることを纏めたものです。当然、いくつかあてははまる人有り、あてはまらぬ人有り……となるでしょう。

04年 09月 21日

 「それぞれの課題」について、メールを頂きました。


心霊というのは言葉で表現し得ないものを扱っています。と同時に永遠の成長がテーマなのです。すると、賛同や理解よりも大切なのが返事となります。……判ったというのは判っていないし、判らないまま放置するのは、それ以前の問題です。

素晴らしい知識も、知った所で使いこなせるとは限らず、知ったつもりで間違っていることは良くあることです。大切なのは実践と応用、せめて「考える」という姿勢です。そしてなにより怖いのは、判らなかったことを勝手に解釈する人々の存在です。それはつまり、私が懸命にそして誠実に努力しても、結果として嘘をついたのと同じ影響を社会に及ぼすということですから。

ですから私はわかりやすい説明を心がけなければなりませんし、私の意図をねじ曲げる人々とは何とか縁を切るように努力しなければなりません。

Q 「霊能者は、当人にも分からないものが分かるのだろう?」

重要なのは霊感ではありません。そして、霊感抜きでも、原理は非常に簡単です。……多くの人は「嫌なこと(信じたくないこと)は見ない」という習慣を持っていますから、眼前の事実でさえも気がつかぬものがとても多いのです。ですから、ただ素直に感じるままをいうだけで人々からその洞察力を称えられるようになっても全然不思議ではありません。つまり、霊媒……というより心霊家の私は、人々よりもより、自分にとって不都合な現実や憶測を受け止める覚悟があるというだけのことです。

さて、この事を知った後には注意すべき事があります。せっかく、自明なことから目を背けていても、他人に指摘されたら興ざめですよね。だから、人に何らかの影響力を及ぼせる人は、その能力を駆使して、自分の見たくないものを他人には見せないようにいたします。霊媒もそうだし、宗教家も、政治家も、芸術家だって、皆、この業《カルマ》・衝動から逃れることは出来ません。……ここは重要です……つまり、この原理を知っていればなおのこと、何かを取り除くことがとても難しくなるのです。

自明を避ける――それを知らぬ人々は、平気で自分にとって不都合なものを追い出し、抹殺しようとします。

しかし、避ければなおのこと追い掛けてくることを知る人ならば、追い出し、抹殺しようとすればなおのこと、理知的・怜悧な人々の疑惑を招くことを知っているし、かといって追い出さぬ事の悪影響も理解するわけです。


愚痴なら楽

2004/09/17

2004年 09月 16日


 自分でいえば嘘くさいが、私はかなり温厚な性格だ。ところが、私と付合うのを難しく思う人が多い。

 ここまでいえば怒るかな……と思っていると怒らない。ところが、誰もが些細に思う事に私が不機嫌になり、そして頑固に、一歩も譲らなくなるかららしい。……要するに価値観が違うのである。

 私は基本的に「侮辱に対して動じない」――これがまた付合いにくさの一つだそうだ。私が動じないが為に、侮辱した方が侮辱されたと感じるのだそうだ。これは面と向かっていわれた事がある。なんの事はない……あなたの心の汚物は頂きません。どうぞご自分で処理なさって下さい。それだけの事だ。してみると、仏陀から学んだ知恵は復讐には有効であるが、処世には向かぬようである。

 そして、仕事に妥協をどんどんする……「どうぞあなたのお好きなように」これまた私のポリシーだが、『でも私のこの仕事は尊重してもらいます』と主張する時は主張する。私にとって妥協は、交渉の一環であって敗北の承認ではない。……これまた世間では通用しない。一歩でも譲ったら、相手が負けを認めたかのように全部を持っていこうとする輩がとても多い。


 私宛のメールには、「愚痴ばかりで申し訳ない」とか「また馬鹿なことを言っていると思って笑ってアドバイスくださいませ。」とかいう結びの言葉が綴られている。……かくいう私も愚痴を零す。サイトのトップページですら愚痴で埋め尽くす事もある。

 皆も愚痴を聞くのがいやなのだろう。だから私も愚痴を聞くのが嫌だと解釈して遠慮してみせる。でも実は、私は愚痴をいうのも聞くのも好きだったりする。……いや、愚痴を断る所を見たぞ……と思われた方。それは勘違いだ。私は愚痴を好む。ただし、一つの話題に対して三回までと制限した上でだ。あまりしつこく愚痴を零すと堂々巡りに陥るからである。

 そして、最初から拒絶するように見えたとしたら……それは愚痴の体裁を取った『堂々巡りの矛盾』、または『自己の葛藤』の言語表明なのである。

 たとえば、今夕、弟とヨドバシカメラに出かけた。弟が私にある買い物の判断を求めた……

 「●●ーX買おうと思うのだけどどう思う?」

  内心、金もないくせにと思いつつ……

 「買えばいいじゃないか。買えるなら」

 「兄貴冷たいな。そんな簡単なものじゃないだろう。」

 「止めろといわれて諦められるのなら、諦めれば?」

 「だから、冷たいっていうの!!」

 ……買えといって怒られ、買うなといって怒られるのなら、どうすればいいんだ? 私はこういう会話が嫌いなのである。

 ようは、「買えなくもないが支払いが辛い」のである。支払いの苦痛が手に入れる喜びと均衡している。だから、身動きが取れなくなっているのだ。どちらかに押してもらいたい。そうすれば再び自由を取り戻す……そう思うから、応じない私を薄情にも思うのだ。

 ところが私は、葛藤を向上の大事なステップと見なす。つまり、の間で迷ったら、真の答えはに有りと見なすのである。たとえば、買い物に葛藤せずに済むような財力を育てようと覚悟を決めるとか、徹底的に調査するとか、そういう形で自分を動かす。

 ところが、この「葛藤したら第三の選択」というやり方は、大方の人々にとってとても評判が悪い。迷える人にとって二者択一ならば二者のどれかでなければ気が済まないのである。そして、「気が済まない」……これがまた、私にとって逆鱗である。『自分の気を済ますのは、誰の仕事でもない、持ち主の勤めだろう。下手に触れたら洗脳だと思うだろうに!』……かくして迷いは相手にされない。それどころか侮蔑の対象であり、汚物の扱いなのである。

 いや、私も迷う事はある。でも、汚物を人に片付けてもらうのは嫌だ。少なくとも元気な内は……。


妄想と霊感

2004/09/14

真実

2006-04-16


 時折、新興宗教や、特定の霊能者を指して、「インチキ」と表現する人がいます。宗教や霊能者に限らず、人々を啓蒙しようという人には、長短、可否が付きまとうものです。その真偽をいちいち論じていては切りがないので取上げはしませんが、世の中にインチキがある事よりも、もっと重要視すべき問題があると私は思います。

真実の追求方法です。

 インチキを駆逐するのが真実であれば、迷いは、正しい答えの求め方を学ぶチャンスとして人生に生かす事が出来ます。しかし、インチキを駆逐するのがただの否定、非難であれば、迷いはますます昏迷を深める事でしょう。

 溺れるものはわらをも掴むといいますが、我が身を引き上げるにはあまりに頼りないわらであっても、そっと引くなら岸に近づく助けになりましょう。なのに、溺れるものを助けもせず、ただわらを取り上げようとする偽善者の何と多い事か。

 まして、永久不滅の真理、真実をわずか百年程度の生しか持たぬ身がどうして明らかに出来ましょうか?

 そして、人生にいかなる価値があるのか、人生を全うもせずに、誰が「これこそは真実」と語れるというのです。出来る事はせいぜい、自分が信じている事だけではありませんか。つまり程度の差こそあれ、だれもが人生の狂信者である事には間違い無いのです。

 貧者の一灯は、仏教でもキリスト教でも貴ばれる奉仕ですが、人に光を与える事もせずに、吹き消してまわるのは何と罪深い事でしょう。


妄想と霊感

04年 09月 14日

 

霊媒こそが一番有力なる霊界調査機関であるから、妄想家と霊媒の違いを知る事は、心霊研究の第一歩です。……勘違いしてはいけません。ここでいう妄想家とは、自称霊媒に留まりません。むろん、霊媒だって、妄想に陥ります。しかし、霊感と妄想が区別できなければ霊媒など勤まりません。霊媒として扱われたならば、妄想家と霊媒との違いは実力の差として現れますが、では、霊媒を名乗らぬ妄想家ならば、見分ける機会が乏しい事に気がつくでしょう。

・・・・・・・

何を持って妄想と呼び、何を持って霊感と呼ぶのか……私が掲げる定義を吟味して下さい。決して丸飲みしないように。

理想と現実とのギャップを塞ぐのが妄想で、理想と現実とのギャップを無くすのが霊感です。人は理想の実現のために知恵を絞ります。しかし、理想と現実との間にはギャップがある。そのギャップをどう扱うかが知恵の絞り処なのです。

真の霊感・豊富なるインスピレーションに恵まれた人であれば、理想と現実との間が少しでも狭まるように努力します。出来る事ならば理想と現実が合一するように努力するのです。それは妥協ではなく調和の形を成すものです。

ところが妄想家は、理想と現実とのギャップをどうしたら埋められるかに腐心します。「もっと、お金があれば」、「誰かにコネがあれば」、「超能力でもあれば」……そして、妄想の中で、理想と現実とのギャップが埋まったと喜びますが、埋まったというよりむしろくさびを打ち込んだのに等しい事です。なぜなら、お金なり、コネなり、超能力なりが得られなければ理想が実現しないという事なのですから。……そうして、今度はお金がない、コネがない、超能力がないと嘆き、もだえます。そしてますます妄想が強くなる。

元々の理想はまだ実現の可能性があったのに、妄想するから実現が遠ざかり、実現が遠ざかるからますます妄想するようになる。

妄想の真の恐ろしさは、その論理の矛盾ではなく、エスカレートする事なのです。霊感はエスカレートしません。エスカレートして見えるのは霊感の振りをした妄想なのです。良い霊媒ですら往々、エスカレートする霊感という妄想に騙されます。それは霊媒能力がニセなのでも、嘘なのでもなく、ただ人間であるという事実の一環です。

・・・・・・・

人は訳知りがおに、当然の如く言います。「妄想するな!」と。

私も同じく言います。「妄想するな!」と。――ただ、どうすれば妄想せずに済むかの答えを模索しながら。ところが、「妄想するな」といわれた人から、「ではどうすれば妄想せずにすむか?」という質問を受けた事がありません。むろん答えは人の数だけあります。ですが大方こうはいえるでしょう。……出来る事から始める。最初から難しい事に取り組もうとするから何も出来ず、何も出来ないから妄想するのだ。

私から問題点を指摘されて、「がんばります!」と答える人々。その答えが既に妄想なのだと私は思います。妄想せずに入られぬ世の中、空理空論がまかり通る世の中、そんな世の中にあって現実を見失い、現実を見失うが故に、不安と猜疑心に苛まれる人生を送る人々。妄想するから……いや妄想する事を強いられているから苦しいのです。でも止められない。皆と一緒に妄想して生きるのが一番楽な現代日本での生活なのです。ただ問題は、現実を共有するよりも、妄想を共有するほうが難しいという事実。かくして人は孤独に苦しむか、人々の中で苦しむかの選択に悩みます。


何が正しいのか?

04年 09月 28日

「誰のいうことが正しく、またどの書に書かれたことが正しいのか?」

 このような疑問は、当たり前のようでいて、実は心霊家にとってこれほどナンセンスな疑問はありません。すべての真理が著された真の聖書、真の経典がどこにあり、それがいかなる表現方法で著されたかを考えれば自明のことです。 地上にあるのは、真の聖書、真の経典を、物質的に表現した模造品に過ぎません。模造品を取り上げて、何が正しく、誰がそれを見抜くかと言い争うのは、悪党共が自らの善良さを比べるのに等しいことです。……五十歩百歩、目くそが鼻くそを笑う……ナンセンス極まりない話です。

 どれもが不完全、不完全であればこそ……さて、何が必要なのか。それを知ることが大切です。

・・・・・・・

 論者が最善を尽くした言説、著者が最善を尽くした書物であっても、読み手が理解を誤ればそこに被害が生じます。つまり、正しい論者、正しい書物を見つけることと、誤らざる事は別問題なのです。

「誰のいうことが正しく、またどの書に書かれたことが正しいのか?」……この問いが、いかに空虚であるか。

 知るとはまず自分を知ること。理解を誤らざるものだけが、真に言説を論じ、また、書物を論じる事が出来ます。もしも、理解を誤らざるものが言説を論じ、また書物を論じるのは、ただ己の愚かさを世に問うだけのこと……世に問うて、それで過ちが認められるのならばまだしも、理解だけでなく、理性の乏しさまで世に問うては、学んで学び得ぬ事になります。……こういう自傷的な行動は、そもそも正誤・善悪以前の問題と考えねばなりません。彼/彼女は学んでいるというより、幼少時(時として前世に遡る)心の傷を癒そうと努力してうまく行かずにいるのです。

・・・・・・・

 拘るものがなければ、生きることが空しく、空しさに耐えるには人生は厳しすぎる。

 だから……空虚な者ほど、空虚なものに拘る。

 有意義に生きる者は、有意義なる者に拘る人だ。

 

・・・・・・・

 正しきものに拘るのは、真実を知らぬ者だ。

 なんとなれば、単純に善悪で割り切れぬものがなんと多いことか。その曖昧さの中に流されて、藁をもすがる気持ちで真実を求め、求めるものが真実ではなく、実はただ、自分と世界とをつなぎ止める絆を求めていることに気がつかぬ者だ。

……間違っているからといって、すべてを断罪したら、この未熟な世の中、すべての存在の存在意義を両立させられぬ狭隘の世界の中に、裁かれぬ者などいやしない。なぜ、誰かを押しのけようとするのか? 自分の居場所がないからだ。自分の中に自分の居場所がないから、正義を盾に自分の居場所を独占しようとしている。

 しかしだ!。 もしも大地が無くなったとしたら人はどこに自分の居場所を占めればいいのだろうか? もしくは、時間と空間を超越した存在になったとしたら?

 自分の居場所を探している人は、死後の居場所のない人なのです。少なくとも低層にしか……。

 


霊査事例: 2004年9月11日(東京)

2004/09/11

 以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての代表的な霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。  以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての代表的な霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。


事例1

  • 『内に息を貯めて、止め、そしてゆっくりと吐く。姿勢は天に頭をつける気持ちで。』 ……気力を身体に貯めて力強く生きて下さい……
  • 『ライフスタイルを変えましょう』 今までは自分のイメージのに縛られすぎて生きていましたね。でもせっかく、自分の気持ちを変えても、生活のリズムが同じままでは、人生は変わりません。普段行かぬ店に行ってみたり、会社の帰りに寄り道してみたりする事で思わぬ発見、思わぬ出会いがあるでしょう。そうやって気持ちと共に人生を変えていきましょう。
  • お坊さんが、錫杖を大地に打ち付けている姿が見えます。……『言って教えるのではなく、言わずに教えられるようになれ』と聞こえます。言って教えると相手に反発心が生じます。増して人は自分の過ちを気がつくものですから、相手に考えさせる事が工夫といえるでしょう。

事例2

  • 『身体がどんどんリラックスの方法を覚えていきますね。楽でしょう?』
  • 『見る物みな珍しうて』――と聞こえました。

……

(オフ会前の雑談・回想)――神社仏閣で精神統一をするのは案外危険です。社寺の関係者は否定するでしょうが、やはり、社寺には低級霊が集まります。それは私がいつもいう通り、「良い病院には患者が集まる、逆に患者がいない病院は評判の悪い」のと同じことです。あなたが、社寺の良い神霊とだけ感応出来るのならば結構ですが、気分が沈みがちの時などに社寺で精神統一すると、神霊の代りに低い霊と感応してしまうかも知れません。むろん、普通に参拝しているだけならば、そういう事は早々ありませんが、霊を感じると自称する人等と行き会えば、低級霊と感応して、あなたの気に病むような事を言いかねませんし、そうなると恐怖感があなたと低級霊を結びつける事もあります。ですから、「あやうきにちかよらず」という気持ちも大切ですよ。

……

 先ほどは否定しましたが、植物図鑑などを持って、高尾山などに行くと気が晴れて良いかも知れません。植物の種類を調べながら歩けば、変に人の気分などの影響を受けず、自然の中でのびのびと精神統一が出来るでしょう。

(注:霊媒が会話で語る事と、霊査とが異なる見解を持つ事は多々ある。)

  • 『身体の疲れは、二週間は続きます。今は新しい身体を作るつもりで、努めて楽しく過ごしなさい。しかめっ面で過ごしては、しわだらけの身体になりますよ。』

 

事例3

  •  見えませんでした。

……

Q: 最近霊査が戴けないのですが?

A: あれ、そうですね。見えない時に無理をすると間違えますし、また、観られたくないものがあるのかと思って遠慮していました。後で確認してみます。

  •  ちょっとバカにしたように聞こえるかも知れませんが、大きな声で……

『緊張が足らん!!』――と聞こえました。(一同爆笑) ……

Q: この間までは「リラックスしろ」といわれていました。

A: 実はあなたの精神統一に緊張感があります。本来精神統一の時に緊張があるのは反対で、普段の生活が緩んでいるから、精神統一の時ばかり誤魔化すように緊張しているのだと感じます。ですから「緊張が足らん!」というのは、精神統一最中のことではなく、日常生活の事です。それも、ずーっと緊張していなさいという事ではなく、緊張して放すからリラックス出来る……と言ったような、メリハリがあるから良好な体調が維持出来るという意味合いです。

 

事例4

  • 『胸を張っていきましょう……誰かに威張るのではなく、自分らしく生きるために。』
  •  停滞期に入ります。しばらく弛緩が続き、身体がだるくなったりしますが、心配はいりません。また、不幸な考えが心の中に湧き上がりますが、流して気にしないようにして下さい。……『今まで思い詰めてきた事が多いから、これまでの霊査では長いメッセージがおりましたが、一通りいうべき事が済むと、緊張がほどけて緩みが生じます。この時期を上手にやり過ごす事が大切です』
  • 『仕事熱心。それもまた精神統一。日々是修行……ただ、たまには立ち止まらぬと道を見失います。』

 

事例5

  • 『(子供の頃に)諦めてきたことを実現する。それが今のあなたです。』
  •  お子さんの手を引いて、お出かけするあなたの姿が見えます。そしてお子さんがとても楽しそうに「しあわせ~!」と言っています。これはつまり……『母親は、我が子や夫が幸せでないと、(精神統一等の)修行が身に付かぬもの。あなたは幸せです』……とのことです。
  • 人間関係のごたごたが見えます。共通の理念があれば纏まるでしょうに……そうちょうど、先ほどの霊査のように、『あなた方には哲学がない』というのが近いです。

 

事例6

  • 『(迷いがあるとの事だが)あなたは迷っているのではなく、体力が余っているのだ。(行動力が溢れてあれこれしたくなっている) 焦っても時期が来なければ実りはない。どうせ力が余っているなら出来ない事をやるよりも(職場の)掃除を心がけなさい。』
  • 哲学がない!……哲学を持たないから考える事に骨がない。うまく行かなければすぐ考えを変えようとしてしまうのは哲学を持たぬからだ。』

……

Q: ここでいう哲学というのは仕事ですか、私生活ですか?

A: 精神統一会で降りる霊査は、個々の相談に対する返答ではありません。個人の全般に関する向上法への助言です。あなたはどうも仕事とか、生活上の目先の問題の答えを欲しがりますが、今の障害という眼で一つ一つの問題を考えるのではなく、人生の中で今やるべきことが何かを考えていくと、解決策が見えてくるはずです。

  • 古式な衣装を着た武家が見えて、『もの足りぬ!』と叫ばれました。愚痴の相手などではなく「もっと立派な心がけの世話をさせよ」との事です。ちなみに、「為則」と名乗られました。

 

事例7

  • 『良し』……(補足: わざわざいわずとも、皆の話の中で気がついている。霊査で指示する必要はない)
  • 『……』
  • とても品のある女性の声で『世の中に足らぬ物を見つけ出せるような人になって下さい』と聞こえました。後に男性の声で、なにやら和歌風のメッセージも聞こえたのですが、最後にこういうまとめを頂きました。……『社会のデバッグ』……良い助言者になるよう努めて下さい。

 

事例8

  • 『気持ちを拗らせています(実のなるような考え方が出来なくなっています)』
  • 『つかみ取ろうとすると恨まれます。側まで溝を掘っていき、自分の方に転がり込むようにし向けるのです』

 

事例9

  • 「幸せになろうね」……という恋人の姿が見えます。でも、「幸せってなんでしょう?」
  • 『手を握って歩きなさい。意見が違ったとしてもその手を放さぬならば、二人で幸せに暮らせる』

迷惑だといっているのに

2004/09/10

2004年 09月 09日


もうかれこれ5年ほど前、年末の休暇を利用してサンディエゴの師匠宅に居候を決め込んでいたある日の事です。電子メールを確認していた所、珍しく師匠がそれをのぞき込み、一言、「こういう人は多いのよね、関わるとめちゃくちゃにされるわよ」とのたまわった。

 ところが未熟なというか、若かったというか、「苦労は魂の肥やし」とばかりに燃えていた当時の私は……関わってしまったのですね。

 で、気がついたわけです。

(補足: わが師、というか、わが師の守護霊恐るべし。いや、うちの守護霊にも頑張ってほしいが……「格の差」ですか。はい。そうですね。)

・・・・・・・

 小さな霊障の三つや四つ、持っていて当たり前なのが人間です。霊査を取ってアラの無い人間なんて、今まで見た事がありません。ただ、欠点があってもそれを補う長所さえ持っていれば人は胸を張って生きるのになんのためらう事がありましょう。

 それが道理。でも現場では?

 心霊相談を持ちかけられて、霊査をとってもがらくたが一杯出てくる出てくる……でもよく考えてみると決定的な問題が無いという事が良くあります。これはつまり、

  1. 先祖供養や信仰心が欠落していて (and/or) 精神的な荒廃がある。
  2. 背後霊の加護が弱く、情緒不安定に陥りやすく、抜けがたい。
  3. 要するに強い悪因が働くというより、加護が弱くて弱い悪因も大事に繋がる。

 くどくどいいましたが、要するに、霊媒から見て問題は、霊障ではない……ただ、加護が弱いから些細な出来事が大きな悪影響を及ぼす事にあるのです。こういう相談者は非常に扱いにくいのです。今まで掲示板上などに相談を受けた、霊障の相談について、いくつかはただ私が返事をするだけで問題解消に向かっていった事をご記憶の方もいらっしゃるでしょう。外因性の霊障の大半は素早く解決が出来るものなのです。ところが内因性の霊障(というより人格障害といった方が通りが良い)の場合、必要なのは一種の体質改善です。これは治りにくい……というより治りません。何しろ忍耐力に欠けているのに、改善には時間が掛かるのですから、待ちきれるはずがありません。ジタバタしたあげく、拗らせるのが眼に見えています。……現実、そういう事例があまりに多いのです。

(私が、つい「長い付き合いになりそうだ……」とこぼしてしまい、ロマンチックな誤解を与えた事例もあるようです。)


 で、まあ、重要なキーワードであるのにも関わらず、相談者をおもんばかって、内々にしてきた、私の嫌う相談事例をあえてここで話題にいたしますが、

 Q 「日頃の仕事ぶりをだらしないとたしなめられて一念発起、大目標を掲げたけれど……『出来るでしょうか?』」

 知りません……というより、今、すべき事よりも難しい事に取り組んで達成出来るなんて、ナンセンスに思えます。更にいえば……「口先ばかりで」とますます周囲が、呆れるのではないでしょうか。すると結局、苦労を増すために努力をするようなものです。……業《カルマ》という言葉がありますが、これこそまさに典型的な拝み屋さん的用法の業《カルマ》です。

 『当人が思っている以上に不幸で、直そうと思っても直らないぞ。こういうのは……』と思います。


 「建設的な愚痴」というのはなんだか矛盾しているかのようですが、反省の言葉というのは興味深いもので、どうにも業《カルマ》の強い人は、反省の言葉をみると、実によく分かります。反省点に努力の余地がないのです。

 もっと早くに生まれてきていれば、もっとお金があれば、もっと才能があれば……努力の余地のない事をいくつ並べた所でより良い未来への踏み台に使えるわけで無し、改善の余地無い欠点ならばそれを長所に変えるような工夫も必要なのに、ただがむしゃらに努力ばかりをして……業《カルマ》を増やす。みるみる膨らむ業《カルマ》をみるのはぞーっとします。


 優しくすれば「気がある」といわれ、厳しくすれば「虐める」といわれる。じゃあどうすればいいんだ? と問えば返事がない。 扱いかねるから、どこか別な相談相手を探して欲しいといっているのに、相変わらずメールが届く。

 自力では問題解決出来ない。だから解決して欲しい。でも自分は手伝うつもりはありません。態度も言葉付きもなおしません。好きな時に好き勝手にさせてもらいます。電話・面接相談も強要します。その経費は一応払いますが支払いは出世払いです。家では会いません。どこかで会うのも嫌です。場所を借りる手間も嫌です。オフ会でも好き勝手。精神的なカウンセリングなんて絶対に行きません。

 そうして、みんな周りから逃げていく……


偏見と向き合う

2004/09/08

04年 09月 08日


体験を欠いた知識は往々誤解を養います。殊に負けず嫌いな人は、自分に都合の良い知識だけを集め、又、自分の見解を補完する為に知識を集める、という知性の悪循環に陥りがちですから、理論武装した誤解の持ち主と化します。

古来より、『百聞は一見にしかず』等といいますが、百聞が眼を塞ぐようでは、何を学んだのかが分かりません。この事は特に心霊を学ぶ上で大切なことです。

霊的な事柄を知るのに人はあまりに多くの制約を抱えています。それを称して『五感という隙間からのぞき見る』――等と表現するわけです。これを単に「真理は見えがたいもの」と解釈する人も多いのですが、人は見えざる部分を、無意識に空想で補うものです。そのことを知っている人は、『隙間からのぞき見る』ということの本当の意味を正しく理解します。つまり見えがたいのではなく、空想が入り込む余地があること……知ることの難しさよりも、正しく知ることの難しさにより重点を置くべきなのです。

・・・・・・・

五感という隙間から覗くだけでは、正しく知ることは難しい……人は見えざる部分を無意識に空想で補うから……すると、『心霊学』などというのは、一部の真実と多数の空想で成り立っていることが容易に想像できることです。その空想の部分を極力減らし、より多くの真実を明らかにする上で大切なのは何かと考えていくと、心霊研究の重要性にたどり着きます。たとえば一霊媒の、しかも、自称・霊媒の発言だけで霊界のすべてが明らかになるはずもありません。端的にいえば、一霊媒の観察だけでは、一人の人の、背後霊・守護霊の解明すら容易なことではありません。

考えてみてください。人の家を一見して家族が何人でそのうち血縁が何人いるのかをどうして判別し得ましょう。家人に尋ねるのも一つの手ですが、本物の家人か否かはどう判別するのでしょうか? 霊査は高い実用性を持っている心霊主義上の一手段ですが、その検証には課題がたくさんあります。大多数の人は、霊査の真偽判別すら霊媒に依存しているのです。これでは宗教と心霊主義とが混同しされても無理はありません。ただし、精神修養が進むに連れて修行者には見識相応の霊覚も開けてきます。そうして自ら真偽を判定することも出来るようになっていくものです。

これが霊媒同士であれば、人格的な問題や、利益の対立などがない限り、他の霊媒と意見を持ち寄って、より深い洞察に至ろうと努力します。または熱心な心霊研究家(研究家を名乗ることに恥じらいがある人ならば心霊家)も同様です。複数の霊媒で同じテーマの通信を行い、対照することで事実をうかびあがらせようとする、『対照通信』は典型的な心霊実験の一テーマでありますし、一つの事実を観察するのに複数の立会人を決めることはより客観的な観察に重要であることはいうまでもありません。

ところが、心霊肯定論者にも、異なる見解を、異なる立場からの観察と見なすことなく、すべての視点を独り占めするが如く、ただ一人の判定者のごとき態度をお持ちの方を散見致します。自らの眼で物体で眺めたことのかる方ならば、複雑なる造形物はわずかに姿勢を変えるだけでその見え方が変わることを御存じの筈……それを知らないのは、偏見でしか物事を見たことのない、典型的な『偏見主』と見なせましょう。

そのような偏見に出会ったらどうすべきか? 私の背後はこう囁きます。『他人の異見に勝てるのが真実ではなく、現実に打ち勝てるのが真実である。その事を知るなら、相手にすべきは現実であって異見ではない』……つまり、『相手にするな』と教えております。


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