‘2004/08’ カテゴリーのアーカイブ

いただきます!! (新編集)

2004/08/31

04年 08月 30日


 夕食を食べる前に、「いただきます」という……ごく当たり前の日本人の日常だろう。

 横着な私は神棚に水もあげないが、「いただきます」という時は、必ず氏神をイメージしていう事にしている。まあ神様に水が届くわけでなく……というのは屁理屈である。ただ私が横着なだけだ。

 その日の気分によっては氏神の事など忘れてしまう。食べ始めてから『いただきます』と心に思う事もままある。横着な方法ではあるが、これも氏神とのコミュニケーションの一つだろうと開き直る。……まあ、不機嫌そうなのは看取ってくれるだろう。同情してくれるとは限らないが。

 ところで、滝行の効果か、今夜の「いただきます」には、物言いがついた。こんなことは初めてである。手を置いて耳を傾けてみると……

・・・・・・・

『多くの者は、空腹を満たすために食事をする。そして、満腹すれば食を得た事のありがたさを忘れてしまう。そんな喰い方をする者の祈りなんぞ、犬に芸を教えるのとどう違うのか? お前は、空腹を満たすためでなく、明日の自分を作るための食事をせよ。すなわち、しっかり食べ、しかし食べ過ぎず、食べる前の祈りに負けぬ、食べ終わった後の祈りを大切にせよ。食事の準備に掛ける手間に負けぬ後片づけをせよ。今のために食を喰らうのではなく、明日のために食を摂る。それでこそ、「食を頂く」という事だ。犬がエサを喰らうような、浅ましい心境で「頂く」などという事無かれ。』

・・・・・・・

 更に解説したい。これは私信であり……すなわち、皆に伝える事も念頭にはあるが……『空腹を満たすために食事をする』といった言い回しには、イメージ的な補足がついている。この空腹というのは胃袋の要求だけでなく、寂しさや、退屈さを紛らわせるための欲求も含まれている。『不幸を抱えている人ほど余計に食べすぎてしまうものだ。だから気をつけろ』という、暗黙の勧告が含まれている。まあ、後片づけや、犬がエサを喰らうような……にも、言い分が含まれている。

 まあ、それはそれ。

 私の「いただきます」という言葉は、犬の芸に等しかったらしい。うーん。確かに我慢は苦手かも知れない。が、もっと大事な事は、食もまた明日への道、永遠の大道に連なる支道の一つであったという事だ。おろそかにすまいと改めて思う。


蛇足

2010年1月17日

「氏神と産土神《うぶすな》と、どちらが偉いか」というのは、いささか下品な疑問とはおもう。

 が。

 私がよくよく、氏神を優先しているのをみた、とある霊(私の守護霊や祖霊ではない)が、かくいう。

氏神を大事に思うのも良い。(だが産土神《うぶすな》を疎かにしていないか? というニュアンス付)

だが氏神は、人が勝手に定めるもの、産土神《うぶすな》は(上位の)神が割り当てたもの。

くれぐれも、産土神《うぶすな》を軽んずるなよ。

 まあ、善し悪しはともかく、一方を大切にすれば他方が疎かになるのも理《ことわり》。

 私は、氏神様よりも、産土神神社の方に足げく通って入るのだけど・・・まあ、感謝の念を抱くというより好きで遊びに行っている感が強いのも事実です。


貌のない人

2004/08/30

04年 08月 29日


 怪談話を期待されたなら、誠に申し訳ない。受売りであるが、案外真面目な話である。


 静岡オフ会の前に、床屋に行った。別段、色気のある話題ではない。ただ、水に濡れる前に髪の毛を短くしておきたかっただけだ。(伏線)

 私が床屋に行くのはいつも平日の夕刻である。髪を整えるのに休日を潰すなど事情が許さない。当然、仕事の後に行くし、当然、眠い。眠いのである。従って、床屋で寝るのは当然の事と決めつけている。……この日はたまたま起きていた。しばらくの間は。

一般名称の男

 『まあ、お互い歳をとったよね……』という話題から、老人問題に話が進んだ。床屋さんの家は、四世代同居で、祖父母に床屋夫妻、そして、子供も、既に子持ち……つまり孫がある。

 で、その祖父の話だが、通いのヘルパーさんが、

「お爺ちゃん、元気でしたか?」と聞くのに、お祖父さんは、返事をしないのだという。

「あら、お爺ちゃん、お返事は?」とヘルパーさんに再度問われて、

「おれの名前はお爺ちゃんじゃない、○○だ!」と怒鳴ったとか。

 その態度は大人げなくもない。しかし、人にはそれぞれの人生がある。そして個性があるのだ。十把一絡げに「お爺さん」と呼ばれる事はその個性の否定ともいえる。……その程度で怒るのも大人げなく思えるが、苦労して来たあげくに、個性を尊重されずに、まとめてお爺さん扱いでは寂しくもあるだろう。……一方、ヘルパーさんにしてみれば、一人一人の名前を覚えるのは大変な事かも知れない。何しろ、お爺ちゃんのもっとも個性的な時代を知らないのだから。老いて世話を必要とするだけの一人なら、誰も同じただのお爺ちゃん、お婆ちゃんに過ぎないかも……その区別をする事は八百屋に並んだ、カボチャやジャガイモの個体識別に等しい要求かも知れないのだ。

 いや、いや、老人をカボチャ、ジャガイモと同列に扱うのではない。ただ、一人一人の、ひととなりに関心を持つのは容易ではないと思うのだ。

 

貌のない死者

 床屋での話は更に進む。

『近所のアパートで死体が見つかってね、大騒ぎになったの。病死らしいのだけど、死後二週間たっていたとかで、部屋の扉を開けた途端、臭くて、近所中が飛び出してきたんだから! で、どうして二週間前に死んだのか?と、お巡りさんに尋ねたら、貌の皮が解けて誰の貌だか分からなくなっていたからだって、そんな状態だけど、誰かに確認して貰わなければいけないからって、大家さんに本人鑑定を頼んだけど、さすがに大家さんは断ったらしいわ。それに、本人鑑定といったって、普段、挨拶もしない人の貌なんて覚えていないわよ。』

……二週間も見つからなかった?

『そう、フリーターだから、仕事を休んでも誰が連絡を寄こす事もないんだって、嫌ねぇ。』

 貌のない隣人がいて、ある時それが死体になっている。……個性の尊重といいながら、実は、他人の個性を無視しているだけではなかろうか?

 もっとも……私の感性は全く別の、そして悲観的な答えを提示する。

 自分が誰だか分かっている人が、世の中にどれだけいるのだろう? 貌のない隣人……自分もまた、周囲からそう思われてはいないだろうか?


オフ会活動の見直し

2004/08/29

2004年 08月 29日

オフ会活動の見直し


 「人生は魂の修行の場である」――これが心霊主義の立場である。

 修行中の身であればこそ、人は己のレベルについて敏感であるべきだと思う。人々の権利は平等であろうとも、人々の歩んできた道は必ずしも平等ではない。時間を大切にする人、他人を大切にする人、自己表現を大切にする人、ただ楽しむ事を大切にする人。様々な人があり、人々が混じり合って社会を構成する。私の主催するオフ会にだって様々な人が訪れる。たとえ名目が心霊主義者の集まりであろうとも、一人一人が心霊主義に思う事は、決して同じでないのだ。

 魂の修行が目的だという。修行の過程は人それぞれだ。そして、すべての過程を同時に集めて友に研鑽する事が可能か否か?……門戸はすべての人に開かれていても、すべての人が良い影響を受けられるとは限らない。それがこの世の特徴であり、欠点でもある。

 私の心霊活動は非営利の本心に基づいている。オフ会の中での先導役と聞き役、立場は違えど、経費は等分で賄われる。つまり平等であるという事だ。悪平等かも知れないが、恨みも少ないだろうと思う。

 しかし、この平等は果たして公平な平等であるのかは疑問の残る所だ。ただ、楽しむだけのオフ会であるなら、私、老神いさおの参加は必要不可欠とはいえない。しかし、精神統一などを目的の一つとするならば、霊媒である私の欠席は、オフ会の成立を左右する。私は基本的に、私の代りに霊査を取れる霊媒の育成を志してはいるが……未だ実現していないからだ。

 私は威張りたいわけでも、報酬や賞賛を求めているのでもない。ただ、私のいない老神心霊研究所主催のオフ会が成立せず、一方で、他の誰かが欠席したからといって、オフ会が成立しないということがないことをただ指摘するのみである。


 何を言わんとするのか、戸惑われる方もいるだろう。話は少々混み合っている。

 私の参加が不可欠であるのに、少なくとも私の存在が不可欠なオフ会……その維持には、私の好意が少なからず関わっている事を認識して頂きたいと思う。すなわち、恩を着せたいのではなく、オフ会参加者の一人一人に、私、老神いさおが好意を持ち、愛情を注いでいればこそ、オフ会が成立する事を、無理に肯定しないまでも、少なくとも否定して頂きたくない。

 名誉欲や、権力欲、ましてや、女性参加者への愛欲といった目的で、オフ会を企画していると思われるのは心外である……それ以前に迷惑である。

 木の種類を見わけるのに実を見るというのは聖書の知恵だが、私の動機もまた、そのオフ会の結果として表れる事だろう。つまり、個人的な目的で招集されたオフ会で満足を得るのは一体誰であるというのだろうか?

 オフ会において、私自身も心がけているように、参加者皆にも要求したい事は、なるべく参加者全員が楽しみ、そして笑って別れ、また、次のオフ会も参加したいと思えるようにするという事だ。

 私は私の喜びだけを優先することなく、また、特定の参加者を個人的に接待さえて誰かのご機嫌を取る事も潔しとしない。……私も人間である以上、個人の幸せの追求を行っている事も事実であるが、少なくとも心霊主義と心霊研究は、個人の幸せ追求を目的とするのではなく、我が魂の将来への投資なのである。個々では私の個人的な欲求は二の次、三の次に位置づけている。

 いや、分かりにくいかも知れないが、私は何も自己弁護の為にいろいろと主張するのではない。


 言葉では「愛情」と一括りにするが、果たして愛情とは、たった一つの何かだろうか?

 参加者に好意を抱き、愛情を注いでオフ会を開く……ここでいう愛情と、健康な少年が、可憐な少女に抱く愛情と同じものだろうか? または、母親が我が子に抱く愛情と、妻が夫に抱く愛情とが果たして同列に勝たれるものであろうか?

 たとえば、オフ会参加者同士が恋に落ちたり、また、主催者である私が、参加者に恋する事も無いとは言えないし、それを否定する気もない。それどころか、夫婦揃っての参加や、恋人と一緒に参加してくれるのは大歓迎ですらある。でも、互いに愛情を深め合うチャンスは他にいくらでもあるはず。わざわざ、皆で、お互いのスケジュールを調整し、遠路はるばる参加するオフ会であるなら、個人の楽しみよりもみんなで楽しめる事を優先して貰いたいと私は思う。さらにいえば、その場で、個人的な好意云々を話題にするのは無粋で迷惑ですらある。いや、互いに個人的な親密度を競うならば、人間関係が妙な方向に流れないとはいえない。

 愛情というのは、その人その人の理解力に応じる。その人の示せる愛情は、いわばその人の器の大きさですらある。器が小さくとも家族だけに愛情を注ぐならば、情が篤くも思えるだろうし、社会一般に愛情を注ぐ人であるなら、個人の視点では酷薄に見えるかも知れない。

 いわばその人が、一つの愛情に対してどう評価するかは、その人なりの愛に対する理解度の深さを示し、また、人間性の器を表わすわけだが、心霊主義者はやはり、より深い愛情の探求者であって欲しいと思う。すなわち、誰が誰に対してであろうとも、つまらぬ断定はして欲しくない。断定するよりもむしろそこから、別の何かを学ぶべきだと思うのだ。むろん、その愛情表現が、私利的で強欲なものであるとしたら、それは拒絶して貰って構わない。すなわち、私以外の参加者から迷惑な愛情表現があったなら、私は喜んで仲裁役に立つし、私から迷惑な愛情表現があったと感じたならば、その旨を直接言って貰って構わない。その勇気がないのならば……私はオフ会への参加を強要した事はないのに、なぜ参加するというのだろう? 私の好意を迷惑に感じる人が?

 私は、オフ会に参加した人への除霊や運命鑑定を約束した覚えはないのだけど、なんだか、不可思議な噂が立っているようだ。私は自らへの誤解を膨らませるためにオフ会を開催するような、そんな業《カルマ》の深い心霊活動を望んでいない。……最近一連の不幸もそうだが、どうやら私は魔境に足を踏み出しつつあったようだ。その反省から見てもオフ会の開催方法が一考を必要としている事を強く感じた。


甘えられては身の破滅

 良心の掲示板を監視している人が増えている。なるほど他人のトラブルは面白い。まあ僻むつもりもない。私と古くから付き合いのある人は気がついているだろうが、掲示板に投稿してはすぐ削除するのを繰り返す人はこれで二人目だ。その発言・行動に共通点があることを見いだしている人もいるだろう。

 さて、メールについては私信であるから、その内容がどんなに酷いものでも一般公開するわけにはいかない。もっとも、こういう相手からのメールはきちんとプリントアウトして保存しておくのは最低限の自衛手段だ。

 しかし掲示板に関しては、皆が見る場所である。そこに投稿したものについては、私がわざわざ隠してあげるべき話でもない。……といって、投稿者が消した全文を、意地悪くもわざわざ投稿しようなどとも思わない。ただ、私はうすうす知ってはいたが知らんぷりをしていた事実を、投稿者が掲示板に書いたとい現実がある。つまり、私は知らんぷりをする必要がなくなったと言うことだ。

 話は8月29日のトップページ投稿「オフ会活動の見直し」に飛ぶ。静岡オフ会の後に、一人反省しての原稿である。この件については元々曖昧な書き方をしていたからあちこちずいぶんと同情のメールを頂いた。見当違いではあったが同時に嬉しくもあった。正直、「たまには泣き言をいってみるのもいいな!」等と思いもした。ましてその方がファンが増えたのではないかと皮算用もした。……そうしなかった理由も心霊主義的題材としては興味深くもあるだろう。他人の同情を惹こうとすると低級霊としか感応しがたくなるのだ。霊に感応しやすい霊媒にとって意地汚さは厳禁だが、渇仰は重要なのである。意地汚いだけで渇仰を持たないが為に霊媒能力が発揮出来ない人もいるぐらいだ。

 まあ、友情に感謝の意を表わすだけで本題に移りたい。


 8月14日の横浜オフ会、そして8月28日の静岡オフ会において、私(老神いさお)が怖い……と参加者に説いて回った人物がいるのである。セクハラ的な行為があったと主張さえしている。が、怖い、怖いといいながらオフ会に参加するのだ。あげく、静岡オフ会に至っては、帰りが遅くなることが判っていながら、電車で集合地点に現れ、そして私に自宅まで遅らせているのである。(ちなみに往復で80キロもある。静岡からの帰り、深夜にさらに全行程の4分の1を走らなければならない苦痛をご理解頂けるだろうか?)

 そして翌月の東京オフ会の前日、9月10日には場所が判らないので駅に迎えにこいとまで電話があった。ここで私の忍耐が尽き、参加を断った。……私の悪口を言いふらしている相手を、わざわざ出迎えに行く。それではまるで恐喝のネタを増やしてやるようなものではないか。

 怖いといい、セクハラされるといい、それでも深夜に自宅まで送らせ、あまつさえ、駅にまで迎えにこいという。……私は一体いかなる弱みを、または、いかなる義務を彼女に背負っているというのだろうか? 強いていうなら一つある。私は後腐れない形で縁を切りたかったのである。が、それが無理なことも判明した。そして、もしここで相手のいうことを聞こうものならそれこそ周りの人間は、彼女の言い分を信じるだろう。……それこそナンセンスである。

 何がナンセンスであるか多くを語る必要はないと思う。8月29日の「オフ会活動の見直し」でいいたかったのはただこういう事だ。

「私が主催するオフ会に、私が参加してはいけないのか?」

 この疑問がどれほどナンセンスであるか、むしろ逆に、何でこんなナンセンスで、取るに足らぬ戯言をわざわざトップページで取り上げるのか不思議に思われる人がいるだろう。それこそ泣き言、いや、それこそ言い訳ではないかと思われるかも知れない。実際、彼女のオフ会参加停止について意見を求めた一人は、こういった

『取るに足らない話です。私も笑って聞いていました。それを信じるか信じないかはそれぞれの自由、そんな話を信じる人ならそれも仕方がないのでは?』

 それは正論ではあるが、私の本音はこうなのである。

……とんでもない相手に同情を寄せてしまった……

そして

……過ちを正すのに躊躇するなかれ……

なのである。

 


更にいえばこうである。

災難を招くのは、悪意よりも未熟さ、不運よりも要領の悪さである。

同情を寄せて失敗したのは、これが最初ではないし最後でもないだろう。だが、暴言に屈しても、泣き言にほだされても、それが明日の不幸に通じるのだ。……それを試したい人がいるなら、どうぞ試してみて欲しい。私はもう御免だ。

 


霊査事例: 2004年8月28日(静岡オフ会)

2004/08/28

 以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての代表的な霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。  以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての代表的な霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。


事例1

  •  仕事に夢中になって大きな部分の欠陥が見えていません。
  •  食べ物にご注意下さい。冷たいものと、脂っこいものに偏っています。
  •  無理せぬつもりが、へそ下に緊張がある。リラックス、リラックス……へその周りを良く揉みなさい。

事例2

  •  頭で考えず、腹で考えなさい。つまり、理解する事が大切ではなく、同情する事が大切です。
  •  自信を持ち、胸を張って、深く息をする。自然に、自然に……

事例3

  •  考えすぎるから知恵が湧きません。望みのままに生きるのではなく、無理なく、無駄なく生きるのが上出来なのです。
  •  思うようにいかぬのは、思わぬものを思うから。自然に、自然に……
  •  (出来ぬ(実現不能な)事を思うから報われない。出来る(実現可能な)事を思うようになさい)

事例4

  •  面白いと思う事が長続きします。大変と思える事をどう(面白く)変えていくか、それこそが目処《めど》というべきものです。
  •  祖先がコケれば、子孫もコケる。見えないようでいて、しかし、祖先の霊が人々を導いている物です。ですから、物事がうまく行かない時には、先祖供養を大切にしてみて下さい。

事例5

  •  良い人、良い物、良いタイミング--あなたはどうも、目の付け所が悪く、見るべき所を見ないで、見なくて良い物から目を背けません。
  •  思い詰められると霊媒は良い助言が出来ませんよ。

事例6

  • ……あなたの守護霊様は、言葉多くする事を好まぬ方です。…… 集中力は確かに大切です。ですが、たまには大局に目を向けなさい。

事例7

  •  「本末転倒」…… 自分が何をしたいのか、何をすべきなのかを取り違えています。
  •  無理をするな、自分を忘れるな、背負えば転ぶ、それでは困る。

質疑1

Q「同じような霊査が続くのは、成長がないからか?」

 問題が解決しないから、同じような霊査が続きます。しかし、それよりも問題なのは質問のない事です。当人に心の準備のない事はいっても無駄になりますから、霊査では言葉少なに終える事があります。関心をお持ちであるなら、質問をしなければ、やはり次の霊査が降りてきません。

質疑2

Q「次にどうすればいいのか分からない。」

 心霊主義には、大きくわけて、二つの命題があります。

 1,人の数だけ人生の形があるし、理解力は人それぞれ……
一冊の聖書、一巻きの経典で人生を定められるほど、人間の生き方は簡単ではありません。
 それに対する心霊主義の回答は、霊媒を通じて、個人、個人に見合った助言を受け取る、すなわち、一人一人に専用の聖書を用意するという形で対処します。

 2,なしのまま……
 人は幸せになるために生まれてきます。それを、地上で得た知恵を元に、こうすればもっと良い、ああすればもっと早いなどと、折角の完璧なる計画を、わざわざ逸脱して、混乱させています。
 つまり、人は本来もって生まれた最善の人生を歩むことなく苦しんでいるのです。ですから、無理せず、無駄なく生きる事の大切さを知る事が、心霊主義者の第一歩となるでしょう。


妄想家

2004/08/24

04年 08月 23日


「私には夢があったのだけど……」という話を聞かされた。私は内心、『こいつは一生不幸のままだな』と実感した。更にいえば、『絶対に縁を切るべきだな』と確信した。

 夢の中に結果だけがあって、その過程に何ら自分の役割がないのである。

 たとえば、「一生懸命働いて金持ちになる」とか、「努力して事業を興す」などというのならば、そこに自分の果たすべき役割を思い描いている事が見て取れる。それならば、たとえ考えが甘くとも、努力と工夫相応の結果は得られるかも知れない。

 しかし、「私は金持ちになりたい」とか「私は社長になりたい」などというのでは、ただ、棚ぼた式に幸運を待っているのに過ぎない。まして、祖先の陰徳がたくさんあって、生まれつき有り余る幸運の元に暮らしてきたような人であるなら、その考えの甘さに内心腹立たしく思っても、そこはそれ、心霊家が甘受すべき一つの現実に過ぎない。しかし、陰徳もなく、やることなすこと裏目に出ている人が、あえてこういう夢を持っているなら……『寝言は寝ていえ』というべき所である。

 そこに自分の果たすべき役割がなく、しかし自分の居場所がある……誰かが自分の幸せのために働き、自分はその結果を受け取るだけというのなら、それは妄想以外の何物でもない。

 自分の役割があるなら、努力する事で夢が近づく事もあるだろう。だが、役割がないのなら、幸運を待つ事しかできないではないか。自分を生かさず、ただ、幸運を待つなら不毛極まりない生き方である。……『お前、夢の実現に向けて何か努力しているのか?』そう突っ込みたい気持ちを堪えて、私は相手にこういった。

「自分で実現するのが夢。人に実現して貰うのは妄想だ」

 すると、相手は「いわなければ良かった」という。うん、確かにそうなのだろう。私と相手とでは夢の本気度がちがうようだ。私にとって夢とは実現すべきものであり、他人の夢でも本気で応援すべきものだと考える。それによって、相手から何らの見返りがなくとも、私が死後に行くべき境涯は、私が思うほど高いレベルでないとしても、少なくとも親切が報われ、誠実さが評価されるのであれば、人生を棒に振らぬ程度に人に親切である事は無駄ではないと思うからだ。

 だからこそ思う。実現しない夢を見ている奴が、どうして幸せになるんだ?

 妄想するのも脳の体操だ。そう思えば、ある程度の妄想は必要ですらある。だが程度ものである。折角の人生を不毛に過ごす。まあ、どう生きるのもその人の人生だが、誰が不毛な仕事に手を貸すというのか? 神仏だって見放すだろうと思うし、神ならぬ霊媒ならばなおのことである。

・・・・・・・

 ……が、こういう妄想の持ち主が、霊媒である私と懇意にしたいと思っているなら、それは明らかにろくでもない欲望の働きだ。また、誰にでも親切であろうと努力する心霊主義者と仲良くしたいと思っているなら、それもまた、ろくでもない発想だ。自分は与えず、でも与えられたいと思うのはフェアーじゃない。つまり、親切にすべき相手ではないという事だ。

・・・・・・・

 若いと情熱から理《ことわり》を無視しがちだし、思春期に抑圧されすぎた人が妄想的になるのは理解する。まして、努力が実を結ばず、あがけばあがくほど物事が拗れる事を長い事経験したら……『自ら努力したらますます夢が実現しない』そう思えておかしくない。 おかしくはないが……無意味である。いったい、自分の努力の余地のない人生は一体誰の人生なのか。

 貴重な時間を妄想に費やして、不幸になるのは誰か? そして、自分を不幸に置き晒しているのは誰なのだろうか? そして自分の人生は一体誰の人生のなのか? ……なんとも不毛な生き方である。その不毛な生き方に誰が真剣に手を貸すというのだろう? 不毛な生き方を改めることなく幸せなど掴めるはずもない。だが、なぜそのような不毛な生き方に落ち着いてしまったのか。その人生の闇は深い。

 闇が深いというのは、罪を意味しない。ただ、そこから抜けるのに多くの苦労がいるし、助けようとする人をも迷わせる危険がある。……二重遭難、……三重遭難。 ……労多くして得るものは少ない。いや、なにも得ずに多く失うかも知れない。善良な相手であろうとも、友人として適しているとは限らないのである。むしろ、少々邪であろうとも合理的な人の法がよほど付合いやすいし得るものも多いのだ。


不信: 求めて嫌われる

2004/08/23

04年 08月 22日


 話を先に進める前に、価値観を整理したい。

 風呂を沸かすのにバケツで水を汲む体験をした人はあまりいないかと思う。言い出した私もその経験はない。しかし、想像する事は出来るだろう。まあ、ここでは水をどうやって湯にするかまでは考えない。

 重たいバケツを持って何回も水を運び湯船を満たす。面倒、そして重労働だ。……人生、往々、避けがたい労働があるもので、風呂桶に水を満たすのはその比喩と思って欲しい。

 ところで、水くみをするのに渡されたバケツに穴が開いていたらどうだろうか? あなたは水くみを続けるか。それとも逃げ出す算段をするか。一体どちらだろうか? ……穴を塞ぐ? ええ、もちろんそれも選択肢の一つだ。それが思ったほど容易でない事を理解しているなら。

 または……風呂桶に穴が開いていたらどうだろうか? 穴を塞ぐ?……それが現実的な選択肢である事は間違いない。 でもその前に、一つ疑問を持って欲しい。風呂桶に水を運ぶのはまあいい。でもなぜ、穴の開いたバケツで水を運ばせるのか。そしてなぜ、穴の開いた風呂桶に水を満たせといわれるのか。バカバカしい……いや、嫌がらせでは?……そう疑問を抱かないだろうか?

 趣味や道楽などは、およそ不毛なものだが、不毛な重労働を好む人はあまりいない。まあ、嫌なら辞めればいいわけだが……ここらで本題に戻りたい。

 人は不毛な仕事を嫌うものだ。だが、ある種の人々は、往々、他に不毛な仕事を押しつける。(またはお願いする)……不毛な仕事を押しつけられた者はそこで思うわけだ。

「これは嫌がらせか?」  かくしてここに不信が生まれ、さらには憎悪が生まれる。

 たとえば、「神様なんているものか、だってちっとも祈りを叶えてくれないじゃない」などという話を聞く。その願いというのは、神様にとっても意義のあるものだろうか? もしも、不毛な祈りを上げているのなら……まあ、神様に相手にされなければ幸いだろうと私は思う。


霊査事例: 2004年8月18日

2004/08/18

 以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての代表的な霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。  以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての代表的な霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。


はじめに

 一流大学の学生は、家庭教師や塾の講師に向いていないといいます。「頭の良い人は、出来の悪い子供の心が理解出来ないから……」だそうです。私の頭の出来はどうか知りませんが、少なくとも私は気分の切り替えが比較的上手なようです。そして、気分の切り替えが下手な人々の心が理解出来ません。ですから、相談の回答者よりも瞑想法の指導の方が向いているのでしょうね……もっとも、統一の深さが充分であるか否かは、怪しいものですが。

霊査事例1

  •  心が高揚している時は、考えなくても答えが出るし、心が低迷している時は、考えても答えは出ません。相性の良い人同士でも、リズムが合わなければ噛み合わず、相性の悪い人同士でも、全くリズムが合わないとはいえません。
  •  相手のリズムを見て、また、自分のリズムを把握する。それが大事です。
  •  自分はいつも同じ……それは大きな勘違いで、潮の満ち引きは陸から見れば分かっても、船の上では分からないのと同様です。
  •  そして、落ち着いて見えても人の心も動く……それは性格の問題というより生理的な問題なのです。
  •  相手を見て話す……そして、時期を見て話す。無駄な争いをしないためにはそれが大事です。
  •  さて、以上は前置き、これからが本番です。あなたはどうも好調期に入っています。それは個人的な努力は達成しやすいが、周りの理解は得がたい感じです。こういう時は思い切り羽を伸ばす方がよいかも。

霊査事例2

  •  あなたは元々理屈をゴネル方ではなかったけれど、でも、十二分に理屈屋なんですね。だから、納得しないと行動出来ない。ところが、その納得法がくせ者です。考えても答えが出ないとそこで納得するというずぼらでいい加減な所があります。(違いますか?)
  •  一連の精神統一会の指導の元であなたが得たのは、心の締め方と、弛め方、それは行動力を生み出すと同時に、本当の安らぎもあなたにもたらします。その報酬を甘受しつつありますね。
  •  ところで、掲示板の話題にふと感じましたが、大分、脳裏に理屈が浮かび上がっているのではありませんか? それはつまり、霊感(インスピレーションという方がわかりやすいか)が非常に敏感になっているという事です。
  •  囚われず、流す。無意識のあなたの行動は非常に適切です。受け取ったインスピレーションは、そのまま人に語ってはいけません。しばらく胸に止め、その価値をよく検証してからいうようにしましょう。

霊査事例3

  •  ここ二週間ほど、HPを整理していて、気がついた事があります。霊査には個々に価値があるだけでなく、一連の流れの中にも意義があります。そして、あなたは霊査の問題提起に対して、努力で解決しよう……または、努力では解決出来ないと考えているのではありませんか。そのどちらも間違い……少なくとも心霊的な解決策ではありません。そこに横たわる因縁や、霊的な障害をどう取り除くかを質問すべきなのです。
  •  外因的な問題は第三者も手を出しやすいが、内因的な問題は依頼しない限り第三者が手を出して良い事ではありません。すなわち、あなたは玄関をノックされているのに、「うるさい! 私に何をしろと言っているのだ!」と、毒づいているようなものです。
  •  『どうして変な所に意固地なの?』と、守護霊さんがため息をついておられます。
  •  ……もっとも、本当の問題は、あなたが真面目な事かも知れません。もっと楽しむ気持ちを持つと、霊査に納得出来るものが出てくるかも知れませんね。

霊査事例4

  •  仕事がつまらない。そう考えてはいませんか。今まで、あなた宛に霊査をとる時は、大抵があなたに関わるいろいろな霊がみえていたのですが、今回は珍しく、あなただけが見えます。
  •  退屈を持てあましている。それは要するに、あなたがとても創造的になっているという事です。こういう時は自動書記をするチャンスなのですが……出来る事からやる。というわけで、将来の展望を紙に書いて、描いて、書いて……、一枚の紙にアイデアを一つ。そういう綴りを作ってみてください。書く事によって整理が進み、面白いアイデアが生まれるかも知れません。
  •  それが仕事に繋がらなくても、ネットアイドルに成れるかも? いや、冗談ではなく、アイデアを表に出す練習すべき時期だと私は思います。

霊査事例5

  •  良い休憩の時期になっていると感じます。罪悪感など忘れてただ休む。次の仕事に取り組むためには休む事も大切な職務なのですから。
  •  遠回りに思えて、でも、人としての義務をおろそかにしない生き方をあなたは大切にしています。もっと上手な生き方はいくらでもあります。でも、上手に生きればそれで良いというものでもない。

……つまり、大切なのは、こういう事です。

 忍耐をするなら愚痴をこぼすな。愚痴をこぼせば忍耐が無駄になる。

 愚痴をこぼさずいられないなら、忍耐などするな、其の方がよほど素直で良心的だ。

  •  あなたの最大の欠点は、自分の限界を忘れる事です。物事を限界の中で治められるなら、不幸であっても罪悪はないのです。限界をはみ出すから不幸を罪悪にしてしまう。
  •  自分を幸せに、皆を幸せに。

霊査事例6

  •  とても良い、人生を楽しんでいるし、人にも親切だ。ベタほめだ……が、本当か。まあ、あまり褒めて、虐められても可哀想なので、せめて私だけでも批判すると、実は、たいして善行を行うわけでなく、特に修行しているわけでもなく、いつも程度にはブーイングもして、また、あー特に何かがあるわけでもない。(ですよね。)
  •  ただ、守護霊さんがとてもくつろいで、本来のレールに乗った事を手放しで喜んでいるようです。
  •  不平不満が生じても自分を虐めすぎたりしないし、嫌な事でも笑い飛ばすようになっている。考えてみると自分の人生に自信も持っているし、特に理由はないけれど守護霊の親切を信じてもいる。
  •  現状が幸せなのではなく、現状が太い絆で幸せと結びついている。そういう感じです。
  •  そういう、無理せず、怠惰に流れず、苦労せず。喜び、怒り、悲しみ、楽しむ……そして、後に残さない。それが順調な人生です。

 皆さんも、無理せず、怠惰に流れずに、楽しく生きましょう。そういう生き方が出来る人がすごいのでなく、また、そういう生き方が出来ない人が悪いのでもなく、ただ、出来る人が楽しく、出来ない人が辛いのですから。


仕事が辛い

2004/08/18

04年 08月 17日


 仕事が辛い、辞めたい……と相談を受けた。仕事と給料をただ比べたら、「こんなに苦労して、でも手取りでこれだけ……」そう思うのが人情。で、なぜ給料が安く思えるのかを考える事がない。

 物を買う時、値切れるなら値切りたいのが人情。買い物をするなら、出来るだけ安い物を買うのも人情。そういう人情を相手に商売するなら原価を下げる努力が経営者に求められるし、なにより、人件費だって値切りたいのが人情。

 自分が買い叩くのと同様、自分だって買い叩かれるのが当たり前。でも、払うのは嫌でも貰うのはたくさん貰いたいのが人情。結局、いろいろな人情に振り回されて仕事に不平がでる。

 ……給料は安く思えて当たり前。それがお前の結論かって?

 一生懸命働くから、楽しく遊べる。それに気がつけば問題は給料の額でもなければ、仕事の大変さでもなく、ただ、気持ちの切り替えがうまく行っていない事に気がつく。

 ……それが私の回答。

 悩むより、遊ぶ方が分かる真実もある。


霊査事例: 2004年8月14日(横浜オフ会)

2004/08/14

 以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての代表的な霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。  以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての代表的な霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。


 事例1

(1) 大きなプロジェクトに関心が向いています。大きな部分に気をとられて、小さな部分は現場任せですね。しかし、素人(顧客)を喜ばすのは、小さな気配りで、大きな部分の意出来具合は当たり前に思うものです。細心の注意を全体に払うのは難しいでしょうが、仕事にちょっとしたアクセントを付け加える事を忘れないでください。(プロから見たらくだらない事でも素人を喜ばせるのが、客あしらいなのです)

(2) 精神統一中のあなたを見ていると、「気(のエネルギー)」が頭に集中している事を感じます。ですから今日の統一では、お腹に「気(のエネルギー)」を集めて腹で考える……覚悟を育てる様な精神統一を心がけてください。

(3) お腹の具合は大変良いです。しかし、反対に頭に雑念がわんわん集まり、重たくなっている事でしょう。それは、部屋の掃除をして次は押入の掃除に移った状態、つまり、隠れていた因縁が表に出てきたのです。負けず、恐れず、どんどん流してください。

(4) あなたは対人関係に鈍感です。しかし、それはあなたの感覚が鈍感という意味ではありません。本来あなたは物事に過敏で、その自分を当たり前に思うから、周囲の人々がトロ臭く、またバカにしているかのように思えてしまうのです。(あなたのスピードで物事を判断できる人は滅多にいません)……その錯覚から対人関係が拗れてしまいます。

 実は自分が過敏で、判断が速すぎるから周りがついてこれないのだと気がつけば、打つ手もあります。

 また、前世のあなたは、頭が良く、また人心を捉える感覚にも優れており、人心(世論)を自由に操れた人です。それで人生がつまらなくなり、「来世ではもう少し苦労があった方がよい」などと思っていたから、今生では過敏な身体を持って生まれてきました。コントロールが大変でしょうが、あなたが望む生き方は、前世で体験した事がない物ではなく、より楽な環境で実現した物なのです。ですから、努力が必ず実り、今生で再び手に入れられる事でしょう。

 事例2

(1) 気持ちでやる気になっているだけで、腹(覚悟)がついてきていません。だからいざというときに挫けてしまいます。

(2) 急がず、休まず、よく周りを見て、反省もする。すると次の一歩が大きな一歩となる。

(3) 精神統一会のための精神統一ではなく、仕事・人生のための統一です。仕事が行き詰まった時も、また、仕事が順調すぎる時にも精神統一を行い、生活の局面局面でも精神統一を生かして、人生に役立ててください。

 事例3

(1) 身体が冷えすぎています。(いわゆるエアコン病)だるいでしょうが、なおのこと身体を動かすようにしてください。

(2) 仕事が見えなくなってきたのではなく、全体の見通しを把握出来なくなっているのです。大きな紙に連関図を描くなどして、全体の把握に努めて下さい。また、「あなたが分からないだけでなく、あなたが分からない所がどこかが分かりにくくなっています」と聞こえました。分からない時にはまず、問題を整理してください。そこに示唆的霊感が入り込むものです。

(3) 『我が行くは不毛の大地、ひと、ふた、みい、よと前に進む。大地を潤すのに必要な事はなーんだ?』……問題の解決に頭を使うだけでなく、よりよい生き方の模索にも頭を使いましょう。

 事例4

(1) もっとお子さんに視線を注いでください。悪い所は見ずに良い所を見てください。そうしないと、外で良い所を見せようと努力してしくじり、「悪い子」になってしまいます。

(2) ネットワーク的発想で家庭を考えてみてはいかがですか?
 今のままでは、連れ合いと一対一、長子と一対一、次子と一対一、三子と一対一という具合に、絆の数ばかりが増えて手が回らなくなります。長子に下の子達の世話を頼んで、そのお手伝いを褒めてあげるなど、一対多の人間関係を大切にする事で皆がハッピーになる配慮をしてみたらいかがでしょうか?

 事例5(4′)

(1) 『うだうだ考えるな! どんなに頭を捻り、どんなに工夫して良い店を出した所で、運の良さまではついてこぬ。足をすくわれぬ為には、一歩のゆとりを用意せねばならぬ。前に進む事に気をとられて引く事を忘れるから、無理に無理を重ねて身を滅ぼすのだ。気持ちが焦っても、一歩手前で待つ心のゆとりを手放すな。』と聞こえました。

 事例6

(1) あなたが好きな物に没頭するのは現実逃避です。ですから、実際にはたいしたものでもないのにあなた一人が大騒ぎする事にもなります。それは価値観のひずみを生んであなたを迷わせます。正しい価値観で熱中してこそあなたにとって有益な仕事となるでしょう。

(2) いまさらですが~
 「皆それぞれ、様々な想いを胸に生きています。するとどうしてもぶつかる事あり、イライラが募る事もあります。嫌な事を嫌だと思いながら口を開けば、悪口・罵倒の応酬となり、すると互いの「嫌」が膨らむばかりです。

(3) 『感情のもつれがあっても、(あなたの人生は)そう悪い人生でないだろう? お前が選べる範囲の中で和氏らも努力したのだ。「ああ、良かった」と思ってくれたなら、もっと良くなるようにがんばって働けるのに、『嫌だ、嫌だ』と思われると、その苦情処理に忙しくなってしまう。』と聞こえました。特定の誰かではなく、祖先の霊の総意と受け取りました。

 事例7

(1) いままでの問題は片づきました。つぎは?……次の一歩をどちらに踏み出すかを考えるべき時です。

(2) 身体の不調があちこちに出ていますが、病気になるための不調というより、今までのひずみが表に出ているのです。自分の健康を心配するよりも健康を願う生き方を心がけてください。

(3) 静かに深く呼吸し、身体に力が漲る事を思う。「軟蘇《なんそ》の法」を行うべし。

(4) あなたには人の良さを見つける美点があります。

 事例8

(1) ゆとりがないからあなた本来の優しさが生かせません。

(2) 行き着く先を見ないから、道を間違い、道中も辛いのです。

(3) 頭で好き嫌いを考えるから迷いが大きい。自分が必要とする事、自分が利用出来る物を理解すれば、選べる道は限られてくる。

 事例9

(1) 行動力と計画力のバランスがあなたの課題です。往々、行動力が先に立って、後悔する事になります。

(2) 「汝の欲する所を行え」……つまり、あなたが何をしたいのかを明確にしないと手助けのしようもありません。また、あなたが何をすべきなのかを霊媒・霊界に問うわけには生きません。あなたの人生だからです。

(3) (内容の価値が不確実なので割愛)



命の価値

2004/08/13

04年 08月 12日


 時として人は、生きることの意味と価値を見失い、漫然と時を過ごしがちです。死別は確かに悲しい事ですが、命の価値を学ぶ事は、より充実した生を送るのに不可欠な事なのです。ただ悲しむのではなく、そこから何かを学んでこそ、死者も浮かばれます。

 「供養」とは、「尊敬」という意味なのです。皆様が、亡くなられた方と共に過ごされた時間を幸福に思い起こしてくださり、その存在に感謝の念をお持ちになれば、それが最高の供養なのです。仏事はそのための儀式に過ぎません。皆様が、亡くなられた方に感謝の念を抱けば、その念が励みになって、先立たれた方は霊界で、皆様と再会する、その時の為の準備をはじめる事でしょう。それが広義の「成仏」なのです。

 死別の悲しみが癒しがたい事は承知しておりますが、わずか百年ほどの人生が長く感じられるのは、肉体という五感に閉じ込められた環境にあるからなのです。永遠の時の流れの中では、生は一瞬のことに過ぎません。いずれ再会のその時まで、亡くなられた方の分まで一生懸命に生きてください。

 惜別の涙は、死者と生者の間に深谷をうがちますが、悲しい時には素直に涙を流したほうが悲しみから立ち直りやすいものです。しっかりと涙を流し、それから、ご供養なさってください。

 さて、生者には生者の勤めがあります。死者を思う事よりも、死者を嘆かさないように、がんばって悲しみを乗り越えてください。


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